七話
続きです。
神聖歴千三十四年五月七日。
エルミナ聖王国中部プノエー平原。
エルミナ聖王国の北部と中部に跨るペトラー山脈から吹き込む冷たい風が流れる平原であり、春の陽気が交じり合うことで程よい気温となっていた。
そんなプノエー平原では、二つの軍勢が向かい合っている。
西――聖都を背に並ぶのは〝四騎士〟が一人、〝守り竜〟カルキノス・ド・パイシース将軍率いるエルミナ聖王国軍七万。
首都を守る障壁という重要な役目を担っているが、対面した圧倒的なまでの兵数を誇るアインス軍に士気は低下。誰もが顔色悪く、正規兵でなければ逃げ出していたであろう雰囲気だ。
対して東、二十日ほど前からにらみ合ったままの十万のアインス第三軍と、ヒュムネの町から進軍してきたアインス本軍二十万、加えて常勝不敗と名高い生ける伝説の軍勢〝天軍〟八千――計三十万八千の大軍である。
獅子の紋章旗の下、勇壮なる顔つきの兵士たちが盾に刀剣を打ちつけ雄たけびを発する。士気の高さは言うまでもなかった。
そんなアインス陣営にあって異彩を放つ軍勢がいた。
白銀の鎧に身を包み、三つ首の黒竜の紋章旗を掲げている。
〝天軍〟総勢八千である。
「この戦い、陛下はどうみますか?」
天井の無い四頭馬車に座る鬼面の王――蓮を馬上からアリアが見上げてくる。
「うん?どうって――ああ、そうだね……僕は勝てると思うよ」
珍しく戦う前から楽観的な発言をした蓮に、隣に座っていた女性――マーニュが苦言を呈す。
「そんなこと言ってると足元救われるわよ。相手はあの〝守り竜〟カルキノスなんだから」
「へえ……キミが褒めるなんて余程凄い人物なのかな?」
「別に褒めてはないわよ。ただカルキノスは受けの戦いに強い武人だから、気を付けた方がいいって話よ」
エルミナ聖王国領土内であるため、布で顔の下半分を隠したマーニュの言に、興味を引かれたのかアリアが尋ねた。
「どういう意味だ?称号にもあるが、防衛戦闘に長けているということか?」
「それは俺も気になるな。竜を名乗っているってことは……強いのか?」
強者と戦うことを好むキールまでもが会話に参加したことで、マーニュがうんざりしたように眉根を寄せた。
「ほんとに戦関係になると地獄耳ね……」
「戦う前に敵の指揮官を知るというのはいいことだよ、マーニュ」
と、蓮が言ったため、仕方ないと肩をすくめつつマーニュが応じた。
「〝守り竜〟っていう称号は〝王の剣〟や〝王の盾〟と違って、カルキノスだけに〝聖王〟陛下が授けられたものなの」
王家と国家を守護する役目を担う〝王の剣〟や〝王の盾〟は世襲制ではなく、代々の〝聖王〟がその時代において武功を認めた武人に与えられるものであり、その称号が途絶えたことはない。
だが、〝守り竜〟や〝一角聖〟は別だという。
「エルミナ聖王国の軍において、将軍という役職は四枠しかないの。〝王の剣〟と〝王の盾〟で常に二つは埋まってるんだけど、残り二枠の称号は次代によって違くて、つけられる称号はその二枠に入った武人を表したものになることがほとんどね。〝守り竜〟っていうのは、カルキノスが竜を模した神器の鎧を纏っていることと、十年前のベーゼ大森林地帯からの魔物の大侵攻を、援軍が到着するまでの二週間、たった五百の軍勢だけで抑えきった功績を合わせたものなのよ」
「それは……凄いね」
魔物の住処となっているベーゼ大森林からは数年に一度、大侵攻と呼ばれる魔物が人族の領地に侵入してくる事象が起こる。
蓮もアイゼン軍を率いてアインス大帝国との共同作戦で大侵攻を掃討したことがあるが、膨大な魔物の数に辟易とした記憶があった。
(万を超える魔物の大軍勢を二週間、しかも五百で凌ぎきるか)
蓮は顎に手を当てて考え込む。そのような偉大な武将であっても、たった七万で三十万を超える軍勢を抑えきることは不可能だろう。しかし時間を――各地のエルミナ軍が首都防衛のため戻ってくるまでの時間稼ぎをされる危険性がある。
(今後を考えるとこちらの損害はなるべく最小限に留めたい。となれば……)
蓮は顔を上げると、周囲を軽く見回した。
たった八千の私軍――されど全て騎兵として運用できる。
加えてアインス側からは遊撃部隊として自由にしてよいと言われていた。
「アリア、〝天軍〟をいつでも動かせるようにしておいてくれ」
「え、し、しかし陛下、我々は後方待機に徹するのでは?」
事前に蓮はそう命じていた。
だが、敵将の話を聞き、今後について懸念した今となっては撤回すべきだと思っている。
「ここで無駄に時間を食うわけにはいかないからね。僕たちも参戦するよ」
「旦那、やるのかい?」
蓮の意図を察したキールが好戦的な笑みを浮かべる。
それに対し、口端を吊り上げた蓮は敵軍へと手を向けた。
「ああ、往くとしよう。……竜狩りの時間だ」
*****
アインス本陣――
小高い丘の上に敷かれた本陣から、総司令官たるルナが眼下を見下ろす。
三十万を超える大軍勢の姿は圧巻の一言に尽きた。
アインス軍は得意とする大鷲陣――両翼の騎兵による包囲殲滅陣を取った。
中央の第一陣五万を重装歩兵、第二陣に弓兵交じりの軽装歩兵部隊五万を配し、両翼をそれぞれ五万の騎馬隊とした。
残り十万は予備として本陣周辺に展開している。
敵もまた似たような陣形で、中央に歩兵部隊を配置し、両翼に騎馬隊を置いている。
こちらと違うのは中央の歩兵部隊を小分けにして、中心が前に張り出した弓形になっていることだ。
(受けの姿勢……それでいて包囲殲滅を狙う大胆さを含んでいる)
ルナはこれまで培ってきた知識や経験に基づいて考えを巡らせた。
弓形の配置では横一列に配したアインス第一陣の一部しか戦端を開けないだろう。つまり一気に押すことができないというわけだ。これでは数の利も活かせない。
更に敵は両翼の騎馬隊に重きを置いており、中央がたった二万なのに対して右翼一万、左翼四万という、大胆にも程がある構えでいた。
(中央には本陣がある……余程武力に自信があるということ?)
戦況を左右する個人の存在――神器や魔器の所持者を配置していると考えるのが自然だろう。そうでなければ中央を薄くするわけがない。
(手を打つべき)
この戦い、鼻からアインス軍の勝利は決まっている。三十万対七万ではどう足掻いても勝ち目などない。
たとえ覇彩剣五帝所持者が向こうにいたとしても無理だろう。確かに彼らは一騎当千――下手したら万に匹敵するほどの武力を持っているが、それでも人間なのだ。体力に限界があるためずっと戦い続けることなど出来はしない。
初めから勝敗が決している――にも関わらず敵が退かないのは首都を背にしているからだ。
ここで退けば首都を蹂躙される。だから絶望的であっても戦うしかない。
そんな背景と今回の敵陣形を合わせてみれば、敵将の狙いが見えてくる。
すなわち――玉砕覚悟で数を可能な限り減らし、更に時間を稼ごうという意図である。
(今後を考えると、ここでの被害は最小限に留めておきたい)
エルミナ聖王国の首都パラディースにアインス軍が迫っているとなれば、各地に展開中のエルミナ軍が引き返してくるだろう――否、既に引き返している可能性が高い。
それらを相手にすることを考えればここでの戦いで出す被害は最小限に留め、有利な位置取りをして迎撃するために早急に終わらせなければならない。
そのためには、
(敵将を――指揮官を討つ必要がある)
無論、それだけでは敵兵は止まらないだろう。玉砕覚悟――首都を背にしているのだから、ここを死に場所と決めて挑んでくる可能性が高い。しかし、指揮官を討つことで指揮系統を破壊することはできる。
頭無き獣など恐れるに足らず。あっという間に蹂躙できることだろう。
少々強い風に銀髪を揺らし思考するルナの元に、一人の幕僚がやってきた。
『陛下、全軍の準備が完了致しました。後は陛下の号令を待つのみです』
「ん……分かった。行こう」
あまり思案に時間を取るわけにもいかない。
ルナは返事をすると大天幕前に設置された司令部へと向かう。
そこには幕僚たちが勢ぞろいしていた。
『お待ちしておりました、陛下。全軍、いつでも行けます』
幕僚の言葉に静かに頷いたルナは、軽く息を吸って命令を下す。
「全軍に通達、前進を開始せよ」
*****
「動いたか……」
兜によってくぐもった声で、全身鎧姿の男が言った。
竜の頭部を模した兜に、黄金色に輝く鎧を纏ったこの男の名はカルキノス・ド・パイシース。
エルミナ聖王国、〝四騎士〟が一人〝守り竜〟その人である。
『カルキノス将軍、聖都より近衛大将のオティヌス様が参られました。将軍にお会いしたいとのことですが、いかがなさいますか?』
「……許可する。お連れしろ」
オティヌス・ハーヴィ・ド・ヴィヌスは、〝聖王〟直属の守護部隊――近衛隊の隊長である近衛大将という役職にいる女性。彼女の権限は特になく、将軍職であるカルキノスの方が位としては上だ。
しかし生粋の武人であり、常日頃から物言わぬカルキノスは〝聖王〟に忠誠を誓っていて、その側近ともいえるオティヌスにも敬意を表していた。
待っている間にもカルキノスは幕僚や伝令に的確な指示を出していた。
アインス軍が前進を開始したためである。
『将軍、敵中央が前進を開始。同時に両翼も動き始めました』
「中央はこのまま待機、敵をなるべくひきつけたのち矢を射かけよ。右翼はゆっくりと前進させ、敵の注意を引きつけるのだ。左翼は全速で敵右翼を突破せよ」
『はっ!』
カルキノスは指示を下しながらも、心中で兵士たちに謝罪していた。
(すまぬ……お前たちの尊い命、私が使わせてもらうぞ)
この戦い、どう足掻いてもエルミナ軍の敗北は必定だ。戦力差が圧倒的過ぎる。
十年前の魔物との戦いとは違って、相手は人間――統率が取れており、士気も高い。
逃れえぬ敗北だが、ここで退けば聖都は蹂躙され、忠誠を奉げる〝聖王〟の命が危うくなってしまう。
故にカルキノスはこの地を死地と定め、幕僚たちもまた志を同じく今回の戦いに挑んでいる。
兵士たちには尋ねていないが……逃げずに戦っている姿を見ればその意志は明らかだった。
だからこそ、カルキノスは言葉にせずに慚愧の念を抱くのだ。
全ては仕えし王のため、護国のためである。
と、ここで金属の軋む音が近づいてきたことで、カルキノスの注意が横に向けられる。
「カルキノス殿、遅れてすまない。〝聖王〟陛下の命に従い、このオティヌス、微力ながら助太刀に参った」
「……ご助力、感謝する」
カルキノスと同様に全身鎧姿――兜だけ着けていない女性、オティヌスが槍を手に立っていた。
生真面目に一礼するオティヌスに返礼しながら、カルキノスは特に追及しなかった。
仕える主の命令でやってきたのならそれでいい。どんな思惑があろうとも、志を同じくする同士なのだから理由を聞く必要はないと考えたのだ。
そんなカルキノスに僅かに苦笑を覗かせたオティヌスだったが、直後表情を引き締める。
凄まじい音が聞こえてきたからだ。
『伝令!中央の我が軍先鋒が、敵第一陣と接触、交戦を開始しました!』
伝令兵の報告に頷いたカルキノスは、幕僚に合図して馬を呼び寄せる。
その仕草を見て取ったオティヌスが口を開いた。
「まて、カルキノス殿自ら前線に赴かれるのか?」
「……しかり。中央は数が少なく、敵に突き崩される危険性が高い。故、私が出向く」
甲冑に阻まれ、カルキノスの表情を読み取ることはできないが、その言葉から決死を悟ることができる。
「カルキノス殿、その役目、私が引き受けましょう。カルキノス殿にはこのまま全軍の指揮を執って頂きたい」
指揮官たるカルキノスが前線に出向いてしまえば、全軍の指揮に少なからず影響が出てしまう。それに目的を達成するためにも、オティヌスだけが前線に赴く必要があった。
カルキノスはしばし無言だったが、やがて頷いた。
「……オティヌス殿であれば、私も安心して任せられる。……武運を」
「カルキノス殿にも〝聖王〟陛下のご加護あらんことを」
この場合、〝世界神〟のご加護を――というべきだったが、あえてオティヌスは主の名を出した。
その言葉にカルキノスが疑問を抱く前に、オティヌスは愛馬を呼び寄せ、騎乗するなり前線へと駆け出した。




