九話
続きです。
正午。
ガイウス派三万と、オルティナ派並びに援軍である〝月華騎士団〟二万八千の軍勢が向かい合った。
場所はトレーネの町近郊。
雪は止みはしたものの、未だ降り積もったままだ。
ガイウス派の陣地――その最奥に置かれた大天幕では、ガイウスとアルムが会話を繰り広げている。
「ふむ、それでは北方の都市から援軍が来ると?」
「ええ。ですからたとえこの戦で負けたとしても問題ありません。すぐさまトレーネの町まで退却し、援軍を待てばよろしいかと」
未だどっちつかずであったエーデルシュタイン連邦北方の都市群が、ガイウス派につくと先の祝宴で言ってきたのだ。
その援軍が到着すればオルティナ派の倍の兵数が援軍としてやってくるのはほぼ確実。
故に迎撃のために出撃したこの状況で敗色が濃厚になったとしても、トレーネの町の城壁を頼りに籠城していれば勝利は確実と言えた。
「ならば今すぐにでも引き返した方がよいのではないか?」
不安げに語気を弱めるガイウス。
対してアルムは強気の姿勢を崩さなかった。
「いえ、それでは不味いのです。二万八千をそのまま放置しておけば、トレーネの町は完全に包囲されてしまう。そうなれば援軍との意思疎通がうまくできなくなってしまいますから」
戦においてタイミングというものは重要だ。
上手くかみ合えば寡兵で精強な軍隊を打ち破ることができるが、そうでなければ逆に蹂躙されてしまうだけ。
援軍と協力して挟撃するにしても、こちらから打って出るタイミングを誤れば各個撃破されるだけだ。
そうなればいくら数で優っていようとも、敗北もあり得てしまう。
「だからこそ、ここで敵の数をある程度減らしておく必要があるのです。籠城した際に、外と連絡が取れるよう、包囲を緩めるために。それに出撃したことで、敵の眼を欺くこともできるでしょう」
援軍が来ることを悟られぬようにする目的もあった。
逃げられては困るのだ。相手に勝てると思わせておく必要がある。
「……ふむ、まあそうだな。しかしここで勝てばその必要もなくなるのだろう?」
「勝てれば、ですよ。二千程度の兵力差であれば、覇彩剣五帝所持者を有する向こうの方が上だと私は思っていますから。……恐らく籠城する羽目になるかと」
アインス大帝国の女帝ルナ・レイ・スィルヴァ・フォン・アインス。
三年より前からその武勇は広く知れ渡っている。
大帝国内で発生した反乱や第一次宗教戦争の際の活躍は、南大陸の北東に住まうガイウスたちですら聞き及んでいる。
それになにより、彼女はアインス千年の歴史において初の女帝だ。
「ふんっ、女があのアインス大帝国の皇帝としてやっていけるとは到底思えないですな。どうせ数年のうちに失脚するに決まっている」
ガイウスが苛立ち交じりに荒い息を吐けば、アルムも頷いた。
「……まあ、私もそう思いますがね」
神聖歴千三十四年現在、この世界では男尊女卑の考えが主流であった。
戦によって国家の命運を決める時代では兵士が必要不可欠だ。
そして兵士とは、女性よりも体格や膂力に恵まれた男性がなるものであり、女性はもっぱら家事に従事するか、貴族であれば政略結婚の駒である。
故に出世するのはほとんどが男性となるため、必然的に男尊女卑の考えが主流のままなのであった。
「……それよりもだ。ウラノスの件だが――あいつは利用できるのだろうか?」
「先ほども言っていたじゃありませんか。協力を惜しまないと」
「それは勝てた場合だろう?貴殿が考えた策が上手く行けばだ」
「そんなに心配なさらずとも大丈夫ですよ。こちらに援軍の当てがあるのに対して、向こうにはない。それどころか、今回の戦に連れてきた兵で全部です。余力がない敵に、こちらが負ける道理はないですよ」
アルムの言葉に安堵の息をはくガイウス。
「ならば安心だな。戦後はウラノスを使って更に資金と協力者を集め、我らがエーデルシュタインの代表となれば、周辺諸国とて認めざるを得ないだろう」
「その通りです。ふふ、周辺諸国が媚びへつらってくる光景が目に浮かびますよ」
二人の視線は既に戦後に向いている。完全に勝った気でいた。
だが、所詮直接ルナの姿を目にしたことのない二人には想像できなかった。
――たった一人が、戦局を左右するなどとは。
*****
その頃、ルナは〝月華騎士団〟の兵士たちと共に、馬に蹄鉄を装着させていた。
アインス騎兵の本領を雪道でも存分に発揮するためである。
『陛下、オルティナ殿から伝達です。――まもなく進軍を開始する。後は軍議のとおりに――とのことです』
「了解したと伝えて」
『はっ』
立ち去る伝令兵から視線を外したルナに、アロイスが話しかけてきた。
「それにしても、敵に余力はないのでしょうか。迎撃自体が囮という可能性もありますが……」
「私もそれを懸念した。だけど――問題ない。敵の援軍はない」
「……何か確証があるので?」
疑問符を浮かべる副官に、ルナは複雑な笑みを向けた。
「密告があった。トレーネの町から」
「なんと!?いつの間に……」
「昨日の夜に……ね」
驚愕するアロイスから視線を外したルナが、軍服の衣嚢に忍ばせた一通の手紙に片手で触れる。
(どういうつもりなの、レン……)
昨夜、ルナの天幕を訪れた訪問者がいた。
援軍がないと密告してきたその者は、自らを〝黒天王〟の使いだと名乗った。
〝黒天王〟――すなわち蓮だと確信しているルナからすれば、驚きの一言であった。
戦死を装ってまでアインスを離れたかと思えば、突然こちらの利になる行動を取ったり……本当にどういうつもりなのかと首を傾げてしまう。
(あなたの本心、いずれ聞かせてもらう)
この戦が終わった時にでも会う機会があることだろう。
その時に問い詰めてやると、ルナは意気込んだ。
なにより――、
(もう一度会える……レンに……!)
一度はもう二度と会えないと絶望した。
それがもしやと希望を抱いたのだ。希望が本物であると確認することができるのを楽しみにしていた。
違うと現実を突きつけられる可能性もあったが。
(それでも、私は信じてる)
ルナがトレーネの町の方を向いた時、勇壮な角笛の音色が聞こえてきた。
*****
「始まったか」
角笛の音色はトレーネの町にいる蓮たちの耳にも届いていた。
「キール、ルナの元に向かわせた密偵は?」
「無事、何の問題もなく帰還したぜ陛下」
「マーニュ、北方の都市代表からの返書は届いたかい?」
「ほら、来てるわよ」
マーニュから手渡された複数枚の書状に素早く目を通す。
その内容に、蓮は笑みを浮かべた。
「その様子だと上手く行ったみたいね?」
「ああ、彼らが忠義などない、金銭で動く商人で助かったよ」
二人が会話をしている間に、窓から密偵が入り込んできてキールに耳打ちしていた。
役目を終えた密偵が入ってきた窓から出ていくなり、蓮は尋ねた。
「〝天軍〟の件だろう?」
「そうだ。こちらに急行中、とのことだ」
すっかり蓮たちが協力すると確信しているガイウスから、国境通過の許可証を得るなり、早馬を飛ばしたのが三日前。
既に〝天軍〟は国境を越えてここトレーネの町に向かっている最中だ。
「それで、〝天軍〟を待ってから動くのか?」
「いや、今回彼らの出番はない。あくまで彼らは保険さ」
〝天軍〟を参戦させるまでもなく、この戦いの結末は見えている。
(いや――僕らが結末を決定づけると言った方が正しいか)
鬼面の位置を整えながら、蓮は告げる。
「動くのは戦いの趨勢が決まってからだ。ガイウスらが町に退却してきたその時こそ、僕たちの出番となる」
いいね?――と確認をとれば、キールとマーニュは頷きを以って返事とした。
そんな二人から視線を外した蓮は、窓から町の外を〝視〟る。
膨大な神力を発する気配を感じ取り、自然と微笑みを浮かべていた。
(お膳立ては整えた。後はキミ次第だよ――ルナ)
近づいてきた再開の兆し。
蓮は待ち遠しいといわんばかりに、虹彩異色の双眸を渇望で満たした。




