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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
七章 希望と絶望の狭間で
152/223

十二話

遅くなりました。続きです。


 神聖歴千三十一年十月十七日。

 オティヌス率いるエルミナ聖王国軍十五万は再びダスク平原へと戻ってきていた。

 神聖殿を目指して進軍したのだが、第一、第二征伐軍敗走の報を受け取って反転、後退したという背景がある。

 「八万が五万に負けるか……」

 報告書を読み終えたオティヌスは嘆息すると、投げ捨てるようにして放る。

 傍に控えていた幕僚もまた嘆息交じりに言った。

 『我々にとって五万という数は不吉の象徴ですね』

 先の第三皇子との戦い、此度のテューア湖での戦い――どちらも敵は五万という数である。

 胸中に沸き上がる不安を振り払うように、オティヌスは話題を変えた。

 「それよりアインス側の動きはどうなっている?」

 『斥候からの報告によると、アインス大帝国を盟主とする連合軍二十五万はこちらの動きを察知したのか、神聖殿ではなくここダスク平原へと進軍中とのことです』

 「……本国からの増援はどうなっている?」

 迫りくる圧倒的兵数に軽くめまいを覚えたオティヌスが問えば、幕僚は一通の書状を取り出し見せてくる。

 『後発の十万がもうじきここに到着するとのことです。本国は是が非でも橋頭保である〝天の橋〟を確保しておきたいと考えているようですね』

 「十万か……アインス側が到着する前に合流できそうか?」

 『アインス側の行軍速度を考えるとかなりギリギリですが、間に合うかと』

 久方ぶりの朗報に、オティヌスは安堵の息を吐く。

 「ふむ、ならば今のうちに布陣を整えておくとしよう。寝返ったアインス兵三万は最前列に配置しておけ」

 『了解です。裏切り者は信用なりませんから、その判断は正しいかと』

 保身のために祖国を裏切った者たち。

 彼らほど信用に足らない存在はいない。エルミナ側が劣勢だと悟れば、再びアインス側に戻る可能性があるからだ。

 そのような連中は最前線に配置して、早々に始末しておくに限る。

 指示を出すべく天幕を出ようとする幕僚に、あることを思いだしたオティヌスが呼びかける。

 「敗走したという第一、第二征伐軍はどこへ向かったか分かるか?」

 『こちらに向かっているようですが、おそらく決戦には間に合わないかと思われます』

 「そうか、わかった。行っていいぞ」

 今度こそ天幕を出て行った幕僚を見送ったオティヌスは思案気に視線を彷徨わせる。

 (しかし妙だな。数では優っていたし、質でも申し分なかったというのに負けたのか)

 第一、第二征伐軍は干戈を交えたアイゼン皇国軍より兵数は多く、加えて司令官である二人は神聖剣五天を所持する強者だ。

 (事前の報告では、アイゼン側で警戒に値するのは女王一人のみだったが……)

 その女王の武力が隔絶したものだったとしても、神聖剣五天所持者二人を前に勝てるとは思えない。

 (何か、こちらの知らない存在がいるとでもいうのか……?)

 確たるものは何もない。だが、オティヌスの胸中には不安の雲が沸き上がっていた。


 *****


 一方その頃、蓮はミルト率いるアイゼン軍と共に神聖殿を訪れていた。

 正しくはアイゼン軍は神聖殿の傍にある神殿騎士の宿舎に泊まり英気を養い、蓮とミルトだけが神聖殿内部へと足を踏み入れていた。

 (ここに来るのも久しぶりだな)

 千年後に飛ばされてすぐに立ち寄ったきりである。

 感慨深そうにする蓮は現在、巫女の間でミルトと当代の緋巫女であるルージュという女性と丸机を囲んで優雅にティータイムを楽しんでいた。

 「――それで〝黒天王〟(ウラノス)陛下はミルトさまとご一緒なされているのですね」

 これまでの経緯を知ったルージュが納得気に頷きを見せる。

 「そうだよ。ミルトには本当に世話になっているんだ」

 蓮がそう言えば、ミルトが艶を滲ませた視線を向けてくる。

 「ふふ、〝黒天王〟陛下からそのように言われるとは……わたし嬉しいです」

 背筋にうすら寒いものを感じた蓮はミルトに視線を合わせず、ルージュを見やった。

 「キミには心労を掛けたね。けど、もう大丈夫だ。エルミナ聖王国はここまで来れない」

 アーサー率いる第一、第二征伐軍は決戦に間に合わないような行軍速度で撤退中であり、オティヌス率いる本軍はダスク平原まで下がって連合軍を迎え撃つ構えを見せている。

 (普通に考えればアインス側に負ける要素はない)

 数で優っており、覇彩剣五帝所持者を四人も有している。対してエルミナ側には神聖剣五天所持者が一人だけ。

 (いや、〝聖女〟――シャルちゃんが出張ってくる可能性がある)

 それが最大の懸念である。彼女は覇彩剣五帝を無力化できる力を持っているからだ。

 (だからここに来た。当代の緋巫女である彼女に助力を乞うためにね)

 蓮は用意された紅茶を飲み干すと、鋭い視線をミルトに投げかける。

 「ミルト、キミはアイゼン軍の方を頼む。明日には出立できるよう、準備してもらいたい」

 「……〝黒天王〟陛下とご一緒してはいけないのですか?」

 「駄目だ。これ以上、マーニュを放置しておくと何をしでかすか分かったものじゃないからね」

 建前を言えば、ミルトは不承不承といった様子で頷く。

 「分かりました。では、また後で」

 「ああ、夜にはそっちに戻るよ」

 紅茶を優雅に飲み終えたミルトが立ち上がって去っていく。

 その背を二人で見送ったのち、蓮の方から話しかけた。

 「これから僕は突拍子もないことを言う。けれどすべて事実だ。それを踏まえたうえで聞いてほしい話がある」

 「陛下のお言葉を疑うなど、そのような不敬は致しません」

 即答である。

 (まあ、彼女は僕の正体を知っているわけだから当然と言えば当然なんだろうけど……)

 蓮は鬼面に触れて気持ちを落ち着けながら言う。

 「僕は現代で第二代緋巫女――ソレイユ・シャルル・ツヴァイ・フォン・アインスに会った。しかも敵としてだ」

 表情を硬くするルージュに真剣な眼差しを送りながら続ける。

 「彼女はどうにも神力を無効化できるらしくて、覇彩剣五帝ですら無力化された。これをどうにかしたいんだけど……何か手はあるだろうか」

 「……現状では対なる力である魔力をぶつけて相殺するしかないでしょう。それと第二代さまのことですが…………〝黒天王〟陛下には話しても問題ないでしょうから」

 と、ルージュがいつになく真面目な表情で立ち上がって、奥の扉へと蓮を誘う。

 「これからお話しすることは代々の緋巫女に口伝で教えられる極秘のもの。これを教えても良い他者は一人だけ。いずれ再臨なされると予言されたシュバルツ陛下――すなわち〝黒天王〟陛下だけです」

 扉の先は祈りの間と呼ばれる神聖不可侵の場所だ。

 室内にあって森林という摩訶不思議な空間。

 部屋の中ほどまで来ると、ルージュはこちらに振り返って指を鳴らす。

 すると蓮の背後で扉がひとりでに閉まった。

 「これよりお伝えするのは我ら緋巫女の罪――どうか心してお聞きください」

 「ああ、そうするとしよう」

 頷く蓮に、ルージュが語り始める。

 それは、蓮の想像をはるかに超えるものであった。


 *****


 神聖歴千三十一年十月二十五日。

 アインス大帝国を含む連合軍二十五万は、エルミナ聖王国軍二十五万――すなわち同数の軍勢と向かい合っていた。

 互いに目視できる距離に陣を敷き、決戦の時を待っている。

 アインス大帝国西域西部ダスク平原――かつて蓮がエルミナ聖王国と戦った地である。

 ルナたちは奇しくも彼と同じ地点に陣を構えていた。

 陣の中央に配置された大天幕では今まさに軍議が執り行われている。

 「――ふむ、ではエルミナ側の援軍が到着したということか?」

 重々しい口調で確認を取るのはヴァルト王国現王リチャード。

 齢四十を超えているにも関わらず、その巨躯から発するのは雄々しい覇気である。凄まじい戦歴を経て片腕を失っても尚、衰えぬ武力を誇っていた。

 そんな彼の質問に答えたのはアインスの幕僚の一人であった。

 『はい、どうにも元々用意してあった後発隊らしく、その数十万だと斥候から報告が上がってきております』

 これには天幕内がざわつく。

 『十万!?ずいぶんと多いな……』

 『寝返ったアインス兵三万を合わせると、現段階でのこちらの兵数を上回っているぞ。ここはやはりアイゼン軍を待つべきだろうな』

 『ミルト女王陛下は今どちらにおられるので?』

 ヴァルト側の幕僚が問うた先には、銀髪の少女がいた。

 ルナ・レイ・スィルヴァ・フォン・アインス第五皇女。

 冷静沈着、無表情を常とする彼女は此度の連合軍総司令官だ。

 「先ほど使者がやってきて、明日には到着するとのことだった。彼女には最大級の感謝を以って迎え入れなければならない」

 五万で八万に勝利した話、盗賊や魔物から難民を救った話など、アイゼン軍の活躍ぶりは行軍中に遭遇した難民たちから聞いていた。

 各国や貴族たちが内心どう思っていようとも、これだけの助力を得たからには感謝を伝えなければならないだろう。無論、言葉だけでなく金銭なども必要だろうが。

 「そうか。では明日に備えて最後の確認といこう。我がヴァルト王国は中軍の先鋒として敵に切り込めばよいのだな?」

 今回の戦いでは編成を簡略なものとした。

 各国の軍を混ぜることなく、それぞれの軍を維持したまま配置したのだ。

 理由は単純で、時間がないからだ。

 そもそも国ごとに練度も違えば、主力とする得物も違う。得意とする戦法も違うし、軍編成もまた別物だ。

 そのような状態で混成軍としてしまえば、混乱を生むだけで何も良い点などない。相手に付け入る隙を与えるだけだ。

 故にルナは各国の軍を維持したまま、運用する策を考案した。

 「そう。歩兵による近接戦に強いヴァルト王国軍には中軍の一員として切り込んでもらう。でもその前に敵の突撃をアルカディア共和国軍に防いでもらう」

 と、ルナが視線をアルカディア軍司令官に向ける。

 『はっ、必ずや敵の侵攻を防いで見せましょうぞ』

 顎髭をさすりながら、彼は堂々とした態度で首肯した。

 連合軍中軍の編成はこうだ。

 中軍最前列にアルカディア共和国軍を配し、その後ろにヴァルト王国軍を待機させる。

 これは騎士国家として防御に特化した戦法を得意とするアルカディア軍に敵の突撃を受け止めさせ、動きが鈍った敵に歩兵による近接戦が得意なヴァルト軍を切り込ませるためだ。

 「わ、我々エーデルシュタインはアインス軍と共に左軍で敵を食い止めればよいのでしたよね?」

 国内情勢の不安定化から本国に帰還したオルティナ・メールに代わって、エーデルシュタイン連邦軍司令官代理として参加している女性――フィリルがおずおずと発言する。

 彼女はオルティナの腹心であり、その信頼から代理としてオルティナが派遣したという。

 「ん、おそらく向こうも包囲殲滅を狙ってくるだろうから、それを阻止してほしい。頼りにしている」

 戦力差はあまりなく、場所は平原。唯一のう回路は先の戦いで第三皇子――蓮が使用したために敵が通れなくしてしまっている。

 加えて両陣営共に大軍――このような場合、取れる戦法はかなり絞られ、互いに同じ選択をすることが多い。

 正面突破か、包囲殲滅か。

 あまりに被害が甚大となる正面突破は、よほどの愚将か、あるいはそれしか選べない場合以外には採用されない。エルミナ聖王国は既に七万――第一、第二征伐軍を加えればそれ以上――を失っていることから、これ以上の損害は避けたいところだろう。

 つまり包囲殲滅を狙ってくる可能性がもっとも高いということだ。

 そのように予測したルナは逆包囲を仕掛けようと決断した。

 中軍と左軍が敵を食い止めている間に、右軍で背後を取る。

 なので右軍の編成はアインス騎馬隊となっている。

 騎士による密集陣形を得意とする防御のアルカディア共和国軍や、兵士個人個人の戦闘能力に秀でた近接戦を得意とするヴァルト王国軍、軍としての練度は低いが補給線の確保等後方支援が得意なエーデルシュタイン連邦軍のように、アインス大帝国軍にも他国より秀でた部分が存在する。

 それが大陸最強と謳われる騎馬軍だ。

 圧倒的な踏破力に突破力、それらを軍として運用する練度は他国の追随を許さないほどであり、軍事国家アインス大帝国が南大陸の雄として今なお存在し続けていられる最大の理由でもある。

 「うむ、後はアイゼン軍に関してだが――彼らは十分すぎるほどに戦った。今回の決戦では後方、もしくは第三陣くらいでいいのではないか?」

 リチャードがそう告げれば、アインス貴族諸侯や各国の幕僚たちが頷きを見せる。

 発言者のリチャードは単純に疲弊しているから休んでおけという意味合いだろうが、追従した他の者たちは違う。

 彼らはこれ以上アイゼン皇国に手柄を立ててほしくないのだ。

 アインスとしては支払う対価が大きくなるのを防ぐため、他国としてはこれ以上先を越されたくないといった思惑がある。

 貴族諸侯や他国の代表らは、今回の戦いですら政治に利用する気なのだろう。国としての利権、個人としての利益――それらを計算し、いかに稼げるかを念頭に置いている。

 蓮と出会う前のルナならば到底許せなかっただろうが、今は違う。

 政治とはそういうものだと、彼に教わっていたからだ。

 ――これからキミは貴族諸侯の相手をする機会が増えるだろう。その時、彼らの欲深さを許容してあげてほしい。

 ――人とは利益を求めて動くものだ。故に利益のない戦いには決してついては来ないだろう。それは仕方のないことなんだ。他者のため、国家のために無欲で働ける者などほとんどいない。そんなのは狂人の類だからね。

 ――でも、それを逆手にとることはできる。利益をちらつかせ、困難が待ち受ける戦いで助力を得たりね。

 (レン、あなたから教わったことを私は決して忘れない)

 ルナは脳裏に想い人を浮かべながら、同意を示した。

 「アイゼン皇国軍はとても活躍してくれた。でもそれに比例して疲労が溜まっているはず。彼らにはゆっくりしてもらう」

 総司令官の決定に異を唱える者は出てこない。

 と、ここで長きに亘ってルナの副官を務めてきたアロイスが、顔に苦渋を滲ませていることに気が付く。

 「アロイス卿、どうしたの?」

 「…………殿下に――いえ、皆様にお伝えせねばならない報告があります」

 彼は意を決した様子で立ち上がると、手元に置いてあった紙を手に、読み上げた。

 「エルミナ聖王国軍が――〝軍神〟の神旗である三ツ首の黒竜の紋章旗を、難民や制圧した町村の民の前で燃やし『偽神は死んだ。唯一神である〝世界神〟のみを崇めよ』と強制しているとの報告があります。加えてそれに従わぬ者を親族ともども打ち首にしているとも」

 その報告に場が凍り付く。この世界に生きる者たちにとって〝軍神〟――すなわち英雄王シュバルツは尊崇の対象だ。貴賤や国境問わず、誰もが信仰している。

 〝覇王〟リチャードや〝雷光〟レオンといった実力主義の武人らですら、表情を失っていた。あまりの悪行に激情を抑えることに必死になっているのだ。

 そんな彼らは――次の瞬間に天幕中を覆いつくした殺気に圧倒され、重圧に耐える羽目になった。

 リチャードやレオンらはさほどではないが、文官である幕僚や貴族諸侯らは冷や汗をかいて上座に視線を送る。

 そこには、凄まじい殺気を放つルナがいた。

 普段の無表情からは全く想像できない形相。目を見開き、唇を血がにじむほど噛み締めて激情を抑えようとしている。

 彼女の周囲では意志を代弁するが如く、荒々しい風が踊り狂っている。腰に下げた翠剣がカタカタとひとりでに震えていた。

 「そんな――下劣なことを…………許せない」

 言葉に宿る殺気は明確な殺意の奔流となって天幕にいる人々を襲う。

 彼らは大なり小なり心のどこかでルナを侮っていた。

 あの(、、)アインス皇家に生まれた者にしては温和だと、油断していたともいえよう。

 だが、ここでその考えは改めさせられた。眼前の少女はただの少女ではなく、決して侮ってはならぬ獅子なのだと。

 「明日の決戦では、エルミナ聖王国を完膚なきまでに叩く。二度と、愚かな言動をとれぬように徹底的に」

 リチャードらは首肯し、他の者たちは半ば強制的に頷かされる。第五皇女をもはや皇位継承権の低い厄介者だと思う者はいない。彼女は今や、皇帝に相応しい覇気を携え、皇位継承権も第一位であるのだから。

 「他に議題はない?――ないならこれで解散、皆明日に備えて英気を養ってほしい」

 殺気を抑え込んだルナがそう告げたことで、軍議は終了となった。


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