紫電と王盾
続きです。
世界は光に照らされていた。
天は半透明な膜によって覆われ、夜であっても淡い紫光に包まれている。
幻想的――あるいは不気味と評すべき天空が見下ろす大地では、鮮血と怨嗟が舞い散っていた。
エルミナ聖王国南部アレーナ砂漠。
夜の砂漠は寒い。それは常識である。
しかし、〝王〟の力によって歪められた現在は、日中と変わらぬ暑さを保っていた。
高い気温によって生じた汗と、長きに亘る戦闘によって生じた傷からにじみ出る鮮血が大地を彩る。
アインス、アルカディア、エルミナ、教会騎士団の連合軍――その兵士たちのものであった。
『負傷者は下がれ、まだ行ける奴は戦え!我ら人族の意地を見せつけてやるぞ!』
『我らを見下す天使共に目にもの見せよ!傲慢な連中を空から引きずり下ろすのだ!』
彼らの士気は未だ衰えずにいる。
ここで退けばただ蹂躙され、虫けらのように殺されると分かっているから――だけではない。
指揮官が最前線で戦っている姿を見せられ、奮起しているからだ。
「ラァアアアアッ!」
気迫の雄たけびが天に轟く。
次いで紫電が迸り、空中を移動する天使たちを穿ち、焼き尽くした。
発生源は青髪青眼の少年――ラインだ。
アインス大帝国が誇る護国五天将――大将軍たる地位に座する彼は〝紫電〟と呼ばれている。
理由はその戦う姿にあった。
手にする禍々しい剣から発せられる紫電が敵を討ち滅ぼす。そればかりか、飛んできた魔法による攻撃を身体を覆う雷撃が迎撃していく。
最も新しき魔族――故に手にする魔器も本来の力を惜しみなく発揮している結果である。
堕天剣五魔――〝堕雷〟。
魔族のみが所持する魔力を糧として動く魔器の中でも、上位に位置する武器であった。
その剣を振るうラインは、己が出自と姉との別れを乗り越え、大将軍として戦っている。
憂いなどない――それ故に剣技に迷いがなかった。
「くっ……我が主に生み出された人形如きが、このような――舐めるなっ!」
ラインの猛攻を受け悪態をついたのは、南方面征伐の命に従う〝七大天使〟が一人、ウリエルであった。
彼女は顔色こそ変えていないものの、その瞳に隠しようのない苛立ちを浮かばせている。
たかが人族の群れに魔族が一匹。楽に勝てると思っていたし、ましてや苦戦することになろうとは夢にも思っていなかった。
故に苛立つ。己の不甲斐なさと、格下であるはずの者たちの抵抗に殺気だってしまう。
だから、体裁など気にせず――全力を出すことを決意した。
手にする神器〝天罰〟――剣状態に己が神力を注ぎ込み、炎を吹き上がらせて一気に解き放った。
膨大な熱量がラインに迫る。開戦当初であれば〝堕雷〟で以って迎撃するか、もしくは回避行動を選択していたであろう。けれども今は違った。頼れる味方が手を貸してくれると確信している。
そんなラインの想いに応えるように――、
「俺を忘れてもらっちゃ困るぜ、天使さんよ」
飄々とした声と共に、鎧姿の男がラインの前に立った。
彼が手にする盾を掲げる――と、半透明な蒼光が現出。ウリエルの放った炎を受け止めてみせた。
上位天使たる彼女の全力を防ぎ切ったこの盾の銘は〝王盾〟。
エルミナ聖王国に伝わる古の神器の一つであり、代々王家の守護を任ぜられた武人のみが所持することを許されている。
当代の所持者の名はアスビス・ド・タウロ。
ざんばら髪に無精ひげというとても宮仕えとは思えない人物だが、これでもエルミナ聖王国が誇る〝四騎士〟の一人である。
彼とライン、非凡なる二人が共闘することで天使の指揮官であるウリエルを抑えきっていた。
たった二人だけで〝世界神〟の眷属たる上位天使を相手取る。それがどれだけの偉業であるかは言うまでもない。何せ〝黒天王〟の眷属である黒騎士一人ですら万の軍勢を単騎で滅ぼせるのだから、それと同等――もしくは格上であるウリエルはもはや天災に等しい。人が抗える領域ではないのだ。
だというのに二人は対抗できている。これにはウリエルも、苛立ちながら賞賛の思いであった。
されど――そのような無茶をいつまでも続けられるはずがない。
現に、今。
「ハァアアア――ッ!?不味い!!」
「少年!?」
〝堕雷〟を振るい、紫電を放っていたラインが不意によろめいた。同時に雷も消え去り、隙が生まれてしまう。
その隙を見逃すウリエルではない。立て続けに炎の雨を降らせた。
だが、間一髪アスビスが間に合った。
〝王盾〟でウリエルの攻撃を防ぎ、ラインを守り抜いてみせる。
「助かった……ありがとう」
「気にすんなって。……けど、そろそろ限界か?」
そう尋ねるアスビスの瞳には、疲労が色濃く浮かぶラインの顔が映っていた。
身に纏っていた藍色の外套は既に炎によって消失、更に軍服も至る所が裂けたり焼け焦げたりといった有様だ。
体力、魔力共に使いすぎたのか、紫電の勢いも弱い。口端には血の跡が残っていた。
「そういうあんただってもう限界だろ?」
と、確認するようにラインが問うた。
それに苦笑いを浮かべるアスビスの姿も酷いものだ。
身に纏う鎧は炎熱によって融解し、かろうじて継ぎ目が残っているから着ていられるだけ。防御力は皆無に等しい。
〝王盾〟の力を使うたびに減っていく体力と精神力は尋常ではない。彼もまた疲弊していた。
魔器も神器――どちらも超常の力を所持者に授ける代わりに莫大な体力や精神力、魔力を要求する。
一騎当千の猛者になれるのは僅かな時間だけなのだ。一定時間を越えて使用すれば――し続ければ、待っているのは昏倒という末路。
それだけで済めばまだ良いが、最悪死に至ることもある。
身に過ぎたる力は破滅を齎す。
それを知っている三者――ウリエルは勝利を確信していて、ラインとアスビスは焦燥に駆られていた。
ほぼ無尽蔵の神力を持つウリエルは余裕の態度でありながらも、確実に仕留めるために全力の姿勢を崩しはしない。故に二人の敗北は濃厚だった。
けれども――二人は諦めない。戦意を滾らせ、口元には笑みさえ浮かばせていた。
「アスビス、おれに考えがあるんだが……」
「なんだ?今なら黙って聞いてやるよ」
「あんたさぁ……まぁ、いいや。今からくるだろうウリエルの全力を、あんたが防ぎきってくれ」
「いいぜ、今まで通りやればいいんだろ?」
「ただしその状態で距離を詰めてくれ」
「……おいおい、マジか。冗談だろ?」
今までさえ、ウリエルの攻撃を受けるだけで精一杯なのだ。
それを受けとめつつ、炎の中を前に進めなど悪い冗談としか思えない。
と、アスビスは思ったが、ラインは真面目な顔つきを向けてくる。
「本気だ。……正直な話、おれはもう限界なんだ。魔力の残量はほとんどない。だから――次の一撃に全てをかける。あんたには道を創ってもらいたい」
これ以上の戦闘継続は不可能と判断したが故の決断だった。
そんなラインの覚悟を感じ取ったのか、アスビスも真剣な表情を浮かべる。
「……マジなのか」
「大真面目だ」
「失敗したら、俺たちは揃って灰だ――いや、灰すら残るか怪しいぞ。……それでも、か?」
「ああ。あんたの命、おれに預けてくれ」
少年でありながらこの気迫と覚悟。理不尽な現実に嬲られ、それでも折れなかったラインの強き精神力であった。
そんなラインに一瞬だけ唖然としたアスビスは――笑った。
「はは……ははははっ!いいぜ、いいなぁその瞳!年甲斐もなく猛っちまうぜ、俺もよぉ」
「……いいってことか?」
「ああ、いいぜ。ただし、やるからには絶対ぶっ殺せよな」
「もちろんだ」
――そして二人が戦意溢れる視線を天使に向ける。アスビスを前に、ラインがそのすぐ後ろに立つ。
二人の武人の覇気を受けたウリエルは――黙って溜めていた力を凝縮する。
刀身から吹き上がる炎が切っ先に集い、炎塊が膨らんでいく。
「愚かなる人、そして人形よ。我が神威を以って貴様らを葬り去ろう――〝解放〟ッ!」
ウリエルが叫ぶ。
瞬間――熱線が迸った。
〝天罰〟の切っ先から一気に放たれた膨大な炎が、一条の線となってラインたちに襲い掛かる。
「アスビスっ」
「応よ!」
ラインが呼べば、アスビスが躊躇なく炎撃に向かっていく。
そして接触する間際に〝王盾〟を構えた。蒼光が広がりをみせる。
刹那、衝撃が発生した。
ウリエルの放った渾身の一撃――灼熱の炎が、アスビスの持つ〝王盾〟が生み出した蒼き盾によって防がれる。
流石は上位天使の全力だけあって、防御で精一杯――しかし。
「お……オォオオオオオッ!」
裂帛の咆哮が放たれ、アスビスが徐々に前に進み出る。
一歩、進むだけで皮膚が焼けていく。一歩、進めば喉を焦がす劫火が身を炙る。
けれどもアスビスは前進することを止めない。その歩みはまさに漸進といった有様だったが、彼は決して動きを止めなかった。
「な――んだと……っ!?」
驚愕を露わにするウリエルは信じられないという表情だ。
「馬鹿な……いくら〝王盾〟を所持しているとはいえ、その力を発揮できていない状態で私の攻撃を受け止め続けるなんて!?」
ウリエルは知っていた。〝王盾〟という神器のことを。そしてアスビスがその本来の力を使うことができないことも。
それらを踏まえてウリエルはこの攻撃を防ぐことなどできないと判断を下していた。
だが、しかし――その計算は間違っていた。
「お前らは人を見下しすぎなんだよ。だから足元をすくわれるんだ」
動揺するウリエルの耳朶に触れる声。覇気溢れる凛とした声音。そして、膨れ上がる魔力。
弾かれたように視線を向ければ、紫電を纏う剣を刺突の構えで掲げる少年の姿があった。
不味い。距離的に回避は間に合わない。ならば炎で焼き殺す――いや、それも間に合わない!
顔面を蒼白にするウリエルに、ラインは狙いを定めるようにして目を細める。
「俺たちを過小評価し過ぎだ――天使」
「ありえない……ありえない!ありえ――」
――そして、極大の紫電がウリエルの視界を染め上げた。




