プロローグ
十章〝解放戦争〟編始まりです。
異臭が漂っている。
大地に転がる夥しい数の死体が発する死臭と、それらが炎に巻かれることによって生み出されている悪臭が交じり合うことで、鼻を塞ぎたくなるほどであった。
「……誰ぞ、いないのか」
囁くように、呟くようにして発せられた声は弱々しいものである。
当然だ。発した男の身体は全身血だらけ――満身創痍なのだから。
東国特有の羽織は千切れ、至る所から生傷が見えている。あふれ出る鮮血は留まるところを知らなかった。
もはや死に体――にも関わらず、男は倒れることを良しとしない。
隻腕の右手に掴んだ紅刀を地面に突き刺し、支えとすることで立っていた。
『よくここまで耐えた。人族にしては見事といえよう』
見下すような声は男の頭上から聞こえてくる。
声に反応した男が上向けば――
――天使の軍勢が空を埋め尽くしていた。
背中に羽を生やした異形の者たちが天を席巻している。
数えるのも馬鹿らしくなるほどに大軍であった。
『……もはや貴様の味方は全員死んだ。援軍とて間に合うまい。しかも貴様自身も深手を負っている。だというのに――何故諦めない?何故闘志が折れないのだ?』
男に疑問を投げかけたのは上位天使と呼ばれる存在。彼女は純粋に疑問に思っているようだった。
対して男は傲然と胸を張った。
「余は王だからだ」
『……意味が分からないな。守るべき者を守れず生き永らえている王に何の価値がある?』
天使は眼下に広がる死体の数々を指さし告げる。
『貴様が引き連れてきた者たちはここで死んだ。故郷から遠く離れた異国の地で、だ。王として配下を死地に追いやった責任は感じないのか?』
「無論感じている。だがな、そもそも貴様は勘違いしている」
なに、と首を傾げる天使に向かって、男は堂々と己が矜持を述べた。
「王とは民を守る者ではない。王とはその生き様を見せることで民を導く者なのだ」
男の身体から激烈な覇気が放たれる。
呼応するように手にしていた紅刀から炎が吹き上がった。
「余の背中を見て民は――臣下は大志を抱く。生きるとは何かを知るのだ」
炎が身体に巻き付く。守るように、あるいは男自身を薪とするかのように。
火は大地に広がり、死体を燃やす。故国に連れて帰れないのなら、せめて仕えし王の手によって火葬されるべきだと言わんばかりに、燎原の火として広がっていった。
「たとえ生ある者がいないとしても、誰も見ていないとしても――余が膝を屈してはならぬのだ。それは国の――ひいては民の敗北を意味するがゆえに」
染まる、世界が赤く染まる。
炎熱が高まり、灼熱となりて一切合切を燃やし尽くしていく。
その異常極まる光景と、男が発する膨大な覇気に気圧されたように、天使が僅かに後退した。
「余の生き様をあまねく天地に知らしめようぞ。三千世界――冥土におる臣下に届くほどの散りざまを見せつけようぞ――〝緋帝〟」
主の覚悟に紅刀が眩い輝きを放って応える。世界を覆いつくす炎がにわかに勢いを増した。
男は相棒の切っ先を天に掲げて――、
「〝覇王〟の生き様、とくと視よ――〝天孫降臨〟ッ!」
己が全てを薪として、大炎を咲き誇らせた。




