六話
続きです。
神聖歴千三十四年二月十日。
籠城戦三日目のことである。
叛乱軍はなんとか士気を取り戻し、再度の進撃に向けて準備を行っていた。
少量ではあるが酒を許したことや、ラウム率いる傭兵部隊が一日かけて大帝都の城壁周辺をうろつきまわって投石がこないことを確認したためだ。
「――それでは、シエル殿は西門へ向かわれるので?」
せわしなく動き回る叛乱軍兵士たちの姿を眺めながら、アルバが怪訝そうに言った。
「ええ、一日失ったのは大きな痛手ですから、こちらも策を弄するとしましょう」
別方面から攻めることで、防衛側の戦力を分散させ、突破しやすくする目的だ。
初めからそうすればよかったと言われてしまえば反論の余地などない。大帝都防衛には一万程度しか配備されておらず、対してこちらは五万の大軍――故に驕っていたといえよう。
もっともそれは叛乱軍の面々だけで、シエルには別の思いがあったが……。
(ダメね。非情になろうとしても、何処か甘さが残ってしまう)
だからこそ、策を弄することを決意した。未練を断ち切るために、確実に勝利を主に奉げるために。
シエルは嘆息すると、アルバに告げる。
「三千ほど連れて行きたいと考えています。許可を戴けますか?」
「構いませんよ。これ以上時間をかけるのは避けたいですから、ここで決定打を打てるのであればそれくらいは出しましょうぞ」
アインス各地から援軍がやってくると予測されるのはあと四日後のこと。
城壁を破り、広大な大帝都を占領しつつ帝城を目指すとなればあまり時間は残されていない。
だからこそアルバはあっさりと許可を出したのだろう。
先の投石攻撃によって五千ほど戦死者や負傷者が出ているが、それを押してでも時間を優先した。
全軍を任される総大将としては適切な判断だと、シエルは思いながらアルバに別れを告げる。
「上手く行けば今日中にでも城壁を突破できるでしょう。南はお任せします」
「任されよ。吉報を期待して待っていますぞ」
その場を後にしたシエルはふと、頭上を見上げた。
空は彼女の気持ちなど欠片も意に介さないと言わんばかりの快晴であった。
*****
正午。
朝方から再開された叛乱軍の攻勢を前に、ラインは不自然さを覚えていた。
(妙に攻撃が激しいな)
戦術こそ同じだが、勢いがまるで違う。城壁にとりつこうとしている叛乱軍兵士たちの表情は決死のものであった。
「…………まさか」
ある仮定に至ったラインに、第七守備隊の隊長が尋ねてくる。
『ライン大将軍、どうされましたか?』
「敵の攻撃が妙に激しい……というか派手だ。まるでこちらの注意を引きつけるためにわざとやってるみたいな」
『……つまり、ライン大将軍は伏兵を警戒為されていると?』
「そうだ。……ここ以外の門から何か報告が届いていないか?」
ラインは奇襲を警戒して主戦場である南門以外の大門にも一千の兵を配置していた。
その際に、少しでも異常が見られたら即座に報告するよう、指示を下していたのだが……。
『特に報告はありませんね。杞憂ではあ――』
『敵襲!敵襲ですっ!』
隊長の言葉を遮るようにして、一人の兵士が詰め所に飛び込んできた。
腕に巻いた布には三の数字。西門の守護を任せていた第三守備隊の者だ。
ラインは息を切らす兵士の肩に手をおいて尋ねる。
「落ち着け……何があった」
『に、西門に敵騎兵部隊が……応戦しておりますが、いかんせん数が多く突破されるのも時間の問題かとっ!』
「数は?」
『およそ三千です』
西門を護る兵の数は一千、対して敵伏兵である騎兵部隊は三千だという。
しかし、いくら奇襲を決めたからといっても、門は鋼鉄製。そうやすやすと突破できるとは思えないが。
ラインの疑念を感じ取ったのか、兵士が続けて報告してくる。
『敵は――大勢の騎兵を使って破城槌を輸送してきまして、そのままこちらの弓矢を意に介さず何度も西門に打撃を加えているのです!そのため門が徐々に破壊されて……っ』
「馬鹿な……敵はそんなにも必死だってのかよッ!」
不可能ではない。
木製の破城槌であれば、騎兵を大量運用することで運ぶことはできるし、そのまま門にぶつけることだってできるだろう。
しかし騎兵の強みである敏捷性が失われ、こちらの弓兵のいい的になってしまうという欠点がある。
それを――、
(多くの犠牲を払っても、短期決戦を望むか……っ)
ラインは指揮官として動揺を見せないために唇を強く噛みながら思案し――即座に決断を下す。
「おれが向かう。今すぐ動ける部隊は――」
『第七守備隊、いつでも行けます!』
ちょうど詰め所にいた第七守備隊の隊長が志願してきた。
「よし、なら第七守備隊はおれについてこい。西門の援護に向かう。この場の指揮権は第六守備隊隊長に委譲する。なお、作戦に変更はない。ある場合はおれが伝令を向かわせる」
『『はっ』』
この場に指示を下し、隊長に頷きを見せたラインは第七守備隊を伴って外に向かった。
「先の奇襲作戦といい……いつも貧乏くじを引かせて悪いな」
とラインが謝意をみせれば、第七守備隊隊長は恐れ多いと首を振る。
『いえ、むしろライン大将軍に頼りにされてうれしく思っていますよ』
軍事国家アインス大帝国において護国五天将――すなわち大将軍の地位に座する者たちは尊敬の対象だ。
時の皇帝から直接選出され、国家守護の要として信頼を置かれる。それがどれほど名誉なことであるか、知らぬ者などこの国にはいないと言っていい。
隊長の言葉に若干の照れを見せつつ、ラインは頼もしいと目じりをやわらげた。
「――なら、おれもお前たちを頼りにすることをためらわないからな。ちゃんとついて来いよ」
『はっ、何処までもお供致します』
そしてラインは第七守備隊と共に、城壁沿いに敷かれた道を軍馬で駆け抜けるのだった。
*****
大帝都西門前では激しい戦闘が行われている。
騎兵が生み出す土煙が辺りを覆い、その合間を縫うようにして怒号や悲鳴といった怨嗟の声が流れていた。
「…………」
そんな光景をシエルは黙って見つめていた。
青き双眸には悲痛な色が浮かんでいる。
(時間がないとはいえ……こんな酷い戦い方を強いることになるなんて)
シエルは魔族であり、人族ではなかったが、それでも兵士が死んでいく様を見届けることは苦痛であった。
申し訳なさや罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
己が主の命令に逆らえないとはいえ、こんなことは決して望んではいなかった。
(私は――……)
この戦いが始まってからずっと続く苦悩。主に逆らえば自分の命はまずないといっていい。しかし、だからといって己が命惜しさにほかの人々の命を奪うことを許容していいのか?
ずっと冷徹であろうと心がけてきたシエルだったが、ここにきてその決心は揺らいでいた。
(ライン、あなただったらどちらを選んだのかな?)
姉であるシエルは既に答えを知っている。正義感が人一倍強い弟は、自分の命よりも人々の命を選ぶであろうと。
(……ライン、私に勇気を――)
胸元を握りしめ、意を決したシエルが配下に命令を下そうと口を開きかけた――その時だった。
「残念だけど、それは反逆行為だね。見過ごせないなぁ」
突如、背後から聞き知った声が聞こえた。
慌てて振り向いたシエルの視界に、外套を羽織った人物が映り込む。
フードを深々と被っており、顔を伺うことはできないが――
「る、〝世界神〟さま……っ!?どうしてここに――」
「それはね、キミのことをずっと監視していたからに決まっているだろう?私はキミの創造主だからね、考えていることくらいお見通しさぁ」
かつて〝道化〟として各地で暗躍していた姿で〝世界神〟がくつくつと嗤う。
対するシエルは突然の主の出現に動揺を隠せないでいた。
そんな彼女に、〝世界神〟が手を向ける。
「自分の命よりも他者を優先するその決意は美しいよ。でもその決意は無意味なものになる。残念だったねぇ」
邪悪さを感じる声に、シエルはハッと気づく。
「まさか――あなたは最初からこうなると見越して……」
「正解~。流石は私が手塩に掛けて創った玩具だ。なかなかに察しが良い」
泳がされていたことを知ったシエルは、もはやなりふり構っていられないと腰に手を伸ばす。
〝聖炎〟の柄に手を掛けた――と同時に体が動かせなくなる。
指先一つ動かせない。表情だけを焦燥に染めたシエルの頭に、〝世界神〟が手をかざした。
「傍観はもうやめだ。ここからは私もゲームに加わるとしよう。手始めに――キミの自我を奪わせてもらうよ」
その方が楽しそうだからね、と喜悦を弾けさせる〝世界神〟の声を聞きながら、シエルの意識はゆっくりと遠ざかっていく。
(レンさん……ルナ陛下……ライン……ッ!)
思い出の中でほほ笑む親しき者たちに助けを求めたが、無情にも決して届くことはなかった。
崩れ落ちたシエルを悦で満ちた瞳で見つめる〝世界神〟。
「ふふっ、結局自分が逆らえない駒だと理解した時のこの子の顔は見ごたえあったねぇ」
希望を抱いた者を絶望に叩き落とす。その時に生まれる快感はとても素晴らしく、思わず濡らしてしまうところであった。
「ああ……実に甘美だ。最高の気分だよ」
とはいえ、これから更に素晴らしいことが待っている。大勢の人々の嘆き悲しむさま、苦痛に呻き、絶望に沈むさまを見ることができるのだから。
すなわち――千年もの間栄え続けた世界最古の都市、大帝都クライノートの破壊だ。
「邪魔者たちは――……まだ遠くにいるね」
銀色に輝く左眼で〝視〟た〝世界神〟は笑みを深める。
おもむろにシエルの傍に屈みこむと――その体が霧散する。
霧状になった〝世界神〟は、シエルの体に入り込んだ。
そしてゆっくりと立ち上がると、掌を何度も開け閉めして調子を確かめる。
「ふむふむ……私自ら創っただけあって、思いのほか馴染むね」
独り言ちて、首から下げていた白い鍵を手にする。
それは空間転移の術理を応用して創った召喚魔法の神器であった。
「さあ、絶望を喚びだすとしよう。おいで――〝ネフィリム〟」
呟いて、虚空に鍵を突き刺しひねる。
瞬間――世界が割れた。
何もなかった空間に亀裂が入り、徐々に広がりを見せる。
その世界の歪みから――巨大な手が飛び出してきた。
次いで胴体、頭部、下半身と亀裂を大きくしてソレが姿を現す。
――ソレは一千メートルを超える身長を持つ――人型の召喚獣だった。
「千年前ならいざ知らず、今の人族で召喚獣を知っている者はおそらくいないだろうねぇ」
知っている者は限られている。
〝世界神〟は双黒の少年を思い浮かべて、喜悦に口端を吊り上げた。
「早く来ないとキミの大事なモノが全てなくなっちゃうよ――レン」
哄笑する主の意思に従い、召喚獣〝ネフィリム〟が進攻を開始する。
世界を震わせる咆哮を上げながら、真っ白い巨体が動き出す。
その姿はまるで神話伝説に登場する〝巨人〟を彷彿とさせるものであった。




