十六話
続きです。
「どうなっているの……」
ルナは眼前の光景に唖然とする。
そこには確かに眉間に矢が突き刺さった敵将が居たのだが……何事もなかったかのように起き上がろうとしていた。
その体からは、不気味な紫の瘴気が噴き出ている。
『あア……いったイなにが……』
敵将は立ち上がると己が体を見下ろし不思議そうに首をかしげる。
『特に異常ハない……それよりも、こノあふれでる力はいっタい……』
そして辺りを見渡し―――ルナを視界に捉えた。
「っ……!」
ルナは敵将の姿を見て身震いした。
敵将の瞳は赤く染まり、肌は血管が浮き出ている。額からは対になった角のようなものが生えていた。
(なんなのアレ……まるで魔物のよう)
敵将は禍々しい笑みを浮かべると、手にしていた剣をルナに向ける。
『そノ容姿……貴様ガ“戦乙女”か』
「……そうだといったら?」
『なに、誉めてやろうかと思ってナ。貴様の戦術にはしテやられた。こちらは浮足立ち、貴様はこうシて我を討ち取る寸前まで追いつめた』
そこで敵将は剣を地面に突き刺し、両手を広げて高らかに告げる。
『だガ無駄だ!我、アイゼン皇国次期皇王クリストフ・フォン・アイゼンの前ではすべてが無意味!こノ力で貴様を生け捕りにし、貴様の配下を目の前で斬殺して―――』
不意に声が途切れる。その原因は心臓に突き刺さった矢だった。
「油断しすぎ……」
ルナはクリストフと会話している際に“翠帝”の力をずっと溜めていた。そして最大まで溜めた力で矢を射たのだ。
(岩をも砕く一撃を急所に射ち込んだ……さすがに死んだはず)
未だ“翠帝”を扱い切れてはいないが、この一撃はかつて大岩を砕いたほどのものだ。この一撃を凌いだ者は未だいなかった。
故に、ルナは油断には程遠いものの、若干クリストフから注意を逸らしてしまった。
それは一瞬、数秒にも満たないものであったが致命的だった。
『オオッ、アアアァー!』
「―――!?」
眼前にまで迫っていたクリストフが剣を振り下ろす。
反射的にルナは左手に持っていた“翠帝”で防ごうとするも、その強激に耐え切れずに地面に叩き付けられてしまった。
「がはっ、あぐぅ」
すぐさま起き上がろうとするも、蹴りによる追撃がルナを襲う。
「ぐっ……あがっ」
容赦のない暴力の嵐がルナを苦しめる。だが、“翠帝”によって強化された体が意識を飛ばすことを許してくれない。
『ふははっ!“覇彩剣五帝”を所持していてこのザマとは……扱い切れていなイとは聞いていたが、ここまで脆弱とハな。それとも我ガ“堕雷”の力を引き出せていルからか?』
クリストフは“堕雷”を翳すと興味深そうに見つめる。
『まア、今はよいか……それよりもそろそろか?』
先ほどから、足元に転がるルナを蹴り飛ばし意識を刈り取ろうとしているのだが、なかなか意識を手放さない。
『……そノ弓による身体強化の所為カ?ならバその弓をもらうとしよう』
クリストフは蹴るのを止めると、おもむろに“翠帝”に手を伸ばし―――
「さわるなっ!」
突如“翠帝”から発せられた風によって吹き飛ばされた。
その隙に立ち上がろうとするルナだったが、
「ぐっ、うう……」
先ほど受けた蹴りによる衝撃と痛みに邪魔され、なかなか立ち上がれない。
(動いて、私の身体!この好機を逃すわけには……)
そう己に言い聞かせ、立ち上がろうとするもやはり立てない。
『オアアアアアアアア―――!』
「っ!」
魔物の鳴き声にも似た怒声にルナが顔を上げると、そこには怒りに顔を歪めたクリストフがこちらに歩いてくるのが見えた。
『貴様あァァァ!よくも我ニ傷をつけたナっ!アイゼンの次期皇王でアるこの我にっ!』
怒りに身を任せ、容赦ない蹴りを打ち込む。
何度も蹴り続けたが、不意に気付く。
『なゼ、笑っていル?』
ルナが微かに笑みを浮かべていることに。
「…………」
『こたエよっ!貴様につき従っていた配下の連中ハ今まさにっ、殺されていル。しかも貴様はこのザマだ。なのになゼ笑うのだっ!』
「……笑いたくもなる。自分の弱さに……ね」
(私を信じてつき従ってくれた者達をみすみす死なせたくせに、私は敵将の首一つさえ取れなかった)
申し訳なかった。悔しかった。なにより―――自分の弱さを嘆いた。様々な感情がないまぜになり、気付いたら笑みを浮かべていた。
「それに……あなたの発言がおかしいから」
『なんだとっ!何がおかしいのだ!!』
「それは……あなたが次期皇王だと宣言していること」
『―――』
その言葉にクリストフは凍りついたように動きを止める。
「アイゼンの次期皇王はあなたじゃなく……兄のエドガーのはず」
ルナが集めた情報では、アイゼンの次期皇王と目されているのはクリストフの兄エドガーであった。そのエドガーは現在、次期皇王としての武功を積むためにアインスの北域に攻め入り、北域守護軍と交戦中だ。であるから、てっきりツィオーネに攻めてきたアイゼン皇国軍はエドガーの命で動いているものだと思っていたのだが……
「どうやらその口ぶりだと、無断で進行してきたってとこかな」
(大方、武功を立てて現皇王からの評価を上げ、次期皇王に指名されたいとでも考えているのだろう)
「でもそれは失敗すれば独断専行で評価を落とすだけ……最悪処罰もありうる」
いくら皇子とはいえ、軍を勝手に動かし兵を死なせている以上、処罰は免れないだろう。処罰をしなければ国民からの怒りが現皇王に向けられるからだ。現皇王はそれを望まないだろう。
「だからここであなたをエドガーが戦い終わるまで食い止めれば、あなたはおしまい」
おそらくエドガーが戦い終われば、現皇王はエドガーにクリストフ討伐を命じる可能性が高い。国賊として。
そうすればクリストフ派についている貴族はだまるしかない。国を裏切った国賊の一味だと思われれば、自領の民から怒りを向けられかねないからだ。それは貴族としての死を意味する。
そうなれば後継者争いを終わらせることもでき、国内情勢の安定化につながるだろう。
(もしかしたら現皇王はそれが望みで、あえてクリストフの暴走を見逃した可能性もある)
「つまりここであなたを倒さなくても、時間が―――っ!」
『ダマレェェェ!』
そこまで推測したルナだったが、その言葉の数々はクリストフを激高させるには十分であった。
クリストフはルナの首を掴み、持ち上げると首を締め始める。
「く、あ……」
『……もうよイ。生け捕りにして今後の交渉に使うつもりだったガ……ここで死ネ』
(ここまでか……ああ、レンにもう一度会いたかったな……)
ルナは抵抗するのを止めると静かにその時を待った。
『ナんだ、もうおしまイか……?つくづくつまらん女でアったな』
クリストフは腕に力を込めると、ルナに告げた。
『安心セヨ。貴様の遺体は丁重にあつかうとも……そうダナ、まずは四肢を切りおと―――』
その時、バシュュ!!っという音がクリストフの耳に届いた。
「ごほっ、ごほっ」
その音とともに掴んでいたはずのルナが解放され、地面に座り込んでいる。
座り込んでいるルナの前には何故か自分の腕が転がっていた。
『ハ?ナゼ我の腕が落ちているノだ?』
疑問符を浮かべるクリストフは不意に強烈な殺気を感じ、後ろを見やれば―――
「まったく、懐かしい気配がすると思って来てみれば“堕天剣五魔”とはね」
白銀の衣を身に纏い―――
「しかも制御しきれてないじゃないか」
光り輝く剣を手にした―――
「まあ、何はともあれ―――」
双黒の少年が―――
「―――あなたは殺そう」
柔和な顔に笑みを浮かべて立っていた。




