英雄
大桜帝国は、大国だ。北は生き物の住めない極寒の大地、南は大雨で出来上がった水たまりも1日で干上がる灼熱の大地を有している。大桜帝国は、建国から現在に至る4000年の間、この広大な土地に平和をもたらし続けている。当然、これほど長期に渡り国体を維持できた国家は大桜帝国を置いて他にはない。歴史家によれば、平和を保てている要因は、大まかに二つあるという。一つは四方を海に囲まれ諸外国からの干渉がほとんどなかったことだ。周辺諸国たる中梅帝国、竹取公国やそこからやや離れた位置にある浪漫共和国は、海をわたることができなかったためだ。これは、海流が激しくひとたび遠洋に出たが最後どんな大船も大破し粉微塵となったためである。運良く帝国領土内に侵入できたとしても、害意をもつものは強固に張り巡らされた結界によって排除された。これにより大桜帝国は、外敵を恐れることなく帝国内部の秩序の維持に注力できた。二つは、大桜帝国が帝王を頂点とした強力な統制力を建国以来保持し続けていたことである。帝王は、反乱分子が大桜帝国と並びたち、ついには大桜帝国を打倒するだけの力を保持することを許さなかった。それは平和に反する罪であり、厳しく罰せられた。帝王がこのような統制力を有したのは、ひとえに大桜帝国近衛騎士団のちからによるものだった。近衛騎士団の主な使命は、帝国内部の治安維持である。他の臣民と違い、彼らには他の臣民に対する武器及び魔術の使用が公的に許されていた。それ故に彼らの権力は強大で、臣民から恐れ、敬われていた。臣民の中で才能のあるものは、まず第一に近衛騎士団への入団を希望した。しかしながら近衛騎士団は、狭き門である。魔術を含むあらゆる分野で優秀でなければ入れないのはもちろんのこと、治安維持を担う性質上、不定分子との戦闘で命を落とすことも少なくない。また、帝国法の遵守は絶対とされていた。社会的には許されがちな軽微な違法行為さえ、犯した場合直ちに除名される。そのため、近衛騎士団への在籍人数はその時々によって不定であり、極めて少ない。現在は、わずか12人が近衛騎士団に所属しているのみである。そんな近衛騎士団に弱冠15歳、騎士団はじまって以来最年少の青年が入団した。青年の名を、ワーニャと言う。
ワーニャはいま、整然たる帝都から、雑然たるある田舎町に出向いていた。田舎町には、道路があちこちぬかるんでいて歩くたびにねっとりとした感覚が靴越しに伝わり不快な思いをさせられた。また、やぶれかぶれな家が連なり、そしてボロをまとった人々が件のぬかるんだ道路に腰を下ろしていた。ワーニャは、近衛騎士団の精神にふさわしく、帝都を、整然としたものを好んでいる。そのため、この惨状を見て思わず顔をしかめた。ワーニャの桜色を基調とし所々に桜を想わせる金色の刺繍をあしらった制服は、この田舎町には似つかわしくなかった。そんなワーニャがわざわざここへ足を運んだ理由はただひとつ、指名手配の男を一人、捕縛するためだ。その男は、どうやらこの田舎町のどこかに潜んでいるらしいことはわかっている。しかし、ソレ以上は何もわからない。任務を達成しなければ整然とした帝都には戻れない。ワーニャにとってそれはとても耐え難いことだった。嫌悪感を無表情で強引に抑えながら、ワーニャは歩いた。途上、居酒屋を見つけた。まずは情報収集をしなくてはならぬ。情報収集には、土地勘のある人間と馴染みになるのがてっとり早い。そう考え、ワーニャは居酒屋に入った。居酒屋に押し込められた人々が、雑談をやめ一斉にこちらを向いた。おそらくこちらの格好が目立つのだろう、失敗だ。とワーニャは思った。ワーニャ以外の人はみなボロをまとっていた。情報収集を一番の目的とした場合、ワーニャもボロをまとうべきだったのだろう。しかしそれはワーニャのプライドが許さなかった。
「注文は?」
ぶっきら棒な表情をした店主がいった。
「ミルクはあるか?」
ワーニャは、店主と同じくらいぶっきら棒に答えた。答えたとたん、客が堰を切ったように笑い出した。
「坊主、ここはてめぇのようなガキがくるところじゃねえ。けぇんな」
客の一人である男がいった。続いてそれに賛同する声、口笛の音がした。喧騒の中には、ワーニャを誘惑するものまでいた。
「坊や、お姉さんとちょっと遊んでかない?安くしとくわよ」
ワーニャは、嫌悪感に耐え切れず思わず口が出して言った。
「喋るなよ、下衆。そのドブ川で洗ったような顔を早く引っ込めろ。こちらにまでドブの臭いが移る」
口に出したとたん、ワーニャは、自分に嫌悪した。早くここからでなければ、自分まで低俗に染まってしまう。客は、落胆するワーニャとは反対にワッと歓声を上げた。よく言った坊主。ひっこめクソババァという声があたりから聞こえた。
「おうおう人の女にドブとはよくいったもんだな」
喧騒の中、ひときわ騒がしい野太い声がした。ワーニャは、声のしたほうを向いた。筋肉質の達磨男がそこにいた。達磨男は、周囲と同じくボロを纏っていたが周囲のボロより少し上等なものを着ていた。アクセサリーのつもりなのだろう、金物を見せつけるように身に纏わせているが、左腕と右腕のリングの大きさが整っていない、全体的に色がくすんでいる等々醜悪極まるものだった。
「てめぇ、覚悟はできているんだろうな。」
達磨男が言った。
「人を探している。知っていたら教えて欲しい。爆弾を自前で作り上げてあちこち暴れまわっているやつだ。心当たりはあるか。」
「人の話はおとなしく聞くもんだぜ坊主。そうさなぁ、心当たりはある。場合によっちゃ教えてやらんでもない。」
「条件があるなら言え。可能なら答えてやろう。」
「そうかい?なら遠慮無く言わせてもらおう。坊主、俺と決闘しろ。勝ったら教えてやる。」
いいぞいいぞ、我らがユウト!!という声援が辺りから聞こえた。先ほどのドブ女も声援に参加している。彼らが盛り上がるのは無理はない。虐殺ショーはある意味で最高の娯楽だ。片や筋肉隆々の大男で、片や小柄でどちらかといえば学者肌の神経質な男だった。
「残念だ。その願いは叶えられそうにない。決闘は我が帝国の間では禁止とされている。貴様は4000年続く平和を乱そうとしている。」
「おおと勘違いしないでくれよ。これはお願いしているんじゃないんだ。命令だよ。」
そういって達磨男が躍り出た。そして、巨躯からは想像もできないスピードで、ワーニャの懐に入り込んだ。ワーニャは、肉体強化系の能力者だと直感した。次の瞬間、達磨男―ユウト―が全体重を載せて繰り出された拳がワーニャの懐に炸裂した。ワーニャは防御もおぼつかないままくらい、文字通り吹き飛んだ。吹き飛んだ先にあったテーブルを、酒瓶やコップごと破壊した。いくらユウトに筋力があり、ワーニャが華奢であるとはいえ、こうは吹き飛ぶまい。ワーニャは、腹部を中心とした鈍く強い痛みを覚えながら、直感を確信へと変えた。そしてその能力とは――。観客は、ワーニャとユウトの周りを囲うことで、即席のリングを仕立てあげている。最前線にいた観客の男が倒れていたワーニャを無理矢理たたせ、ユウトの前へと押し出した。先ほどの一撃で、ワーニャの足は痙攣しており、立っているのがやっとの有り様だった。
「そこの……達磨男。それ以上ワタ……シに危害……を加えた場合、しかるべきところへ……」
「てめぇがナニモンかはしらねぇが、この場に置いては俺に指図できるやつなんざいねえんだよ!!」
ユウトの拳が、今度は2連撃、またも脇腹へ着弾した。ワーニャはまたも吹き飛び、今度は仰向けに倒れた。
「達磨男……。人の話は……おとなしく……聞け……。」
「人に礼儀を押し付けるならまずはてめぇ自身が礼儀を守るんだな」
達磨男は、倒れたワーニャの顔面に向けて足を踏み下ろした。にぶい音がした。コレで決まった。観客から割れんばかりの歓声が沸き立った。ボロをまとった我々がどこのぼっちゃんか知らないが上等な服を着たヤツをを完膚なきまでにやっつけた。その民衆好みのシナリオは、観客をより一層盛り立てた。しかし、当のユウト自身は、驚愕の顔をのぞかせ、全身を震わせていた。ユウトの視線の先には、踏み下ろされた太い足が、とても太刀打ちできそうもない細いワーニャの腕で十字状に防いでいる姿があった。ワーニャの瞳は、闘気に燃えていた。まだ終わっちゃいない。ユウトは、ワーニャから離れた。ワーニャは、ゆっくりと立ち上がった。
「てめぇあれだけくらっておいてなぜ立てる。」
「達磨男。確か、ユウトといったな。貴様は私に決闘を申し込み、その上相手の同意を取らずに私に殴りかかってきた。それら帝国への平和に対する罪。決して軽くはないぞ」
「平和に対する罪とは大きく出たものだ。坊主の言うとおりではあるな。だがここは帝国内部ではあるが俺の城だ。俺が坊主をここでなぶり殺しにしちゃあ帝国法にある平和に対する罪も有耶無耶になってくれるこったろうよ」
話しながらユウトは、不思議に思っていた。坊主に先ほど与えたダメージが残っていない。ワーニャも何がしかの能力者なのだろう。だが能力の詳細が皆目わからない。回復系か、防御系か、ソレすらも判別がつかなかった。同時にユウトはこうも考えた。どんな能力者であれ、相手の意識にものぼらぬスピードで倒してしまえば、関係のないことだ。
ユウトは、持てる魔力を大半を足に向け、ワーニャに近づいた。その速度は、さきほどワーニャを攻撃したときよりも一弾……いや二弾ほど早かった。ワーニャの目の前で止まり、スピードを、全て拳の破壊力へと転換する。そうして4度目の攻撃をまたも脇腹へ加えた。だが、ここでユウトは、またも驚愕を覚える。これまで以上に吹き飛ぶはずだったワーニャは、微動だにせず、地面に立っていた。かわりに自分自身が地面に膝をついていた。ユウトの視線には、あらぬ方向に折れ曲がり血しぶきを上げているおのれの拳があった。対面するワーニャは、悠然と立っていた。まるで、さきほどのダメージも食らっていないかのようだった。大勢は決した。もはやユウトは拳を繰り出すことはできない。観客は異変に気づき、なにが起こったか確かめようと一瞬静寂した。そして、理解した瞬間悲鳴とともに店から我先にと出て行った。
「ユウト、貴様の能力は見切った。全身のあらゆる筋肉を強化する能力だろう?貴様が目にも留まらぬスピードで動けたのは、魔力を使って足の筋肉を刺激し、一時的に強化していたからだ。俺に放った一撃も、同様に全身の筋肉を刺激することで、大幅に強化した。」
「何故だ、何故俺が地面に膝をついている」
ワーニャは、正確にユウトの能力を読みきっていた。だが、それだけではユウトの拳は砕ける道理はない。
「貴様の能力を使えばこれくらいたやすいだろう。脇腹を強化し鋼鉄のごとき硬度を生み出すことくらいな」
「使えばだと?!貴様は俺の能力を使ったとでもいうのか。」
ユウトは、またも驚愕した。ユウトが先程から見せている駿足と人が吹き飛ぶほどの拳は、戦闘時に真っ先に使用し、相手を威嚇する見せ技だった。今回ワーニャが披露した肉体の硬化は、確かにユウトの技そのものである。しかし、ユウトはワーニャに硬化を見せてはいないうえ硬化はユウトが敵をだまし討つのための技、奥の手だったのだ。
「そんなことができるのはこの世でただ一人しかいねぇ!……まさか貴様、近衛騎士団のコピー能力者、夢幻鏡のワーニャだというのか?!」
「いかにも俺がワーニャだ。近衛騎士団に入って間もないというにこの辺境の田舎村にも僕の名は知れ渡っているのか。驚いた」
「最年少近衛騎士団でコピーなんていうレア能力持ちだ。帝国中で知らない奴のほうがどうかしている」
「この仕事をする上で、それはあまり好ましくない。もう少し隠密に行動する必要があるな。さて……本来なら貴様を近衛騎士団に与えられた権限に則り、平和に対する罪で拘束し、しかるべき場所へ輸送すべきところではある。だが今回は用が用だ。私も身分をかくして貴様に近づいた落ち度がある。拘束まではしてやらんからその代わり俺の話を聞いてもらおう。例の男、爆弾魔は今どこにいる?」
「クッ……。いいだろう案内だってなんだって坊主に付き合ってやる。ただし、治療が先だ。これだけは譲らねぇ。」
「いいだろう。ここに治療薬がある、これを使うがいい。」
こうして、ワーニャは、ボロとぬかるみと雑然たる忌むべき田舎町で、情報提供者に出会った。