九話
続きです。
翌日。
朝日が昇り始める中で、蓮はミッテル家の邸宅を出るところであった。
傍らには副官ロイエが、背後にはニール・ワイト・フォン・ミッテル――ミッテル家前当主カルドの息子がいる。
「それじゃあ、後のことは頼みましたよ」
「お任せを。事後処理が終わり次第、レン殿下の下へはせ参じます」
実は蓮が第二帝都に入城した時、このニールという男が秘密裏に接触してきたのだが、彼は祖国を裏切った父を許せず蓮に密告し協力を仰いできたのだ。
蓮はこれを利用してカルド亡き後の事後処理を任せるとこにしたという背景がある。
(ただし都合がよすぎるんだよな……)
蓮は笑みを向けてくるニールを胡乱げに一瞥する。
(けど確証がない現状ではどうしようもないか)
一応、頭の片隅に留めておくことにして正面に向き直りロイエと共に歩き出す。
「軍の様子はどうだい?」
蓮が訊ねれば、ロイエが手にしていた複数枚の書類を漁って応じてくる。
「上々と言ったところですね。補給を終え、兵士も久しぶりに羽を伸ばしたようです。疲労は回復、士気は第五征伐軍を破ったこともあってか高いままです」
ただ、とロイエは表情を曇らせる。
「不可解な報告があります。先の戦いで多くの中域貴族が死亡しました――しかも味方の流れ矢で」
「……それは確かに妙ですね」
「ええ。このことから指揮系統の見直しを図らなくてはいけなくなりました」
嘆息するロイエ。蓮も嘆きを含んだ息を吐く。
「敵の間諜が潜入している可能性が高いと判断すべきでしょう。第二帝都を出た後の野営時には警備を一段階強化してください。なるべく兵士を休ませたいところではありますが、背に腹は代えられませんからね」
「了解いたしました」
と言って去っていくロイエの背を見つめながら、蓮は重々しい息を吐いた。
(一部ではあるけど裏切り者を始末できた。使えそうな情報も手に入ったことだし、もうここには用はないかな)
報告によれば、敵は〝天の橋〟前の平野まで後退し始めたという。
(遅滞行動だけなら追いかける必要はない。だけど僕が求める結果はその先にある)
千年の大計、その実現の為に。
(……兵士たちには申し訳ないことをしてしまう)
蓮は心の中で謝罪を口にする。次いで視線を東の空へと転じた。
(もうじきルナが円卓にたどり着く頃――いや、もう着いてるかな)
彼女には本当に申し訳ないことをしてしまったが……それでも蓮にとっては復讐の方が優先順位が上だ。
「全てを終えた時――キミは僕を迎え入れてくれるかな」
答えは既に出ている。しかし、それでも蓮は呟いた。
「いや――それはないか。あるとすれば決別だけだ」
ルナでなければならない。彼女でなければ……。
「僕は復讐のためだけに生きている。だから全部終わったら――……」
呟きは風に消え、誰の耳にも届くことはなかった。
*****
その頃――ルナは再び会議に臨んでいた。
円卓には昨日と同じ面々が集っている。
「ふむ、具合の方はいいのですかな、ルナ殿?」
アルカディア共和国最高議長ヨーゼフの言に首肯したルナは立ち上がると一同を見回した。
「昨日はごめんなさい。私が未熟なばかりに無様な姿を見せてしまった」
開口一番に謝罪を述べたルナは決意の表情で言葉を発していく。
「私はうわべだけの言葉を並べ立てて、あなたたちを説得しようとしていた。けど、それでは駄目だと思うから……正直な想いを言おうと思う」
その言葉に興味深げな視線を投げかけてくる面々に、ルナは心中を吐露した。
「……確かに国は大事。だけど、私がエルミナ聖王国に抗う一番の理由は――レンなの」
「ほう、レン殿のためと仰るか」
緑蒼の髪を揺らしてオルティナが反応を示す。彼女は英雄王を熱狂的に信仰する者の一人であるがゆえに思うところがあるのだろう。
ルナはオルティナに頷きかけると頬を朱に染めながら言った。
「私は――レンのことが好き。いつまでも彼と共に居たいと思っている」
一瞬の静寂。次いで様々な感情の籠った声が上がった。
「ふはは、よもやそれを今言うか!」
「ほほう、なるほど……若いですのう」
「ええ!?そうだったのですか!?」
感心、納得、驚愕――差はあれど、共通しているのは肯定的だということだ。
一同の反応を確認したルナは言葉を続ける。
「エルミナ聖王国なんかとの戦いで彼を失いたくない。だから……協力してほしい」
言葉と共に頭を下げる。大国の皇女が頭を下げるという行為は滅多になく、それ故に他国の代表たちはしばしの驚きに包まれた。
やがて、言葉を発したのはヴァルト王国国王リチャードであった。
「……良いだろう、気に入った。余はルナ第五皇女に協力することをここに宣言しようぞ!」
次いでエーデルシュタイン連邦代表オルティナがルナに頷きかけながら口を開く。
「我らエーデルシュタインも協力しよう。私自身もルナ殿と同じ想いを抱いているからな」
その言葉に驚きを顕わにしたルナだったが、直後にアルカディア共和国最高議長ヨーゼフが言葉を発したことで感情を内にしまうこととなる。
「儂も協力しよう。その素直な姿勢に敬意を表してのう」
個人的な理由を口にするということは、こういった場では避けられがちだ。弱みを見せることになるし、軽視される危険性もあるからだ。それになにより恥ずかしい。
けれどもルナは想いを吐露した。若いなと言えばそこまでだが、各国の代表たちはそんな彼女の真摯な姿に胸打たれたのだ。
それに――、
「既に大体の準備は終わっている。我がヴァルトからは七万を派遣しよう」
「エーデルシュタインは未だ国内が安定していないことから出せるのは三万程度となる」
「アルカディア共和国からは五万じゃ。先のアインスとの戦いで軍関係の再編が終わっとらんからこれしか出せんが許しとくれ」
既に各国の準備は整っていた。
「な、なんで……?」
これには驚きを隠せないのか、ルナが呆然とした様子で言う。
対してリチャードがバツがわるそうに視線を逸らしながら答えた。
「既に末裔と密約を交わしていてな。もともと協力する手はずだったのだ。ただ、その前にお前を試したくてな――我らが力を貸すに値するかということを」
「すまんの、試すような真似をして。じゃが、どうしても必要なことではあった」
「すまないな。だが、結果的にやってよかったと思っているよ。力を貸すに――信じるに値すると分かったのだから」
唖然としていたルナだったが、気を取り直すように咳ばらいをして居住まいを正す。
「……ありがとう。敵は強大、だけど私たちが手を取り合えばきっと打倒できると確信している。共に戦おう!」
「おうとも!」
「うむ!」
「ええ!」
ここに諸国が共通の敵を前に一致団結を図った。
ルナは歓喜の念を抱きながら、想いを寄せる少年の顔を思い浮かべる。
(待っていて、レン。必ずあなたの背中に追いついてみせるから)
*****
神聖歴千三十一年八月二十五日。
アインス大帝国北域北部国境付近。
アイゼン皇国との国境、そこに五万の軍勢が集結していた。掲げる紋章旗は白地に紫の剣――アイゼン皇国の国旗であった。
『確かに印章が押されていますね』
アインス側の国境警備隊の隊長が書状を手に言う。
その書状にはレン第三皇子とブラン第二皇子の連名で通行許可を認める旨が記されていた。
『お引止めしてしまい、申し訳ありませんでした。どうぞ、お通り下さい』
警備隊長が告げる先には、白馬に乗った少女の姿があった。
アイゼン皇国女王――ミルト・フォン・アイゼンである。
彼女は幼いながらも整った顔立ちに笑みを張り付けて応じた。
「構いませんよ。あなたは職務を全うしただけですもの」
『そう言って頂けると幸いです』
頭を下げて見送る警備隊長を後目に、ミルト率いるアイゼン軍が進軍し始める。
先頭を往くミルト。そんな彼女に一人の貴族が疑問を投げかけた。
『ミルト女王陛下、何故アインスに協力するのですか?ここは混乱に乗じて領土拡大、ないしは手を出さずに力を蓄えるべきではありませんか』
その言葉に苛立ちを覚えたミルトであったが、かろうじてこらえると笑顔で振り返る。
「アインス側に協力するのは既定路線です。エルミナ聖王国が〝双星王〟信者を敵視していることはあなたも知っているでしょう?」
『無論です。しかし、せめて〝円卓会議〟の結果を待つべきだったのではないでしょうか。これでは勝手に動いたと他国から非難されかねません』
抱いていた危惧を口にした貴族が見たのは、殺気を放つ女王の姿であった。
「それでは手遅れになります。神聖殿が陥落するような事態になればどうなるか――あなたにもわかるでしょう?」
もう少し考えてからものを言えと言わんばかりの態度に、貴族が恐れから頭を下げる。
『も、申し訳ありません!私の考えが至らぬばかりに……』
ミルトは場の雰囲気が悪くなるのを避けるため、これ以上の怒りは不要と判断した。
「いいえ、わたしも少々感情的になりすぎました。それに疑問を素直に述べるのは褒められたことですから、これからも遠慮なく言ってくださいね」
年相応の可憐な笑みを向けられた貴族は毒気を抜かれたように呆けた表情を浮かべる。
ミルトは彼に一瞥をくれてやると正面に向き直る。内心は煮えたぎる怒りで支配されていた。
(まったく、わたしが何故こんな面倒な真似をしているのかも知らずに)
とはいえ、真の理由を口にできないのもまた事実。故に配下に感情を晒した自分を恥じた。
(……わたしもまだまだ子供ですね。けれど仕方ないじゃないですか、愛するレンお兄様の為に動いていることを貶されたみたいだったんですから)
西の空を見つめる。その瞳は欲望にぎらついていた。
(必ず約定を果たします。待っていてくださいね――レンお兄様)




