第二話 夜は魔の町。
妖怪。魔物。悪鬼。悪霊。
魑魅魍魎。あらゆる人ならざるモノを総称して妖魔と呼ぶ。
この地上、歴史の中で、人間と妖魔は戦い続けてきた。
それは時に人肉を糧とする食人種と人間との、捕食者と被捕食者による少数同士の生存競争であったり、世界征服を企てた大魔王と勇者との戦いであったり、国家同士の存亡をかけた大戦争であったり。
この地上で、ありとあらゆる闘争が行われてきた。
しかし、それも500年以上前の話だ。
500年前。
人間と妖魔の戦争は、全面的な大戦争へと突入していた。
100年続いたその戦いは、もはや何が切っ掛けであったかもわからなくなっていた。
そんな時、妖魔の国同士で内乱がおこったのである。
彼らは一枚岩ではなかった。
そもそも妖魔とは人間の都合で用意した呼称であり、彼らの中には先ほど述べたとおり多くの種族がある。
人間は敵であるという共通認識こそあったものの、彼らの種族同士での不和もあった。
100年続いた戦争で、人間も妖魔も疲弊しきっていた。
どんな形でもいいから、と、互いにこの戦争の終結を求めていたのかもしれない。この内乱に人間が加勢することで、妖魔の要となっていた7人の大魔王が打倒され、戦争は終結した。
それ以降、人間と妖魔の間に大きな戦争が起こることはなかった。
平和が訪れたのだ。しかし、手放しで喜べるような平和ではなかった。
戦争がお互いの国々に刻み込んだ傷はあまりにも大きく、それぞれの国力が回復するまで200年を要した。
そして、お互いの国力回復から300年の間。
両者は、二度とこのような戦争を起こさぬよう、共存の道を模索してきたのである。
だが人と魔の隔たりはあまりにも大きく、共存はとんでもない難題だった。
お互いに模索、譲歩を繰り返し、長い時間をかけてようやくこの島をはじめとする共存のための都市が作られた。
それが、20年前のことだ。
太平洋上に浮かぶ、面積にして東京都の半分はあろうかという巨大な人工島。
人間と妖魔、両者が共に暮らすために作られた世界三番目の共生都市。
天壌島・海上都市。それがこの島である。
◆◆◆
極東大学。『キョクダイ』という愛称で親しまれるここは、天壌島にある私立大学である。
魔族と人間の共存は、お互いに意外な利益をもたらした。
ここのような大学施設、こと理系分野について学べる施設というのは、魔族側にとっての大きなメリットのひとつだ。
彼らの国はほとんどがその文明を魔法に頼っており、魔法の不得手な人間たちがそれを補うために発展させてきた科学というものは、一切存在しなかった。
それゆえ魔族の支配する国の文明は、人間側で言う中世そこらのレベルで停滞しているのだ。
無論、彼らにとってははそれで充分だったのだが、やはり新しいものや、より効率の良いものに触れるとそれを取り入れたがるのは、多くの魔族が人間と共有するところだった。
この島ではほぼすべての学校が夜の部を開講しており、大学に限らず、夜の世界の住人である妖魔の子供たちが通っている。
若者に人間の技術を学ばせ、それを持ち帰らせて自国の文明に取り込もうとしているのだ。
もっとも霧江が通っているのは文学部であり、そういう事情とは縁遠い場所だったりする。
妖魔で文系と言えば霧江のようにもともと人間だったものか、人間の文明より文化に興味を持っている物好きくらいなもので、理系に比べると少ない。
おまけにこの極東大学、昼の部はかなり優秀な部類に入るのだが、夜の部になるとこれといった特徴もない普通な、割と平均的な学力の学生たちが集まる大学となる。
メリットと言えば履歴書にこの大学出身と書けることと、夜の部は私立にも関わらず学費が比較的安いことくらいである。
そのため、ここでは昼間働いて夜に大学に通う『人間』も多い。文系の学科ではそれが特に顕著だ。
結局、霧江がここに登校してきたのは二限目の講義が始まる直前だった。
来るまでにさんざん買い食いした証であるコンビニ袋をトイレ前のゴミ箱に捨てる。
普通の吸血鬼なら、来る前に飲んだゼリー飲料で十分腹が満たせるのだが、そこはそれ、うまいもんは別腹というやつだった。
「おい、鬼灯」
満足げな霧江に怒気を孕んだ声が投げられる。
おや、と見ると、飛び込んでくるのはやたらに目立つド金髪。目立つのは色だけではなく、ライオンの鬣のようなその髪型のせいもあるだろう。
細めの顔に、釣り目。少し高い鼻。美人だが、こちらから絡みに行くには少しキツイ雰囲気。
身長は霧江と同じか少し高いくらい。女性にしてはややがっしりとした体形。
その大きな胸を強調するように、首元が大きくV字に開いた藍色のインナー。その上に肘までまくったオオカミの刺繍入りの紫のスカジャンを羽織り、白いハーフパンツを穿いている、色々な意味で目立ちまくりな格好の少女が、のしのしと重い足取りで近づいてきた。
その姿を見て、霧江はわずかに微笑む。
「ああ、おはよう美咲」
「おはようじゃねぇよタコ!お前またサボったろ!」
少女の名は荻原美咲。
18歳で、霧江と同じくこの大学の夜の部、文学部に通う一年生。
先述した、昼間にバイトして夜に大学に行く人間の一人で、霧江の数少ない友人である。
「お前な、一年のうちからサボってっとマジで苦労するらしいぞ」
「あんたって見た目と口調に反してすっごい真面目よね」
「うるせぇよ!ホラ!」
パサリ、と、美咲は丸めた白い紙で霧江の肩を叩く。
「一限目の地誌学のノート!コピー取ってやったから」
「おまけに面倒見もいい。いいお母さんになるわよ」
うんうん、と目を閉じながら腕を組み、二度頷く霧江。
対して美咲は顔を赤らめつつ、丸めたコピー用紙で霧江の頭をハタいた。
「アホか。お前がだらしなさすぎるんだよ!あとでコピー代10円請求すっからな!」
「はいよー……っと」
霧江は美咲から丸めた用紙を受け取る。
広げて見ると、丁寧な字で板書から教授の発言に至るまで、要点をしっかりとおさえているとても綺麗に書かれたノートだった。これで10円は安すぎるくらいだ。
「毎度のことながら見事ね……あんたのノートのコピーってそれなりの値段で売ったら結構儲かるんじゃないの」
「フン。こんなんで儲けても仕様がねぇだろ。オラ、教室行くぞ。二限目も私と同じ授業取ってたろ」
「あー。次、なんだっけ」
「西洋史通論だよ!自分が履修してる講義くらい覚えとけ」
「ん、そうだったわね……行きましょうか」
「……ったく」
霧江はまだ機嫌の悪そうな美咲の後に続く形で、次の講義のある教室へと向かった。
彼女の背中を眺めつつ、やっぱり真面目なんだなぁ、と。入学式で出会ってまだ1ヶ月の付き合いしかないこの友人の性格を再確認。
見た目とのギャップが凄いのもあって、霧江はこの少女のことをとても気に入っている。
なんでそんな性格でそんな格好なのか、など、彼女の過去についてはまだ何も知らないが、霧江は特に聞きたいとは思わない。
興味がないわけではないが、人の過去など詮索しないに限る。向こうが話したくなったら話せばいいし、なにより霧江は今の彼女を見ているだけで面白かった。
「……なんだよ?」
と、霧江のニヤついた視線に気づいたのか、美咲が振り返る。
「いや、別にぃ」
笑みをこぼしながら、霧江は歩みを早めて、少女の隣に並んだ。