どちらが優れているか
「魔法の習得にはイメージが重要……それだけにイメージが掴み辛いと習得が遅れてしまうわけか」
「ああ。これが上手いかどうかで魔法の取得スピードは劇的に変化するし……教師の腕の見せ所であるとも言われている」
イメージで教えるか論理的に理論立てて教えるかでも理解力が変わりそうなものなのに、それを人によって合わせて教える必要があるわけか。
「単に生徒の才能があるか無いかってだけでなく、どういう教え方をすれば伝わるかも考えて教える必要があるわけか。良い教師になるには道のりが長そうだな」
「優れた教師、優れた魔術師と言うのはその人の解釈によって大きく意見が分かれるところだな。この大会で当てはめるなら、選手をより上の順位にまで『押し上げた』指導者こそをそう呼ぶ人もいれば、どれだけ多くの教え子をこの大会の参加者レベルにまで『引き上げた』かで評価をする人もいる」
才能のある者をさらに磨き上げるか、全体的なレベルを底上げするかで教育者のスタンスが分かれるわけか。まあ、どっちの教育者も普通に存在するだろうし、どっちが教育者として優れているかは意見のわかれるところだろうな。
「ケースバイケースで変わってくるだろうが……この大会を基準に考えると意見は真っ二つにわかれて平行線になりそうだな」
「ああ。質と量どちらを重要視するかという話になりがちではあるが……質と量をどちらも高い水準で満たしている事が前提の話になるからな。その上でトップ層を……つまり、天才の才能を磨き上げる者を優れた教師とするか、それとも秀才をたくさん輩出する者を優れた教師とするかで意見がわかれるわけだ」
「まともな教育機関なら参加者を一人でも増やせる教師が評価されるだろうが……それは組織的にたくさんの人間を教育する場合の話だ。家庭教師だとか弟子入りだとか、そういう少人数での教育……ぶっちゃけ言えば、教える側が教え子を選別出来るなら求められるのは平均の高さじゃなくてベストの高さになるだろうな」
こればかりは、どっちが優れているって結論は出せないな。理想は優勝者を出しながら他の教え子も大会に出まくってるって事なんだが……それはどっちが優れてるとかじゃなくてどっちも満たしているって話でしかないからな。そりゃあわかりやすく一番凄いって話にもなるわな。




