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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
七章 希望と絶望の狭間で
148/223

八話

続きです。

 夜闇に溶け込んで待機する二万の軍勢がいた。

 篝火を設置せず、松明すら灯していない。

 視界は闇で閉ざされ、耳朶に触れるのは風の音と兵士たちが纏う鎧がかすかにこすれる音である。

 ここはテューア湖最南端――湖と森の間にある空間だ。

 程よい緊張感に包まれる場にあって、異彩な雰囲気を醸し出している者がいた。

 鬼面の男――蓮である。

 身に纏う黒衣は夜闇と同化し、同色の髪もまた同じくである。放つ覇気は脆弱で、存在感は希薄。

 それ故に、不気味であった。

 闇に紛れながらも、鬼面の奥底から真紅の光を放っており、表情が読み取れないことがより一層拍車をかける。

 不意に、蓮が視線を前方に固定する。

 「……来たか」

 彼の周囲で言葉を聞いた者たちは首を傾げるも、直後地面を揺らす馬蹄の音に気付いて表情を引き締める。

 月明りすらない世界では、相手がこちらに気づくのは本当に直前まで迫った時であろう。

 だが、蓮は相手を待ってやる気はなかった。

 「篝火を灯せ、松明に火をつけよ。雄たけびを上げて敵を威嚇せよ」

 決して美声というわけではない。大声でもなかった。

 しかし、蓮の声は良く響く。あらゆる音をすり抜けて兵士たちの鼓膜を揺さぶるのだ。

 その証拠に、アイゼン軍陣地の至る所で赤い光が浮かび上がった。

 『な、なんだ――ッッ!?』

 驚きの声を上げる敵先鋒を、兵士から借り受けた弓矢で屠った蓮は鬼面の下で獰猛な笑みを浮かべる。

 「動揺というものは厄介だ。瞬時に全体に伝播し、数が多ければ多いほど効果が大きくなってしまう」

 呟き一人、突出する。

 炎に照らされた蓮の姿を見た敵兵は困惑を浮かべるも、直後に高貴そうな身なりに気づいて抜刀した。

 『敵将が出てきたぞ!奴を討ち取れっ!』

 対する蓮はくぐもった笑い声を発しながら腰に吊るしてあった黒刀を抜き放つ。

 「やってみるといい。――できるなら、だけどね」

 そして手にした黒刀を軽く振った。

 たったそれだけの動作。されど生み出された効果は兵士たちの想像をはるかに超えるものであった。

 『へ、あ――』

 気の抜けたような声――直後に激音にかき消されてしまう。

 蓮が放った横薙ぎの一撃が敵最前列を真っ二つに割いた(、、、)

 比喩ではない。文字通り、馬の首を貫通して兵士たちの胴体を二分している。

 吹き上がる鮮血、沸き上がる悲鳴、後方にいたために難を逃れた敵兵の呆けた声。

 それらを認識した蓮はゆっくりと前に歩き出した。

 殺した敵兵の死体を踏み越え往けば、まだ生きている兵士たちが怯えたように後ずさる。

 このように進撃が止められてしまった場合、状況打開のために指揮官が出てくるのは戦場の常であった。

 視線の先――エルミナ兵たちをかき分けて一人の男が姿を現した。

 見るからに雑兵とは違う身なりの男は、腰から華美な装飾の剣を抜き放った。

 『ひるむなっ!奴は一人だ、囲んで殺せ!』

 すると腰が引けていた兵士たちが刀剣や槍を手に、蓮を取り囲んだ。

 (この指揮官は随分と兵士たちに信頼されているようだ)

 蓮に対する恐怖を押し殺して、兵士たちは決死の顔つきでこちらを睨みつけている。

 (なら、ちょうどいい)

 蓮が思案していると、槍兵が得物を突き出してきた。

 『ゼアァ!!』

 「遅い」

 電光石火――刺突を躱した蓮は敵兵に肉発、同時に首を切り飛ばした。

 『ウラアアッ!』

 「気迫、見事だ。褒美として苦痛なく、殺してあげよう」

 繰り出される刺突は軽々と躱され、気迫を込めた斬撃は刀剣ごと叩き伏せられる。乱舞する剣戟の嵐、黒き剣線が夜闇を切り裂いて、死体を量産する。

 凄絶な剣術をまざまざと見せられては、歴戦の兵士たちも恐怖に負けてしまう。

 殺戮を行った蓮は息一つ乱れておらず、身に纏う黒衣には埃一つ付いていない。炎に照らされる不気味な鬼面もまた返り血の一つも付着していなかった。

 圧倒的な力量差、見せつけられた指揮官は表情を引きつらせていた。

 しかし、それでも彼は引かずに立ち向かう道を選んだようで。

 『マーニュさまに勝利を奉げるッ!』

 馬を巧みに操ってこちらに向かってきた。

 「その心意気は買おう。主への忠誠、大義である」

 蓮は相手に敬意を表して真面目な顔つきになると、黒刀を一閃。

 明らかに間合いでなかったにも関わらず、指揮官の首が刎ね飛んだ。

 『ジョシュさま!?クソッ、奴を討ち取れぇっ!』

 敵兵が怒りに燃えて迫りくる。

 敵軍は完全に蓮一人に注目を集めていた。そこに――、

 『ギャアア!?』

 『な、何事だっ!』

 『よ、横にある森の中から矢を射かけられている!!』

 蓮の指示で森に潜伏していた別動隊が攻撃を開始したことで、更なる混乱に包まれた。

 「戦場で注意を一点に絞ってはいけない。眼前の敵を見据えながらも全体に気を配らなくてはならない」

 もっとも、それを行うのは指揮官やその上にいる司令官であって、一兵卒の仕事ではなかったが。

 それでも、蓮は呟かざるを得なかった。

 闇を内包する左眼――〝天眼〟(アマテラス)で戦場を〝視〟た蓮は、神力を纏う女性の姿を見つけて口端を吊り上げる。

 そんな彼に近づく騎馬が一騎。

 『ウラノス副官、ミルト女王陛下から伝令です。――策は成功、敵司令官の一人を捕縛した、とのことです』

 「そうか、なら仕上げるとしよう。こちらも終わらせにかかるとミルト女王陛下にお伝えしてくれ」

 『はっ、承知しました』

 去っていく伝令越しに湖の方を見やれば、夥しい量の魔力と神力の残滓が漂っていることが分かった。

 (やはり敵司令官は神聖剣五天を所持しているようだな……)

 ならばこちらにいるもう一人の司令官も所持している可能性が高い。

 (今後の為に生け捕りが好ましい。少々、難しいかな)

 殺さず生かして捕らえるというのは、殺すよりもはるかに難しいことだ。

 蓮は嘆息すると、口に手を当てて口笛を吹く。

 すると自陣の方から黒馬が駆け寄ってきた。

 「やあ、クロ。また一緒に戦ってくれるかい?」

 鼻を摺り寄せてくる愛馬クロを撫でながら言えば、勇ましい嘶きでもって返事としてくる。

 蓮は軽やかに乗馬すると、手綱を握って味方に指示を出す。

 「敵は混乱の最中にある。このまま攻撃を続行せよ。我は敵将を討ち取ってくる!」

 返ってくるのは頼もしい喊声。

 蓮は鬼面の下で表情を緩めると、黒馬を操って敵軍の中を突き進んでいった。


 *****


 エルミナ軍は混乱の渦中にあった。

 敵の援軍が現れた、黒衣の死神が現れた、果ては〝鬼神〟(サタン)が降臨した――など、様々な情報が錯綜し、混乱に拍車をかけている。

 (〝鬼神〟っておとぎ話じゃない……)

 黄玉(トパーズ)色の長髪を揺らしながら、マーニュは嘆息した。

 次いで近くで報告される情報を精査していた幕僚に話しかける。

 「一体、どうなってるの?敵軍は寝静まっていたんじゃないのかしら」

 『そ、それが――どうやら罠のようだったらしく、いきなり目の前に敵兵が現れて先鋒が瓦解。更に圧倒的な武力を持つ黒衣の男が現れたようで、そ奴に第一陣の指揮官ジョシュが討ち取られたようです』

 前者は分かる。明かりを消してあたかも眠っているかのように見せかけ、更に事前にこちらが送り込んだ密偵を一人も返さないことで策を成功させたのだろう。

 だが、後者は理解できなかった。

 「黒衣の男?敵軍に個人の武力に優れた者は女王しかいなかったはずでしょ?一体、どこから出てきたのよ」

 『わ、わかりません。ただ、その男が黒衣を纏っているということと、不気味な鬼面を着けているとしか……』

 (鬼面?……なるほど、それで〝鬼神〟なのね)

 一人納得したマーニュは瞬時に思案し、決断する。

 「第一陣は捨てるわ。第二陣以降を後退させて隊列を整えなおす。まずはこの混乱を収めるのが先よ」

 第一陣は二万。とても割り切っていい数ではないが、それでも大局を見据えて言い切った。

 司令官の苛烈な命令に幕僚は一瞬唖然とするも、彼女が唇を強く噛んでいるのを見て頷いた。

 『承知しました。直ぐに指示致します』

 幕僚が旗手に指示し、旗手が紋章旗代わりに大きな松明を振る。後退の合図だ。

 命令は忠実に実行され、後退が始まった。太鼓が鳴らされ、軍全体に指示が行き届く。

 

 ――しかし、絶望の方が後退よりも速かった。


 不意に、マーニュの常人を超える聴力が悲鳴を捉えた。

 悲鳴と絶叫が木霊し、それは徐々に近づいてきている。

 (一体何なのよ……)

 疑問を抱えながらも、マーニュは腰から奇妙な色合いの剣を抜いた。

 虹色の刀身を持つ剣――神聖剣五天〝聖水〟(ジョワユーズ)である。

 司令官が臨戦態勢を取ったのを見て首を傾げる幕僚や兵士たちだったが、やがて彼らの耳にも怨嗟の声が届いたことで得物を構えて主を守ろうと前に進み出た。

 そんな一同の前に――深い闇が現れた。

 毛並みの良い黒馬、操っている人物は黒衣に身を包んでいる。ただただ不気味でしかない鬼面の下からは、真紅の瞳がこちらを捉えて離さない。もう片方の瞳にはおぞましい深淵の闇が宿っていた。

 視線を更に上向ければ、夜闇と同色の黒髪が映り込んだ。

 (え……?そんな、嘘でしょ!?)

 「ありえない……」

 思わずそう溢してしまうマーニュ。

 傍にいる幕僚たちも驚愕すべき事実に気づいたのか、驚きの声を漏らしていた。

 この世界(シュテルン)にはなぜか黒髪を持つ存在が生まれない。例外はただ一人――否、二人だった。

 千年前、世界を救った英雄王シュバルツと、その末裔であるアインス第三皇子レンである。

 しかし、この二人は既に故人――亡くなっているはずだ。英雄王は言うに及ばずであり、末裔の方は先のエルミナ本軍との決戦で戦死したと報告が届いている。

 ならば、眼前にいる黒髪の人物は一体――。

 そんな思考を遮るように、鬼面の男が黒馬から降りて歩み寄ってきた。

 我に返った兵士たちが彼を取り囲むも――無駄であった。

 一閃――鬼面の男が、手にしていた闇よりも深い黒刀を振りぬいた。そう気づいた時には終わっていた。

 数的有利であったこちらの兵士たちが首から鮮血を噴き上げて倒れ伏す。彼らの頭はいつの間にか刎ねられていた。

 『く……マーニュさまをお守りしろッ!』

 一人の幕僚が叫んで突撃を敢行するも――無駄の一言。

 鬼面の男からしてみれば赤子がじゃれついてくる程度の些末なこと。そう言わんばかりに一太刀で切り伏せられてしまう。

 それでも幕僚たちは果敢に立ち向かった。家族同然の主を守るため、己が信念に従って行動したのだ。

 だが――、

 「見事、実に見事である。諸君らには苦痛なき死を与えよう」

 鬼面の男が呟き、再びの一閃。

 幕僚たちは先ほどの兵士たちと同じ末路を辿った。

 その光景を見て、マーニュはようやく金縛りから解放されたように剣を構えて戦意宿す瞳で睨みつけた。

 鬼面の男はそんなマーニュは見て賞賛を口にする。

 「これだけ部下に慕われているとは……さぞ素晴らしい女性なのだろうね、あなたは」

 「……あんたなんかに褒められてもうれしくないわよ」

 言葉に乗せられる重い覇気に負けないようにと、マーニュはあえて軽口を叩く。

 すると鬼面の男は空いていた左手で己が首を叩いて見せた。

 「あなたの首が欲しい――と言いたいところなんだけど……」

 彼が浮かべた邪悪な笑みに、マーニュは体を震わせる。

 「あいにくそうも言ってられなくてね。代わりにあなたを捕らえることにしたんだ」

 「……はっ、やれるもんならやってみなさい、よっ!」

 己を奮い立たせたマーニュは強く地面を蹴りつけて肉発、素早い一撃を繰り出した。

 鬼面の男が黒刀を持ち上げてマーニュの攻撃を防ぐ。

 耐えられなかったのは地面の方で、激しく陥没した。

 「なかなかに良い一撃だ。迷いがない」

 「上から目線で余裕あるじゃない……っ!すぐに吠え面かかせてあげるわ!」

 剣を滑らせたマーニュは獅子奮迅の戦いを見せる。

 上段からの攻撃が防がれれば、横合いから。それすらも防がれれば、掌打を打ち込んで相手の体勢を崩し、烈々たる蹴りを足に放った。

 鬼面の男がよろめく。マーニュは好機だと悟って一気呵成に連撃を叩きこんだ。

 だがその瞬間、彼が身に纏っていた黒衣が蠢き、裾を〝聖水〟に巻き付かせてマーニュの動きを封じてきた。

 「なっ――ぐっ、ああ……ッ!?」

 驚き、一瞬硬直してしまったマーニュの首を、体勢を整えなおした鬼面の男が締め付けてくる。

 (息が……!)

 己が武器で抵抗しようにも、〝聖水〟は未だ黒衣に縛られたままだ。

 故にマーニュは得物を手放すと、空いた両手で勢いよく打撃を鬼面の男の胸に打ち込んだ。神聖剣五天の加護で強化された筋力、常人が相手ならば体に穴が開いていたであろう一撃。しかし――男は嗤うだけでこちらの一撃が効いた様子が無かった。

 「ふ、それだけかい?」

 しまいには挑発してくる。マーニュは怒りより先に絶望してしまう。

 この男にはどうやっても勝てないのだと、戦意が萎えてしまう。

 そんな時だった。

 (アーサー!?)

 本陣がある方から聞きなれた声がかすかに聞こえてきて、マーニュは沈下しかけていた戦意を再び燃え上がらせた。

 呼吸ができずに途絶えかけていた意識を必死につなぎとめて、

 「ぐ……アアア!!」

 己が相棒である神聖剣五天〝聖水〟(ジョワユーズ)の天恵を発動させた。

 「なにっ……!?」

 驚く男が掴むマーニュの体が液状に変化する。

 滴り落ちた液体――水は瞬く間に男から距離を離すと、再びマーニュの体を形取った。

 「ゲホッ――はあ、はあ…………驚いた?これが私の持つ神聖剣五天の力よ」

 咳き込みながらも、一本取ってやったと喜色を浮かべるマーニュ。

 驚愕を浮かべていた男はやがて苦笑に転じた。

 「フッ、やるじゃないか。それでこそ神聖剣五天の所持者だ」

 だけど、と男は鬼面を整えながら無表情になる。

 「時間があまりないんだ。あなたと遊ぶのも終わりにしよう」

 その言葉に、挑発を口にしようとしたマーニュだったが、直後蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまう。

 何故なら――鬼面の男から放たれる覇気が禍々しいものへと変貌したからだ。

 邪悪な気配が世界に広がり、空間を侵食していく。

 マーニュが放たれているものが神力と対になる魔力だと気づいた時には――手遅れだった。

 鬼面の男が狙いを定めるように黒刀の切っ先を向けてくる。


 「我、天を喰らう者なり」


 どこまでも広がる黒が咢を開く。

 闇が世界を喰らい、マーニュを喰らおうと牙を剝いて――


 「死を想え、罪人よ――」


 ――天喰黒淵(ナハトルイン)


 視界が黒に染まった瞬間、マーニュの意識が途絶えた。

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