約束
「この部屋に姫がいらっしゃいます」
そうかこの中に姫が……。
助け出したとして国に帰すのに何日かかるだろうか?
まあ、何とかなるだろ。
そんなことを考えながら扉が開くのを待つ。
「失礼します」
執事が扉を三回ノックすると。とても太い声が返ってきた。
「どうぞ」
今の声がボルドフ姫のものだとしたら彼女の頸部はどれほどに発達しているだろうか?
自身の心拍が一気に上がるのがわかる。たった一声聞いただけで、彼女の持つであろう戦闘能力の高さが窺い知れるというものだからだ。
執事がゆっくりと扉を開ける。
「姫、お望みの方をお連れいたしました」
ああ、なんと言うことだ。見よ、彼女の姿を! その足はまるで杉のようではないか。
見よ、腰の力と腹筋の勢いを。万人の拳など容易く受け止めてしまうだろう。
見よ、彼女の強靭なる肉体を! 並みの堅さではないその筋肉を前に、歴戦の兵士すらも戦意を喪失するだろう。
そして彼女が戦場に降臨したならば、灼熱の疾風大地に吹き荒れ、生きとし生ける者全て屍とならんだろう。
まあ、要するに筋骨隆々な女性が異様に大きな椅子に座っていたのである。
なんにせよ、俺は思わず彼女に最大の賛辞を贈った。
「おお、百戦錬磨にして荘厳なる四肢を天より与えたもうた偉大なる戦乙女よ! この地にて合間見えたこと、まさに光栄の極み!」
「お、おい。なんだそれ?」
ゲイルが俺に質問してきた。
「え? ああ、偉大な人物に対してはその強さに対し最大の賛辞を贈るのが一族の礼儀なんだよ」
「そ、そうか……それがお前の……褒め言葉なんだな?」
ああ、これ以上ないってぐらいの賛辞だと思うが……、だって、余りにも多くの言葉を捧げても安っぽいだけだろう?
「ま、まあ、姫に対する想いの証明でしょう」
「セバスチャン、私の望みは聴いたはずだな?」
ボルドフ姫が執事……セバスチャンというらしい。そのセバスチャンに質問した。
「は! 王子をご所望と」
「ぬん!」
ああ、なんということだろうか! 姫はその鷲の爪のように鋭く雄大な手で執事の頭をアイアンクロー、つまり鷲掴みにしてしまったではないか。
「がっ! あっ」
「私の言葉をもう一度繰り返そう。言ったはずだ、私の望みは白馬に乗った王子様だと! 彼の者のような色黒の青年ではない! 誰が歴戦の勇者など求めた! 力ならばこの私の腕のみで十分!!」
「も、申し……わ、け」
「むうん!」
「ゴハッ!?」
なんと彼女は執事を一掴みにしたまま壁に投げつけてしまったではないか!
執事が壁にぶつかった時の轟音たるや、きっと門番の二人にも聞き及ぶだろう。
「そういう訳だ、遠方より来たりし王子よ。汝は私を助け出すには相応しくない。汝には私より助け出すべき女性がいるはずだ。この国の王宮へ向かうがよい、そこに汝の助けを求める者がいるはずだ。今日はもう遅い、ゆっくりと安息の時を過ごし、翌朝王宮へ向かうがよい」
え? 嘘だろ? この人俺たちの行動を無駄足だって断言したぞ? マジかよ!?
「そ、それでは……ごふっ。こ、こちらへ、どうぞ……部屋を用意、致しました」
執事! 生きているのか執事!
「あ、ああ、そうだな」
「わかりました。今日はこの館の主のご好意に甘えましょう」
そんなわけで、今日は伯爵邸で泊まることになった。
俺はこの館の人たちにお辞儀をすると、執事の案内に付いて行った。
「そういえば、あなた方お二人は夕食はお済みになりましたか?」
「いえ、それがまだでして」
「そうでしたか、実は当館ではこれから夕食会の時間でして、ご一緒になりますか? 迷惑でしたらお部屋にお運びいたしますが」
これはうれしい話だ。昼から何も食べていない上さっきから美味しい匂いが漂っている。このまま何も食べずに夜を明かすのは俺はともかくゲイルには少々酷だといえるだろう。
「いえいえ、迷惑だなんて……本当にご一緒してもよろしいのですか?」
「もちろんですとも。この館の『本当の』主、ノートン伯爵も大変お喜びになることでしょう」
本当のってところをとても強く強調してきたな。俺の選んだ言葉に問題があったということだ。
「ああ、申し訳ありません。実は出来ることならば是非料理を運んでもらいたい場所があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ほう、どこでしょうか?」
「外で見張りをしている二人の門番に、飲み物と食事を与える約束をしましてね」
「なるほど、わかりました」
それは助かる。自分で言ったことだからな。まさか破るわけにもいかないしな。
「では、こちらが大食堂となっておりますので。ご自由に料理をお取りになってください」
食堂にたどり着くとそこにはとても豪勢な料理が並んでいた。内容から考えるとどうやらバイキング形式のようだ。
「す、すげえ! ご馳走がたくさんだぜ!」
「落ち着けゲイル。周りをよく見てみろ、どうみても上流階級の集まりだ。こんなところで余り浮くような行動は慎め、嘲笑の的になるぞ」
俺はゲイルをすぐに呼び止めた。確かにこの状況、部屋に料理を運んでもらったほうがよかったのかもしれないな。しかしこれほどの人数が集まっておきながら、誰も姫を助け出そうとしないのは何故だろうか?
単純に誰にも知らされていないのか? まあ、女性を一人監禁しているのにパーティなど開くはずもないだろうという心理的盲点を突いたのだろう。だとしたらここの伯爵は相当な策士といえるだろう。
「お待たせして申し訳ありません。実は本日すばらしいゲストが来てくれまして」
伯爵があらわれ、皆に挨拶を始める。
「ほう、すばらしいゲストとは?」
食堂にいる初老の男性が伯爵に質問する。
「実はこの大食堂にはすでにボルドフ姫との挨拶をしに来た方がいらっしゃるのです」
「おお! なんと!」
「すばらしい! どのような方なのです!?」
おいおい、ここにいる人全員姫が監禁されてるって知ってるのかよ。
しかも俺のことじゃないのかそれ。
「ではヒントを差し上げましょう! その方は日に焼けた肌をしており、その瞳はイエローサファイアのように明るく落ち着いた黄色を持ち、髪は闇夜のような黒さです」
かなりの誇張表現があるが完全に俺のことじゃないか。というか物は言いようだな。
「おい、これお前のことじゃ」
「十中八九俺のことだな」
そんなことを話しているうちに人が集まってきた。
「まさか貴方では?」
「ええ、確かに姫とご挨拶しましたが……見事に振られてしまいましてねぇ」
「なんと! それは……実に悲しいことですな」
「ええ、俺ならば助け出せると思ってたのですが……。どうやら天狗になっていたようですね」
その瞬間周囲は爆笑のに包まれた。
「はははははは! なるほど! 助け出すとは!? 実にユーモラスな方だ!」
「確かに彼女を助け出すのは実に困難を極めるでしょうな。なにせ助けるには一度窮地に陥る必要がある」
なるほど、確かにそのとおりだ。彼女にとってここで監禁されるという状況はおそらく立ち入り禁止の看板を無視することに等しいことだろう。それほどに容易くこの館から外出することができてしまう。
「おお! まさか彼女はここにまだ残るとおっしゃったのですか!?」
伯爵が声をかけてきた。
「これはこれは伯爵様、残念ながら彼女のお眼鏡にはかないませんでした。どうやら白馬に乗った王子様がご所望のようです」
「そんな! なんということだ!?」
伯爵はこの世の終わりかというような表情をしていた。
「心中お察しいたします」
その話を聞いていた人が同情の言葉を口にする。
俺はこのまま談笑を続けた。
それにしても実に美味い料理だ。これならばいくらでも食べられるというものだな。
ゲイルも一心不乱になって食べ続けている。どうやら俺からの警告は無駄に終わったようだ。
「いやはや、これほど愉快な会食は実に久しい。出来ることならば愚息も連れてくるべきだった」
「何をおっしゃいますやら。貴方のような気品溢れる紳士ならばご子息もさぞかし……」
「いえいえ、貴方と同じくらいの年齢だというのに。会食にも参加せずに今日も王宮の姫を助けに行くと言って仲間を集めてなにやら企てているのですよ。おそらくここを素通りするつもりでしょう」
ああ、確かに素通りはまずいな。
「とはいえ、自国の姫を助けたいのは当然でしょう?」
「助けたい? まさか、報酬狙いですよ。姫とお近づきになりたい、なんなら婚約したいなどと身の程もわきまえないことを考えているのです」
「しかし、見返りを求めないというのも胡散臭い話でしょう? 端金でも要求するほうがよほど善良というものですよ。相手が一国の姫ならば」
こういう恩に対する礼を有耶無耶にすることは、礼をする側の徳を積ませない事になる。これは後々、王の権威や名声に傷をつけることに繋がる。
「それこそが足りていないというのです。恐らくその場では礼など受け取らないでしょう。後になって、困ったことになった。あの時の礼をしてくれと無理難題を厚顔無恥にも求めるつもりなのです」
「なるほど、確かにそれは捨て置けませんね」
「そうでしょう!? ……失礼、声を荒げてしまいましたね。あなたの言うとおり放っておいてはならないことです。ところがです。今の私には息子を追いかけ回す力も、若さも持ってはいないのです。最も危惧すべきことは、彼らの浅はかな行動が姫様を危険にさらすことになるかもしれないということだというのに。そうなれば、お詫びなど出来るはずもない」
なるほど、この国の姫が危険にさらされ、しかもその原因が英雄気取りの蛮勇だとしたら、確かに大変なことになるな。
「わかりました。もし、自分が貴方のご子息より先にミリア姫の捕らわれている王宮にたどり着くことが出来たならば、必ず穏便に事態を収拾することをお約束します」
「おお、貴方が?」
「はい。実は恥ずかしながら、ボルドフ姫にも私より先に助けるべき人がいると叱責されてしまいまして。他の方には秘密ですよ?」
「ええ、私が紳士であることに誓って」
「それならば、安心です。……ところで、疑問な点があるのですがよろしでしょうか?」
「私が答えられることでしたら」
俺は正直に疑問に思ったことを口にした。
「伯爵様は本来、ミリア姫をさらうはずだったのに、間違えてしまった。と、聞いたのですが。これはどういうことなのでしょうか?」
「ああ、そのことですか? それは異教徒達、確か名前は『魔界礼賛教団』といいましたかな? その異教徒達が姫を忌まわしき儀式の供物にしようとしてる。という情報があったからです」
やはり、儀式か。
「彼らの目的は一体……?」
「異国の生まれの貴方には知る必要もない与太話ですよ! 何でも魔王復活の為だとか」
……なに? 魔王。魔王だと?
俺はポケットからメモ帳を取り出し中身を確認した。
魔王……聞き覚えがある。確か秩序に反逆しうる者の、ブラックリストに載っていた気がする。
「魔王アナトリア……でしたっけ?」
「ご存知でしたか。最早かびの生えた御伽噺ですよ」
ビンゴ。まじかよ……。ブラックリストに載っているやつだ。危険度Cランク、基本的に無視して構わないが、活発に活動し始めたら即生け捕りにせよ。つまり復活させるな、したら処理しろ。
「どうやら、是が非でも俺が事態を収拾しなければならないようですね」
「それはなぜ?」
「こう見えても信じてるんですよ。そういうオカルトの類を」
「そうでしたか」
「ええ、そろそろ夕食も終わりのようですね」
「そのようですな。貴方が未成年でなければ、この後のワインのテイスティングが出来たのですが」
「まさか、今日ここに来たのは」
「ははは、年寄りにはこれだけが唯一の楽しみで」
「では、若人は部屋へ戻りましょう。楽しみは後に取っておくことが出来るのが若さというものですからね」
「これは羨ましい限りですな」
それだけ言うと、俺はゲイルを連れて部屋で就寝した。
もちろん風呂、正確にはシャワーを浴びた後だが。




