狩りの始まり
「ずいぶん人数が減ってきましたね」
夕方辺りになると、人質になった騎士の数も残り三名程となっていた。それまで動くものはほとんどおらず、ただ不毛に時間だけが過ぎていくようだった。
「ああ、膠着状態は依然続いたままだがな」
「それはやむを得ないでしょう。あいつ等からしてみたら、ミリア姫をどこかに匿うまでは気が気ではないだろうから」
「何故そんなに落ち着いていられる?」
不意に騎士から質問を投げかけられる。
どこか低い、感情の凍えた問いかけだった。
「何故? まあ、想定の範囲内の事しかないから、としか言いようはないですね」
「範囲内?」
「その通り。俺の目的はあくまでも儀式の阻止ですから、そのかたちまではこだわる必要がありません。最優先に行わなければならないことのみを考えれば、この状況に持ち込めた時点でもうすでに詰みの状態ですよ。後は最善手を打ち続ければ自然となるようになる」
騎士の瞳が鋭くなるのを感じたが、特に何を言うわけでもなかったので構わず言い続けた。
「だからこそ、今の俺には少しだけ余裕がある。いかにして角の立たない解決が出来るかと思案する余裕が。あるいはどれだけエレガントに事を運べるか、と言い換えてもいいでしょう」
「エレガントだと?」
騎士の青い双眸が訝しげに俺の目を見つめる。
「犠牲者を一人でも減らす。この考え自体がエレガントだとは思いませんか? いや、俺の場合はアロガントか」
「よくそんな冗談がこの状況で言えるな」
本心で言ったつもりだが……、まあ、普通は冗談だと思うか。
「そんなことはどうでもいいでしょう。死人が出なければ万々歳、それは貴方だってそうでしょう? 少なくとも、姫様が無事ならここにいる騎士たちは命を捨てても惜しくないと信じています」
まあこれも俺の希望的観測に過ぎないがな。
「本当に……」
「なんです?」
緑色の長い髪が少しだけ揺らめいた。
「本当に、無事に助け出せるのか? ミリア様を」
少なくとも彼女に危害が及ぶ可能性はゼロに等しい。それを考えれば俺、というよりは王族側の負け筋は不測の事態が発生し、姫君が連れ出され追跡不能になる。これのみとなる。
「それは当然でしょう。そもそもこの部屋の中でミリア様に危害を加える可能性があるのは俺だけですからね。そういう意味では彼女の無事『だけ』は確実に保障されていますよ」
「私には何故貴様が未だに人質として残っているのかが理解できんよ」
確かにその通りだ。ことここに至れば最早、俺はテログループ側から見てもお荷物以外の何者でもないだろう。にもかかわらず俺を人質として残している理由は何だ? 俺にやられては困る行動があるのか? それはいったいなんだ?
「実際の話、何故彼らは俺のことを解放しないんでしょうね? まあ、こんな手枷をつけているのだから安心しているのかもしれませんが」
正直こんな手枷など簡単に引きちぎれるが。むしろ一旦解放された方が色々と動きやすいか? 部屋の内装や犯人の数、姫様の位置も特定できたわけだからな。
そういう意味では、奴らは俺に対して最善手を打っている事になるな。
「私が知るか。大方貴様から目を離したら一斉攻撃を仕掛けられるとでも考えているんじゃないのか」
……その考えも大いにあり得るが。本当にそれだけか? そもそもこの世界には転送魔法が存在するはずなのに何故誘拐犯にその魔法使いがいない?
考えられる可能性は三つ。一つは単純にその魔法が発動できる人物がいないということだ。だが一人もいないなんて事があり得るのか? その可能性は限りなく低いだろう。この誘拐を計画するならば必須と言ってもいい人材だ。この中に確実にいるといっていいだろう。
つまり二つ目の可能性はその転送魔法には多大なリスクがある、というパターンだ。と言っても、まさか人を転送することは何故か出来ない、なんて楽観的に考えるべきではないだろう。だとするとミリア姫を転送するのは危険、または時間的にある程度の休憩が必要なのかもしれない。それならこの屋敷でひたすら時間が経過するのを待つというのも合理的な判断といえるだろう。
最後は……、そもそもこの誘拐そのものに必要性が無い、というパターンだ。要するにこの誘拐はあくまでも陽動作戦で、実は手薄になっているであろう王宮内の何かを狙っているというパターンだ。だがそうなるとこいつらは完全な捨て駒として割り切られていることになる。その様には見えないが、こいつ等にも秘密という可能性も捨てきれない。
いや、厳戒態勢になるとわかっていながら陽動作戦などやるか? 王宮内の警備の数が減るだけで、一人一人の警戒は強まるはずだ。それって意味があるのか? むしろ油断を突いたほうが遥かに成功しやすいだろう。そもそも一国の姫君を攫うより非常に困難なミッションが同時進行で行われているということになってしまうぞ。
やはりこれは考えすぎか。
「そういえばこの部屋の照明は暗すぎませんかね?」
少し前から気になっていたので聞いてみた。すでに太陽は沈んでいるのか窓から光が差し込んでこない。そのため部屋の中の照明を点けたようだが、これが予想以上に暗いのである。これでは周りの人がぼんやりと見えるだけだ。
「もっと明るく出来るはずだが」
「では何故? 向こうのほうがリスクが大きいでしょう」
「外から自分たちの居場所が割れるからじゃないのか」
なるほどね、それでさっさと人質を解放したのか。自分たちだけで御しやすいように。
そんなことを考えていると不意に特徴的な旋律が流れてくる。この音色は間違いなくパイプオルガンだな。なぜこんなものが流れてくるんだ? それにこれは……賛美歌? と表現していいのか? 正確には賛歌か? とにかく俺にはそういう印象を受ける旋律が流れてきた。
もしかしたらこの屋敷は何か儀礼的なことをするための場所なのかもしれない。
「これは一体……」
「くそ! また忌々しいこの曲か!」
テロリストの一人が大声を出した。そうとうイラついているようだ。
「時間がたったら自動で流れるようになっているのよ」
クラウディア先輩がそいつに話しかける。
「くそ! ムカつく曲だ、何が神の慈愛だ! ふざけやがって」
「そう熱くなるな。あともうすぐだ」
もうすぐ? 逃げる算段がついたのか?
「わかってるよ。あと少しで我等の宿願が叶うんだろ。もう少しの辛抱だ」
「そうだ、それに食事の準備も出来たようだ。恐らくこれで最後だろう。明日の……」
最後? 明日? よく聞き取れないな……、何て言ったんだ。
「バカな……早すぎる……」
「聞き取れたんですか? 今の」
「ああ、聞こえなかったのか」
ああ、聞こえなかった。
「……明日の、なんて言ったんです?」
「明日の日の出こそが祝福の光だ。宿願は太陽とともに果たされる。だ」
明日……。何だ、明日か。なら障害は何一つとして無いな。石ころひとつ。依然変わりなく。
「ありがとうございます」
「ああ、……クソッ他の者達は何をしているんだ……もう時間が」
「あの、一つよろしいですか?」
「なんだ」
焦りからくるものだろう。イラついた声で聞き返してきた。
「さっきの旋律は、録音ですか?」
「ああ、そうだ。それが何だ」
「では、手動で流し直せますか?」
「ああ、確か電力が供給されていれば何度でも再生できるはずだ」
そうか、それは好都合だな。
「なら、一つ芝居を頼みたいのですが……よろしいですか?」
「芝居だと? ……っ! 何か意味があるのか」
察しが良いようで何よりですよ。
もうすぐで狩の時間だ。
ククク、深夜になるのが楽しみだよ。果たしてお前らに明日は訪れるのか。太陽は祝福を授けるか、あるいは絶望を、理不尽を照らし出すか……。




