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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
七章 希望と絶望の狭間で
158/223

十七話

続きです。

 「はあ、はあ――……」

 解放した〝翠帝〟の力を抑え込んだルナは、地面に降り立つなり荒い息を吐く。

 (想像以上に体力を持っていかれた……)

 〝天孫降臨〟という奥の手。初代皇帝リヒトに教えてもらった、創造主である〝世界神〟すらも知りえない覇彩剣五帝の真の力の解放は、著しく体力を消費するものであった。

 (使いすぎれば寿命さえ縮めてしまう諸刃の剣……濫用しないようにしないと)

 眼前の大地に倒れ伏す女性――オティヌスの胸に視線を向ければ、微かに上下していることが分かる。

 そう、ルナはオティヌスを殺さなかったのだ。

 (甘いと指摘されるだろうけど……)

 それでも、この道を往くと決めた。血塗られた〝覇道〟を往く彼と同じ道を歩んでいては救えない。血と死で彩られた道ではない道を――〝王道〟を歩まなければならないと考えているからだ。

 とその時、大きな歓声と悲鳴が同時に聞こえてきてルナは顔を上げる。

 敵軍の後方から迫る騎馬の群れを見て取った時、ルナは作戦が成功したことを悟った。

 (レオンやティアナが上手くやってくれたみたい)

 アインス騎兵による敵本陣陥落、及び敵本軍を背後から強襲する策が成功し、包囲殲滅陣が完成したのだ。

 (なら後は……)

 再びオティヌスに視線を向けたルナだったが、直後聞きなれた声が耳朶に触れたことで振り返る。

 そこには凄惨な戦場に似つかわしくない侍女姿の少女――シエルが立っていた。

 (何故ここに……?)

 疑問が沸き上がったが、口にするより早くシエルが話しかけてくる。

 「……ルナ殿下、ご無事でしたか」

 「うん、私は大丈夫。それよりシエル、ここは危ないから早く後方に――」

 ルナが言い終える前に、シエルが走り寄ってきて抱き着いてきた。

 突然の事に驚くルナはシエルの無感情な、それでいてどこか悲しげな声を聞いた。

 「……ごめんなさい」

 「え?何を――」

 直後、腹部に熱い感覚を覚えたルナが言葉を途切れさせる。

 何が、と視線を落とせば――突き刺さる短剣が視界に入ってくる。

 「あ、ぐ……な、なんで……っ!?」

 事態を認識した瞬間、想像を超える痛みが押し寄せてきた。物理的な痛みだけではなく、裏切られたという精神的な痛みも合わさって、ルナは表情を歪めた。

 後ろに倒れる体と並行して短剣が生々しい音と共に抜ける。吹き上がる鮮血、虚ろな眼差しでシエルを見たルナは、彼女が涙を流していることに気が付く。

 「ごめんなさい。こうするしか……私には、それしか……」

 震える掌で短剣を逆手に持ち替えたシエルが、弱々しい声音で呟く。

 主の危機に覇彩剣五帝が反応するのは当然で、地面に転がる〝翠帝〟が一瞬輝き、風を生み出してシエルを吹き飛ばそうとする。

 「邪魔はさせませんよ」

 突如として虚空より現れた外套の人物によって防がれてしまう。

 その人物が片手をかざす――と〝翠帝〟が沈黙してしまった。残る手でシエルの頭を優しく撫でながら、ルナに嘲笑の色滲む視線を向けてくる。

 「よくやりました、私のお人形――今はシエルでしたっけ?まあ、どちらでもいいですけど」

 「……〝聖女〟様」

 〝聖女〟と呼ばれた人物は、シエルから短剣を奪うとルナの元に歩み寄ってくる。

 「さてさて、あなたたちが覇彩剣五帝の真の力を引き出せるとは思ってませんでしたが……私の手札は他にもあったということです」

 「う……」

 出血が酷い。体を動かすことは叶わず、意識を保つのがやっとといったところである。

 (勝利したと思ったのに……やっと彼の背中が見えてきたところなのに――)

 悔しさ、悲しさで涙が零れ落ちる。それに気づいたのか、〝聖女〟が哄笑した。

 「はははっ、いい顔ですね!たっぷり絶望してください、お兄様を誑かした罰ですよ!」

 苦痛を長引かせたいのか、彼女は歩幅を緩め、ゆっくりとした足取りでやってくる。

 『ルナ殿下!今お助け致しますぞっ!』

 「邪魔しないでください。今いい所なんですから」

 事態に気づいた味方が駆け寄ってくるも、〝聖女〟が片腕を振っただけで上半身を消し飛ばされてしまう。

 まさに鎧袖一触。近づくことすら許されない。

 それでも司令官を救おうと、連合軍兵士たちは果敢に立ち向かい――殺されてしまう。

 絶望が訪れた場に、

 「何やってんだよ、姉ちゃん!」

 溌剌な声が響き渡る。

 ルナが必死に頭を動かして見れば、駆け寄ってくる兵士たちの合間に青髪の少年の姿を認めることができた。

 (ライン……来ちゃダメっ!)

 忠告すべく声を発そうとするも、口から出てくるのは血泡だけ。

 少年――ラインは〝聖女〟の不可思議な攻撃を、紫光纏う剣で切り伏せると跳躍、そのまま切りかかった。

 「ルナ姉から――離れろぉおお!」

 「っ!?あなたは――」

 驚愕を浮かべる〝聖女〟は咄嗟に後方へ跳躍、シエルの隣まで下がった。

 その隙にルナに駆け寄ってきたラインが声をかけてくる。

 「ルナ姉、しっかりしろ!」

 「ぐ……わ、私はいい。そ、それより――シエルを……」

 「……分かった。衛生兵、ルナ殿下を――ッ!?」

 大声を発して顔を上げたラインが見たのは、周囲を囲む光の壁であった。ラインの後に続こうとした兵士たちは、その壁に阻まれこちらに近づけないようである。

 「これ以上邪魔はさせません。あなたも私の邪魔をしてはなりませんよ」

 「お前なんかの言うこと聞くわけないだろ!それより姉ちゃんを返せ!」

 「人形の分際で何故命令に逆らえる――……まさか、その武器はなんですか!?」

 〝聖女〟が詰問するも、ラインは答えない。故にシエルに命じて答えさせた。

 「シエル、あなたの片割れが持つあの武器はなんですか?」

 「答える必要ねえよ、姉ちゃん!!」

 「……堕天剣五魔〝堕雷〟(ベリアル)です」

 ラインの呼びかけむなしく、シエルが答えてしまう。

 「なるほど、魔器ですか。どうりで私の仕掛けた仕組みが作動しないわけです」

 なら、と〝聖女〟が虚空から切っ先の無い剣(、、、、、、、)を取り出してシエルに渡した。

 「あなたが相手をしなさい。不出来な弟を教育するのは姉の務めでしょう?」

 「……了解、しました」

 ぎこちない動きで剣を手に、ラインと対峙するシエル。

 「どうしてだよ……なんでだよ、こたえてくれよ、姉ちゃん!」

 やるせない表情で叫ぶ弟に、シエルが感情を押し殺した声音で返す。

 「……あなたこそ、本来の使命を思い出すべきよ。私たち姉弟が創られた(、、、、)目的を思い出せば、あなたもきっとこちら側に立つ」

 「わけわかんねえよ!はっきり言えよ、姉ちゃん!!」

 「なら言うわ。こちらに来なさい、ライン。あなたのいるべき場所はそこにはない」

 冷酷な口調の姉に、ラインは戸惑いを消して応じる。

 「……断る。今の姉ちゃんはおかしくなってる。おれはルナ姉を守って――姉ちゃんを取り戻すだけだ!」

 明確な拒絶、聞いたシエルが剣を構えた。

 「だったら――力づくでも!」

 「っ!?」

 平時からは想像もつかないほどの俊敏さで距離を詰め、剣を振り下ろしてきたシエルの一撃を防ぐライン。その表情は驚愕で満たされていた。

 「一体、どこにそんな力が!?」

 「忘れたの?魔族なのはあなただけじゃないのよ」

 一合、二合、三合と激しい打ち合いが続く。火花が散り、姉弟の必死な表情を照らしだす。

 どちらも苦しげであり、この戦闘が本意ではないと伝わってくる。

 そんな姉弟同士の戦いを後目に、〝聖女〟が再びルナの眼前までやってきた。

 「ふふ、相争う姉弟、実に美しい光景です。あなたもそうは思いませんか?」

 「……だ、まれ…………下種が」

 温厚なルナが罵るほどに怒りで支配されていた。そんな彼女を見て〝聖女〟は笑いを強めるだけ。

 「ははっ、いい表情です。でも、そろそろ意識が持たないでしょう?だから意識があるうちに殺してあげます――その方がより絶望してくれるでしょうから」

 いつの間にか手にしていた神々しい剣を振りかざす〝聖女〟。

 「まずっ……どけよ、姉ちゃん!」

 事態に気が付いたラインが必死に訴えかけるも、シエルが剣を収めることはない。

 光壁の外では兵士たちが決死の表情で壁に攻撃を加えてなにやら叫んでいる。

 薄れゆく視界、途切れゆく意識の中で、それらを認識したルナは――それでも諦めることだけはしなかった。

 (レン……私は――ッ!)

 「さようなら、皇女さま」

 振り下ろされる剣を最後まで見つめ続けるルナの耳朶に――、

 

 「それは許容できないな」


 ――恋焦がれ、渇望し続けた声が触れた。

 続けて視界に火花が散る。

 〝聖女〟の凶刃が弾かれたのだと理解し、次いで視界に入ってきた姿に涙がこぼれる。

 (ああ――やっぱり生きて……)

 揺れる黒衣、この世界でただ一人持ちえる同色の髪を見ながら、ルナは静かに意識を手放した。


 *****


 時は少し遡る――。

 ルナがオティヌスと死闘を繰り広げていた頃、アイゼン皇国陣地に連合軍本陣から伝令が訪れていた。

 『こちらの右軍が敵の背後をとることに成功したようですが、敵左軍は当初の見積もりとは裏腹に、こちらに向かってきているとのことです』

 開戦前の予想では、敵左軍は突破した右軍を追いかけるというものだったのだが、実際には本陣へ突撃してきているとのことだった。

 「なるほど、私たちをこのまま腐らせておくのも政治的に良くないですから迎撃しろと。どうしましょうか、ウラノス副官?」

 どこか楽しげに告げるミルトに、鬼面の男――蓮は頷きを見せた。

 「出陣しましょう、ミルト女王陛下。万が一にでも本陣に食いつかせるわけにはいかないので」

 「ふふ、参謀であるあなたがそうおっしゃるなら。でも報酬は後できっちりと請求させていただきますよ」

 どこか距離感を図りかねる二人に困惑していた伝令だったが、ミルトが了承の意を示したことで立ち去って行った。

 軍馬に騎乗したミルト。蓮もまた戦友である黒馬に乗った。

 二人を先頭に隊列を整えたアイゼン皇国軍の視界に、天秤の紋章旗を掲げる軍団が映り込む。

 ミルトが腰から青く透き通った剣を抜き放ち、天に掲げた。

 「さあ、わたしたちの出番です。敵は一度勝利したエルミナ聖王国軍、恐れることはありません。彼らは所詮、わたしたちの足元にも及ばない弱兵なのですから」

 続けてその切っ先を迫りくる敵軍に向けて号令を発する。

 「〝王〟の御前です。許しもなく謁見を求める無礼者を成敗するのです!」

 とても号令と呼べるものではなかったが、アイゼン皇国軍の士気は爆発的に上昇した。

 『女王陛下万歳!我らが〝王〟の元へその名を届けよ!!』

 

 次の瞬間――両軍は激突した。


 勢いに乗って激突したエルミナ聖王国軍だったが、予想に反してアイゼン皇国軍の防御が堅かったために突破できないでいる。

 ある者は矢に射抜かれ、ある者は落馬して蹄に踏みつぶされて派手に脳漿をぶちまける。

 怨嗟が次々と生み出されては消えていく。ある種の熱狂がそこにはあった。

 だが、そんな戦場にあって静寂が漂う奇妙な空間があった。

 空間の主は鬼面の男――蓮である。

 佇む彼の足元には夥しい量の死体が転がっている。鮮血で濡れた大地は赤一色で染まり切っていた。

 その様子をエルミナ兵たちが遠巻きに見ている。彼らの顔に張り付いた感情は――恐怖だ。

 戦端を切ってからわずか数分でこの惨状を生み出した化け物に対して畏怖を抱いている。

 蓮は彼らに一瞥もくれずにある一点だけを見つめていた。その方角ではちょうどルナがシエルに奇襲を受けていたのだが、彼がそれを知る由もない。

 けれど、奇妙な感覚に包まれてはいた。己が持つ魔力と対なる力である神力を感じ取ったからだ。

 (この気配……反乱の時と似ているな)

 胸がざわつく。今すぐいかなければならないと訴える感情と、そんなことはどうでもいいと告げる理性との板挟みで思考が絡めとられる。

 (後悔だけは……したくない)

 かつての失態を思い出し、苦い表情を浮かべる蓮。

 そんな彼にミルトが近づいてきた。

 「どうかしましたか?」

 「……すまない、ミルト。ここは任せる。急用が入ったんでね」

 即決即断した蓮はクロを呼びよせ騎乗すると、返事を待たずに駆け出した。

 後に残されたミルトは仕方がないと言わんばかりに肩をすくめていた。

 『な、なんだ――ッッ!?』

 「邪魔だ」

 突如として駆けてきた黒馬に驚く敵兵を一蹴しながら突き進む。

 跳ね飛ばし、一刀で切り伏せ進めば、黄金の光壁に包まれた空間が見えてくる。

 目を凝らして内部を窺えば、血だまりに倒れ伏すルナと剣を振り下ろそうとする外套の人物が見て取れた。すぐ傍ではラインとシエル――姉弟が戦っているというありえない光景も見えたが――、

 (ルナ……っ!)

 己にかすかに残る人間としての感情に従い、クロの背を蹴って跳躍。壁が及んでいないほどの上空まで上がると、一気に降下した。

 そして、

 「それは許容できないな」

 と告げながらルナに向かって振り下ろされる凶刃を黒刀で弾き、返す刃で切りつけた。

 「くっ!?」

 外套の人物は驚きながらも手にする剣で防いで距離を空けた。

 しばし訪れる静寂。姉弟が奏でる剣戟の音色だけが耳朶に触れた。

 (あの剣、それに外套に刺繍された紋章は……)

 見覚えのある装備に嘆息しつつも口を開いた。

 「もうこんなことはやめないか、シャルちゃん」

 「やはり、そうなのですね。生きていましたか、お兄様」

 千年の時を超えて邂逅した義兄妹。けれど互いの想いは別種であり、温度差が激しかった。

 「ああ、お兄様!ずっと……ずっとこの時をお待ちしておりました」

 「そうかい。けど僕としては待っててもらう必要はなかったよ。僕はキミが罪を犯してまで千年も待つような価値がある人間じゃないからさ」

 「そのようなことはありませんっ!お兄様はこの世界で一番、価値のあるお方ですよ!」

 力説する〝聖女〟――シャルルに、蓮ははっきりと告げる。

 「言っておくけど、キミの想いに応えることはできない。これまでも、これからもね」

 「……何故ですか。お姉さまが忘れられないのですかそれともその女の所為ですかッ!」

 わめき散らすその様は、狂気に支配されているとしか言えない。

 しかし、彼女をこのようにしてしまった責任は少なからず自分にもある。

 (力づくで昏倒させて、それから時間をかけて説得するしかないか)

 蓮は覚悟を決めると、黒刀の切っ先を彼女に向けた。

 「悪いけど、今は時間がない。力づくでもキミを連れて行くよ」

 「それはこちらの台詞です。私がお兄様をお連れします」

 一触即発、互いが放つ強烈な覇気が空間を歪めていく。

 そんな場に――、

 「取り込み中悪いね。けど、ここは退かせてもらうよ」

 突如として響き渡る声。

 シャルルの背後の空間が割れ、中から手が伸びて彼女の腕をつかんだ。

 「〝世界神〟(ルミナス)!?」

 「少し手違いをしてね、不覚をとってしまったんだよ。態勢を整えなおすから、キミも来るんだ」

 「いやです!せっかくお兄様に会えたのに!!」

 叫ぶシャルルを無視して、手が彼女を引きずり込んでいく。

 「やっと姿を現したか〝世界神〟。僕がキミを逃がすとでも?」

 蓮が魔力を滾らせながら言えば、飄々とした声が返ってくる。

 「逃がすことになるよ――シエル!」

 呼び声に反応したシエルが、切り結んでいたラインを魔力で吹き飛ばして駆けてくる。

 刹那に距離を詰めてきた彼女が一閃、蓮は咄嗟に黒刀で防ぐ。

 しかしその一撃は偽装で、本命は別にあった。蓮の不意をついたのだ。

 シエルは走る速度を緩めず自らの剣を黒刀の上に滑らせる。これにより回避行動を取らざるを得なくなった蓮が大地を蹴りつけて距離を空けた。

 体勢を整えた蓮が見たものは、虚空に消えるシャルルとシエルの姿であった。

 「逃がすか!」

 叫び、黒刀を振って斬撃を飛ばしたが――既にいなくなった後だった。

 (なんでシエルが……いや、それよりやっと捉えたぞ〝世界神〟)

 親しき者を思いやる心と復讐を成し遂げようとする心が蓮の精神を圧迫する。

 (……とにかく、今はこの場を立ち去るべきだ)

 シエルは消えたが、ラインとルナは無事だ。ならば概ねよしとすべきだろう。

 既に結界は消え、兵士たちがルナやラインに駆け寄っていた。

 その様子を確かめた蓮はクロを呼び騎乗する。

 と、その背に声がかかった。

 「レン兄、なのか……?」

 戸惑いの色が強い声音でラインが問うてくる。

 「……違う。我は〝黒天王〟(ウラノス)だ」

 蓮は否定を口にして、その場を後にした。

 残されたラインはしばし呆然としていたが、やがて治療を勧めてくる兵士たちに応じるべく動き出すのだった。


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