弱者の足掻き
「……」
何も出来なかった。
目の前で仲間が連れ去られたというのに、俺は何も出来なかった。そりゃあ奴には何度も攻撃し続けたし、何度も掴み掛かった。しかし、それは奴にしてみれば、一切気に障るようなことでは有り得なかったのだ。だからこそ奴は俺達に対して、まるで羽虫を振り払うかのようなことしかしてこないのだ。
そんな事しか出来ないのならば、その程度のことにしか思われていないのであれば、そんな足掻きなどしていないに等しい。
「リーダーのところに戻ろう」
俺がなんとか絞り出せた声はこれだけだった。
最早恨み言すら口にできなかった。それほどまでの差が、決定的なまでの壁が隔たっていた。
「……ああ、そうだな。だがその前に録音機をブッ壊す」
俺はタウルスの言葉に少しだけ驚いた。そんなことしても全くの無駄だろう、と言いかけたが、いいとどまった。
確かにそんなことをしても奴は痛くも痒くもないだろうが、それでも奴の手のひらの上で踊らされている現状は打破出来ると思ったからだ。
いつあの曲が流れてくるのかと怯え、曲が聞こえてきたと恐怖し、そして仲間が連れ去られたと絶望する。すべてが奴の思惑通りに運ぶ。
そんな現状に甘んじるくらいならば……。
「これが録音機だな?」
時計台の装置を覗き込み、コードが切断されている部品を発見する。こいつを破壊すれば奴からの予告は無くなるわけだ。つまり、いつ現れるかわからなくなる、と言うことだ。
俺はタウルスと目を合わせると、互いに頷いた。これ以上奴に弄ばれる屈辱を受けながら、一方的に搾取されるぐらいならば、恐怖におびえ続けた方がはるかにましだと思えてならないからだ。
タウルスが録音機を掴むと、そのまま斧で粉砕した。これであの曲が流れることもないだろう。
「よし、これでいい。リーダーのところへ戻るぞ」
果たして俺達がやったことは正しいことなのだろうか? それはわからないが、少なくとも今は安心感の方が多い。
俺達二人は一階に戻ることにした。
「……そうか、やはり」
俺達が二人だけで降りてきた時の反応は予想通りのものだった。
俺はそのまま、さっきの出来事を全て伝えた。
「奴はまともな人間だというのか? あんな出鱈目な人間が本当に存在するのか」
俺達が犯したミスについては、敢えて追求されなかった。奴が幽霊ではないことに気付いた時点で戻っていれば、もしかしたら、何か作戦を思いついたかもしれない。その可能性は低く、しかも通用するとも思えなかったが。
「そうだ。奴は紛れもない人間だよ。俺達が怯える姿を見て楽しんでやがるんだ」
「クソ! 俺達の事を嘗めやがって! こうなったら人質を血祭りにしてやる」
「そんなことしても無駄だろうな。これは完全に人質の無事など考えていない。ミリア姫さえ無事ならば、危害が及びさえしなければ何でもいい。そういうやり方だ。そして我々には彼女に危害を加えるという選択肢は有り得ない」
流石王宮貴族達だ。俺達の事をしっかりと調べ尽くしてやがる。このままじゃあ、俺達は遅かれ早かれ全滅する。かといって敵の一番困ることは、俺達にとっても一番困ることだ。
いや……そうか、それがすでにズレてやがるんだ。俺達にとって一番困ることは、奴らにしてみたらそこまで困ることじゃないんだ。あいつ等からしてみたら魔王復活、これさえ阻止できりゃあどうでもいいんだよな。
それじゃあ、万策尽きたのか? そんなはずはない。こんな悠長な真似をしているのだから、恐らく俺達に残された時間を把握していないのだろう。
だとしたら、俺達が奴に一矢報いるとしたら、それまで堪えつづけるしかないのか。
「リーダー、ピスケスを守った方が良いんじゃないのか?」
ここまで窮すれば、もうなりふり構っている場合ではないだろう。ピスケスさえ無事ならば転移魔法は実行出来るはずだ。
「それは大丈夫だ。ピスケスの転移魔法はすでに発動自体はしているからな。たとえ死んだとしても問題なく魔法は発動する。それにもしかしたらこれは、転移……空間魔法を使える者を炙り出すための策なのかもしれん。だとしたらむしろ自分からバラすような行動は控えた方が良いな」
なるほど? 敵に捕まって魔法を解析されて、しかも解除されるぐらいならば、いっそ死んでくれた方がいくらかマシってわけだ。
「夜明けまであとどれくらいだ?」
「もう少しだ。それまでこの屋敷の内部にいれば間違いなく転送される」
その時だ。二階の方で何か物音がした。窓ガラスが割れる音だろうか? そんな感じの音がすると、全員が階段に注目した。
全員の警戒心がマックスになる。来るのか? 奴が。
しかし、俺達の警戒心は一瞬で背筋の凍るような恐怖によって塗りつぶされることになる。
誓っても良い。俺は絶対に確認した。録音機をタウルスが破壊したことを。しかし、そんなことなんてなかった、とでも言うかのようにあの曲が流れてきたのだ。
なぜだ? なぜ壊したのに聞こえてくる?
「落ち着けよ。いくらでも説明できることだ。要するに外の連中とグルなんだからな」
ああ、そうだな。代わりの録音機なんていくらでもあるだろうな。
「兎に角、水でも飲んで落ち着こう。さっきから喉が渇いて苦しいんだ」
リーダーがそう言うと、コップに水を注ぎ飲み始めた。リーダーに続いたのはタウルスとアクアリウスだけだったが。
三人はひたすら水を飲み続けた。
おい、いくら何でも飲みすぎじゃないか? 普通コップで三杯も一気飲みできるものなのか?
「いくら何でも飲みすぎじゃ」
「渇くんだよ! 飲んでも飲んでも! 足りない! ……み、水……の、ど、、が……」
何だ!? 一体どうなっている!?
そういえば降りてきた時から部屋の空気が乾いているような気がしたが、気のせいではなかったのか? しかし魔法ならば何か水晶に反応があるはずだが。
「くる。足音が、だんだん大きくなっている」
言われてみたら確かに足音が聞こえてくる。そしてその音が近づいてきている。姿こそ見えないが間違いなく近くにいることだけはわかる。その事実が俺の心臓を締め付けてくる。心拍がたかなり、気が狂う程の恐怖が全身に襲いかかる。
「落ち着け……音をよく聴くんだ」
緊張で吐く息が荒くなるが、それでも足音は耳にしっかりと入ってくる。大丈夫だ。これなら、戦える。
……消えた。足音がすぐ近くまできこえていたのに、立ち止まったのだろうか? 音楽だけが聞こえる。いつの間にか俺は呼吸を止めてしまっていた。呼吸の仕方がわからなくなってくる。いつもできていたことができなくなってくる。
どこだ? どこにいる? 今誰を狙っている?
「……! ……っ、うわあああ!!」
アクアリウスの叫び声が聞こえる。しかし、そいつの周りにはなにもない。
「お、おい!」
呼びかけたが無駄だった。何も聞こえてはいないだろう。
彼はそのまま、走り出してしまった。そして、黄色い光が近づいてきている。
駄目だ! こっちに来い! そう叫んだ……つもりだった。しかし、なぜか声に出すことが出来なかったのである。怖かった。確かに怖かった。しかし恐怖で声が出なかったのではない。のどがかれていたのだ。
「く、くるな! 来るなぁ!」
そう言えば何故アクアリウスはさっきまで喉がかれていたのに、あんな叫び声をあげることが出来たのだろうか?
「クソ! 畜生ォォォォ!」
辺り一面に大量の水が噴き出してくる。アクアリウスの魔法によるものだというのが、水晶の青い光……むしろ、もやのように見えるがとにかく、水晶を見たので一目瞭然だった。
「はあ、はあ、……嘘だ……そんな」
一体何がどうなっているんだ? 水がどんどん減っていく。これはもはや消滅している、といった方が適切だと言える程だ。まさか、魔法を無力化しているのか? そんな荒唐無稽なことを考えていたが、すぐに自分の間違いに気づく。
仮に魔法を無力化できるなら、何故今このタイミングなんだ? もっと早く、最初からやればよかったのに。水が弱点なようにも見えない。だとすると、単純に水を消す魔法か? しかし水晶に何の反応も無いのはなぜなんだ。
「ひっ、た、助けて……! 誰かっ、誰……! たす……け、て」
助けをこう声が無情にもこだまする。水晶の青い光が強く輝き続けているのを見ると、より強力な魔法を発動しているのだとわかる。しかし、俺達が実際に見ているのはカラカラに乾燥した部屋の中で、首を掴まれ宙に浮いているアクアリウスの姿だ。
今更ながらに理解した。無駄だったんだ、すべてが。俺達では奴に勝つことなんて出来ない。
すでに全員がその場にうずくまってしまった。心が折れてしまった。
アクアリウスの呻き声が聞こえてくる。仲間の声だ、それなのに勇気が湧いてこない。顔を上げるのが怖い。もし奴と眼があったら次狙われるのが自分になりそうで、体が動かない。それなのにどうして!?
「……だ、俺だ……俺が相手だこの化け物が!」
不思議だった。何故声が出せるのだろうか。こんなに怖いのに、身体が震えているのに、何故奴を見ることが出来るのだろうか。だが、俺は声を出すことが出来た。震えながらも立ち上がることが出来たのだ。
勇気じゃない。あいつへの友情でもない。
一つだけ確かなことは、俺はもうすぐ死ぬ。
俺の未来はこいつに殺されるのか、あるいは、さもなくばここから逃げて外の連中に殺されるのか、二つに一つだ……。まったく、感動的な話だよな、ええ? テロリストが死ぬんだ。美談に決まってる。
どうせ何やったって死ぬんだ。ならカッコつけてもいいよな?
最期くらい、最期なんだから。
「どうしたよ? 俺が怖いのか?」
奴の動きが止まった。少しだけ動きを止めると、アクアリウスを投げ飛ばして、俺の顔を一瞥する。
蛇に睨まれた蛙、という言葉を思い出した。今まさにそんな状況だ。畜生、こんなに違うのかよ……? 奴を見るのと奴から見られることが。さらわれた奴はこんな目に遭ってたのか?
「そ……だ、俺が……いてだ」
呂律が回らない。言葉が出ない。こんな最期なのか? ガタガタ震えて、まともに決め台詞も言えずに。それにまだ童貞なのに。
奴がゆっくりと歩いてくる。手を俺の方に伸ばしてくる。ダメだ、終わりだ。
奴の手が俺の頭を掴む。それでも俺は奴を睨み続けた。それ以外にできることなんてなにもなかった。俺にできる最後の、せめてもの足掻きだった。
奴は俺を掴んだまま窓へと近づいた。天蓋とかいう男が滑り落ちたあの窓だ。そこから飛び降りた。
「モウ、ジュウブンダナ」
衝撃的だった。こいつ喋るのかよ。いや、人間だってわかってんだから喋るのは当たり前なんだが。
俺のこの驚きは滅多なことじゃかき消されないと思ったが、そんなことはなかった。
奴が大きな声で吠えた。その声は近くに落ちた雷ですらが囁きにすら思えるほどの轟音だった。俺が雷魔法を得意としていて、そのせいで目と耳が悪くなっていなければ、確実に失神していただろう。
そしてこの声、やはり聞いたことがある。少し前にここから落ちた奴だ。本当に同一人物だったとはな。なんにしても、俺は日の出を見ることはないだろう。
叫び声が何かの合図だったのだろうか。外にいた連中が屋敷の中に突入していった。もう戦う気力なんて残ってはいない。俺達のテロリズムはこうして幕を閉じた。




