無力感
「冗談じゃない! またこの曲か!?」
「曲? 今流れている賛歌のことか?」
交渉人が聞いてくる。
「黙れ! どうせ貴様らが仕組んだことなんだろう!?」
リーダーが声を荒げて問いただす。その声には余裕がないのがよくわかる。リーダー、交渉人に対してそんな感情を露わにしたら拙いだろう。間違いなく足元を見てくるぞ。
「仕組んだ? 一体何を? 我々は何も仕組んでなどいない。いいか、レオ。私はただこの事故について詳しいことが聞きたいだけなんだ。あの得体の知れないものは何なのか、まったくわからないんだ」
クソ、一体どうなってるんだ? 交渉人の言葉を鵜呑みにするわけにもいかない。やはり敵の罠なのか。
「白々しいことを云うな! これ以上ふざけたことを喋ったら人質を殺すぞ!」
あんたなんて事を言うんだ!? ここまで来て自分から騒ぎを起こしたら、全部水の泡になるかもしれないんだぞ!?
「リーダー! 少し落ち着け! おい、交渉人! えーっと、名前なんてどうでもいい! 今こっちはあんたと落ち着いて話をしている場合じゃないんだ。一旦切るぞ」
俺は急いで通信を切断した。これ以上場を乱すと何が起こるかわからなかったからだ。俺は一度深呼吸してから、リーダーに詰め寄った。
「どういうつもりだよ、リーダー! あんたらしくもない。今の俺たちが、強行手段をとられて冷静に対処出来ると思っているのか!?」
俺の今の言葉に反論してきたのはリーダーではなく、ウィルゴだった。
「じゃあこのままじっとしているって言うの!?」
ウィルゴの表情からも余裕は一切感じられない。その顔はいつもの健康的なものではなく、まるで病人であるかのように蒼白だった。
一体どうなっているっていうんだよ? あと少しで脱出って話じゃなかったか。それがどうしたことだ、ほんの一時間足らずで士気はがた落ち、リーダー達も戦々恐々としている。こんなことで夜明けを無事に過ごすことが出来るのか? これじゃあ、ほんとにいるのかどうかもわからない幽霊騒ぎで全滅だってありえるぞ。
「だから落ち着けって言ってんだ! ここで冷静になれなきゃパニックだぞ!」
俺自身が冷静になれていない。一人の動揺がどんどん広がっていく。まるで感染症のように、伝染していってる。
「静かにしろ! 一旦全員集まろう。話はそれからだ」
アリエスが俺たちに一喝した。この一言で俺たちはひとまず呼吸を整えることには成功した。
「そうだな、全員の意見が聞きたい。これは敵の罠かどうか。一旦部屋に戻ろう」
リーダーも冷静を取り戻している。そうだ、敵がどんな策を弄してきたとしても、俺たちに対処しきれないなんて事があるわけがない。こいつらの実力は仲間である俺が良く知っている。訳のわからない奴に遅れを取るなんて、そんなことがありえるはずがないんだ。
しかし、そんな俺の考えが、全くの身勝手で傲慢な考えだと気づかされるのは、なんとその数秒後だった。俺はまだ何も知らないガキだと思い知らされてしまった。この世の中には俺の知らないことなど山ほどあって、ここにいる全員がそのほんの一部のことを知っただけで、この世の総てを知った気になっていることに気づかされた。
何のこともない、たった一つの悲鳴と、その悲鳴が止んだ後の静寂……曲が止まってしまった。という事実が、俺たちの心に無言の圧力をかけてくる。
水晶は青い光をひたすら、点滅させていた。
「今の悲鳴は!?」
その短いたった一言がクラウディアの口から出終わる前に、俺たちは部屋に向かって走り始めていた。そしてその部屋には、一人の男を除いて全員そろっていた。
ああ、どうしてだよ、ゲミニ。どうしてお前がいないんだ? お前達がいながらどうして。
「どういうことだ! 一体何があった!? ゲミニはどうした」
駄目だ、リーダー……そんなこと聞かないでくれ。俺はあいつがいない理由なんて聞きたくない。
誰か、嘘でもいいんだよ。冗談だといってくれ。どっかに隠れているんだと、そう言ってくれよ! なんでそんな深刻そうな顔をしているんだ。
「攻撃したんだ……思い切り、奴の腹に殴りかかってやった。手ごたえはあった。奴は幽霊なんかじゃない、そうだろ? 幽霊だったら」
何だよタウルス。 その顔は一体どうしちまったんだ? お前は俺たちの中でも一番の怪力じゃねえか。それがどうしてそんな下を向いてんだよ?
「効かなかったのか? 本当に当てたのか?」
「俺だけじゃねえ! 他の奴も魔法を直撃させた! それなのに、それなのに奴は平然とゲミニの頭を鷲掴みにしたんだ! あんなの人間じゃねえ、掴んだ後もだ! 俺たちは必死に攻撃し続けた! それなのにあれは、……あれは、意に介さずに部屋から出て行った。そして、曲が」
「わかった、もうわかった! 一旦落ち着こう。まずは情報を整理しよう」
リーダーの言葉で大人しく全員が座り込んで話し合った。この状況で全員がそんなことしたら危険なのは本来なら百も承知のはずだった。それなのにみんなで座り込めたのは、やっぱりあの曲が流れていないからだと思う。ただの偶然だって納得したはずなのに、ここにいる全員が静寂なのに安心しちまっていた。
そして実際のところ、静かなときは変なことなんて一切起こらなかった。畜生、馬鹿にしやがって。
「つまり、お前たちを襲ったのは人の姿をした何かだったんだな」
あの時人質と一緒にいた奴らは黙ってうなづいた。こいつらが言うにはそいつは人の姿をしていたらしい。堂々と現れたそいつはゆっくりと歩いて近づいてきたらしい。そして全員からの攻撃を避けるでもなく、防ぐでもなく、全て平然と喰らってゲミニを掴んだ。そしてその後は。
「馬鹿な……そんなことが」
リーダーは信じられない、いや、信じたくないといった表情をしている。恐らくここにいる全員が、人質たちですらがそう思っているだろう。
「特徴は? 何かわかりやすい特徴はあったか?」
「ああ、真っ黒な肌をしていた。口は真っ赤で、眼はこの薄暗い中でも爛々と輝いていたぜ、黄色くな」
おいおい、何だよそれ? それじゃまるで。
「まるで、この屋敷から落ちた男みたいだな」
そう、天蓋とかいう男の特徴に似ている。もちろん、正確には違うことなどわかっている。肌は黒ではなく褐色肌だったし、眼の色も黄色と言えば黄色だが、かなり明るい透明感のあるアンバーだった。
だが、この国の人間にとっては、どちらも珍しい特徴だと言えるだろう。だからこそ、すぐに幽霊騒ぎの犯人とあの男を連想するのは、当然の成り行きと言えるだろう。
しかし、それはあることを意味することになる。
「もしあの男が犯人なら、なぜミリア姫を助け出さない?」
その通りだ。あいつの目的は人質救出のはず。それならさっさと姫を助け出して、総攻撃を仕掛ければいい。そもそも奴は魔王復活さえ阻止できれば、それがどんな形で果たされようがどうでもいい訳だし、それについてはあいつ自身が話していたらしいからな。
「そもそもあいつが犯人だとしたら、スコルピウスの事はどうなる? あの時この部屋から出て行った奴はいない。あいつだってずっとこの部屋で座っていただろう」
確かに、最初に消えたのがスコルピウスなのはどういうわけだ? あの場所にいながらどうやって……?
「やはり、この屋敷を捜索してみた方がよさそうだな」
「危険過ぎる」
「ではどうするつもりだ? このまま奴の思惑通りここで怯えて待つつもりか?」
結局リーダーの意見の代替案が出てこなかったので、二階の時計と録音機を調べることになった。当初実行するつもりだったメンバーと同じ人物が選ばれた。
つまり、俺とタウルス、そしてアリエスの三人だ。
「二階を捜索して、何もなかったら戻ってこいよ。スコルピウスに出会ったらカンケル、お前が状況を説明すること。いいな?」
「了解」
そう言うと、二階へ上がって行った。
「これが例の時計台か」
部屋の明かりを点けると、目の前には大きな時計台の装置が目に入った。どうやら屋敷の壁にくっついている巨大な時計台と連動しているようだった。
「録音機っていうと、あの装置の中に組み込まれているのか?」
「らしいな、俺が確認するからタウルス、カンケル、辺りを見張ってくれ」
そう言うと、アリエスは装置を弄くり始めた。
「えーと、これがここに繋がっているから……、録音機は、……このケーブルか。……畜生! ふざけんじゃねぇ!」
突然大声を張り上げた。
「おいどうした?」
「どうしたもこうしたもあるか! すでに切断されてんだよ!」
一瞬で背筋に悪寒が走るのがわかった。自身が脈打つ心臓の鼓動がはっきりと聞こえてくるようだ。舌が渇いてくる。俺は唾を飲み込み、注意深く慎重に話しかけた。
「つ、つまりそれは、スコルピウスがちゃんと仕事をこなしたということだな?」
「そうだ……そして、それはつまり……機械の故障ではなくて誰かが人為的に操作したという証拠でもある」
本当に何かがいるってことか……化け物じみた何かが。
「別の部屋を調べてみよう。何か手掛かりがあるかもしれん」
タウルスの指示通りに別の部屋へ移動する。
もしかしたらスコルピウスに会えるかもしれない、行方不明の手掛かりが何か掴めるかもしれない、という淡い期待はことごとく裏切られてしまった。
「駄目だ……何の手掛かりもないとはな」
「他に調べる場所も、もうないだろう。どうする? 一度下の階に戻るか」
アリエスからの提案に対して俺は生返事で返していた。アリエスの顔を見ると、その背後にはさっきまでいた部屋、つまり録音機の部屋が見える。恐らくドアを閉め忘れたのだろう、しかも明かりまで点けたままだった。何となくだが気味の悪い部屋に思えた。
そのためだろうか、アリエスから話し掛けられた時、その時の俺は特に何も考えていなかった。強いていうなら偶然、あるいはさっきまでいた部屋への警戒心だろうか? とにかく何気なくさっきまでいた部屋を眺めていた。
何かが見える。一見すると黒い人の形をした影のようなものが部屋の中をさまよい歩いていた。そして、奴は装置に近づいて何か弄くり回しているようだった。
次の瞬間には、予想通りの事が起きた。俺の脳裏に焼き付いた記憶が想起される。と言っても、ほんの数分前の事だ。ここまで想像通りだと、恐怖よりも悔しさと怒りがこみ上げてくる。
こいつだ。こいつが仲間を何処かへ連れ去ったんだ。そしてこいつは明らかに幽霊なんかじゃない。どうして幽霊が、過去に死んだはずの人間があんな最近認められた簡易版の修道服を着ることができるというんだ? 殉教者は敬虔な信者でなければならないのに。
予想通り流れてくる曲が鳴り始まる直前、俺はすでに武器を構えていた。それを見ていた他の二人も俺の行動の意味を察して部屋を睨みつける。奴はまだ気づいていない。
曲が流れたと同時に俺達は走り出していた。奴はそこでようやく俺達に気づいた。だがもう遅過ぎる、俺は二振の剣を振り上げ奴の首に斬りつける。奴は微動だにしないが、そんなことは想定内だ。
「行け! タウルス!」
「まかせろ!」
大男の頼もしい声と共に巨大な斧が奴に直撃した。そして俺はすかさず魔法を発動させ、奴に電撃を浴びせることに成功した。風属性に分類されるこの魔法はかなり異質なものであり、その速度は発動を視てからでは決して避けることが出来ないほどとまで言われている。
このまま三人で攻撃を仕掛け続けたが、奴は呻き声一つあげずにゆっくりと動き始める。
「こいつ本当に神経通ってんのかよ!?」
「泣き言なんてほざいてんじゃねーよ!」
俺達の決死の攻撃も、まったくと言ってよい程に効いてはいなかった。俺達の息が切れた頃を見計らって奴はアリエスを右手一本でネックハンキングツリーにした。
「おい、ふざけんじゃねぇよ」
俺は思わず奴に掴み掛かった。当のそいつは俺の事など意に介さずにアリエスを掴んだまま、部屋から出て行こうと歩き出した。
「待てよ。なんかいえよ! この化け物が!」
俺は足にしがみついたまま、叫び続けた。しかし奴はタウルスを左手一つで投げ飛ばし、俺は蹴り飛ばされ、壁に激突してしまった。肺から空気が吐き出され、意識が朦朧とする中俺が見たのは、アリエスを肩に背負いながら窓から飛び降りた奴の後ろ姿だけだった。
まだ曲は流れている。奴はどうやって曲を停止させるのだろうか? そう思った矢先に曲はプッツリと途切れてしまった。録音機の方を見ても、時すでに遅く。すでに明かりは消されており、ただ静寂のみが残るだけだった。




