プロローグ
複合型アミューズメント施設であるアミューズマチダは人の流れが比較的少ないマチダ駅前南区に位置するので二十階建てという規模の割に周りは静かである。
背の高い建造物が仲良く密接し合っている北部では大型デパートが揃いに揃ってお客様を奪い合っているのでこちらに流れてくるのは特定の目的を持った者ばかりだ。
アミューズマチダか電器屋か、はたまた駐輪場に停めた学生か社会人か主婦なのか。
年齢層についてはどうせ平日の昼間なので考える必要が無い。
とにかく人がいないから川の遊歩道なんかは静かで黄昏るには持って来いの場所だ。
しかし高校二年生に進級してまだまだ青春の半分も消化できていない長津田タケルもこんな真昼間から一人黄昏て時間を何十分にも渡って潰すとなると心が持たない。
なので午前十一時になる瞬間をケータイで見届けた後、俺は出来る限りゆっくりとした足取りでアミューズマチダへと向かった。
アミューズマチダは一階部分がゲームセンターになっていて上の階では広いスペースを使い卓球とかボーリングとかのコーナーになっていると言うが基本的にそういう所は大人数で行く所なので俺が最後に足を踏み入れたのは中学生の時だ。
一階のゲームセンターは真昼間で無駄に陽射しが暑い外とは正反対に、入った瞬間に冷房が身に降りかかり薄暗い店内で重音が耳に障る。
高校生のはずの俺が平日の昼間からどうしてこんな所にいるようになったのかは割と最近の話になるから、ここのゲーセンでまだまだ新米的な俺は暗く煩い空間にまだ全然慣れていない。
煩く操作し難く金が吸い取られるゲームにのめり込もうと挑んではみたがハマらず、結局店内をブラブラと歩くだけしか時間の使い方がまだ分かっていない。
「君はまた来たのかい、いつも一銭も出さないのに。」
ゲーセンの住人は誰もがモニターに目を向けている中、インベーダーゲームの席に座っていた女子が俺に目をやって声をかけてきた。
黒い長髪と揃えられた前髪が暗い店内と合わさって顔がよく見えないが彼女の目はいつもギラギラとした輝きがあり、話す相手にそれではっきり喰い付こうとする。
彼女は俺を見つけるなり席を立ってこのマチダでは地味過ぎて逆に目を惹く紺色のセーラー服を靡かし、迫ってきてより目をより近づける。
俺はこの少女の名前も学校も知らない。
ただ少女は比較的最近ここに来るようになった新参で、気品がありそうで無神経だと感じさせる。
このマチダでその制服を着ているのは彼女だけで、整った黒髪はきっとどこかの上品な私立校の生徒なのだと思わせるが、そんな良い子だったら今の時間帯のマチダ中を探しても絶対に見つからないだろう。
しかし学校をサボるという事を始めて最近気付いたがこの平日のマチダの駅前にいるような人間の中に優等生やお嬢様ならともかく普通に中高生が混じっている事はそう珍しい事では無いらしい。
午前十時から当たり前のように制服姿の少年少女が街中を闊歩し、駅前北部のデパートや商店街で楽しむなり、アミューズマチダで騒ぐなり、この駅前では学生の秩序が放棄されているというのだ。
そしてその空気を最近俺は分かるようになってきた。
「見る専門の人だっていたっていいだろ?」
まず俺は彼女から距離を取って改めて会話を続けた。
ちなみに俺はやる派でも見る派でもない。
「へえ、私は見てるだけなんて嫌な性質だけどね。もし目の前で自分のやりたいゲームを占有してるのがいたら私は実力で奪い取る、そういう人だから。」
「ちゃんと平和的な方法で解決しとけよ。」
「平和なんてありえない、人間誰しもが他人を見下し、妬み、差別をする。比較をする。優れようとする。ゲームなんてのは非現実の世界でもいいから優越感に浸りたいって願望があるから沢山お金を入れてハマるものでしょ。」
「お前ちょっと外出た方がいいぞ、ヌシが睨んでる。」
このゲーセンにはヌシと呼ばれる常連の客がいて、俺が来る時はいつも必ず一番奥の休憩テーブルの方で数人の手下と共に携帯ゲーム機に興じている巨漢である。
特に彼自らが何かをするという事無いのだが、ヌシに付いている手下は非常に多いと噂されており一声で十数人が行動に出ると言われている。
現に今、ヌシの眼光が少女に向けられただけで周囲の空気が張り詰めたものに変わった。
さっきまで筐体に釘付けであった男達の視線がチラホラと集まってきている。
そもそもヌシが絡んでいなくてもゲーセン好きならそりゃカチンときても擁護の仕様が無い発言だが。
「おっと?私だって見下すのも妬むのも差別するのも嫌いだよ?ゲームだって好きだよ?許せないよね、差別する人って。辛いよね、趣味を理由に苛められるのって。私にはよく分かる。よく分かっているから落ち着こう。」
この時点で俺はもっと早くからこいつは変どころかヤバイ奴だと判断すべきだったと思った。
彼女はいかにも優等生そうな見てくれをしているが聞いてもいない事を次から次へと喋り続ける。
こんな町にこんな時間にいるような人間なんて元々普通であるはずが無いんだ。
彼女の耳障りの悪い饒舌は俺が目を離しても続き、店中の視線が彼女に集中していく。
マズいぞ、ヌシを敵に回すのはマズい。
ヌシは年齢こそまだ十代らしいがそのカリスマ性を持って手下を使いマチダの南区を取り仕切っているとの噂だ。
奴の気に障れば手下達に取り囲まれて始末される。
俺は関係ないけれども、だから俺だけでもすぐに離脱した方が良いかもしれない。
だが筐体から不規則に発せられる光に照らされて見えた彼女の目は。
「つまり、私が何を言いたいのかと言うとね、私はこの世界から差別、いじめのようなものを破壊したいといつも願っているんだよ。」
少女は俺にまだ話を降ってくる。
止めてくれ、視線が怖い、世界が怖いよ。
「うん、良い事だと思う、立派だな……。」
「だから私はその温床であるこの国の学校全てをぶっ壊す。だから君も協力しろ。」
残念ながら彼女の目は希望に満ち溢れ、輝いていた。
俺は彼女を知らないし彼女も俺に話しかけてきたのは通算四度目、どうしてこんな事を言い出したのか全く分からない。
アミューズマチダは静まり返っている。
彼女に注目して彼女が意味不明だからだ。
自分達に向けられていると思っていた怒りの行き先も彼女があまりにも堂々とし過ぎていて俺もどうすればいいか分からない。
壊すって何でそんな真剣な目なの、中二病なの?
見た目的には高二男子の俺より少ししか違わないぐらいの身長で中学生には見えない。
中学生だったら将来が不安である。
高校生だとしてももっと駄目だ。
「学生はケダモノだ。自己中心的で感情の赴くままに生活する制御不能な輩だ。だから学校に乗り込んで粛清すると私は言うのだよ。君もそう思うだろ?」
「お前と話したのは四回目だが。」
「大丈夫、私の目に狂いは無いんだから。この町には凄い奴らが集まっている。イカれた世界をぶっ壊せる力が君にあるに違いない。」
「まだ四回目だぞ。どこの敏腕スカウトだよお前は。」
そうじゃない、イカれてるぞこいつ。
しかしドン引く俺以上に取り巻く男達は妙な表情で後ずさりし出していた。
ここまで騒ぎが大きくなって俺を置いて行くのかと思ったが因縁付けられても困るのだが、彼らは本気で彼女を畏怖してるように見えた。
状況が状況でそんなじっくりと観察する余裕も無く確信が行かないのだが、それでも彼女の言葉は自信に満ち溢れている。
イカれた世界をぶっ壊す力。
俺はただの高校生で部活は帰宅部、学校は中の下で特技と呼べる特技も無い、そんな普通の人間なのでイカれた世界をぶっ壊す力などというものと無縁の人間だ。
粛清なんて馬鹿げた発想は一度も企んだ事が無い。
なのに、そんな事話していないのにこいつは何だ、一緒に学校をぶっ壊そうと言いやがる。
「……頭おかしいんじゃねーの。」
思わず頭からそのまま口に漏れた。
その瞬間、建物にピシッと不穏な破砕音がいくつか重なって鳴った。
普段生活を送る上で聞いた事の無い音なのだが、視界に映る壁や天井が心なしか歪み出しているように見えた。
そしてその違和感の謎はすぐに導き出せた。
そういえば聞いた事があった気がするのだ。
日本の首都、東京の中で三本の指に入るマチダ市では日本全国から老若男女問わず訪れ日夜多くの人が活動する。
街を流れる群衆の中の一人一人にそれぞれの人生があり、歩んできた道があり、個性がある。
すれ違った相手が一人で日本経済を動かせる大物である事もあれば俺みたいなただの高校生でしかない時もありえる。
つまりこのマチダに存在する人間を指差すと、それはどんな人間でもある可能性があるのだ。
それが例え人知を超えた力を持つ者だとしても、マチダにおいては可能性はゼロでは無いと、俺はいつの間にか耳にしていたのだ。
話を戻そう。
脳内でおさらいをしていた俺の返事を心待ちにしていた少女の顔はもちろん穏やかなものでなく、鬼か恐ろしいもののそれに豹変していた。
頭に電撃が流れた。
こいつ、ヤバい。
「「「あああああああああああああああああああ!!」」」
誰と誰の声と混ざり合ったのか分からなかったが少なくとも俺は叫び声を上げ、人波を掻き分けて我武者羅に店を出た。
眩しい太陽の光で急激な眩暈が襲ってきたがそれ以上の強い轟音が後ろから響き気にする場合ではなかった。
ビルから駅まの距離は半年通った今の俺なら視覚に頼る必要はあまり無く、途中まで目を瞑ったまま太陽に抵抗して走り、次に目を開けて振り返った時にはもうアミューズマチダはありえない音を立てて二十階建ての身長が崩れていっていた。
「な、なんだよこれは……どうなっていやがる……。」
目の前の惨状に普段言わないようにしている独り言を漏らさずにはいられなかった。
室内で多くのお客様に快適に遊んで頂けるよう充実かつ堅牢な設備を自慢としていたあのアミューズマチダが倒壊する理由なんて隕石が衝突するぐらいでないとありえないとまで言われていたはずだ。
それなのに一人の少女がその場と人達の注目を支配し、叫んだと同時にこんな事が起きるなんて偶然や不条理なんて言葉では納得できない。
まるで魔法、馬鹿馬鹿しいが理解を超えた力が働いたという風にしか俺には見えなかった。
俺は前に聞いた事があったと確信した。
東京で五本の指に入るマチダ市には日々様々な人が集い、色んな刺激に溢れている。
だからすれ違った一人が政治家でもスポーツ選手でもありえるという事。
だから平日にも関わらず高校生が歩いているのもおかしくないという事。
だからマチダにはこれ以上ない刺激を持った少年少女が少なからずいるという事。
俺は崩れ落ちるアミューズマチダの最期を看取る事無く目を瞑ってまた走り出した。