一話
第七章〝希望と絶望の狭間で〟始まります。
朝日が昇りゆく。
地平線の向こうから顔を覗かせた太陽が荘厳なる大帝都を照らし出し、神秘的な光景を創り出している。
鳥たちの奏でる旋律が今日もまた人々の耳朶に優しく触れる――否、そうではなかった。
穏やかな朝とは無縁の物騒な音が大帝都正門から発せられている。男たちの咆哮と武具を打ち鳴らす金属音であった。
『〝軍神〟!』
正門前に集った兵士たちが大声を上げている。
『〝軍神〟!〝軍神〟!!』
声に滲むのは深い悲しみと煉獄の怒り。
『〝軍神〟!〝軍神〟!!〝軍神〟!!!』
天に届けと言わんばかりの大音量。故に大帝都全体に響き渡った。
その大帝都クライノート内部では気温の上がらぬ早朝であるにも関わらず多くの人々が外に出ていた。
彼らが集うのは帝城アヴァロン前に鎮座する〝双星王〟の銅像。
『我らが〝軍神〟よ。どうか、どうかレン殿下の御霊をお戻し下さいませ』
ある者は〝軍神〟の銅像の前に跪いて祈りを捧げ、
『我らが〝創神〟よ。何卒、レン殿下をお救い下さいませ』
ある者は初代皇帝にして〝創神〟の銅像に希っていた。
そんな人々とは別種の者たちもいる。
『政府は何やってんだよ!レン殿下が率いたのはたったの三万らしいじゃねえか!』
『三十万を相手に……素人だって結果が見えてるのにな』
『皇帝陛下は何をお考えなのか……』
彼らは帝城に向かって怒りを叩きつけていた。
不意に、兵士たちの発する言葉が変化した。
『復讐せよ!復讐せよ!!復讐せよ!!!』
悲しみは怒りへと転じ、怒りは恨みへと転化する。
『復讐戦だ!我らの怒りの鉄槌を邪教徒共に下してやろうではないか!!』
その先にあるのは、実力行使による報復である。
神聖歴千三十一年十月二日――この日、アインス大帝国に衝撃的な報が届いた。
アインス西域西部ダスク平原における、レン・シュバルツ第三皇子の戦死である。
〝軍神〟の末裔にして護国五天将〝黒絶天〟として貴賤を問わず広く愛されていた第三皇子の死は、大帝国に衝撃と悲しみをもたらした。
故に、大帝都をはじめとする大都市では民衆が立ち上がり、兵士たちもまた怒りの声を挙げていた。
多くの者はエルミナ聖王国に対して激怒したが、一部の者は無謀な戦いに第三皇子を赴かせたとして中央政府を強く非難していた。
非難の矛先となった中央政府――帝城では今まさに軍議が執り行われようとしていた。
「民衆のみならず、兵士たちまで……これ以上ここで待機させるのは得策ではないと思うがな」
重々しく言ったのはヴァルト王国国王リチャード・ヘルシャー・ファン・デ・ヴァルト。
軍議には彼を含む各国代表も参加していた。援軍として正式に帝城に招かれていたのだ。
「ですな。それに我らの本国でも同様の騒ぎが起こっとるし、儂としては一刻も早くエルミナ聖王国に対する反攻作戦に打って出たいところなのじゃが」
どこか焦りを含んだ声音で話すのはアルカディア共和国最高議長ヨーゼフ・ディ・マイゼン。
彼の言う通り、アインス大帝国のみならず周辺諸国でも大規模な示威運動が起こっていた。
その内容は、人族の――世界の救世主たる英雄王の末裔レン・シュバルツを殺害したエルミナ聖王国を許すな、復讐せよというものだ。
「正直ここまで反響するとは思わなかったがな。我らの予想以上に民は英雄王を愛していたということだろう」
嘆息交じりに呟いたのはエーデルシュタイン連邦代表オルティナ・メール。
彼女も英雄王を深く敬愛している。だからこそ民衆の怒りは分かるし、自らもまた怒りを覚えている。
「今優先すべきことは反抗作戦の最終確認をすること。だからちゃんと軍議に集中して」
各国代表に向かってそう告げたのは長い銀髪を揺らす女性――ルナ・レイ・スィルヴァ・フォン・アインス。
今回の訃報に一番衝撃を受けているであろう人物が注意を促したことで、皆の視線が集まった。
「ルナ殿下の仰る通り、今は明日に控えた出陣の最終確認を行うべきでしょう」
賛意を示したのはホルスト宰相だ。
彼は円卓を囲む面々を見回して言葉を続けた。
「アインス大帝国が現状出せるのは十万で、既に出立の準備は整っております」
度重なる戦争、北西に存在するベーゼ大森林地帯の魔物の大侵攻への対処など、様々な要因からこの数となっている。
「余のヴァルトからは七万だ。南大陸東部を征服した覇者の軍、その力量に期待するがよい」
「アルカディア共和国からは五万じゃ。他の軍はルフト属州の治安維持に協力しておるぞ」
リチャードが尊大な口調で、ヨーゼフがしわがれた声で言うと、ホルスト宰相が頭を下げた。
「かの〝覇王〟の軍勢には大いに期待しております。アルカディア共和国には未だ安定しないルフト属州の治安維持を協力して頂き、感謝の念に堪えません」
ルフト属州は反乱軍が鎮圧されたとはいえ、此度のエルミナ聖王国の侵攻に呼応する動きがみられた。そのため、アインス南域軍は大部分をルフト属州の治安維持に当てなくてはならなかったのだが、アルカディア共和国が協力してくれたことで、割く人員を減らし、中央に送る援軍の数を増やすことができていた。
「エーデルシュタインは先のアインス侵攻によって軍が大幅に減っていることから、三万しか出せない。しかし練度は十分、精兵を連れてきたから許してほしいものだな」
「いえ、とんでもない!エーデルシュタイン連邦からは大量の物資や金銭を融通して頂きましたから、それだけでもありがたいことです」
申し訳なさそうなオルティナに、ホルスト宰相が慌てて首を横に振る。
そんな光景を見守っていたルナが口を開いた。
「総数二十五万。ここに既に出陣しているアイゼン皇国軍五万を合わせればエルミナ聖王国軍と五分になる」
円卓会議から帰還したルナは以前とは違う風格――王者の資質を開花させていた。このことは軍議に参加している面々が黙ってルナの言を聞いていることからもうかがえる。
「レンの仇を討ち、無差別に民を殺しているエルミナ聖王国軍を西へ追い返す。私たちが力を合わせれば十分可能だと確信している。頑張ろう!」
ルナの熱の籠った言葉に、集っていた者たちが力強く頷くのだった。
*****
軍議が終わるとルナは大勢の貴族に捕まった。蓮が消えたことで目下最大の皇位継承者はルナだったからだ。
そんな彼女を置いて会議室を出たリチャードたち各国代表らは話しながら用意された部屋へと向かう。
「それにしても本当にレン殿は戦死したのか?どうにも私には彼が死ぬ光景が浮かばないんだが」
「同じくじゃ。あんな武力を持つ男を討ち取れる者がいるとも思えんしのぅ」
「エルミナ聖王国が嘘を言っている可能性もあるが……当の末裔本人からなんの連絡も来ないから、死んだ可能性の方が高いな」
リチャードは嘆息し、それから思案気に顎をさすった。
「それにしても末裔はどこまで計算していたんだろうな。各国の民が示威行動を起こし、援軍を派遣せざるを得ない状況を創り出したところまでなのか、それとも今後の展開もあ奴の掌の上なのか……」
そもそも各国がアインスに協力しようと考えたのはエルミナ聖王国が〝双星王〟信者を殺すと公言していたために、明日は我が身だと危機感を抱いたからだ。しかし長年敵対していたアインスに協力することに国内の有力者の多くは反対していたのだが、今回の蓮の死によって発生した示威行動を収めるべく仕方なく納得したという経緯がある。
「分からん。そもそもレン殿が我々各国代表に接触したのはこの時のためだったという節もあるからの」
ヨーゼフが空恐ろしいげに身を震わせる。
「一体どこまで〝視〟えていたのか……今となっては分からんが、恐ろしいものじゃのぅ」
「あの英雄王の末裔ですから、さもありなんって感じですがね」
それにしても、とオルティナが続ける。
「エルミナ聖王国はこうなることを予見出来なかったのだろうか?いくらなんでも無計画すぎやしないか」
「驕っていたのだろう。三十万という大軍であれば無理もないというところだがな」
リチャードが鼻を鳴らして言う。
いつの間にか、目的地である部屋にたどり着いていた一同は、部屋の前にいた侍女に扉を開けてもらって中に入る。
中には更に侍女がいて、飲み物を用意したりと歓待してくれた。
歓待を受けながら、オルティナが話題を変える。
「そういえば……一番ショックを受けると思っていたルナ殿だったが、意外と冷静だったな」
「確かに……円卓での騒ぎがまるで嘘のようじゃったの」
驚きを顕わにする二人に対して、リチャードはソファーに腰掛けて平静であった。
「元々、あの娘には王者としての才覚があった。それが開花したにすぎん」
そもそも覇彩剣五帝に選ばれし者なのだから、才能がないわけがない。ルナの場合、遅咲き――大器晩成だったというだけだ。
「これからあ奴は化けるぞ。それこそ次代の皇帝になるやもしれん」
「リチャード殿はルナ殿が次の皇帝になるとお考えなのか?」
驚いて問うオルティナに、リチャードは首肯した。
「ああ。現に多くの貴族があの娘と接点を持とうと必死になっているしな」
第一皇子は反乱で皇位継承権を剥奪され、第三皇女は戦死した。第三皇子たる蓮も死んだ可能性が濃厚である。残る第二皇子は玉座に興味が無く、第四皇女は病弱で支持する派閥もない。となれば消去法で第五皇女であるルナが次の皇帝だ。
「第一皇女と第二皇女は既に他家に嫁いでいるし、病気で臥せっている現皇帝には兄弟がおらん。親戚はいるが、皇位継承順位が低すぎるから論外だしな」
「病気というのは嘘という話じゃがのぅ」
ヨーゼフの言に、リチャードは頷く。
「おそらくそうだろうな。こうして我ら各国代表が見舞いたいと要請したのにはねのけられたからな。噂通り反乱で死んだのだろうよ」
「となれば、やはりルナ殿が次の皇帝か」
「ああ。と言っても戴冠するのはこの戦いが終わってからだろうが」
「ならば祝辞を用意しておかなければの」
ここで会話が途切れる。各々用意された飲み物に手を付けて黙り込んだ。
ぐいっと豪快に飲み干したリチャードが立ち上がる。
「おや、何処へ行かれるのか?」
疑問を口にするオルティナに、リチャードは剛毅な笑みを向けた。
「話のタネになっていた娘に呼ばれていてな。何やら重要な話があるらしい」
「ふむ……あれですかな、覇彩剣五帝所持者同士の語り合いかの?」
流石は一国の主、瞬時に検討をつけていた。
対するリチャードは曖昧な笑みを浮かべるだけで、何も言わずに部屋から出て行った。




