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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
六章 古き神話の終焉
132/223

十話

続きです。

 神聖歴千三十一年九月一日。

 アインス大帝国北域西部ヘイム平原。

 熱気に包まれる日々が過ぎ去り、残暑が残る日のことである。領域のほとんどが山地を占めている北域の数少ない平原――ヘイム平原で二つの軍が向かい合っていた。

 西には白地に黄金の天秤が描かれた紋章旗を掲げる軍勢が、東には白地に紫の剣が描かれた紋章旗を掲げる軍勢がいる。

 エルミナ聖王国――第一、第二征伐軍八万と、アイゼン皇国軍五万であった。

 にらみ合う軍勢、互いに相手を見据えて闘気を昂ぶらせいてる。

 そんな中、エルミナ聖王国軍陣地では軍議が開かれていた。

 上座に座る栗色の髪の女性――第一征伐軍司令官マーニュ・フランク・ド・メルクーアが口を開く。

 「それで、相手はアイゼン皇国で間違いないのね?」

 視線の先にいた一人の幕僚が重々しく頷く。

 『はい、そのようです。掲げる紋章旗にも間違いはなく、斥候によれば敵軍の先頭にアイゼン皇国現女王の姿を認めたとのこと』

 この言葉に天幕に居並ぶ幕僚たちがざわめく。

 『何故奴らがここに?』

 『アインスが味方を得たということなのか?』

 『だとしたら不味いな。他にも他国が同調してくる可能性がある』

 もしそうなればエルミナ聖王国側が不利になるだろう。アインス大帝国一国だけならまだしも、他の列強諸国が介入してくれば戦局は一気に怪しくなる。

 『戦力差もそうだが、こちらの補給線は伸び切っている。五軍が留守の間に本軍が陣を敷く〝天の橋〟を攻撃されたら厄介だぞ』

 『……ここは退くべきではないだろうか。本軍と合流し、本国に指示を仰ぐべきだ』

 一人の幕僚が発した言葉で更なるざわめきが起こった。

 『しかし我らの使命は神聖殿奪還であるぞ。その使命を放棄して退却するなど……』

 『そうだ!わが軍はほとんど損害を被らずにここまで来ている。そんな状態で撤退など〝聖王〟派に笑いものにされるだけだ!』

 過激な意見があれば、

 『だが、他国がどういった動きをしているのかが確かでない以上、進軍を続けるのは危険だ。最悪背後を取られることだってあるやもしれんのだぞ?』

 『ここは確実に勝利するためにもいったん退くべきだろう。〝聖王〟派の連中には好きなだけ笑わせておけばいい。それよりも被害をなるべく出さずに戦力を温存し、来るべき時に備えるべきだ』

 慎重な意見もある。

 場が熱を帯び始めた時――それまで黙っていたもう一人の司令官が言葉を発した。

 「皆、一先ず静かにしてくれ」

 金髪金眼の青年――第二征伐軍司令官アーサー・ブリトン・ド・ユピターである。

 彼は静けさを取り戻した天幕を見回して穏やかな口調で続けた。

 「皆の意見はよくわかった。俺だけでなくマーニュもね」

 隣に座る女性を横目で見やればかすかに頷く気配がした。

 そのことを確認したアーサーは眼前に置かれた長机の上から一枚の紙を手にする。

 「先ほど新たに入った情報を開示する。これを踏まえたうえで改めて話し合いたい……第五征伐軍が壊滅したそうだ」

 『――なっ』

 突然の悲報に驚く幕僚たちに、今度はマーニュが続けて言う。

 「やったのは英雄王の末裔〝黒絶天〟だそうよ」

 「これを受けて第三、第四征伐軍は占領した西域鎮台を放棄して退却、〝天の橋〟前の平原まで後退したらしい」

 幕僚たちはあんまりな報告に絶句している。これまで快進撃を続けていた自国軍が初めて負けたのだから無理もない。しかも相手は数々の輝かしい戦歴を持つ護国五天将〝黒絶天〟だ。

 「私とアーサーは神聖殿侵攻をいったん中止して退却すべきだと思ってる。神聖殿と同様に優先順位の高い〝黒絶天〟が見つかったのだから、〝聖王〟派にとられないためにも退くべきだとね」

 既に幕僚たちには英雄王の末裔の件は話してある。故に幕僚たちは意見を一つにし始めた。

 『……退却すべきだな。〝聖王〟派の連中に末裔を渡すわけにはいかない』

 『〝聖女〟さまから拝命した〝黒絶天〟の身柄の確保は最優先事項だからな』

 『ならばここで時間と兵力を浪費するわけにはいかない』

 意見が纏まったのを感じ取ったアーサーが告げる。

 「俺たちも〝天の橋〟まで下がる――それでいいな?」

 『はっ』

 声をそろえて返事を返してくる面々から視線を逸らして隣にいる幼馴染に向ければ、憂いに染まった美顔が目に入る。

 「……マーニュ?」

 心配そうに言うアーサーに、マーニュが鈍色の瞳を向けた。

 「私も同じ意見だけど……相対しているアイゼン皇国軍がどう動くかが問題じゃない?」

 「それもそうだな……じゃあ、使者を派遣しよう。こちらがこれ以上進軍する気はないって伝えれば、見逃してくれるだろうさ。相手だって無用な戦いは避けたいと思っているだろうし」

 「そうだといいんだけど……」

 なおも不安げな態度のマーニュ。アーサーはそんな彼女の手に自らの手を重ね合わせた。

 「……大丈夫、きっと上手く行くさ。二人でなら乗り越えられる。それに――」

 と視線を天幕内に向ければ、二人の関係を知っている幕僚たちが若干の呆れを含む、それでいて見守るような優しいまなざしを向けてきていることが分かった。

 「頼りになる皆もいる。この面子でならどんな苦難も乗り越えられるさ」

 ここに集うのはアーサーたちが〝聖女〟に仕え始めてから共に数々の修羅場を潜り抜けてきた戦友たちだ。故に上司と部下というよりも大きな家族といった関係にある。

 幕僚たちは皆アーサーたちよりも年上。だからこそ温かく見守る視線が送られている。

 それを感じ取ったマーニュは、アーサーの手をもう片方の手で包み込むと笑みを浮かべる。

 「……そうね。あなたたちとなら、どんな苦難だって乗り越えられる。これまでも――そしてこれからも」

 

 *


 一刻後。

 アイゼン皇国陣地にエルミナ聖王国軍の使者がやってきたとの報告を受けたミルトは、幕僚たちとの軍議を切り上げて己の天幕へと向かった。

 眼前には跪く使者がいる。

 『アイゼン皇国の女王陛下であらせられるミルト・フォン・アイゼン陛下のご尊顔を拝せたこと、まことに光栄の至りと感じております。此度は我が主アーサー・ブリトン・ド・ユピター様からの書状を預かっておりまして、ミルト陛下にお見せするようにと命じられております』

 「そうですか、ご苦労様です。では書状を見せてもらいますね」

 世辞に簡潔に返答したミルトは使者が護衛の兵に手渡した書状を受け取って開くと読み始める。読み進めるにつれ、徐々に笑みが広がっていくミルトを使者が不安げに見つめていた。

 やがて、読み終えたミルトが書状を折りたたみながら使者に話しかける。

 「エルミナ聖王国軍は即時、この場から引き上げる――これは真実ですか?」

 『はっ、その通りでございます。無用な争いを避けるべく、退くとのこと。ですので貴国の軍には静観を求めております』

 その返事にミルトはしばし考え込むと、頷きを見せた。

 「いいでしょう。わたしも無用な血を流したくはありませんし、神聖殿を攻撃しないのであれば静観いたしましょう。ですから、あなたの主であるアーサー殿にはアイゼン皇国軍は貴軍を攻撃しないという旨を伝えてください」

 『は、はっ!寛大なご処置真に感謝致します!』

 「今から正式な書状を書きますので、あなたは休まれるといいでしょう――近衛兵、こちらの使者殿を歓待しなさい」

 『御意に』

 去っていく使者と兵士。彼らが天幕を出れば、中にはミルトと側近の二人が残される。

 『ミルト女王陛下、よろしいのですか?ここで奴らを攻撃すれば、レン殿下の助力となりますが』

 側近の男が進言してくる。彼はミルトがアイゼン皇国全土を回って平定していた時に見つけた武芸者であり、いまやミルトの忠臣――近衛隊長であった。

 「いえ、まだ(、、)その時ではありません。わたしたちはここで疲弊せずに彼らの後を追うだけにとどめておきます。彼らは〝王〟が復活なされた時の生贄として取っておきたいですから」

 ミルトに喜悦を向けられた近衛隊長は深々と頭を下げる。

 『了解しました。全てはミルト女王陛下の御心のままに』

 

 *****


 神聖歴千三十一年九月五日――アインス大帝国西域鎮台ティグルン。

 荒れ果てた大砦、そこらかしこに瓦礫が散乱している。

 千年に渡ってこの地に存在し続けた西方守護の要たる大砦は見る影もなく破壊しつくされていた。

 蓮率いるアインス軍は現在、この地に陣を張って情報収集と軍の再編を行っていた。

 黒竜の紋章旗を掲げた大天幕の中では、外を同様にあわただしさに包まれていた。

 幕僚である中域貴族たちが、兵士が運んでくる情報を整理し、書類にまとめて司令官たる蓮の前に置かれた机の上に置く。

 そうすれば、蓮が次々に書類を読んでは情報を精査し、重要な情報に丸をつけて脇に置いていく。

 と、そこに恰幅の良い男がやってきた。ロイエ・バーボン・フォン・バステル副官である。

 「レン殿下、合流した西域貴族軍とわが軍の再編が終わりました。これで我らは五万――五軍に分かれている征伐軍一軍の数を越えましたな」

 「そうですね。けど、残念ながら敵は本軍と合流したみたいですから、各個撃破が望めないので戦力差は歴然ですよ」

 書類をさばく手を止めずに蓮が応じれば、ロイエが弾んだ声で更に言ってくる。

 「いえ、それなのですが、どうやらこちらに有利に働くやもしれませんぞ」

 その言葉に、ようやく蓮が顔を上げる。眼帯で覆われた左目がじっとロイエを見つめた。

 「……それはどういうことですか?」

 「どうにも敵は第三、第四征伐軍を解体して本軍と再編を図っているようでして、指揮系統の確立ができていないようです」

 「へえ、それは……朗報だね」

 本軍は十万、第三、第四征伐軍はいくらか減ったとはいえ未だ八万弱の兵数だ。軍を再編する際に、その数は邪魔となる。指揮系統の完全な回復には時間がかかるだろう。

 「でしょう?対してこちらは補給を終え、援軍を迎え入れて指揮系統も確立済み。士気も申し分ない高さにあります」

 何が言いたいのか、それを察した蓮が聞く。

 「つまり……今が好機、攻め時だと?」

 「ええ!流石はレン殿下、ご慧眼です」

 「……北にいる第一、第二征伐軍の動きはどうなっていますか」

 賞賛には眉一つ動かさずに訊ねれば、ロイエが手元にあった一枚の紙を見せてくる。

 「理由は不明ですが、どうにも奴らはヘイム平原で停止しているようです」

 報告書をざっと読んだ蓮は最後にもう一度(、、、、、、、)確かめるべく口を開いた。

 「では第一、第二征伐軍はこちらには向かってきていないということでいいんですか?」

 「はい、その見解でよろしいかと」

 その言葉に、蓮は全身を駆け巡る衝動を必死に抑え込んだ。平静を装ってロイエに応じる。

 「わかりました。なら、明日には出立し、〝天の橋〟を目指します」

 「承知致しました。それでは私は準備があるのでこれにて失礼致します」

 大天幕から出ていくロイエの背を、殺意に塗れた黒瞳で見つめる蓮。

 (確証は得られた。それに言質も取れたし、上々と言ったところだろう)

 蓮は視線を下に落とす。次いで多くの書類の下に隠してあった一枚の書状を手にした。

 それはミルトからの親書であり、中には四日前に第一、第二征伐軍が退却を始めたことが書かれていた。

 

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