七話
続きです。
神聖歴千三十一年七月六日――アインス大帝国北東シュトラールの町。
炭鉱都市であるこの町にも初夏の陽気が訪れていた。主道の両脇には工芸品や武具などを売る露店が多く立ち並び、平時であればさぞ賑わっていたことだろう。
しかし――今日は違う。住人を始め、多くの観光客や商人たちが主道の脇に並び立ち、歓声を上げていた。
人々の視線の先には皇族のみが乗ることを許された馬車があり、その窓からは二人の皇族が民衆に向けて手を振っていた。
月明かりを連想させる銀髪に、赤と青の神秘的な虹彩異色の瞳を持つ第五皇女ルナ。反対側の窓では世にも珍しい黒髪黒目を持つ少年――第三皇子にして大将軍、そしてこの領地の領主でもある蓮が、微笑みを浮かべていた。
貴賤を問わず送られる尊敬の声。悪意の介在しない純然たる世界が広がっていた。
「いやはや、“軍神”の人気っていうのは凄いね。千年が経ち、しかも末裔だというのにこれなんだから、本人が出てきたらさぞ賑わうだろうね」
ブラン第二皇子が楽しげに言ってくる。
「……それだけではないと思いますが」
蓮はそう返して再び窓の外に広がる世界を眺めた。そこを注意深く観察すれば、蓮だけではなくルナに送られる称賛を見つけることができる。
(元々ルナは民衆からの人気が高い皇族だった。僕が現れたことで、その人気が若干減っただけだ)
それも回復の傾向にある。ルナの潜在的なカリスマが開花し始めたからだろうと、蓮は推測している。
(このまま行けば問題はない。なら、僕の役割は……)
気づけば、馬車が高台に置かれている邸宅の入り口にたどり着いていた。蓮は久方ぶりの再開に胸躍らせて思案を打ち切るのだった。
邸宅の正面玄関に着いた時、そこには既に使用人たちが立っていた。いつのまにか使用人たちの長的な立ち位置についていた少女――ステラが駆けてくる。
「ご主人様、お帰りなさい!」
そのまま抱き着いてきたステラを抱き留めた蓮は、苦笑を浮かべて応じた。
「ただいま、ステラ。僕が不在の間、よくこの屋敷を守ってくれたね。ありがとう」
「そ、そんなことはっ!皆さんが力を貸してくれたおかげです」
そう言って体を離して後ろを振り返るステラ。つられて視線を向ければ、そこには大勢の使用人が温かな視線をステラに送っているのが分かる。
(信用――いや、信頼されているな。ちゃんとやってきた証だ)
ステラは十四歳、使用人の中では最年少だ。そんな彼女が認められているということは、彼女が地道に信頼されるに足る実績を積み上げてきたということに他ならない。
蓮はこみ上げてくる歓喜に思わず笑みを浮かべる。するとルナが後ろから声を掛けてきた。
「……レン、ひとまず中に。ここは暑いから……」
「ああ、そうだね。じゃあ、行こうか」
「はい!ご案内いたします!」
元気溌剌といったステラに手を引かれて邸宅内へと進む。
「これは……修羅場の予感がするね」
後ろでブラン第二皇子がなにやら言っていたが、蓮は聞かなかったことにした。
邸宅内は外の暑さとは無縁の涼しさであった。これは大貴族の邸宅にならばあるであろう神器によるものだ。この神器は室内気温を一定に保ってくれる優れものである。
「そういえば、アリアたちの姿が見えないようだけど……」
蓮が邸宅を“天眼”でざっと見渡せば、
「アリア様はラインと一緒に“天軍”を連れて近くの鉱山へと向かわれました。魔物が出たそうなので、いい演習になるとおっしゃっていましたよ」
ステラが答えてくれた。
「なるほどね……ってことはラインは元気になったのか」
(でもラインは魔族の可能性がある。裏で繋がっていたら最悪だけど――)
それはないと蓮は結論付けていた。今まで接してきたが、あれが全て演技であるなど思えなかったからだ。
(シエルは彼の姉。であるなら、シエルを“天眼”で“視”ればいい)
「ステラ、シエルは居るかい?」
「シエルはマリー様と一緒に領地の視察へ赴かれています。帰宅は今日の夕方ごろになるかと」
「そうか……分かった。じゃあ、空いている部屋に彼を連れて行ってほしい。しばらくここに滞在することになっているから」
蓮がそう言ってブラン第二皇子を指し示せば、ステラは疑問符を浮かべる。
「ご主人さま、こちらのお方は……?」
蓮は紹介しようと口を開きかけるも、ブラン第二皇子が先に喋り始めたことで黙った。
「初めまして、お嬢さん。僕の名はマルク・オーベン・ブラン・フォン・アインス。気軽にブランと呼んでくれていいよ」
柔らかに笑いかければ、使用人の女性陣が黄色い声を上げる。しかし、ステラは臣下の礼をとった。
「第二皇子殿下であられましたか。わたしはステラ、レン第三皇子殿下の侍女です。このたびのご来訪、心より歓迎いたします」
洗練された振る舞い。蓮を始め、ルナやブラン第二皇子ですらも驚きに目を見張った。
「これは……素晴らしいね。キミは良い侍女を持っているようだ」
ブラン第二皇子はしてやられたとばかりに苦笑を浮かべると、案内を受け持ったステラに連れられて去っていく。
「ステラ、成長してた」
ルナが驚き覚めやらぬといった様子で囁いてくる。
「そうだね……たぶんだけど、マリーが教えたんだと思うよ」
「お姉さまが?」
「うん、マリーはその手の儀礼作法に強いから」
無論それだけではない。ステラの綿に水をしみこませるが如き成長速度や努力などがあったためだと思われる。
(男子三日会わざれば――というけど、女性でも同じことが言えるな)
ルナやステラといった自分の周りがどんどん成長し、頼もしくなっていく。寂しい思いもあるが、今後を考えれば喜ぶべきことだろう。
(これなら……)
蓮はこの場を解散しながら、未来に思いをはせた。
****
その夜、返ってきたアリアたち“天軍”の面々にあいさつをして、マリーたちとも合流した蓮は食卓を囲んだ。温かな料理に、和やかな談笑。穏やかな時間が流れていく。
その後、蓮はラインとシエルと連れて三階にある自室へと向かった。目的は魔族の件である。
扉を閉じた蓮は“天眼”を使って、周囲を探る。誰も聞き耳立てる者がいないと分かったことで、視線を姉弟へと向けた。
「さて、二人を連れてきたのはあることを確かめたかったからだ」
そう言えば、ラインが疑問を発する。
「レン兄、どういうことだ?」
「ライン、キミならば分かるはずだ」
蓮がそう返せば、ラインは僅かに考えるそぶりを見せたのち、
「あ!もしかしてアース砦でおれが気を失ったことか?」
「その通り。そしてラインはその時、奇妙な現象を体験していたはずだ……分かるかい?」
再び考え込む。
「……いや、わかんないな」
「そうか……」
(自覚はしていないか。となれば……)
蓮は眼帯を一撫ですると、意を決して告げた。
「ライン、キミはあの時も、アイゼン皇国でキールと戦った時も、全身から紫光を発していたんだよ……魔族しか持ちえないはずの魔力を、ね」
「――なっ」
驚きに包まれる姉弟。言葉を発せない様子の弟に代わって、シエルが訊ねてくる。
「レンさん、つまり私たちは千年前に滅びた魔族だというんですか?」
「その可能性があるというだけで、まだ確定ではないよ。それを調べるために協力して欲しいんだ」
蓮は説明する。ヴァルト王国との戦いで滅びたはずの魔族と会ったことを、そして“天眼”の力の事を。
話し終えると、シエルはしばし思案気に目を瞑り――やがて意を決した様子で口を開いた。
「レンさん、お願いします。私たちが何者であるのかを教えてください」
「姉ちゃん!?」
驚きの声を上げるラインに、シエルが諭すように言う。
「ライン、私たちには過去の記憶がない。両親の記憶も、故郷の記憶もなくただ荒野をさまよっていた。そんな私たちだけど、レンさんと出会えていろいろな経験をしてきた。この温かい記憶だけでも生きてはいけるけど……やっぱり私は知りたい。自分が何処から来たのかを。そうしないと――何処へ行けばいいのかを決められない、そんな気がするから」
「姉ちゃん……」
話し合う姉弟に、蓮は頼もしさを感じた。
(もう、出あった頃のような弱さは感じない――強くなったな)
「……分かったよ、覚悟を決める。それにおれも知りたいから」
「うん、ありがとうライン……では、レンさん、お願いします」
決意の眼差しでこちらを見つめる姉弟。蓮もまた覚悟を決めた。
「ライン、シエル。たとえキミたちがどのような存在だったとしても――僕や皆は決して変わらない。それだけは約束しよう」
そして――“天眼”を発動した。
****
一方その頃、マリーはブラン第二皇子と町を見下ろせる露台にいた。二人の間に漂うのは兄妹が久方ぶりの再会を祝うものではなかった。
「それで、一体何が目的なのです?」
「おいおい、呼び出しておいてそれはないだろう。まずは再会を祝そうじゃないか」
そう言ってワインが入ったグラスを掲げるブラン第二皇子。
「ふざけないで。あなたが邪な考えをもっていることくらいお見通しですわよ」
「ああ――忘れていたよ。キミにはその瞳があるんだったな」
ブラン第二皇子がマリーの左眼を見やる。そこには金色に輝く神秘の瞳があった。
「三種の神眼の一つ“人眼”。確か相手の思考が読めるんだったね」
「ええ、そうですわ……けれど、何故かあなたの思考は大雑把にしか読めませんけど」
「ははっ、そうだろうね。僕にはコレがあるから」
ブラン第二皇子は空いていた手で腰を叩く。金属音が軽く鳴り、マリーが視線を送れば鞘に納められた直剣を認めることができる。
「堕天剣五魔“堕水”。僕の相棒さ」
「堕天剣五魔……あなた正気ですか?」
一歩間違えれば魔物と化してしまう禁忌の魔器であることを知っている者であるならば当然の反応。しかし、ブラン第二皇子はそれを一笑に付した。
「はっ、恐れていては力など手に入らない。それにこの先を思えば、無理をしてでも力を手に入れておく必要があったんだ」
ワインを一飲み、ブラン第二皇子は優雅に笑う。
「さて、愛しい妹の質問に答えようか。僕の目的はね、新しくできた弟を見守ることさ」
「……レン様を、ですか。しかしあなたが何故……?」
「ふふ、それこそキミお得意のその瞳で見通せばいいんじゃないのかい?」
「あなたはまだマシですが、レン様は完全に“視”えないのです。なので分かりようがありませんわ」
“人眼”に手をやるマリーに、ブラン第二皇子が心底愉しげな笑みを向ける。
「それは当然だろう。彼は“王”なのだから」
「“王”?あなた一体何を言って――」
「おっと、つい口を滑らせてしまったよ。やはりアルコールは危険だね」
問いただそうとするマリーを手で遮ったブラン第二皇子は、ワインを飲み干して室内へと足を向けた。
「もはやだれにも止められない。千年続いた“停滞期”はもうじき終わりを告げる」
意味深な言葉を残して去っていく彼の背を、マリーは呆然と見つめるしかなかった。




