何かがいる
「おい、どういうことだ!? なんでまたこの曲が流れるんだ!」
ピスケスが大声を出す。
「どうせあの女がふざけているだけだ! そうに決まってる」
この声はウィルゴだ。この状況で悪ふざけをしているのであろうスコルピウスに対し、本気で怒っているのがわかる。
「リブラ、探知魔法でスコルピウスがどこにいるか特定できるか?」
リブラと呼ばれた小柄な男は首を横に振った。
「残念ながら。でも、少しでも魔法を発動すればすぐにわかるよ。皆に渡しておいた水晶があるだろう? 味方が魔法を発動すれば青い点が映るからそれで各自確認してくれ」
支給された水晶を取り出し、覗いてみると水晶の中にこの屋敷の見取り図? のようなものが映し出された。
これは恐らくリブラがこの屋敷を探索したことで、その時のデータが反映されたのだろう。部屋の中のオブジェまである程度は把握できる程の精度だ。
「これはすごいな。こいつらが侵入して来た時より更に精度が良くなっている」
「時間は充分あったからね。でも椅子の向きとかオブジェの正確な位置は計測した時のデータしか反映してないからすでに多少のズレはあるものだと思ってね。ああ、僕がいる部屋は随時データが更新されるから」
水晶を覗きながら近くに置いてあったソファを動かすと、それに合わせて水晶に映っているソファも動き始めた。
「たしか登録されていない波長のマナ、つまり俺達が発動した魔法以外の魔法は、赤い点で示されるんだったな」
「正しく動作すれば、そうなるね」
「よし、それじゃあ、誰が二階へ行くかだ」
誰よりも早く名乗り出たのはタウルスだった。
「俺が行くぜ。あの女、つまらねぇ悪戯しやがって」
すでに眼が血走っていた。この男を行かせると二人で殺し合いにまで発展しそうだが、ここで待機させたらそれこそすぐにでも誰彼構わずに殺しそうな勢いだ。
リーダーもそれを察しているのだろう。やばいことになると理解しているようだが、特に何もいわなかった。
「その沈黙は肯定と受け取るぜ?」
まずいぞ……。もしこんな所で二人が争ったらどうなる? 仲間割れなんてくだらない理由で戦力が減るなんて、バカバカしいにも程がある。
「俺もついて行くぜ」
今、俺にできることはこれだけだった。こいつと一緒に二階へ上がり、あの女と争わないように仲介する。それ以外に方法が思いつかなかった。
「確かに、一人では危険が多い。タウルス、カンケル、アリエス、お前ら三人で二階へ向かえ」
「俺もかよ!?」
アリエスは心底嫌そうな顔をしていた。しかし、俺一人では喧嘩の仲裁なんて、できるわけがない。
「よし、それじゃあ、さっさとあの女探しに……」
俺が「探しに行こうぜ」と言い終わる前に、ウィルゴが口を挟んできた。
「なんだ? あれは」
「どうした?」
「窓の向こう側……、何かいないか?」
窓の向こう側だと? ここからじゃよくわからんな。
近くで確認するか。
「馬鹿! 窓に近づくな! 外には敵がいるんだぞ!」
リーダーによって制された。
「いや、それじゃあ確認出来ないだろ」
「おい、誰か窓を開けて確認してくれ。もちろん嘘なんてついたら容赦なく粛清を行う。少しでも長生きしたいなら、大人しく従うんだ」
この言葉にいち早く反応したのは、自分から人質になった男だ。
「俺が確認しよう」
「そうか、……名前は……」
「……素良天蓋だ」
「そうか、素直にしていれば何もしないよ」
いや、あれは素直に言うことを聞いたって言うよりは、他の五人が絶対に自発的に手を挙げないと思ったからだな。
単に俺達を刺激しないように動いているだけだ。
天蓋と名乗った青年は、窓を覗き込んだ。
「窓の外には誰もいないと思うが……。ああ、いや、正確には誰かがいるようには見えない、だな」
「ちゃんと窓を開けて確認しろ」
「それは構わないが……罠だったら、催涙弾か何かを投げ込まれるかもしれないぞ」
そういうことを自分から言うか? 普通。上手くいけば助かる可能性があったんだぞ。
今までずっとこんな感じだったのかこいつ。
「そんなことはどうでもいいから、ゆっくり窓を開けて確認してくれ」
少し危機感が足りなくなってないか、リーダー?
自分から言い出したことだから、逆にないという判断か?
だとしても、何時ものリーダーらしくないな。いや、それ以外の奴も何人か、かなりイラついているな。
そんな俺達のことなどお構いなしに、窓をゆっくりと開けて外を確認し始めた。
「近くにいるのは……フクロウが二羽、木に留まっている。それに蛇が一匹壁にいるな」
「それ以外には?」
ウィルゴの言葉を聞くと、窓枠に身を乗り出して外を眺め始めた。かなり危険な体勢じゃないか? あれは。
いくらここが一階だといっても、この屋敷の外には侵入者防止のための相当深い掘りがあったはずだ。落ちたらただでは済まないと思うが。
「お、おい……気をつけろよ?」
「大丈夫ですよ、これぐらい……ん? あれは……」
天蓋が上を見上げると、何かを見つけたようだ。
「な、何だ!? 何を見つけた?」
「よく見え……えっ」
ほんの短い一言だった。えっという間抜けな声を出したかと思うと、恐らく手が滑ったのだろうか? それともよく下を確認しなかったからか、いや、一番の理由は手枷をつけたままだったことだろうか。自身の体重を支えていた手は窓枠を掴んではいなかった。
そして、次の瞬間には、彼の姿はこの部屋から消えてしまった。叫び声一つあげずに、あの音が聞こえた。つまり、次の瞬間には聞こえてくるであろうあの、人が地面に叩きつけられる音だ。
今も部屋の中を流れている賛歌などもはや耳に入ってこない。
どしゃっ、というような音が鮮明に聞こえた。完全に掘りの底へと落ちた音だ。
部屋には静寂だけが包まれていた。あと数分続くはずの賛歌は何故か流れていない。まるでもう流す必要はないという風に、突然止まってしまったのだ。
「天蓋君!?」
静寂を突き破り、真っ先に動き出したのは、クラウディアという女だった。
彼女が窓の下を覗き込むまで、俺達は突然の出来事に誰も動くことが出来なかった。本来ならば彼女が窓際まで辿り着く前に、ミリア姫の手を振りほどいた、その瞬間には、誰かが彼女を押さえつけなければならないというのに。誰も動くことが出来なかった。
「そ、そんな……どうして?」
彼女はその場でうなだれてしまった。
「ぐ、偶然だ! ただの事故と曲の止まるタイミングがたまたま重なっただけだ!」
ウィルゴが突然大声を上げる。そうだ、こいつの言うとおりだ。偶然が重なっただけだ。スコルピウスだって、多分悪ふざけをしているだけだ。
「そうだ、そうだよ! あいつが上を見上げた時に見たのはスコルピウスだったんだよ! だから落ちた瞬間に曲を止めることが出来たんだ」
ずいぶんと突拍子もない話だが、俺達はほとんどその意見で納得し始めていた。偶然重なった、たまたまそうなったと、頭の中で言い聞かせているにもかかわらず、それでも俺達はそうなった理由を求めていたのだ。
そしてその理由が、たとえそれがあり得ないと思える程低い確率でも、否定できないのだから、それを信じるには充分過ぎるほどだ。そういう意味じゃ、今この部屋にいないのがあの女なのは、とても都合が良かった。普通じゃない奴ならおかしな事をしても異常だからで説明がつくからだ。
その時だ。不意に水晶から緑色の点が映し出された。
全員が一気に動揺する。最初にしゃべり始めたのはリブラだった。
「あ、安心して! 緑色の光は通信機器の反応だから! きっと外からの連絡だよ」
こいつ、そういうことは初めに説明しておけよ! いきなり予想外の事が起きたからびびっちまったじゃねえか。
リーダーが何人かを連れて別の部屋へ移動した。
数分経っただろうか……。リーダーだけがこの部屋に戻ってきた。
「おいカンケル、人質の中からさっきの事故を冷静に説明できそうな奴を連れて来い」
「どうかしたんですか?」
「交渉人から連絡があったんだよ。訳のわからないことをわめいていて、俺たちじゃあ話にならない」
ちょっと待てよ。交渉人が訳のわからないことを言うわけないだろう。こういうときこそ冷静であるべきなんじゃないのか?
「あんたが何を言ってるのかよくわからないが……あの女なら、この状況を正確に説明できると思う」
俺はまっすぐ窓際でへたり込んでいる女を指差す。
「なるほど、確かに彼女の言葉なら、向こうの方も納得するだろう」
リーダーがそう言うと、その女に別の部屋へ来るようにと指示を出した。
彼女は何も言わずに立ち上がり、そのまま俺たちのいるほうへと近づいてきた。その表情は気丈に振舞っているように見えるが、明らかにさっきまでの余裕のある顔とは別物になっていた。どうやら落ちた奴とは知り合いのようだったからな。早く無事を確認したいのだろう。
交渉人と通信を行っている部屋まで彼女を連れて行くと、すぐさま交渉人に対して通信を開始した。
「もしもし? 大臣の娘を連れてきた、もう一度こいつと話をしてくれ」
そう言うと、女を椅子に座らせる。
「もしもし」
「クラウディア様ですね!? ご無事でしたか!」
「ええ、姫様も、他の者も無事よ。それで……彼は無事なの?」
声に緊張が走っているように感じる。
「……はい。すでに救出しました」
……今少しだけ間があったな。無事ではなかったということか……まあ、結構な高さがあったからな。
「そう、安心したわ」
安堵の顔がこぼれている。やはり気丈に振舞っていても心配だったようだな。
「それでは……冷静に私の話を聞いてください」
「ええ、わかったわ」
「先ほどの事を説明してもらえますか?」
「外に何かがいるという話になって……それで彼が調べることになって、それから……上に何かあると気づいたのよ……」
さっきの出来事を説明し始めた。非常に簡潔で正確な説明だ。これなら相手も信用するだろう。
「それで、滑り落ちたのよ」
「クラウディア様、もう一度確認しますよ。本当に滑り落ちたんですね?」
何を言っているんだ? あれは明らかに事故だろう。
「ええ、そういう風に見えたわ」
「クラウディア様、落ち着いて聞いてください。我々は外からこの屋敷を監視しています。当然先ほどのことも見ていました」
「それで?」
「確かに我々は彼が上を見上げてから落ちたことを確認しています。ですが、彼は滑り落ちてなどいません」
何だと? 事故じゃないだと? それじゃあ何だというんだ?
「それは」
「何かが彼の手を掴んだんです。いいですか? 彼は滑り落ちたのではなく、引きずり落とされたのです。何か得体の知れないものから」
ちょっと待て、こいつ今なんて言った? 引きずり落とされた? 馬鹿なことを言うなよ。誰があいつを、それ以前に誰があの堀の下に潜んでいたって言うんだ? そんなことありえるはずがない!
「ふざけるな! 俺たちの中に犯人がいるって言うのか!」
「じゃあアレは一体何なんだ!? 幽霊だとでも言うつもりか!?」
馬鹿な、そんなわけがないだろう。
そんな荒唐無稽な話なんて信じられるわけがない。そんなこことはありえないなんてわかりきっていることだ。だが俺はさっきの話がフラッシュバックする。殉教者……、いやそんなはずはない!
背中からいやな汗が流れるのがわかる。嘘だ、これはただの偶然だ。そうに決まっている。
だが、俺のそんな淡い期待も瞬時に消え去ってしまった。あの旋律が聞こえてきたのだ。




