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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
十章 解放戦争
199/223

十話

続きです。

 プノエー平原での戦闘が収束していく。

 両軍本陣から発せられた撤退の角笛によって、兵士たちは戸惑いを見せながらも矛を収めて退いた。


 その光景を遥か彼方から眺めていた女性――〝世界神〟(ルミナス)は予想外の展開に笑みを浮かべた。


「うん?これはどういうことかな?」


 絶対なる神の独り言に、返事があった。


「……あなた様なら既にお判りでしょう。〝聖王〟が反旗を翻したのです」


 白銀の玉座に座る〝世界神〟の前で片膝をつく女性が言う。その背中には三対六翼が純白の輝きを放っている。


「反旗っていうのは大げさじゃないかなぁ。どちらかと言えば――裏切り?」

「対して変わりません。……それで、如何なさいますか」

「如何って?」

「……〝地眼〟を持つあなた様であれば、現状をよくご理解なさっているはずです。このままでは遠からず聖都は占領され、この地にまで攻め入られるでしょう」


 三種の神眼――〝天眼〟(アマテラス)〝人眼〟(イザナギ)に並ぶ瞳〝地眼〟(イザナミ)。その瞳を一言で表せば――千里眼。

 遠く離れた場所を見ることができ、建物内すら把握可能という規格外の瞳。欠点はただ一つ、膨大な魔力で覆われたモノを見ることができない――それだけだ。

 

 故に現在、世界で起きているあらゆる事象を〝世界神〟は把握しているはず。そう女性は言ったのだ。


「確かにそうかもね。ずっと隠れていた兄弟姉妹たちもなんかコソコソと動き回っているみたいだしさ」


〝世界神〟にとっての兄弟姉妹が誰を意味するか、知っている女性は口を開く。


「でしたらもはや静観などしていられないはずです。後手に回る前に手を打つべきかと――」

「ねえ、ミカエル」


 仕える主の妙に平坦な声音に、女性――ミカエルが身体を強張らせる。

 彼女は知っていた。この声音になったということは、気分を害したのだということを。


 恐怖から黙り込むミカエルの頭に、〝世界神〟が言葉を投げる。


「キミさぁ、もしかして私に命令してるわけ?」

「い、いえとんでもない!決してそのようなことはありません!」


 即答した配下に冷淡な視線を向ける〝世界神〟は、やがてため息を一つ。


「はぁ――……まあ、いいよ。ずっと仕えてくれてるキミだから許してあげよう。それにキミの言うことにも一理あるからねぇ」


 と言って、玉座のひじ掛けにもたれかかり、思案する。

 長いようで短い時間が過ぎた後、おもむろに口を開いた。


「確かにこのままだと彼らの勝利で戦争が終わってしまう。それだとつまらないから、手を打とう」

「……それはどのようなものでしょうか?」


 機嫌が直った主の姿にほっとしたミカエルが尋ねれば、〝世界神〟は喜色を孕んだ声を発する。


「キミたち天使を動かす。情けなくも死んでしまったラファエルを除く〝七大天使〟が指揮を執って、軍団を各地に派遣しよう」


 特に制限なく生み出せる天使とは別に、〝世界神〟が膨大な時間と労力をかけて作り上げた七人の上位天使は〝七大天使〟と呼ばれている。

 彼らは他の天使とは比べ物にならないほど圧倒的な力を有していた。

 ここにいるミカエルもその一人であり、彼女は七人のまとめ役でもあった。


「まず……そうだな、ウリエルを南に派遣しよう。彼女にはアインス第二軍を潰してきてもらおうかな。で、北の第一軍にはガブリエルを、最北端に上陸したアイゼン軍にはイオフィエルをぶつけよう」


 とここで何かを思いついたのか、うすら寒い笑みを浮かべる〝世界神〟。


「そうだ、カマエルにはアインス本土を破壊してきてもらうとしよう。帰る場所がなくなってたら、きっといい顔してくれるよ、人族の連中はさぁ。……で、ザドキエルには〝天の橋〟を守ってるヴァルト軍を壊滅してきてもらう。これで十分だろうさ」

「わ、私はどうすれば良いのでしょうか?」


 一人だけ名前を呼ばれていないミカエルが尋ねれば、〝世界神〟は上気した頬に手を当てた。


「キミにはこの地の守護を任せよう。()――いや、彼ら(、、)がやってくるかもしれないからね」


 誰を指しているのか、瞬時に理解したミカエルは頭を垂れた。


「御意に。お任せください」


 そして立ち上がり、玉座の間から出ていくミカエルを、〝世界神〟は愉悦に満ちた双眸で見送った。


「……千年、永い時だった。でもようやく会える――楽しみだなぁ」


 熱い吐息を溢す彼女の脳裏には、復讐の化身と化した少年の姿が浮かび上がっていた。



 *****



 その夜。


 アイゼン皇国の王〝黒天王〟(ウラノス)によって届けられた、エルミナ聖王国〝聖王〟からの密書。それについて話し合う軍議は白熱した。

 

『これは敵の罠でしょう。このような……あっさりと信仰を捨てられるわけがない』

『貴殿の言う通りだ。三年前、その信仰心故にアインスに攻め入ったこと、忘れてはなりませんぞ!』


 密書の内容は衝撃的であった。

 エルミナ聖王国の内情、二つの派閥で争っていることがまず初めに書かれており、続いて降伏する旨が記されていた。

 これには幕僚らも懐疑的な見方が強いようで、到底受け入れがたいと主張している。


『しかし……講和の内容はこちらにかなり有利なもの――いえ、ほとんど戦勝した後のような内容です。これは蹴るべきではないでしょう』

『そうだな、この内容であれば受け入れるべきだろう。我らは兵や物資を無駄に失わずに勝利して本土に帰還することができる』


 一部ではこのような声も上がっていた。

 何故ならば、講和条件が圧倒的に同盟側有利なものであったからだ。


『国教の改宗、此度の戦争でこちらが使用した資金の全額負担、三年前の侵攻についての公式な謝罪……戦後我らがエルミナ聖王国に求めようとしていたものばかりです』

『その代わり、こちらに求めるのは全軍の即時撤退と相互不可侵条約の締結……悪くない――むしろ最良の幕引きではありませんか?』


 これ以上、戦うことなく最良の結果を得ることができる。しかしそれは講和内容が真実であればの話だ。

 だからこそ、幕僚たちの意見が割れているのだ。

 これは何かの罠、あるいは時間稼ぎだと訴える者。いや、戦力差を鑑みても真のものだろうと声高に主張する者。戦争の続行か、歩み寄りによる講和か。


 このような場合、最終的に判断を下す人物に自然と視線が集まるものだ。

 上座に座る女性――現女帝ルナが視線を受けて口を開いた。


「私は受け入れても良いと考えている」

『なっ、し、しかし――』


 戦争続行を訴えていた幕僚が反論しようとするも、ルナが手を突き出して遮った。


「ただし、それは同盟各国次第」

『ふむ……確か先ほど各国の代表に向けて早馬を出したばかりでしたな?』


 一人の老幕僚の言にルナが頷けば、彼は先ほどから黙ったままの王に視線を向ける。


『アイゼン皇国はどういった判断を下すおつもりなのでしょうか?』


 蝋燭の光に照らされる鬼面からは何も察することは出来ない。

 目を離したら消えてしまいそうなほど存在感が希薄――にも関わらずその細身から放つ覇気は王者だけが持ちえるものであり、ちぐはぐな印象を周囲に与えていた。

 

 男――アイゼン皇国現皇王、〝黒天王〟がゆっくりと口を開く。


「我がアイゼンはエルミナ聖王国の提案を受け入れよう。これ以上の戦いは無益と判断する」


 戦争は多くの物を消費する。

 金銭、食料、物資、兵の命――果ては無辜の民の命すらも。

 長期的に見れば経済的にも打撃が生じる。戦争経済など一時的なものでしかない。


 故に――圧倒的に有利な講和条件を得ることができる今こそ、和平を結ぶべきなのだ。

 兵を鼓舞するために殲滅などという言葉を使ったが、本心なわけがない。誰だって最小の被害で戦争を終わらせたいと願っている。


「エルミナ聖王国が攻めてくることはないだろう。こちらの力を見せつけたということもあるが、国教の改宗などすれば間違いなく派閥争いが激化し、内戦に突入する可能性が高い。そうなればこちらに危害を加えるどころではなくなるからな」


 建国からおよそ千年、アインス大帝国と同等の歴史を持つエルミナ聖王国は、建国当初から〝世界神〟を崇めている。

 それを今更止めますなどといえば、貴族諸侯だけでなく民衆からも反発の声が上がることだろう。加えて教会が黙ってはいないはずだ。


「〝聖王〟派がそれらにどう対処するかは知らないが、こちらは講和を結び撤退し、国力の増強に努めれば良い。仮に再びエルミナ聖王国が攻めてきても対処できるようにな」


 一度国家間で交わした条約――破棄すれば国内外からの非難は免れない。仮に〝聖女〟派が実権を握ったとしてもいきなり攻めてくることはないだろう。


「もしそれでもエルミナ聖王国が侵攻してきたその時こそ、完膚なきまでに叩けばいい。大義名分はこちらにあるのだから」


 という〝黒天王〟の説得に、幕僚たちが黙り込む。きっと頭の中で損得勘定しているに違いなかった。


 予想通りの展開に落ち着いた態度で鬼面を撫でる――されど、一転して立ち上がった。

 強大な力を感じ取ったためである。


 ほぼ同時にルナも弾かれたように立ち上がる。その左眼は銀に輝いていた。


「これって……まさか――」

「……ああ、どうやら動き出したようだ。遂に、というべきなんだろうがな」


 不可解な言葉を交わしあう女帝と鬼面の王に困惑した視線を投げる幕僚たちだったが、直後大天幕に駆け込んできた一人の兵士に気を取られる。


『軍議中、し、失礼致します!』

『何事だ!?』


 問いかける幕僚に、兵士が恐怖と動揺が交じり合った瞳を向ける。


『そ、それが……空に――』

『……空だと?一体どうしたというのだ』

『空に――て、天使が……!』

『はぁ!?何を言って――』


 騒然となる大天幕を後目に、ルナと〝黒天王〟が帳を開ける。

 外に広がっている光景が露わとなり、幕僚たちが一斉に目を剝いた。



 ――背中から翼を生やした人間が、天を埋め尽くしている。



 夜空に浮かんでいるはずの月が見えないほど、びっしりと天を席巻している――天使の軍勢。

 数えるのも馬鹿らしくなるほどで、幕僚たちは口を半開きにして乾いた笑い声を漏らしている。

 兵士たちも茫然自失としている中で、一部の非凡なる者たちだけが正気でいられた。


「これが……これが始まりなの?」


 ルナが隣に立つ〝黒天王〟――蓮の外套を握りしめれば、


「ああ――そうだ。終わりの始まり、最後の戦いの幕開けだ」


 彼は厳かに、されど微かな高揚が滲む声で応えた。


 かくして千年に渡った〝停滞期〟――その終焉が始まりを告げたのだった。


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