二話
続きです。
六か国会議が終わり、諸王たちが貴賓室を去っていく。
その背を見送る〝黒天王〟――蓮の元に、レグルスが近寄ってきた。
「〝黒天王〟殿、此度の即位誠におめでとうございます。グラナート公国を代表してお祝い申し上げます」
「ありがたく受け取っておこう。それより――無事上手く行って良かったな?」
「ええ、本当に。これも〝黒天王〟殿のおかげです。ありがとうございます!」
「しかし、本当に良かったのか?貴国は未だ政情不安定なのだろう?」
先の会議でレグルスはエルミナ征伐に参加することを表明した。
国家として歩き出したばかりで、遠い異国の地へ出兵することに国内で反対があるだろうに、と蓮は懸念したのである。
だが、レグルスは余裕の態度を崩さなかった。
「問題ありませんよ。ボクの臣下は優秀ですからね。ボクが国外に行ってもきちんと国を回してくれるでしょう」
「待て、あなたが直接グラナート軍の指揮を執るのか?」
驚きの発言に思わず蓮が尋ねれば、レグルスは首肯した。
「もちろんですよ、他に誰がいるというのですか?」
思えば、彼はこの若さで武力を以って七つの国を併呑した少年だ。
それ故の自信、決断ということなのだろう。
(僕やリヒトだって彼と同じくらいの年で国を背負い、戦場に立ってたな)
自らの事をすっかり失念していた蓮は苦笑を浮かべるとレグルスに手を差し出した。
「ならば共に戦うことになるな。お互い、背中を守っていこう」
「ええ、こちらこそ是非」
年相応の笑みでレグルスが手を握り返してきた。
「では、ボクはこれにて失礼します。お約束の物は国に戻り次第、迅速にお送りしますから」
蓮とて無償で彼を手助けしたわけではない。聖人でもなければ善人でもないのだから。
蓮が片手を挙げて応えると、レグルスは退出していく。
すると入れ替わりで、今度はルナが部屋に入ってきた。
「……ルナ」
蓮が片手を振る――と、貴賓室の扉が独りでに閉まり、防音の魔法が発動される。
二人きりになったところで、蓮はルナを隣の椅子に案内した。
「彼のこと、なんで言ってくれなかったの?」
開口一番に非難めいた口調で言ってくる彼女に、蓮は肩をすくめてみせる。
「仕方がなかったんだ。彼が接触してきたのはキミと別れてアイゼンに戻ってきてからのことだったんだよ」
「むぅ……」
元々ミルトとの婚姻の件で不満が溜まっていたルナが唸る。
そんな彼女に蓮は苦笑を浮かべて話題転換を図った。
「それよりも……キミの方は大丈夫なのかい?大帝都のことで貴族諸侯らがエルミナ征伐を不安視しているはずだ」
国家の権威――大帝都が襲撃を受け大規模に損壊したことは、既に広く知れ渡っている。
首都であるから人の出入りが多い――そのため隠し通すことは不可能といえた。今では周辺諸国の国民ですら知っているのだ。権威の低下は免れないだろう。
先の会議でも話題に上がったくらいだ。同盟の盟主としての力量に不安を感じている貴族諸侯でもいるのか、各国の王たちはこぞってルナに質問を重ねていた。
それだけではなく、襲撃の内容も気になったが故にであろうことは明白だった。
加えて三年経ったことで、征伐に対する意欲も薄れていたのだろう。人間、本当に危機が迫ってから初めて焦りだす者が大多数である。出兵してまで征伐すべきなのかと、疑問視する声が各国内部で上がっていたらしい。
そもそも戦争とは、自国に対してどのような利益が生まれるかを計算して始めるものである。
戦争には莫大な費用がかかる。兵への俸給、武具の新調、兵糧の確保等、様々だ。
無計画に開戦した結果、滅びた国というのも歴史を紐解けば数多く存在する。
だから利益があるのかどうかを誰もが考えるのだ。
そこで蓮は大帝都襲撃を逆手にとって、各国の危機意識を高めることにした。
襲撃の全容を説明し、敵はいつどこに現れるかわからないと断言したのだ。
何せ〝世界神〟は誰にも察知されずに大帝都を奇襲したのだから、打倒しなければこの世界のどこにいても安全だとは言い切れない。
今回はアインス大帝国の首都だったが、次は他国の首都かもしれないのだ、と。
これには各国の王たちも無関係ではいられなかった。いつ、どのタイミングで襲撃されるのか、大帝都の二の舞になるのかわからないという懸念は看過できないものだからだ。
いつまでも憂いを抱えて生きていかねばならないなど、我慢できる者がいようはずもない。
故に各国は今一度エルミナ征伐に向けて気を引き締めることになった。
「他国に関しては僕が説得したから問題ないにしても、アインス国内は違うだろう?」
蓮がそう言えば、ルナは首を横に振った。
「問題ない。むしろみんな恐れから早く征伐するべきだって言ってるくらい。愛国心の強い者なんて『大帝都を破壊するなど許されざる悪行だ。怒りの鉄槌を打ち据えてやるべきだ』って騒いでる」
「なるほどね……国民もかい?」
「うん、国民は特にそう。三年前の事もあって、みんな怒ってる。中央にエルミナ征伐への嘆願書が山のように届いてるし、軍に志願する人も大勢出てきた」
エルミナ聖王国としては先手を打って反骨心を折ろうとしたのだろうが、まったく逆効果であったようだ。
(それに貴族たちはルナの覚えをよくしておきたいのだろう)
新皇帝であるルナに協調し、エルミナ征伐に力を注げば後々利益が生まれると思っているのだろう。
各領域の運営を皇帝から任される五大貴族――西方と中央は三年前の戦いで処断されるに至った。それは今でも空位のまま。故に貴族諸侯はその席を手に入れるべく重い腰を上げたというわけだ。
加えてエルミナ聖王国の領土を手に入れることができれば戦後割譲される可能性がある。貴族諸侯としてはそちらも狙っているのだろう。
(奴は単純に愉しむためだろうがな)
宿敵の顔を思い浮かべた蓮の頬に、ルナが温かな手で触れてくる。
「レン、大丈夫?怖い顔してるよ」
「……なんでもないよ。それよりラインの様子はどうなのかな?」
要らぬ心配をかけてしまったと、蓮が話題を変えれば、ルナは表情を曇らせた。
「……まだ落ち込んでる。けど、日に日に良くなってる」
〝世界神〟の策略によってラインの姉であるシエルは死亡した。
そのことで彼はふさぎ込んでしまったらしいが、どうやら回復の兆しが見えているようだ。
「そっか……なら、少しは安心かな」
自暴自棄になったり、壊れてしまったりしていないようで安心した。
かつての己のようにはなってほしくないと思うからだ。
「……話は変わるけど、収容施設の方はやっぱり駄目だった?」
「うん……忽然と姿を消したみたいで、手掛かりがまるでない。エルミナ聖王国本土まで逃げてしまった可能性が高い」
蓮が言っているのは、アインス西方――〝天の橋〟前に建設された捕虜収容所のことである。
三年前の戦いで投降したエルミナ兵を収容しておく場所だったのだが、先日の大帝都襲撃に合わせて収監されていた捕虜が一人残らず姿を消してしまったのだ。
「十中八九、〝世界神〟の仕業だろうね。そもそも大帝都襲撃自体、囮だった可能性すらある」
西方守護であるラインを大帝都に留め、更に国内の眼を全て中央に向けさせることで収容施設襲撃を成功させる――そういう計画だったのだろう。
悔しげなルナに、蓮は微笑みかけた。
「確かに敵戦力が増えただろうけど、後顧の憂いを絶ったと思えばいいさ」
エルミナ聖王国とアインス大帝国を繋ぐのは〝天の橋〟ただ一つのみ。
開戦後に万が一にでも捕虜が脱走し、そこを抑えられでもしたら挟撃されて敗北は必定だ。
その懸念を払拭できたと思えばいいだけだ。
「準備は万端、士気も十分ときた。なら後は戦場で勝利を積み重ねればいいだけだよ」
「……ん、わかってる」
(とはいえ相手もそれは理解しているはずだ。何かしらの備えがあるとみて間違いないだろう)
勝利をより確実なものとするために、幾つかの備えと策が必要になってくることだろう。
会話を終えてルナを見送った蓮は笑みを浮かべた。
先ほどまでの優しげなものではない、禍々しくも邪悪な笑みだった。
「備えあれば患いなし、だよね」
そして闇を内包した瞳を携え、悠然たる足取りで貴賓室を後にするのだった。
*****
エルミナ聖王国は人族の大地である南大陸の西部ネーベル地方を支配下に置いている。
領土は広大で、南大陸の四分の一の面積を保有していた。
それはアインス大帝国の国土に匹敵するほどであり、有している戦力もまた巨大なものだ。
しかし――三年前にアインス侵攻を行い、結果二十五万もの大軍勢を失うに至った。
生き残り投降した兵は先日、〝聖女〟の手によって救出されたが、それとて一万程度だ。
その救出された者たちの中に含まれる女性――オティヌス・ハーヴィ・ド・ヴィヌスは現在、〝聖王〟派代表の一人として〝聖女〟派との会談に臨んでいた。
「――では〝軍神同盟〟の連合軍が侵攻の準備を開始したというのですか?」
「ええ、既に国境である〝天の橋〟前にアインス大帝国の軍勢が集結していると報告がありました」
重苦しい空気が流れる場に、開け放たれた窓から清涼な風が入り込む。
熱気を孕んだ風であったが、重々しい雰囲気を和らげてくれるものだった。
ここはエルミナ聖王国最南端の町エスターテ――その領主の屋敷だ。
ノトス海に面した海辺の町であり、一年を通して夏であることが大きな特徴だ。
更に海上交易によって莫大な利益を上げている土地でもあり、商人の町といったところなのだが、その気質が影響したか、エスターテの領主は〝聖王〟派と〝聖女〟派という二大派閥のどちらにも属していない。
そんな背景から、二大派閥が会談を行うにあたって摩擦が生じない場所として長年利用されてきた。
今回の会談もこうしてエスターテの町で行われている。
「予想通りの展開ではありますが……問題は数ですね。集結中のアインス軍はどれほどいると?」
オティヌスの対面に座る青年が慇懃な口調で尋ねてくる。
彼の名はアーサー・ブリトン・ド・ユピター。〝聖女〟派代表の一人として此度の会談に参加していた。
「正確な数は不明だが……五万は下回らないそうだ」
オティヌスが国境の軍から早馬で聞いた情報を開示すれば、隣から安堵の息が漏れる。
「ふむ、その程度であれば問題はないだろう」
貫禄のある声を発したのはオティヌスの主にして〝聖王〟派の頂点に君臨する男、ハイリヒトゥーム・イシュ・ヴァイク・ド・エルミナ。
エルミナ聖王国現国王であり〝聖王〟その人だ。
齢五十になるが、雄々しい覇気は王者の威厳を感じさせる。
「〝聖王〟陛下、それは相手方を見くびりすぎだと言わざるを得ませんね」
ヴァイクの対面に座っている人物――フードを深々と被っていて素顔を見ることが叶わない。
いかにも怪しげだったが、この場にいる者たちで彼女を知らぬ者などいない。
〝聖女〟派筆頭、〝聖女〟当人だ。
会談は両派閥の筆頭と補佐役の計四人で行われている。
〝聖王〟派からは〝聖王〟ヴァイクとオティヌスが、〝聖女〟派からは〝聖女〟とアーサーが出席していた。
「ほう、ならば〝聖女〟殿はアインスがどれほど揃えてくるとお考えなのだ?」
「現段階ではなんとも言えません。ですが私見でよければ十万は超えてくるかと思いますよ」
十万――しかもアインス大帝国だけでだ。これに同盟に参加している各国の軍が合わされば、三年前にこちらが揃えた三十万を超えてくる可能性がある。
(対してこちらは……)
エルミナ聖王国は決して一枚岩などではない。〝聖王〟派と〝聖女〟派――すなわち王家と教会で二分されている。
政治と宗教を分けており、エルミナ聖王国全土で信仰されている〝世界神〟を崇め奉る教会が王家を認めるといった形になっていた。
つまり形式上とはいえ教会が上で王家が下という構造なのだ。これを王家――〝聖王〟派の者たちが快く思うはずもなく、建国以来ずっと対立は深まるばかりであった。
(〝世界神〟様が頂点にいることには文句などない。だが、祭事程度しか取り柄の無い教会が神の代理人として我らに指図するなど看過できるはずもない)
いくら信仰を取りまとめる教会が強大な組織であろうとも、この千年間実際に国家を運営してきたのは王家の者なのだ。国政にまで関与してほしくないというのが〝聖王〟派の本音なのだが、実のところ近年地方の領主の大半が〝聖女〟派の息が掛かった者で構成されている。
更に政治の中心である首都の高官たちまでもが、徐々にではあるが〝聖女〟派についていっている。これは由々しき事態――なんとかしなければと思っている内に、かの英雄王の末裔が表舞台に現れた。
かつて〝世界神〟の寵愛を受けて世界を救った伝説の英雄王――その末裔を確保したとなれば形勢逆転となりうる。そう考えた〝聖王〟派がアインス侵攻を計画した。
だが、大規模に兵を動かせば隠し通すことなど不可能で、〝聖女〟派もその侵攻に参加してきて――結果三十万もの大軍を揃えての侵攻に至ったのが三年前。
(あの時は互いの目的が一致したから手を取り合っただけで、今回は違う)
エルミナ聖王国が敗北するようなことがあれば教会とてただでは済まない。だというのに教会を仕切る〝聖女〟派の者たちは消極的な姿勢を取っていた。
(どういうことなのかは知らないが……何としてでも協力してもらわなければならない)
三年前の大敗は未だに爪痕を残している。各地から軍を呼び寄せたとしても〝聖王〟派だけでは二十万――しかもそれは強引にかき集めた場合の数だ。
各地の治安維持等を鑑みれば、実際に集められるのは十万程度。これではとてもではないが太刀打ちできない。
(アインスには覇彩剣五帝所持者が二人、同盟国のヴァルトにも一人いる)
他にも神器や魔器の所持者が多くいるはずで、彼らは文字通り一騎当千の武力を誇っている。やはり兵の質では軍事国家であるアインス大帝国には届かないのが現状だった。
(だからこそ、そういった者たちを封殺するために〝聖女〟の協力が必要だ)
三年前の戦いで〝聖女〟が見せた覇彩剣五帝の無力化は強力な武器となりえる。その後覇彩剣五帝所持者たちは無効化を打ち破りはしたが、膨大な力を行使したことで疲弊していた。
現にオティヌスはあの戦いで〝緋帝〟の所持者を打ち破っている。
オティヌスは考えを纏めるとおもむろに切り出した。
「それだけの数です、エルミナ聖王国の総力を以って対処しなければ勝利できないでしょう」
「はっきり言った方がいいですよ。我らの仲ではありませんか」
「……では言わせてもらう。此度の戦いには教会も参加してもらいたい。我らが手を取り合わなければ連合軍には勝てないと思うからだ」
口惜しいがここは下手に出るべきだ。今はとにかくエルミナ聖王国の崩壊を食い止めるのが先決。内部の権力争いはそれが終わってからだと、〝聖王〟派の中では既に決まっていた。
故に隣にいる〝聖王〟本人も特に指摘してこない。
(今だけは貴様らに頭を下げてやる。だが、いずれ必ず……!)
更にオティヌスが頭を下げて言えば、主であるヴァイクも軽く頭を下げた。
王が頭下げる。それがどういう意味なのか、理解できないほど〝聖女〟は愚者ではない。
「〝聖女〟さま、この話はお受けになるべきかと。我らが別々に戦っても、各個撃破されるだけでしょうし」
「…………そうですね、わかりました。我ら教会は王家への協力を惜しまないと約束致しましょう」
「!……ありがとうございます」
アーサーの進言を受けた〝聖女〟が協力の意を示したことに、オティヌスは礼を言う。
すると〝聖女〟は立ち上がってヴァイクに手を差し出してきた。
「〝聖王〟陛下、三年前共に手を取り合ったように、今回も協力しあっていきましょう」
「……こちらこそ、轡を並べられることを心から喜んでいます。共に立ち向かいましょうぞ」
と言って、手を握り返す〝聖王〟の心中を察してオティヌスは歯を軋ませる。
(全ては王家の――ひいては民の為。ここは我慢の時だ)
部屋を後にする〝聖女〟の背中を睨みつけながら、オティヌスはそう思うのだった。




