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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
九章 古都炎上
182/223

十話

続きです。

 目覚めた時、恋焦がれた声が耳朶に触れた。


「起きたか、ルナ殿」


 徐々に覚醒する意識、ぼんやりとした視界の中で、ルナは顔を鬼面で覆った少年の瞳を見た。

 黒と赤――虹彩異色の双眸は実に神秘的である。宿る感情はどこか優しげなものだ。


「……そのままでいい、何も言わずに聞いてほしい」


 蓮の過去、ソフィアたちの想い、そして――自分の宿命。

 全て識った今だからこそ、もう迷わない、もう遠慮しない。

 後には引けないのだ。ただ愚直に前に進むのみである。

 だから――二人きりの今、告げるのだ。

 

 ルナはいつの間にか蓮の前に体が移動していたことすら気にせず、むしろ正面から彼を抱きしめた。

 微かな動揺がその強張った体から伝わってくる。


「私は全部知った。あなたが――〝黒天王〟(ウラノス)がレンだってことも、あなたの過去に何があったのかも……全て知っている」

「…………っ!?」


〝黒天王〟――否、蓮が更に体を強張らせるのが分かった。

 それでもルナは腕の力を強めて、横顔を彼の胸元に当てる。


「あなたがどんな思いでアインスから去ったのかも、そしてこれから成し遂げようとしていることについても知っている。……ねえ、レン。私はね、ずっとあなたに変わらない想いを抱き続けていた。それは全てを知った今でも変わってない」


 覚悟を決めた状態であっても、流石に緊張する。

 ルナは震えそうになる己を鼓舞して――告げた。



「好き……好きなの、レン。あなたのことが――どうしようもなく好き」



 世界が止まったかのような静寂が訪れる。

 聞こえてくるのは互いの息遣いだけ。

 今この瞬間だけは――世界に二人しか存在していない。そう錯覚するほどに、互いを強烈に意識していた。


 やがて〝黒天王〟――蓮が言葉を発した。


「……知ってしまったのなら仕方がない。確かに僕は蓮だ。でもこのことは他の人には言わないでほしい。エルミナ聖王国征伐の大義が失われてしまうからね」


 それはルナも承知であった。

 英雄王の末裔である蓮がエルミナ聖王国の手によって殺められたことで、戦争への大義が生まれたのだから、彼の生存は知られてはならない。


「そして……全てを知ったのなら分かっているはずだよ。僕が愛しているのは世界でたった一人――ソフィーだけだということを」

「……知ってる」

「ならなんで!?どうしてそんなことを僕に言うんだ!」


 声を荒げる蓮。鬼面に覆われている状態であっても尚、激情が伝わってくる。


「全部教えてくれたのはソフィアだから。そして彼女も私の想いを知って――応援してくれたから」

「なっ――」


 絶句する気配に、ルナは顔を上げて蓮を見つめた。


「私にレンを託すと、頼むと言われた。……受け入れがたいのは分かってる。私も直ぐに返事を求めているわけじゃない。でも――きちんと考えてほしい」



 *



 秘められた想いを告げられた蓮は酷く動揺していた。


(何故ソフィアから聞いたなんて――事実なのか?それに僕に好意を抱いているなんて……)


 言葉を発することすら激務、そういった精神状態の蓮は目線を落とす。

 そこにはルナの美貌が――、


「!?その瞳は……っ」


 思わず息を呑んでしまう。紅玉(ルビー)のように輝いていた赤き左眼が、まるで月の如き銀色に染まっている。

 灰石膏(セレナイト)のように月光を連想させるかと思えば、次の瞬間には金剛石(ダイヤモンド)の透明感かつ神々しさを感じることができる。

 どこまでも見通すかのような神秘を孕むその瞳は――、


(まさか――そういうことなのか!?)


 ソフィアに全てを聞いたという発言、左眼の変化。そして、アインス皇家の――リヒトの血を継いでいるという事実から、蓮はとある可能性に至った。

 だが……それは今関係ない。

 告げられた想いには真摯に答えなければならないだろう。


 蓮は己が心中を吐露するように、ゆっくりと言葉を選びながら声を発した。


「僕は……ソフィアが好きだ」

「……うん」


 苦しげな色を浮かべたのは一瞬のこと、すぐさまルナはいつもの無表情に戻る。

 否、至近距離で見つめあう蓮には違いが分かった。心なしか頬が朱に染まり、瞳がうるんでいる。


「彼女を殺した〝天魔王〟が憎い。その原因であり、彼女の願いを阻み続けている真の敵……〝世界神〟を名乗る〝創造王〟(ルミナス)が憎い。だから僕は奴らを殺す――それだけを考えて生き永らえてきた」

「うん」

「その悲願が叶うまで他のことは考えられない。だから……どうか待ってほしい。全てを終えた後でなら、僕はキミの想いに答えを返せると思うから」


 最低な返答だと分かっていた。今すぐ答えず、どれほど先になるかも分からない不確かな未来に先延ばしするなんて、と。

 でも、本心からの言葉だった。自分が愛した者はソフィアただ一人だけ。だからといってルナが嫌いというわけでもなければ、気にならないというわけでもない。

 何せソフィアに瓜二つなのだ。その容姿も、心根も、使っている武器さえも。


(ああ……僕は本当に最低だ)


 理解している。けれど思うことを止められない。あふれ出る激情は、とっくに失ったと思っていた蓮にとって想定外のものであった。

 

 自らの浅ましさを責める蓮の頬に、ルナの手が当てられた。とても温かい手だった。


「それでいいよ、レン。私はいつまでも待ってるから……」

「っぁ……」


 愛する者の為という盾をかざして多くの人を殺めてきた。彼らの命を、絆を、未来を奪ってきた。

 戦争で大切な人を喪うなんてありふれた悲劇だ。自らもその悲劇に見舞われ、また見舞ってきた。

 被害者であり加害者。戦争に善悪などないと知っていても、良心は酷く傷んだ。

 その果てに――心を、魂を壊してしまった。復讐に取りつかれた殺戮者になり果てた。

 なのに……そんな屑なのに――彼女(ルナ)はこんなにも優しくしてくれる。愛してくれる。

 

 胸が満たされるような感覚に、蓮は胸元を握りしめる。ソフィアを喪って以来、ぽっかりと空いた穴は命を喰らうことでしか埋められないと思っていた。

 けれど――今、自分は満たされている。

 そう気づいたら、視界が歪みだした。


「レン?泣いてるの……?」

「えっ?」


 ルナが心配そうにのぞき込んでくる。

 ふと、胸元にあった手を口元付近に当てれば、透明な雫が皮膚を濡らしていた。


「……レン」

「あっ……」


 ルナが鬼面を外した。蓮の素顔が外界に晒される。

 三年前と何も変わらない――否、殺伐と輝く真紅の右眼に気づいて、僅かに悲しげな表情を浮かべた。

 その右眼と、深淵の闇を孕む左眼から流れ落ちる涙を拭いながら、ルナはどこまでも穏やかにほほ笑んで。


「あなたが背負っているものを私も背負う。悲しみも、罪も、償いも、罰も――何もかも全て。一人じゃ抱えきれなくても、二人でならきっと抱えていけるから」


 ソフィアを喪ったあの日から、もう二度と泣かないと決めていた。全てを終え、復讐を成し遂げた時まで涙を流さないと誓っていた。

 なのに――どうして。


(どうしてこんなにも、涙が止まらないんだ……?)


 蓮は手綱から手を放して必死に涙を拭う。そんな彼を、ルナは優しく抱擁していた。

 二人を乗せる黒馬は気を使ってか、駆ける速度を落とし、落ちないようにしている。

 月が優しく包み込むように、控えめな光で二人を照らす。

 地平線の彼方からは元気づけるかのように、太陽が力強い輝きを魅せていた。



 *****



 神聖歴千三十四年二月十一日。


 諦念が大帝都を覆いつくしていた。

 西に聳え立つ巨人――ネフィリムの脅威を前に、人々は諦めを感じていた。

 青髪の少女が告げた通り、大帝都から逃げ出そうとした者は等しく死に誘われた。

 大帝都から出てすぐはなんともない。が、一定の距離が空くと巨人から閃光が放たれ、一瞬にして灰燼に帰してしまうのだ。

 逃げ出すことは不可能、かといって立ち向かおうにも勝算がまったく見えない。

 絶望だ。何をしても無駄だと思い知らされる。


『ライン大将軍はどうされたんだ?あのお方がいればまだ勝ち目はあるだろうに』

『行方知れずだとよ。噂では西城壁から東城壁まで突き抜けたあの攻撃を喰らったとか……』

『は、マジかよ?それじゃあ、いくらライン大将軍といえども……なあ?』


 大帝都に住まう民たちはそんな会話を、帝城の西区画に秘匿されていた地下シェルター内部で繰り広げていた。

 ラインが最後に発した指示は忠実に実行されており、守備隊は大帝都の民をほぼ全員帝城に匿っていた。

 これは防衛作戦通りの動きで、帝城を囲む堀と城壁を盾にする第二防衛線死守の構えである。

 故に大帝都はほとんど人気がない状態だ。残っているのは避難を拒んだ者たち――家財を守ろうと自宅に居座った者たちだけであった。


 そして帝城アヴァロン――臨時指令室となっている控えの間では、現在主だった閣僚たちが軍議を開いていた。


「未だライン大将軍は見つからずですか……」


 早朝から行われている軍議の中で、バルト軍務省長官の重々しい声が吐き出された。


『どうにもそのようでして……手の空いている者が総出で捜索に当たっておりますが、未だにライン大将軍は見つかっておりません。……やはり、その、戦死されたのでは?民衆の間ではライン大将軍があの光の攻撃に呑まれたという噂も出回っていますし』


 進行役の貴族が沈痛な面持ちで言った。

 

 大帝都を襲った尋常ならざる光の一撃は誰もが目にしている。その威力も、恐ろしさも。

 いくら世界に名を轟かせる護国五天将といえども……という雰囲気だ。

 あの巨人に一矢報いた大将軍の所在不明に、控えの間に重苦しい空気が漂う。


「……一先ず、ライン大将軍が明日に間に合わない場合を想定して動くとしましょう。もちろん、捜索は継続ですわよ」


 少々変わった語尾で悪い空気を断ち切ったのは、神聖なるアインス皇家の第四皇女にして今や国家の重鎮である宰相の地位に座する者。

 マリアナ・フィンガー・エーデル・フォン・アインスである。

 美しい金髪に碧眼――されど左眼は黄金に輝いている。

 三種の神眼の一つ〝人眼〟(イザナギ)――他者の思考を読み取ることができる破格の力を秘めた瞳。

 その異能を以って、数多の貴族の腐敗を見抜き、処断していった恐るべき存在である。

 大貴族ともなれば後ろ暗いことの一つや二つあるものだ。マリアナはそれを盾に従わぬ者には処罰を、従う者には寛大な温情を与えることで改革を推し進めていった急進派筆頭ともいえる者だ。


 故にほぼすべての貴族諸侯から恐れられているマリアナが――軍議の主導を握るのは必然と言える。


「各方面からの援軍はどうなっていますの?」

『は、はい!各方面からの援軍ですが、つい先ほど東の空に煙幕が揚がり、遠見の者によれば大帝都から東に五キロほどの位置に東部方面軍がいるとのことです』


 進行役の貴族が手元にある資料をめくりながら続ける。


『その他の方面に関しては現時点では不明です。現状の大帝都は近づくことも、出ていくこともできませんから』


 巨人ネフィリムが復活し、大帝都に睨みをきかせている所為だ。そのせいで援軍がどれほど、どこまで来ているかが分からない。

 間近まで進軍してきている東部方面軍もこれでは意味をなさないだろう。何せ近づけば再び光の奔流によって壊滅の憂き目にあうことは誰の眼にも明らかだからだ。


『せめて……伝令を向かわせられれば良いのですがね。ライン大将軍すら超える武力を持ったレオン大将軍に単騎で密かに大帝都入りしてもらえば、勝機は十分にある』


 と、一人の貴族が諦めを多分に含んだ声音で言う。

 確かに……と軍議に参加している者たちは同意を示す。

 レオン大将軍はかの覇彩剣五帝の所持者。女帝不在の今、アインスに残された唯一の(、、、)所持者である。

 その武力はアインス大帝国一と称されるほどだ。故に彼ならば、という空気が流れるのは無理もないことだった。

 

「……手はあります」


 重い沈黙の中で、バルトが片手を軽く挙げて発言した。


「それはどういうものなのかしら?」

「大帝都は四方をザオバー川に囲まれており、更にその川の流れを大帝都内部まで引っ張っています。これは誰もが存じているでしょう」


 一同は頷きを以って肯定し、マリアナが目線で先を促す。


「その川の流れは上下水道に使われており、表を流れているのは上水道です。では、下水道は?皆さま方は目にしたことがおありですか?」

『……ないな』


 当たり前のことではある。下水道などという不潔な場所に好き好んでいく貴族諸侯がいるはずもない。

 民衆も同様で、兵士ですら一部を除いて同じくである。

 しかし、だからこそ――そこは死角となりえる。活路となりえるのだ。


「大帝都の地下には、千年以上前――建造当初から下水を破棄するための地下通路があるのです。それは大帝都の四方に敷かれていて、ザオバー川を越えた先に設置されている処理場まで繋がっているのです」


 この言葉が何を意味するのか、皆が気づいて喜色を浮かべる。


『では――あの巨人に気づかれずに大帝都から抜け出せる道があるということですかな!?』

「その通りです」


 思わぬ希望に湧きかえる控えの間。

 宰相であるマリアナも微笑を湛えていたが、やがて手を叩いて注目を集めると告げる。


「では決まりですわね。伝令を選抜し、レオン大将軍率いる東部方面軍に向かわせる。また各方面の援軍がどうなっているのかを探るためにも伝令を出しましょう」


 今後の方針が決まったことで、それぞれが役目を果たすために動き出す。

 マリアナもまた席から立ち上がると、礼を向けてくる者たちに軽く手を挙げて応じて控えの間を出た。

 向かう先は己の執務室。そこにはマリアナを守るべく待機しているティアナがいた。


「軍議の方はどうだったんだ?」

「つつがなく……といったところですわ。けれどこれで当分の間は下水道は秘密の道ではなくなりますわね」


 苦笑を浮かべたマリアナは、一転、真剣な表情を作り上げる。


「それよりも……本当によろしいの?」


 何の確認なのか、瞬時に察したティアナが頷く。


「ああ、もしもラインが現れず、レオン大将軍も間に合わなかった場合――私が出よう」


 ティアナが覇彩剣五帝所持者であることはほとんどの者が知らない。隠し手札――切り札的存在としてこれまで表舞台に上がってこなかったのだが、現状では悠長なことは言ってられない。


「敵は私がいることに気づいていない可能性が高い。不意をつけるだろうさ」


 三年間、ティアナは表立って動かず、その力も退神札を身体に貼ることでほぼ封じていた。

 故に同じ覇彩剣五帝所持者であっても、視界に入る距離まで接近しなければ感づけないといった有様だ。


「……くれぐれも無理はしないように。〝天孫降臨〟などはもってのほかですわよ」

「ああ、わかっている。……心配、痛み入る」


 身を案じるマリアナに、ティアナは剛毅に笑って見せるのだった。



 

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