十話
続きです。
オルティナ・メールは宿敵であるガイウスがいる敵軍を睨みつけていた。
日天の下、向かい合う軍勢がとる構えはそれぞれ別種のものである。
「向こうは完全に受けの姿勢ですね……」
副官フィリルが嘆息交じりに呟く。
ガイウス軍はトレーネの町を背に、三陣で構えていた。
第一陣五千は重装歩兵で構成され、そのすぐ後ろに弓兵の第二陣五千がいる。
そのまた後ろに本陣があり、一万の軽装歩兵が待機していた。
残り一万は予備軍であり、戦況によって変則的に動けるようになっている。
「そうだな……これでは迂闊に攻められない」
第一陣最前列は長槍部隊であり、騎馬で突撃しようものなら、こちらの得物が相手に届く前に馬を刺殺されてしまう。
仮にそれを突破したとしても、今度は大盾を持った重装歩兵に守られた弓兵に射抜かれてしまうことだろう。
「加えてこの積雪では、騎兵の突破力は著しく減退してしまいます。どうしましょうか……」
頭を悩ませるフィリル。
そんな彼女とは対照的にオルティナの表情は晴れ晴れとしていた。
「フィリル、それは馬鹿正直に兵士だけで戦った場合だ。こちらには魔器がある」
言って、腰に吊るされていた細剣の柄に手を置いた。
「それにこちらには〝戦乙女〟がついている。彼女に付き従う勇猛な騎士団もな」
この世界において、戦の勝敗を決めるのは兵力や戦術だけではない。
それらすらも凌駕し、無意味と化してしまう存在があるからだ。
神器や魔器といった常識の枠外の力である。
『オルティナ様、アインス側から準備が完了したとの伝達がありました』
「そうか、ご苦労だった。フィリル、合図を」
伝令からの報告を受けたオルティナが指示を出せば、大旗が天に打ちあがった。
整然と並ぶ五つ星、囲むは四十五の小さな星々。エーデルシュタイン連邦の国旗である。
「太鼓を打ち鳴らせ、角笛を吹き鳴らせ!敵の眼をこちらに引き付けろ!」
大音量を発しながらゆっくりと前進を開始するメール軍二万。
本陣に五千を残し、残りは全て重装騎兵で構成されている。
「フィリル、本陣の指揮は任せたぞ」
「はいっ!大役、果たしてご覧にいれます!」
意気込む副官を残し、オルティナ自身も最後列に加わる。
その視線は西に向いていた。
「頼んだぞ……ルナ殿」
*****
オルティナの視線のはるか先では、ルナ率いる〝月華騎士団〟が駆けていた。
三千全てが騎兵である。
「皆、ついてきてる!?」
白い息を吐きながら声を張り上げるルナ。
答えるはアロイス以下〝月華騎士団〟の面々であった。
『オオオオオオォォォ――!!』
不慣れな雪道であるにも関わらず、全員が馬を巧みに操り駆けていた。
まったく、頼もしい限りだとルナは微笑みを溢す。
「陛下、まもなく接敵しますっ!」
副官にして近衛隊長アロイスが報告してきたことで、ルナの意識が前方に集中する。
敵は気付いていたのか、事前に予想していたのか、慌てた様子もなく部隊の一部をこちらに向けてきた。
――予想通りだ。
「敵軍、こちらを迎撃する構えです!」
「速度はそのまま、突破する!」
そう指示したルナが一人、突出する。
駆ける軍馬の上で、喚びだした〝翠帝〟の弦を引き絞れば、半透明な風矢が顕現した。
「射抜け――〝翠帝〟!」
気迫と共に放った風矢は、ルナの手を離れた瞬間に一気に加速。凄まじい風圧を伴って敵に襲い掛かった。
『なん――ゴアァ!?』
敵にできたのは悲鳴を上げることだけ。
ルナが放った風矢は、重装歩兵がどっしりと構える大盾を貫通し、後方で弓矢を準備していた兵士たちをも貫通。そのまま東の方へと突き抜けて行った。
更に風矢が周囲に放った風圧で、数多くの敵兵が吹き飛ばされていく。かなりの重量を誇る鎧を纏っているはずの重装歩兵が天に打ちあがる様は、何の冗談だと、被害にあっていない兵士たちが唖然とする。
そこに、
「突撃ッ!」
〝翠帝〟を剣状態へと移行させたルナを筆頭に、〝月華騎士団〟が襲い掛かった。
風矢によって空いた大穴を更にこじ開けるようにして突き進んでいく。
得物が届く範囲にいた敵兵を蹴散らしながら一気に駆け抜ける。
このような混乱状態に陥ってしまった際には、指揮官が場を収束させるのが戦の常である。
案の定、敵指揮官が出張ってきた。
「うろたえるな!こちらの方が数は上、態勢を整えれば容易く撃退できますよ!」
ほのかに紫光を放つ剣を振りかざし、指示を下す姿はなかなかに立派と言える。
戦意を回復させることには成功するが……それではいい的だ。
「見つけた……っ!」
「む!あなたはっ!?」
ルナが馬から飛びおり翠剣で切りかかれば、指揮官が手にしていた剣で応戦してくる。
「陛下をお守りしろ!」
アロイスの指示の元、〝月華騎士団〟がルナと指揮官を囲むようにして方円陣を形成する。
馬を走らせ続け円を作り、誰も手出しできぬようにした。
「はっ、こんな無謀、すぐに瓦解して終わりですよ!」
剣戟の応酬の最中に嘲笑を向けてくる敵指揮官。
確かに勢いで場を荒らすことには成功したが、このまま敵陣のど真ん中で立ち止まっていれば、いずれ蹂躙されるのは明らか。
現に予備軍一万がこちらに急行している姿がルナの視界の端に映り込んでいた。
しかし――ルナが浮かべた感情は焦燥などではなかった。
「私たちに気を取られていてもいいの?」
「……なに?」
疑問符を浮かべる指揮官だったが、直後響き渡った絶叫に思わず意識を逸らしてしまう。
それは覇彩剣五帝所持者を前に無謀と言える行為だ。
「どこ見てるの?」
「え、あ――ギャアア!?」
翠剣の刃が指揮官に噛みつく。直前に体を逸らしていた甲斐があって、致命傷は避けれたが、左腕が斬り飛ばされた。
宙に浮く腕、舞い散る鮮血が生々しい。
ルナは返す刃で今度こそ命を絶とうとしたが――、
「な……めるなァァ!」
「っ!?どこにそんな力が……!?」
指揮官は無事だった右腕を振り、手にしていた剣を横薙いだ。
結果、回避行動を取らざるをえなくなったルナが後退する。
鮮血噴き出す左肩を、剣を手にしたまま押さえた指揮官が、憎悪に染まった視線を向けてくる。
「一体、何をしたッ!」
「……あなたたちは私が本命だと思っていたみたいだけど、それは間違い。本命はオルティナ殿の方」
覇彩剣五帝所持者であるルナを警戒するのは当然のことで、何らかの対策が取られていることは明白だった。
だから、ルナはそれを逆手にとった。自身を囮として、派手に動くことで敵兵の意識を一身に受ける。その間に注意の薄れたオルティナ率いるメール軍による突撃が、第一陣を襲ったのだ。
「第一陣も、第二陣も、私の方に注意を向けすぎた。結果的にメール軍に背中を見せてしまうほどに」
メール軍の前進速度が遅く、距離が十分に空いていたために、眼前の危機は横合いから突撃してきた〝月華騎士団〟の方だと決めつけてしまっていた。
そこに突撃を合図と定められていたメール軍本隊――騎兵が一斉に駆け出して、一気に距離を詰める。
異変に気が付き、向き直った第一陣が襲われたというわけだ。
「はは……まさかアインス大帝国の皇帝を囮にするとは…………考えもしませんでしたよ」
乾いた笑い声を発する敵指揮官だったが、直後顔つきを狂的に歪めた。
「ふざけるなッ!貴様如きに――女如きにィ!負けるものか!」
そして剣を地面に突き刺し、右手で懐から奇妙な粒を取り出し、躊躇いなく口に入れた。
次の瞬間――、
「ぐ、お……オオオオオオオォォォォ!!」
鼓膜を震わせる咆哮を放ち、指揮官の体が変貌していった。




