九話
続きです。
そこは楽園だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、陽光に照らされることで美しさを際立たせている。
(……薔薇が多い)
ふと、自分が花園の中心に立っていることに気づいたルナが最初に思ったことがそれである。
ここに蓮がいれば、まず何処なのかを疑問に思うべきじゃないのかい?と苦笑交じり言っていたであろう。
と、不意に気配を感じたルナは後ろを振り返った。
そこには、
「お久しぶりですね、ルナ」
かつて夢の中で邂逅を遂げた女性――ソフィア・シン・アイリス・フォン・アインスが立っていた。
「うん……久しぶり、ソフィア」
「私としてはそれほど時間が空いた感覚はないのですが……これも千年間待っていた弊害でしょうね」
苦笑交じりに言うソフィアに、ルナが時間が惜しいとばかりに問いかける。
「あの……やはり〝黒天王〟はレンなの?」
「そうですよ、今あなたが寄りかかっている彼こそがレンであり第二代〝黒天王〟です」
「第二代……?」
首を傾げるルナに、ソフィアが首肯する。
「ええ、初代〝黒天王〟は千年前にレンの手によって討伐されましたから」
説明するソフィアの表情は後悔で彩られていた。
「全ては私たちを守るため……そのためにレンは深い業を――大罪を背負うことになってしまった」
「……罪?」
〝黒天王〟が蓮だと言われて安堵を抱いたルナだったが、次なる言葉に顔を強張らせた。
「――神殺しの罪です」
ゴクリとつばを飲み込むルナ。
「神を……殺した?」
「〝五大冥王〟と呼ばれている存在が、実は神々であったことは既に弟が――リヒトが話していると思います」
「うん……〝五大冥王〟と〝世界神〟、合わせて六神が世界に君臨していたと」
かつてこの世界は一柱の神によって創造された。
しかしその神はこの世界を見限り、自らの力を六つに分割して去って行ったという。
分かたれた六つの力が意志を持ち、神と成ったことで〝神代〟が始まったとされている。
だが、
「その後、〝世界神〟が裏切って他の五柱の神々を追放し、貶めた。結果今の世が――〝停滞期〟が始まったとも聞いている」
「概ねその通りです。ですが少し違いますね」
「えっ?」
ルナは首を傾げる。初代皇帝リヒトから教えられた情報に誤りがあったのだろうかと。
「それに関しましては最後にお話し致します。ともかく、〝黒天王〟が神であるという理解はあるようですね」
「うん」
頷いて見せたルナに、ソフィアが悔恨の念を滲ませた声音で続きを話してくる。
「千年前、初代〝黒天王〟は世界を自由気ままに回遊していました。己が配下である三つ首の黒竜〝絶対悪〟に乗り、刃向かう者には王罰を、気に入らない者には天罰と称して殺戮の限りを尽くしました」
「随分……横暴な神」
ルナが不快感を示せば、ソフィアは苦笑を浮かべて頷く。
「そうですね、今にして思えば確かに横暴でした。ですが、当時は天災の一種だとされていましたから、仕方のない現象だと割り切っていましたね。何せ初代〝黒天王〟は他の〝五大冥王〟とは違って〝世界神〟に復讐を挑もうとはしてませんでしたし、大戦においてはどちらの陣営にも付きませんでしたから」
同胞であるはずの〝五大冥王〟たちに同調せず、ただ己の欲望にのみ従っていた神。その圧倒的な力を以ってあらゆる種族、あらゆる者たちを従わせていた。
なるほど、確かに天災の一種とみなされても仕方ないとルナは思った。
「やがてそんな絶対者にも終焉の時が訪れました。当時誰よりも力を欲していた〝英雄王〟シュバルツ――レンがたった一人で彼の王に挑んだのです」
天地鳴動――戦いの地となった〝黒天王〟の根城周辺はあらゆる物が灰燼に帰し、至る所に大穴が開いた。
人知を超えた戦い、激闘と呼ぶにはあまりにも凄まじい激突だったという。
「その果てにレンは初代〝黒天王〟を討ち取り、その力と権能、知識を奪いました。その瞬間から第二代〝黒天王〟と成ったのです」
結果だけ見れば素晴らしい偉業を成し遂げたといえよう。何せ世界全体の脅威とされていた存在を討ち取ったのだから。
しかし――、
「人の身で神を殺す。そのよう不遜が許されるはずもなく――レンはその身に呪いを受けました」
「……呪い?」
不吉な単語にルナが恐る恐る聞き返すと、ソフィアは悲しげに目元を伏せた。
「命を喰らいたい――誰かを殺したいという欲求が湧くようにする呪いです」
「――――」
想像を絶する呪い――神罰に言葉を失うルナ。
人殺しは誰もが忌避する行為だ。それを半ば強制的にさせようとするなどとは……!
「もちろん、レンは耐えようとしました。理性で抑えれば問題ない、大丈夫だと己に言い聞かせて。ですが――無理でした。呪いによって生み出された欲求は本能に近いもので、それを我慢することは喉が渇いているのに水を飲むことを耐えるという行為と同義だったのです」
「――そんなっ!そんなのって……酷い」
神罰とはいえ、いくらなんでも酷すぎるだろう。
憤慨するルナにソフィアも同意だと頷く。
「ええ、あまりに酷く――あまりに重い罰でした。もっとも、当時は大戦の真っただ中だったので、人殺しは日常茶飯事。レンはさほど苦しまなかったようです。ですが……」
と、ソフィアは己を責めるように、豊満な胸元を握りしめた。
「私が……レンを置いて死んでしまったことで、彼は変貌してしまった」
それは歴史の闇に葬られた汚点で、英雄王の輝かしい経歴の陰りである。
「夢で見た。レンが……魔族を虐殺してるとこ」
「……彼は――レンは歴史で語られているような強い人ではありません。本当の彼は優しく、そして弱い人なんです」
弱い。その言葉が世界で一番当てはまらないとされてきたのが英雄王シュバルツ――蓮だ。
魔族を打倒し、神々さえも打ち破って世界を――人族を救った英傑。
〝英雄王〟〝軍神〟〝帝釈天〟〝黒天大帝〟――そして〝黒天王〟。
数多の異名を持つ最強不敗の存在。神話伝説の英雄だと信じて疑わなかった。
そんな彼が――、
「弱い……?」
ルナには信じられなかった。神話の英雄として蓮を知り、現代で実際に彼と出会った。
そのどちらでも彼は常に頼りになる存在で、力強い覇気を見せていた。
なのに、
「……信じられないと仰るのも分かりますよ、ルナ。でも、本当のことなのです。レンは弱い。事実、彼は親しい者たちを立て続けに失ったことで壊れてしまったのですから」
ソフィアが――当事者が否定するのだ。
「私が死んだあと、レンは魔族に対して一切の容赦をしませんでした。刃向かう者だけでなく、無抵抗の者すら殺害した。もはや呪いの所為だと割り切れないほどに……多くの人々を手に掛けました」
愛する者を喪ったことで壊れてしまった蓮。
そんな彼を――それでも救いたいとルナは願った。
「どうすればいい?レンを救うにはどうすれば……っ!?」
「……少々驚きました。あなたがレンを思慕していることはわかっていましたが、事実を知っても尚、想いに一切の陰りが見えないとは……」
眼を見開き、驚きを示すソフィアをルナは見つめ続ける。
思えばこの話をしている間、ルナは眼を逸らすことなく事実と向き合っていた。
「心から……好いているのですね」
とソフィアが微笑を向ければ、
「うん、レンが抱えてきた苦悩、背負ってきた罪――私も一緒に抱えて背負って生きたい」
ルナも笑みを湛えた。
ソフィアはどうしてそこまでとは聞かない。自分もまた知っているからだ。好きという感情に理由などなく、理屈が一切通用しないということを。
完全にルナを認めたソフィアは、遂に悟った。己の想いを託すに相応しい人物が現れたのだと。
彼女はルナに近づくと、己が右手を開いて見せる。
そこには蓮との思い出の指輪が乗っていた。
「それって……」
「これは一対の指輪、レンとおそろいの物です。私の宝物ですが――あなたに託します、ルナ。ずっと持っていて下さい。そうすればしかるべき時に必ずお役に立ちますから」
告げて、ルナの左手薬指に指輪を通す。とても大切な――今では自分の魂が込められている秘宝を、一人の同じ少年を愛する女性に託したのだ。
「……これが最後です。レンを救う方法と、本当の神話、そしてあなたに秘められた真の力――あなたの正体についてお話致します」
語られる真実、明かされる自分の正体。
全てを聞かされたルナは、唖然としつつもどうにか飲み込もうと、理解しようとしていた。
*
そんな女帝を見つめながら、ソフィアは彼女が背負った宿命の過酷さ、宿業の重さを嘆く。
全てを知るということは、知りえた全てを抱えて生きていかなければならないということだ。
だというのに――眼前の女性は耐え抜こうとしている。自分の血に宿る呪いにも似た祈りに負けずに、その上で双黒の少年さえも救おうとしていた。
(リヒト……私たちの子孫はとても強く、頼りになる存在でしたよ)
獅子のように偉大であった弟――彼もまた蓮を大切に思い、家族同然に扱っていた。
否、それ以上に――血のつながりなどなくとも、誰よりも彼のことを想っていた。それこそ玉座を譲っても良いと公言するくらいに、である。
(レン、私たちは居ないけれど――ルナがいます)
今、まさに目の前でひな鳥が成長し大空に飛び立とうとしている。
立派な翼を広げ、天高く飛翔し、闇に――地の底に沈みゆく少年を救おうとしていた。
無論、嫉妬はある。けれどそれ以上に――嬉しいのだ。千年の想いを託しても良いと思えるほどに、信頼しているのだ。
(だからどうか諦めないで――愛しい人。前だけではなく、後ろを振り返って)
追いつこうと足掻いている女性の想いに気づいて。願わくばその想いに応えてあげてほしい。
復讐の大炎に身を焦がすのではなく、優しい温もりに包まれて欲しい。
その果てに――どうか幸せになってほしい。たった一つ、それだけが、少年の周りにいた者たちが願い続けた思いなのだから。
(その未来を齎すために――私たちは千年の時を待ち続けたのだから)




