二話
続きです。
大帝都クライノートに鳴り響くけたたましい警報の音色。
それは離れた場所にいる者たちの耳にも入っていた。
「感知されたようですね」
「ははっ、今更遅い。既に我らに手は城壁に届くのですからな」
大帝都を囲むザオバー川の南、そこにかけられていた大橋を占拠した軍勢の先頭で、一組の男女が会話を繰り広げている。
男の名はアルバ・ユーバー・フォン・ダオメン。齢四十七であり、恰幅がよく鎧がはちきれんばかりに歪んでいる。
「さて、大帝都の城壁は堅牢なことで有名ですが……策がおありなのでしょう?シエル殿」
アルバに尋ねられた女性――シエルが頷く。
深々と被っている外套が揺れ、僅かに青髪が覗いた。
「長年戦火に晒されていないとはいえ、大帝都の城壁は補修点検を怠っていませんし、大門は言うに及ばずです」
「無論、理解しているとも。その鉄壁を破るためにわざわざ攻城兵器を用意したのではないか」
ダオメン家の財力に物を言わせて作らせた攻城兵器の数々。
攻城塔、破城槌、投石機――それらは現在、厳重な警備の元、輸送されている。
「しかし、それだけを頼みに攻城戦に挑んでは勝てません。私たちが挑むのは軍事国家アインスの首都なのですから」
時間をかけてしまえば間違いなく敵方に援軍がやってきてしまうことだろう。
東西南北――各方面から援軍が来てしまえば、背後を取られてしまう。
そうなれば大帝都からも打って出てきて挟撃されてしまい、全滅の憂き目にあうことは明らかだ。
「なので――策を弄させてもらいました」
「ほう、それはどのような?」
興味津々な様子を隠さないアルバに、シエルは教えてやる。
「まずは一手、大帝都内に潜伏させていた密偵を動かします」
「ふむ……内部から大門を開けさせると?」
「ええ、その通りです。大帝都は今、混乱の最中にある。生まれた隙は大きいでしょう」
「その隙をついて――ということですな。なるほど、流石は我が同士」
手放しで賞賛してくるアルバを一瞥して、大帝都の方へと向き直ったシエルは思う。
おそらく失敗に終わると。
(混乱に乗じて大門を狙う……でも、敵も大門の重要性は理解しているはず)
打って出てくる気配がないことから、敵が籠城を選んだ可能性が極めて高い。
となれば、籠城の要である大門の警備はたとえ混乱の中にあっても揺るがないだろう。
(やっぱり……コレを使うしかないのかな)
主である〝世界神〟から渡された白い鍵――首から下げられたそれに触れる。
(攻城が上手く行かなかった場合に使えと言われているけど……)
何が起きるのかは知らされていない。ただ一言、頼もしい援軍が来ると説明されただけだ。
(所詮私もあの人にとっては使い捨ての駒でしかない)
そう思えど逆らうことはできない。魔器による加護がある弟とは違い、完全に支配されているからだ。
(ライン……私はもうダメだから――せめてあなただけは、自由な意思の元で生きて……っ)
この想いを口にすることすら許されない。常に監視されており、命令以外のことをすれば即座に処分されてしまう。
故にシエルは努めて無表情を作り、内心を悟られないようにしていた。
視線の先、大帝都からは懐かしい気配――膨大な魔力を放つ存在を感知できる。
避けられぬ運命、逃れられぬ悲劇を前に、シエルは悲しげに目元を伏せるのだった。
*****
警報鳴り響く大帝都では、意外にも大きな混乱は見受けられなかった。
早期にラインが兵士たちに指示を発し、避難誘導を進めたことが功を奏したのだ。
当の本人は今、大門前にいた。
その理由は眼前で転がる外套の集団にある。
『ぐぅ……クソッ、なんで貴様がここに……』
数にして二十、一人を除いて全員が絶命していた。
「混乱に乗じて大門を内側から開ける。攻城戦の常套手段、だからおれも警戒してたんだよ」
『……はは、やはり一筋縄ではいかないか』
諦めの吐息を漏らす男の心臓に〝堕雷〟の切っ先を差し込んで殺す。
血塗られた大門前、唯一立つ少年の元に一人の兵士が駆け寄ってきた。
『ライン大将軍、住民及びその他商人などの避難誘導は順調に進んでおります。このままいけば日没までには完了するかと』
「ご苦労だった。帝城の方はどうだ?」
剣を仕舞い、歩き出したラインに付き従いながら兵士が応じる。
『マリアナ宰相の指揮の下、貴族諸侯の方々の避難が始まっております。バルト軍務省長官など、一部の高官の方々は避難せずに残られるそうです。それとバルト軍務省長官から伝言が』
「なんだ」
『――規定に則って全ての指揮を委ねる。頼んだぞ――とのことでした』
軍事国家アインスでは、大将軍とは宰相と同等の権力を持つ存在だ。
有事の際には宰相をも超える権限を与えられる。
すなわち、バルトの伝言は――、
(全ての兵士、全ての兵器の使用を許可するということか)
あらゆる判断を委ねるということである。
(貴族の連中から反発が無かったところを見るに、あいつらはこの戦いで起きた不祥事全ての責任をおれに押し付けるつもりだな)
あらゆる判断を下せるということは、あらゆる事柄に対して責任を負うということに他ならない。
(貴族連中が何かしでかさないようにしておく必要があるな)
やってもいないことの責任を押し付けられでもしたらことだ。
貴族諸侯の中には女帝に重宝され、早期に出世したラインを妬み、やっかむ者が確かに存在している。
彼らからしてみれば、今回の騒動は良い機会だろう。上手く立ち回ればラインを蹴落とせるのだから。
「帝城内の警備担当である第一守備隊に通達せよ。貴族諸侯の方々から決して眼を離すな――と」
『――はっ!』
それが何を意味するのか、たちどころに悟った兵士が覇気に満ちた声を残して駆け足で去っていく。
腐敗した貴族諸侯を兵士たちが好んでいないという噂はどうやら事実のようだ。
ラインは嘆息を溢して歩みを進める。
向かう先は南の大門の上――胸壁に設置されている詰め所だ。
そこは現在、臨時で第一防衛線の指揮所となっていた。
入るなり、作業の手を止めて敬礼を向けてくる兵士たちに返礼してから作業に戻るよう指示する。
部屋の奥に置かれた大帝都の見取り図の前にラインが立つと、一人の兵士が近づいてきた。
『ライン大将軍、第一防衛線の構築完了致しました』
そう言って書類を手渡してくる。
ラインは素早く眼を通しながら気になった個所を口頭で聞いていく。
「バリスタの設置は?」
『完了しています。ご指示通り、南側に集中して設置し、残るバリスタを胸壁沿いに均等に配置しました』
敵が必ずしも南側からしか攻めてこないとは限らない。数によっては包囲を狙ってくる可能性もあるだろう。
「敵の構成は?」
『元中域五大貴族ダオメン家の当主であるアルバ・ユーバー・フォン・ダオメンを旗頭とした叛乱軍ですが、その数はおよそ五万。見張りの報告によれば破城槌などの攻城兵器も見られたとのことです』
「五万か……多いな」
私兵を禁じられている現状でそれだけの数を集められたことに驚きを隠せない。
『マリアナ宰相曰く、本拠地であるグロースの町に隠していたのではないかと』
「グロースの町にか……確かにそれなら辻褄があうな」
グロースの町は大帝都と並ぶ最古の都市の一つで、その歴史はアインス建国当初まで遡る。
その規模は四つある帝都と同程度で、五番目の帝都と言われるほどである。
五万ならば隠し通せるだろう。なによりグロースの町はダオメン家の権威が強く、皇帝ですら迂闊に立ち入ることができない場所だ。
「……こちらの兵力はどうだ?」
『大帝都守備隊一万のみです』
五万対一万――数でははっきりと劣勢だと分かるが、こちらは防御側だ。
堅牢な城壁、物資の貯蔵も十分ある。
なにより――こちらは数日守り抜けばいいのだ。援軍が到着すれば形勢は一気に逆転する。
(だけど、それは敵も承知のはず。何か策があるに違いない。短期間で大帝都を陥落させれる策が)
ラインは重々しく息を吐いてから言葉を続けた。
「南以外の大橋の様子はどうだ?」
『以前健在です。……やはり包囲の可能性は捨てた方がよいのではありませんか?戦力を南に全て投入すべきかと愚考致します』
大帝都は四方をザオバー川に囲まれている。しかし、川から大帝都まではそれなりに距離があり、軍を展開する十分な広さがあった。
「いや、知っての通り包囲するに十分な広さが城壁外にはある。四つある大門のいずれかでも突破されてしまえば、大帝都は蹂躙されてしまうだろう。その案は危険だ」
『ですが、五万の敵は全て南に姿を見せています。天候も晴れで見通しが良い以上、伏兵の心配はないのでは?』
「それはそうだが……万が一ということもある。こちらの戦況が危なくなった際にのみ、他の大門から増援を寄こすように指示する」
この世界には神器や魔器といった超常の力が存在する。
それらを所持した単騎が攻めてくる可能性も十分に考えられる以上、最低限の戦力を配置しておくべきだろう。
「第一守備隊には引き続き帝城の守護を任せるものとする。第二は東、第三は西、第四は北――それぞれ任せよう。第五には大帝都内の避難誘導を任せ、終わり次第こちらに向かうように指示せよ。残る守備隊はここで防衛戦の準備を行うように」
指揮所全体に伝わるよう、大声で指示を下したライン。
「なんとしても城壁を死守せよ!ここを突破されれば、大帝都の民が危険に晒される。そのような事態、我ら大帝国の兵士が許さぬと敵に教えてやるのだッ!」
『『オウッ!!』』
士気は十分。ならば後は負けぬ戦をするのみだ。
ラインは指揮所の窓から外の様子を伺う。
夕日が地平線に沈みゆく姿を背景とした、総勢五万の軍勢が迫っていた。




