七話
続きです。
「……なんだ、あれは……」
敵騎兵部隊の奇襲を受けているとの報により、第七守備隊を引き連れて駆け付けたラインが呆然と呟く。
彼の疑問に答えられる者はおらず、誰もが同様に呆然と首を上向けている。
視線の先には、城壁を超える身長を持った巨人がいた。
――オォォォォォォオオオオオオオッッ!!
巨人が咆哮する。
信じがたいことに、その激烈な音波によってラインたちの近くにあった建物の窓が粉々に砕け散った。
次いで中に居た人――大帝都の住民が悲鳴を上げる。
その声に、ラインは我に返った。
「っ、第七守備隊に命令を下す!伝令を各大門に向かわせ、第二次防衛線まで下がるよう伝えよ。残りはここを守っていた第三守備隊と協力し、大帝都西側の区画に住まう民を帝城まで避難させるのだ!」
『ライン大将軍!?何をっ!?』
突然前線を下げる命令を下した指揮官に、隊長が動揺の声を上げる。
「あんな馬鹿でかい奴が相手では、城壁も長くはもたないだろう。そしてあいつが城壁を壊してそのまま進撃すれば、大帝都の建物という建物は破壊され、中に避難していた民が圧殺されてしまう!それが分かったらさっさと行動に移れッ!一人でも多く民を救うのだ!」
『ら、ライン大将軍はいかがされるのですか!?』
茫然自失から現実に帰ってきた兵士が問うてくる。
その質問に、ラインは力強い笑みを繕って答えた。
「決まってるだろ。避難が完了するまで巨人を足止めするんだよ」
*****
突如として現れた巨人の威容は南門でも確認された。
『な、なんだよ……あれ』
『魔物……なのか?』
敵味方関係なく、戦いの手を止めて西に立つ巨人を見つめる。彼らの瞳は動揺や恐怖で揺らいでいた。
叛乱軍総大将アルバもまた動揺から眼を剝いていた。
そこに伝令がやってくる。
『アルバ様、前線から報告です。敵守備隊が城壁内に一斉に姿を消したとのこと。おそらくですが後退したのではないかと思われます!』
「後退?…………そうか、あの巨人は少なくとも敵側ではないということだな」
もし巨人が守備側の存在であれば、後退などせずにむしろ打って出てくるはずだ。
奇襲を仕掛けてくるほど好戦的なライン大将軍がそうしない理由はないからだ。
だが――、
「味方であるとも限らないか。知性なき魔物の類であった場合、こちらにも被害が生じてしまう」
どうするべきか、迷うアルバに息子であるラウムが声をかけた。
「父上、ここは一先ず南門を占拠だけして留まるべきではありませんか?何もせずに後退してしまえば、またかと兵士たちの士気が下がってしまう。だから敵が後退した今、一気に仕掛けて南門を得るべきです」
明確な結果――南門を占拠すれば士気の低下を避けられるし、今後の大帝都内部攻略の橋頭保として活用できる。
「その後は兵士を休ませ、巨人の動きを見ましょう。アレがどう動くかでこちらの侵攻ルートも変わってきますからね」
ラウムの言に、アルバは納得だと頷いた。
「……そうだな、わかった。全軍に通達、敵は後退し南門はがら空きだ。今こそ好機、全力で突き進めっ!」
アルバの指示に叛乱軍が動き出す。
大声を上げる父親から視線を外したラウムは西の空に転じる。
「……一体、なんだってんだよ」
何事も事前の予想通りに行くことなどまれだ。特に戦ではそれが顕著になる。
しかし――今回はあまりにも予想外の出来事が多すぎる。
「この戦……本当に叛乱軍とアインス大帝国だけが参戦してるのか?」
何者か、別の意思が介入している気がしてならない。しかも只の人間ではなく、もっと超常の――。
思案していたラウムだったが、景色の変化に目を凝らす。
「あれは……雷?」
視界に映り込んだのは、巨人の足元で輝く紫の光。
そして次の瞬間――巨人の咆哮と雷鳴が同時に天地を揺らした。
*****
天を衝く巨人〝ネフィリム〟に挑む一人の少年がいた。
アインス大帝国の軍服に身を包み、その上から羽織る藍色の外套を躍らせている。
藍玉色の髪を揺らし、同色の瞳に戦意を滾らせていた。
縦横無尽にネフィリムの足を切り裂く剣は紫電を発している。
その様を遥か上空から観察していた〝世界神〟は感嘆の吐息を溢した。
「へぇ~なかなかやるじゃないか。流石は私の創った魔族というべきか――いや、この場合は違うかな」
蓮を監視する目的で創り上げ接触させた姉弟――シエルとライン。
姉の方は予定通りに動いたが、弟の方は様々な要因が重なり合って不具合を起こしていた。
「予想以上にレンを慕っていたこと……いや、それより彼が与えた堕天剣五魔〝堕雷〟の所為だな」
堕天剣五魔。
敵対関係にある〝五大冥王〟が造った魔器。
しかし失敗作の烙印を押されている。神々である彼らが膨大な魔力を注ぎ込んで造った結果、それに使用者である五種族が耐えられなかったからだ。
稀に耐え抜き、耐性を得る者もいたが……。
「彼もそうだったということか。いやはや、現実はままならないものだねぇ」
予定通りに行かなかった。だが、それでも〝世界神〟の表情は悦に歪んだままだった。
「だからこそ面白い。むしろそうでなくちゃつまらない」
絶対なる神として君臨する日々は退屈でしかない。だからこの世界を遊戯盤として、そこに住まう者たちを駒として争わせるのだ。
「戦いこそが至高の遊び。闘争こそが人の本質を暴き立てる」
互いに持てる全てを出し切って激突する様は、見ていて胸躍るものだ。
故に――、
「キミの本性を私にみせておくれ。ネフィリム、反撃を許可する」
嗤って、召喚獣に命令を下した。
*
そんな神の思いなどつゆ知らず、ラインは猛然と攻撃を仕掛けていた。
〝堕雷〟を振るい、巨人の足に切りつける。
膨大な魔力をつぎ込んだ連撃、しかし巨人の体に傷を負わせることは叶わない。
具体的には切りつけた一瞬だけ傷が発生するのだが、直後何事もなかったように再生してしまうのだ。
「くそっ!」
思わず毒づいてしまう。
このままではこちらの体力と魔力が尽きるのが先だと理解しているからだ。
「なら――ッ!?」
一気に仕掛けようと考えたラインだったが、それまでされるがままだった巨人が反撃してきたことで回避を余儀なくされる。
巨人が足を振り上げ――一気に下ろしてくる。
大きさが大きさだけに、ラインは全力で地を蹴ってその場から退避を試みた。
魔力で強化された脚力で大地を駆けて――ギリギリ避けることに成功する。
巨人が踏みつけた場所は一瞬にして陥没し、余波で凄まじい風圧がまき散らされた。
ラインは咄嗟に剣を地面に突き立て、それを支えにすることで吹き飛ばされる事態から免れた。
「……なんて奴だよ」
呻いてしまう。たった一撃、片足を動かしただけでこのありさまだ。
大地は激しく陥没し、生み出された風圧は大帝都の城壁を一部とはいえ破壊していた。
一騎当千の猛者であるラインですら逃げ惑うしかないという現実。まさに絶望的といえる。
だが、
「おれが諦めたらダメだろう」
背後には何万もの大帝国民がいる。ここでラインが巨人を釘付けにしなければ、彼らの命はあっという間に失われることだろう。
それは絶対に看過できない。してはならない。
「今放てる最高の一撃を撃つ!」
守るべき者がいる。背負っているのは無数の命。
武官の頂点にして国家守護の要たる大将軍として――ラインは立ち上がった。
剣を両手で持ち、今ある全ての魔力を結集して。
「オォオオオオオッッ――!!」
全力で地を蹴りつけ跳躍。巨人の両足の付け根を眼前に捉え――〝堕雷〟を振るった。
暴力的なまでの紫電の輝きと共に、激烈な斬撃が繰り出される。
その圧倒的な一撃は巨人の高速再生をはるかに凌ぎ、両足を消し飛ばした。
切り飛ばした、ではない。文字通り一瞬にして消し飛ばしたのだ。
アアアアアァアアアアアアア――
果たしてそれは悲鳴なのか、巨人が苦悶に満ちた声を上げた。
両足という支えを失った巨人が倒れこむ――その寸前に。
「ッ、まず――!?」
徐々に重力に従って降下していくラインの視界に、巨人の顔が映り込んだ。
ソイツは口を開いていて、その口内には夥しい量の魔力が集い、輝いていた。
次に何がくるか、察したラインは焦りの声を上げながら必死に上体を捻る。しかしここは中空。浮いている状態では回避行動などほとんど取れなくて――。
カッと視界が爆ぜた。白光に世界が塗りつぶされて、音という概念が消え失せる。
〝堕雷〟が主を守ろうと残存する魔力全てを使って対処したが――微妙に間に合わなかった。
左半身に極光が直撃し、ラインは錐揉み状態で大帝都の一角へと墜落していく。
激痛を感じ、薄れゆく意識の中でラインは見た――見てしまう。
大帝都の西城壁を吹き飛ばし、帝城をかすめて反対にある東城壁すら消滅させた白い光の奔流を。
(そんな……馬鹿な……)
信じがたい光景を目の当たりにして驚愕しながら、ラインの意識は途絶えた。
*
その光景を見つめていた〝世界神〟は驚きを隠せないのか、片手で口元を覆っていた。
「……まさかネフィリムを一部とはいえ、破壊できるとはね。これは驚いた」
見立てではそれほどの力はないだろうと判断していた。せいぜいちまちま微量な攻撃を加えるのが関の山だろうと軽視していたのだ。
「やはり……面白い。私の管理下から外れたのはむしろ正解だったかな?」
使役する召喚獣がやられたのに〝世界神〟は肩を揺らしていた。
それもそのはず、彼女にとってこの事態もまた退屈な生を彩る娯楽の一環でしかないのだから。
「はははっ…………さて、ネフィリムの自己再生を待たずして攻める手もあるけど――ライン、キミの活躍に免じてやめておくとしよう」
呟いた〝世界神〟は空を浮遊し、大帝都上空まで行くと魔法で声を拡大させた。
「この地に集いしすべての者に告げる。我がしもべたる巨人ネフィリムを破壊したライン大将軍に免じて、明日一日だけ猶予を与えよう。戦う準備の時間だ。逃げようなどと思うな。もしそのような無様を私に見せた場合、即座に先ほどの攻撃が大帝都を襲うであろう。――精々、足掻いてみせろ人族」
絶望を告げた〝世界神〟は哄笑しながら悠々とその場を後にした。
迫りくる夜の兆しを感じさせる暁を背にしながら。
後に残されたのは崩落する城壁の撃音と、人々の悲嘆に暮れる声だった。
次話から前章最後に繋がります。




