一つの終わり
続きです。
第一射はあっさりと防がれた。
〝聖女〟――否、シャルルが手にする剣で打ち払ったのだ。
「っ!まだ!」
神器の加護で強化されていようとも、知覚困難な速度で次々と放たれる風矢。不可視化を掛けたものすら織り交ぜた弾幕の嵐――防ぎようがないはずだった。
しかし、シャルルには通用しなかった。
彼女は手にする荘厳な剣で致命傷だけ防いで、後は為されるがままにしたのだ。
故に――彼女の身体は心臓や首、頭など致命的な部位を除いて風矢を喰らってしまう。
いくら致命傷を避けているとはいえ、身体を穴だらけにされれば失血死してしまうものだ。
けれども――シャルルが死ぬ様子はない。
それどころか歩みすら止めておらず、徐々に距離を詰めてきていた。
「なんで――」
「ふふ、不思議ですか?何故私が死なないのかと」
驚愕するルナに、シャルルが笑いかけてくる。微笑みであったが、何処か禍々しいと感じる笑みであった。
全身が泡立ち、脳が最大級の警報を発したことで、ルナは風矢による弾幕を止めて覇気を滾らせた。
そして勢いよく地を蹴って跳躍、風を纏って空中に浮くと〝翠帝〟の照準をシャルルに合わせる。
「討ち滅ぼせ――〝天墜風弾〟!!」
弦を引き絞り――一気に解放する。
変化は訪れない。
ただ空間が震えただけ。
「?何かしましたか――ッ!?」
首を傾げたシャルルであったが、唐突に身体に穴が空いたことで鮮血が舞った。
「くっ、これは……ッ!?」
何が起きたのか、瞬時に悟ったシャルルは神力による障壁を頭上に展開する。
すると激烈な衝撃が障壁を揺らした。しかも何度もである。
「不可視の魔弾……!それも威力が先ほどまでとはけた違い、しかも感知できないとは!」
シャルルは驚嘆の声を上げた。
先ほどまで見せていた不可視の風矢は、周囲に展開していた神力によって感知できた。しかしそれは囮にすぎず、こちらの油断を誘うためだったのだ。
本命はこちら、神力ですら感知できない完全不可視の攻撃であった。
「……なるほど、油断も慢心もないということですか。あくまで全力で私を倒そうと」
されど、シャルルは余裕を崩さない。
肩を揺らし、クスクスと笑い続けている。
その理由は一目で分かるものであった。
「……やっぱり、攻撃が効いてない」
ルナは眼を瞠った。
何故なら風矢によって穴だらけとなったシャルルの身体が、神々しくも淡い光に包まれ瞬時に修復していくからだ。
これではどれほど攻撃を加えても無意味である。
どうすべきか、考えあぐねるルナにシャルルが声をかけた。
「教えてあげましょうか、この〝力〟の正体を」
じらすように、あるいはもったいぶるようにゆっくりと言葉を発してくる。
ルナは不快げに眉根を寄せた。
「……別にいい。自分で考える」
「この子の天恵ですよ。〝不滅〟、所持者を無敵にするというものです」
拒否しても言ってくるあたり大概だなと感じるのに、その上理不尽な能力まで明かしてくる。
どこまで性格が歪んでいるのかと、問いただしたくなってしまうほどであった。
とはいえ、本当にシャルルの明かしたことが事実なのであれば勝ち目などないということになってしまう。無敵なのだからこちらがいくら攻撃を加え続けても効かず、ただこちらの体力が消耗していくだけだ。
「――いや、まだ」
と、ルナは呟き、己の内側へと〝眼〟を向ける。
確かに〝力〟は活性化していた。されど、未だ発現には至っていない。
理由は明らか。ルナ自身の覚悟が足りていないのだ。
(この〝力〟を使えば……勝てるかもしれない)
けれど、思ってしまう。己の内側に眠る〝力〟、ソフィアに教わったソレを使えばまず間違いなく人ではなくなってしまう。
そうなれば自分はいいが、他の人がどう思うだろうか。特にあの双黒の少年は――。
(……嫌われたくない)
そう思うが故にルナは手を伸ばせないでいる。掴みあぐねていた。
その心の隙を見逃すほどシャルルは甘くなかった。
「ふふ、隙だらけですよ?」
「っ!?」
突然、ルナの身体が地に墜ちた。
シャルルが神力によって〝翠帝〟の風を相殺し、結果身体が重力に従ったためである。
慌てて風を生み出そうとするも、そのたびに神力による相殺が行われる。
なんとか床に着地したルナに、距離を詰めていたシャルルが接近、上段から剣を振り下ろしてきた。
「く――〝翠帝〟!」
刹那、〝翠帝〟が形を変え、弓から剣へと移行。シャルルの一撃を防いだ。
だが、一撃で終わるはずもなく、怒涛の連撃が繰り出される。
袈裟切りを防げば逆袈裟が。その返す刃を弾けば、今度は神力を纏った拳が放たれる。
身体を捻って回避したが、隙が生まれてしまい膝蹴りが腹部に叩きこまれた。
「がっ……!?」
「大口をたたいた割にこの程度ですか?……呆れた」
烈々たる蹴りに吹き飛ばされ、床を転がるルナに冷たい声を浴びせ、追撃に入るシャルル。
床を割るほどの脚力で蹴り、驚愕すべき速度でルナが転がる先に回り込む。そして転がってきたルナの身体を蹴り上げた。
「あぐっ!?」
たまらず悲鳴を上げてしまったルナに手を向け、神力の壁を空中に創れば、彼女は半透明な壁に当たって無様に地に墜ちた。
鮮血が床を染め上げ、美しい銀髪が赫に染まってゆく。
倒れ伏し、言葉も発しないルナにシャルルは吐き捨てる。
「……この程度の実力で、覚悟で。私からお兄様を奪おうなどと……反吐が出ますよ」
そして荘厳な雰囲気を醸し出す剣――神聖剣五天、最後の一振りである〝聖光〟を手に、ルナに近づいていく。
「その不敬には死を以って償うといいでしょう」
迸る殺意から分かるのは確実に息の根を止めておこうという固い意志である。
徐々に近づく死神の足音。されど意識が混濁したルナは動けない。
そして倒れ伏すルナの前にやってきたシャルルが、容赦なく剣を振り下ろし――、
「……アーサー?ねぇ、しっかりしなさいよ!!」
背後で発せられた悲鳴交じりの声に動きを止め、振り返った。
そこには不遜にも主であるシャルルに刃を突き立てた騎士――アーサーを抱き起す女性の姿があった。
見覚えのある顔だ。三年前に死んだと思われていたが……やはり生きていたのか。
「……なるほど、これで繋がりました。アーサーが裏切ったのはあなたのためだったわけですね。ということは裏に居たのは……お兄様ですね。ふふっ、本当に恐ろしい人。〝勝つ〟ためなら敵すら使うと?しかも互いを人質に取ってとは」
批判的な物言い、されどシャルルの表情は悦びに満ちていた。
むしろ愛する蓮の手腕に称賛を送っているかのようである。
「マーニュ、残念ながらアーサーは私を裏切り、命すら奪おうとしてきました。なので殺しました。仕方のないことです、彼は――」
「……まれ、黙れッ!」
シャルルの言葉を遮って、女性――マーニュが激昂する。
そして立ち上がり、幼馴染の血で濡れた手で腰から剣を抜き放つ。
世にも珍しい色彩の剣――神聖剣五天、〝聖水〟である。
「……三年も待った、やっと会えたのに――」
怨嗟が滲む声音をマーニュが発する。
「――許さない。〝聖女〟――いや、第二代緋巫女。裏切りの女シャルル。あんたは私が殺すわ」
凄絶な殺意、向けられてもシャルルは嗤うだけだ。
「ふふ、あなたも殺してあげます。あの世で愛しのアーサーと再会させてあげますよ」
「黙れッ!!」
そして、両者は激しく激突した。
*****
怒声が聞こえる。悲鳴にも似た、悲しげな声が。
次いで耳朶を打つのは剣戟の音色。愛憎、悲劇、怨嗟を奏でている。
それらを聞いていたルナはぼんやりとした意識の中で揺蕩っていた。
(私は……)
結局のところ、覚悟が足りなかったのだろう。
恐れられることを、嫌われることを恐れずに〝力〟を行使すれば、勝敗は分からなかっただろう。
少なくとも、このような無様な結果にはならなかったはずだ。
(……レン)
出血が酷い。骨もいくつか折れている。〝翠帝〟の加護を以てしても、もうこれ以上は――。
諦めかけた、その時だった。
『おや、もう諦めるのか小娘よ』
雄々しい声が聞こえた――そう知覚した時には世界が一変していた。
黄金に輝く世界、温かな光が差す世界にルナは立っていた。
先ほどまで一指すら動かせない状態だったのに、と困惑していた時、
『何処を見ている、小娘。余はここだ』
「――――あなたは」
振り向けば、この世の贅を尽くした玉座があり、そこに金髪碧眼の美青年が座っていた。
見覚えのある顔だ。決して忘れられない、印象のある顔。
『いつまで呆けているつもりだ?それとも、あの程度の――たった一度の敗北で膝を屈したとでも?』
嘲笑を向けてくる青年の名はリヒト・ヘル・ヴァイス・フォン・アインス。
アインス大帝国、初代皇帝にして〝創神〟という尊号を得た偉大な男である。
「リヒト陛下……」
『もう、お終いか。あれほど余に啖呵を切っておいて、諦めるのか?』
小馬鹿にしたような、あるいは糾弾するような声音。
されど、ルナは反論できないでいた。
「……私には覚悟が足りなかった。だからシャルルの想いに――千年分の覚悟に勝てなかった」
『…………』
リヒトは黙って聞いている。しかし、その表情はどこか苛立たしげで、その獅子のように力強い眼光に耐え切れずルナは顔を下向けてしまう。
「……ごめんなさい。結局、私にはレンを救うことはできなかった」
申し訳なかった。自分を信じて託してくれたリヒトやソフィア、他にも勝利を信じて今も戦っているであろう仲間たちに顔向けできない。
悔しかった。シャルルに負けたことが、その想いの強さに敵わなかったことが。
悲しかった。もう二度と蓮に会えないことが、たまらなく悲しかった。
「わ、私は――」
涙ぐむルナ。上手く言葉を紡げないでいた。
リヒトが動く気配があった。おそらく情けない自分を叱責するか、殴るつもりなのだろう。
そう考えたルナだったが――、
『……よい、お前は何も悪くはないのだから』
意外にもリヒトはルナの頭を軽く叩き、優しい言葉をかけてきた。
「…………え?」
『すべては余の不徳、千年前に成し遂げられなかった余の責任だ。その負債を千年後を生きるお前に押し付けてしまった。悪かったな』
あっさりと、そう言ってのけたリヒトに唖然とし、思わず顔を上げるルナ。
そこには慈愛と悔恨が入り混じった表情を浮かべるリヒトがいた。
『む……時間か。小娘――いや、ルナよ。後は余に任せよ。今度こそあいつを救って見せよう』
始まりは唐突で、別れもまた不意に訪れるものだ。
リヒトの身体が淡い光の粒子へと変貌を遂げていく。
「ま、待って――!」
『……ナ、じ、ゆ――……いき……』
ルナは必死に手を伸ばしたが、リヒトは声をかすれさせ、その身体は粒子となりて虚空へ消え去ってしまう。
後に残されたのは静寂な世界。そこにただ一人、ルナは取り残されてしまった。




