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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
七章 希望と絶望の狭間で
153/223

一周年特別話~幾星霜の果てで~

一周年です。読者の皆さまに感謝を捧げます。

 物心ついた頃には既に、この世界は悲劇で満たされていた。

 ある者は他者を虐げて愉悦に浸り、ある者は己が欲望のために他者を殺めていた。

 狂っているということに気が付くには、狂っていない世界を知っている必要がある。

 私――ソフィア・シン・アイリス・フォン・アインスは、幸か不幸か、この世界の現状を狂っていると断言できるくらいには、幸福に満ちた生活を経験していた。幼き頃、まだ両親が存命だった頃のことだ。

 だから変えたいと思った。この狂った世界を幸福で満たしたいと思った――思ってしまった。

 私にはそれだけの力があった。常識の枠外、神秘の体現、神から授かった力――神力を操ることができた。

 それはほかの誰にも真似できないことで。だからだろう、私は余計に世界を変えなければと強く思ってしまったのだ。

 

 ――それがどんな悲劇を生むか、考えもしないで。


 多くの者を喪った。

 家族を、友を、仲間を、守るべき民を喪った。

 募る焦り、すり減る心。期待、羨望、失望、絶望――あらゆる感情を、大勢の者たちから向けられる日々が続いた。

 魔族の圧政に立ち向かい、人族を従えて、遂には他の三種族さえも巻き込んでしまった。

 いつしか私の中からは世界を変えたいと願う気持ちは薄れ、代わりに皆を失いたくないという思いだけが沸き上がってくるようになった。

 いや、それだけではない。本音を言うならば、私はきっと失望されたくなかったのだろう。誰もが私を神力という超常の力を振るうことができる神の代行者だと崇めていたから。誰もが私を魔族の圧政から解き放ってくれる救世主だと信じて疑わなかったから。私はその期待を裏切りたくなかった。

 原初の想いは戦火の日々に薄れ、〝勝利〟をどのようにして得るかばかりを考えるようになった。

 そんな時だ。

 彼が――(レン)が私を救ってくれたのは。

 

 出会いは最悪だった。

 魔族に反旗を翻したばかりの頃、私は神力を行使して、異世界から救世主を呼び出す儀式を行った。

 神々しき黄金の光柱が天に昇り、視界を覆う圧倒的な光量が収まった時、眼前に立っていたのはこの世界には決して存在しえない黒髪黒目を持った少年だった。

 私は執り行った儀式が、この世界を救える力を持つ存在を呼び出すことだとしか知らなかったから、自己紹介もそこそこに、救ってくれと願った。どうか迫りくる魔族の大軍を打ち破ってほしい、人族を救ってほしい、と。

 答えは私の予想の斜め上を行くものだった。

 『えっと……失礼なことをいうけど――キミ、頭大丈夫?』

 あっけにとられた。呆然とした。

 これはどういうことだと、取り乱してしまった。

 世界を救う存在を呼びだす儀式ではなかったのか?私の失敗で、手違いを起こしてしまったのか?

 混乱する私に、少年は言った。

 『とりあえず――ここはどこなんだい?』

 けれど、私はそれどころじゃなかった。一世一代の儀式に失敗してしまったと思い込んで、後悔と己への憤怒に苛まれていた。

 そんな私を見かねたのか、少年が近づいてきて、私の肩に手を置いた。

 『キミ、さっきから変だけど……体調でも悪いの?』

 王族として蝶よ花よと育てられてきた私は、端的に言って男性への耐性が無いに等しい。

 家族以外の異性に触れられた私は、精神状態が悪かったこともあって、普段なら決してしないことをしてしまった。

 神力を行使して、少年を吹き飛ばしてしまったのだ。

 『へ――ぐほっ!?』

 少年は驚愕を浮かべたまま飛んでいき――儀式に使用した祭壇に頭を強く打ち付けて昏倒してしまう。

 「あ……ご、ごめんなさいっ!」

 私は慌てて走り寄って、彼を吹き飛ばした神力を使い、治療を行った。

 (……今思い返しても、酷い出会いでしたね)

 私は紅に染まる視界で、崩れ往く世界を見つめながら苦笑した。

 頭から流れてくる鮮血と燃えている城内のせいで見て取れる世界は赤一色だ。

 周囲には血海が広がっていて、大勢の魔族が沈んでいる。

 肌を焼く炎は消えることを知らず、何もかも飲み込んでいく。

 鼻腔には不快な死臭と、肉が焼ける異臭が侵入してくる。

 たまらず顔をしかめた時、手にしていた翠剣が柔らかな風を生んで清潔な香りを届けてくれた。

 その香りが再び私を回想へと誘った。

 

 血生臭い戦場とは無縁の王城――その中庭には薔薇園がある。

 色とりどりの薔薇が咲き乱れていて、私のお気に入りの場所だ。

 穏やかな日差しが祝福するように体を温めてくれて、時折吹く風は清潔な香りと呼ぶにふさわしいものであった。

 平和な光景、それを打ち破る大声が、薔薇を眺めていた私の耳朶に触れた。

 『だから、前から言っているであろう!お前の考えは破綻していると!』

 『だからって、キミの考えが正しいわけじゃない!』

 二人の男性の言い争う声――どちらも見知っている。

 相手のことをお前と呼ぶのは、私の弟にしてこの国の王リヒト・ヘル・ヴァイス・フォン・アインス。

 かたやキミと呼ぶのは、私がこの世界に召喚した少年ノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインス。

 彼らは出会ってから今日まで同じ理由で言い争っていた。

 『どんな理由があっても、人を殺すのは間違っている――だと?お前の主張は現実を知らぬ、偽善者の言葉だ!』

 『じゃあなに、殺すに足る理由があったら、人を殺していいっていうのかキミは?そんなの悪人の考えだ!』

 リヒトの言葉はこの世界で生き抜くには必須の常識であり、蓮の言葉は現実を知らない者の発言だ。

 私は理屈ではそう理解していたが、何故だか蓮の言葉を聞いていると失ったかつての想いが胸中に沸き上がってきて、否定できなくなってしまう。

 『む、姉君!丁度いいところに。姉君からも言ってやってくれ!このわからず屋に現実ってものを教えてやってほしいのだ!』

 『ソフィアさん!キミは分かってくれるよね?どんな理由があっても、人を殺すのは〝悪〟だって』

 だから、こうして聞かれると答えに詰まってしまう。

 「えっと、私は――……」

 この時の私がどんな表情を浮かべていたのかは知らない。

 だけど、私の顔を見た二人が言い争うのをやめたことだけは知っている。

 結局、私はどちらの考えも正しくて、どちらも間違っていたのだろうと思う。

 この言い争いに終止符が打たれたのは、それから間もなくのことだった。

 遂に魔族による、本格的な征伐が行われたのだ。

 ――反逆者に死を、奴隷に今一度立場を分からせてやるのだ。

 魔族はそう主張して、人族最後の国であるアインス王国に侵攻してきた。

 いろいろあって、その戦いに蓮も参加することになって。

 そして――蓮は人生で初めて〝人〟を殺めた。

 仕方のないことだった。もし蓮が襲ってきた魔族を地面に転がっていた剣で突きささなければ、死んでいたのは彼の方だったのだから。

 でも、後になって私は――私たちは酷く後悔した。あの時、蓮を戦場に出すべきではなかった。あの時、どのような手段を講じてでも彼の手を汚すことを避けるべきだった。

 その時、あの瞬間から、彼は残酷な現実を知った――知ってしまった。

 この戦いの後になってようやく聞いた、彼がこの世界とは天と地ほどの差がある、安穏とした場所からやってきたのだという身の上を、私たちは先に聞いておくべきだったのだ。

 

 ――そうすれば、彼が壊れてしまうことを避けれたかもしれないのに。


 (レン、ごめんなさい……私は――私たちは、あなたに決して償えない罪を犯させてしまった)

 清く正しく、優しい彼の価値観を破壊してしまった。それは許されざることだと、私は今でも思っている。

 それだけではない。彼は私たちを救うために余りにも重い業を背負ってしまった。

 (いえ、背負わせてしまったというべきでしょうね)

 魔族との初戦以降、蓮は徐々に変わっていった――いや、変貌していったというべきか。

 かつて私が変わったように、彼もまた度重なる戦で精神をすり減らしていった。

 仲間を喪い、その悲しみに暮れる暇もなく人を殺す日々。

 誰もが変わらざるを得ない。神経を摩耗させて、精神をすり減らして、心を凍らせて、敵を討つ。

 そんな毎日の中にあっても私たちが壊れなかったのは、ひとえに蓮のおかげだと言える。

 彼は確かに変わっていったが、それでも優しい心だけは捨てることなく生きていた。

 王家に迎え入れられ、いち王族として国を想い、民を慈しみ、兵を貴んだ。

 その心根に多くの者が惹かれ、彼の元に集った。人族のみならず、他の三種族さえも、彼の元に集ったのだ。

 蓮は本当に不思議な魅力を持っていた。どんなに仲が悪く、常日頃敵対していた者たちでさえ、彼の一言でまるで昔からの友のような連携を見せた。

 言い争っていたリヒトとも、今は名実共に義兄弟と言える仲にある。

 そして私とは――、

 (……本当に、私なんかを選んでレンは幸せだったのでしょうか)

 いつしか、蓮に惹かれていた私は――彼と恋仲になっていた。

 明確なきっかけがあったわけではない。一緒にいて、苦楽を共にして――気づいたら好きになっていた。

 多くの者に親しまれていた彼は、多くの女性から好意を持たれていた。

 王族であるから、一夫多妻は問題なかったのだが、それでも彼は私だけを選んでくれた。

 嬉しかった。無論、仲の良い女性の中にも彼に好意を抱いている者がいたから、罪悪感もあった。

 けれど、私は――それでも嬉しかったのだ。

 あふれんばかりの想いが擦り切れた心を満たし、ただ彼の傍にいるだけで幸せだった。

 

 しかし、それから始まった幸せな日々も――今日で終わりだ。

 ふと、私は炎の中からこちらへ歩み寄ってくる人影を捉えて、回想を終えた。

 「ほんに手間であったぞ。おんしを一人きりにするのはのう」

 声と共に訪れるのは強大な威圧感。

 人の常識では測れない、超常の存在が迫りくる。

 「〝天魔王〟(マーラ) ……あなたは何故、こうまでして私を殺そうとするのですか?」

 「決まっておる。おんしがあ奴の手先だからじゃ」

 この地獄にあっても尚、輝く紫銀の長髪を揺らして〝天魔王〟が答える。

 「故に死ね。ここで朽ち果てよ」

 彼女が得物を掲げる。奇妙な鉄扇だった。

 「私はまだ死ねません。レンを残して一人逝くわけにはいかないのです」

 結果は――結末は分かり切っている。けれども、私は虚勢を張った。

 蓮のように――何もせずに諦めるのを是としない彼のように、私は抗うのだ。

 「〝翠帝〟(ミストルティン)、力を貸して」

 私が手にしていた翠剣を構えて囁けば、〝天魔王〟が不快そうに眉根を寄せた。

 「ふん、あ奴が人族に与えた神器か。下らぬ、所詮使用者が劣等では本来の力を発揮できん」

 「……確かに人の身にはあまりある力ですが――試してみないことにはわかりませんよ?」

 「不敬であるぞ、人間。誰に対してそのような物言いをしているのかッ!」

 〝天魔王〟が血に染まる床を踏み鳴らせば、亀裂が迸り、膨大な覇気が空間を圧迫した。

 けれど私は怯まない。この後の展開は分かっていて、最後の切り札も用意してあるからだ。

 (切り札というより……悪あがきのようなものですけどね)

 思わず苦笑を浮かべてしまえば、〝天魔王〟が咎めてくる。

 「死の恐怖から気でも触れたかえ?」

 「さて、どうでしょうね。案外、どうしようもない現実に絶望しただけかもしれませんよ?」

 私はそう返して、〝翠帝〟の切っ先を天井へと向けた。

 覇気を滾らせ、闘志を燃やす。

 〝翠帝〟の刀身から緑光が放たれ、大いなる風が巻き付いた。

 吹き荒れる風は炎をかき消し、煙を浄化していく。私の足元からは大自然の息吹が生み出され始めていた。

 「ほう……それなりの力ではないか」

 〝天魔王〟の感心したように見せかけた侮蔑を聞き流した私は――告げる。

 「断罪の導きを、神なる力を顕現させよ」


 ――風華王断(ヴィンドゥール)


 烈風を纏った翠剣が振り下ろされた。凄まじい風の奔流が、細身の〝天魔王〟を襲う――が、


 「この程度かの?だとすれば拍子抜けもいいところじゃ」

 

 鉄扇を広げて優雅に一振り。

 それだけで私の攻撃は霧散して、塵と消える。

 次いで――私は鮮血を吐き出した。

 「ごぷっ……一太刀も通りませんか…………」

 呟いて、虚ろな瞳で己が体を見下ろせば、腹に穴が開いているのが見て取れる。

 「苦痛の中で死ぬがよい。絶望を抱き、失意の中で慟哭せよ。王罰を噛み締め、己が無力を呪うがよい」

 その言葉に視線を上向ければ、〝天魔王〟が閉じた鉄扇をまるで突き刺すようにして私に向けていた。

 (レン、本当にごめんなさい……)

 先往く不幸を、どうか許してほしい。

 心残りがないと言えば嘘になる。

 (まだまだ、あなたと一緒にいたい……)

 私が今生の際に胸中に浮かべたのは、世界を救うことでもなければ、誰かの期待に応えたいという願いでもなく。

 ただ、愛する者と――蓮ともっと共に生きたいという、一人の女性としての想いだけだった。

 (それでも……希望はあります。最後まで伏せていた手札――切らせてもらいますよ)

 〝天魔王〟が去ってゆく。私の攻撃で既に炎は消えていて、彼女を遮るのもは何もない。もっとも、あっても無意味だろうが。

 血海に仰向けに倒れた私の視界に入ってきたのは、大粒の雨だった。

 どうやら、先の私の攻撃で天井が吹き飛んだらしい。

 いつの間に振り始めたのか、この城に入る前は快晴だったというのに。

 (それほど長い時間が経ったということですか……)

 もう体に力が入らない。虫の息といった具合だ。

 それでも私は必死に左手の薬指にはめられている指輪に、右手を伸ばす。

 触れると、最後の力を振り絞って神力を発動した。

 弱々しい光が一瞬だけ発せられ、私の手は力なく垂れ落ちる。

 (レン、私は幸せでした……)

 この一言を伝えられないのが、口惜しい。

 (あなたは……どうか…………絶望しないで――……)

 途切れそうになる意識の中で、私は願う。

 (幾瀬、幾年、幾星霜の果てで――私は待っています)

 たとえこの身が朽ち果てようとも、魂は不滅だ。

 (また――……会いましょう、レン)

 そして私は降り注ぐ天の涙を感じながら、静かに意識を手放した。


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