第5話 王太子殿下の攻略が進んでいるようです
五月は、私にとっては平穏に過ぎた。
シェリーが絡んでくることは完全になくなった。すれ違っても彼女は特に反応を示さない。アイテムは諦めたということでいいのだろうか。ピアソン伯爵令息目当てなら、アイテムも不要だというし。
ちなみに、ヒロインがピアソン伯爵令息を選んだ場合、悪役令嬢は魔法が使える二人に嫉妬していじめるという話だけれど、もちろん、アビゲイル様にそんなことをするつもりはない。
悪役令嬢は、攻略対象との絆が深まる夏休み明けあたりからヒロインをいじめ始めるらしいので、そこからがアビゲイル様にとっての正念場だろうか。もちろん、私も全力で協力するつもりだ。
ヒロインと余計な関わりさえ持たないようにすれば、無事に「ゲーム」の期間である一年間を終えることができるはず。
そう、思っていたのだけれど。
「ありがとう。カイル様。グレイグ。レオン」
五月の定期試験発表の日。
順位表の前には、ピンク髪の女子生徒を取り巻く三人の男子生徒の姿があった。
一人は先月も彼女と一緒にいたグレイグ・ピアソン伯爵令息。黒髪の彼は魔法の名門の出で、本人も将来を嘱望された魔法使い(らしい)。
一人はカイル・ドラクモンド辺境伯令息。国境の守りの要であるドラクモンド辺境伯の次男である彼は、剣の腕は学園一で近衛騎士になるのが目標だ。赤髪で野生的な魅力を持つ三年生。
一人はレオンティウス・シルヴァラン侯爵令息。緩やかなウェーブのプラチナブロンドを持つ彼は一年生にしては大人びている。手広く事業を手がけるシルヴァラン侯爵家の三男である彼は、美術の審美眼を持ち芸術にうるさい。
三人とも「フェル学」の攻略対象だ。頑張って覚えた。
その三人が、うっとりとした表情でシェリーを取り囲んでいる。
三人とも顔立ちは整っているし、それぞれの分野に秀でている名門貴族令息だ。当然女子生徒にも人気がある。
そんな人気がある三人が、一人の女子生徒を取り囲んでちやほやしているのだ。しかも三人とも明らかに彼女への恋愛感情があるのがまるわかり。
正直、異様だ。
さらには、彼女、まだ王太子殿下やジェイデン様への挨拶も欠かしていない。ジェイデン様が愚痴っている。まだ諦めていないようだ。
アイテムの件がなくても関わりたくない相手だ。
ちなみに、シェリーが何について礼を言っているかというと、月次のテスト結果についてだ。
なんと、シェリー、魔法で二十位に入ったのだ。いや、私はまだ順位表を見ていないのだけれど、彼女たちが大騒ぎしているのでどうしても耳に入ってしまった。
「来月はもっと成績を上げてみせるわね」
「シェリーならできると思う」
「ああ。シェリーの頑張りを信じている」
「シェリーさんならできるよ」
三者三様の励ましをもらったシェリーは満足げに微笑んでいる。
私はというと、アビゲイル様と共に結果を見に来たのだけれど、ヒロインとその取り巻きの妙な光景に結果にまで足が近づかない。他の生徒たちも同じようだ。皆、彼らを遠巻きにしている。
「そんな。この時点でここまで攻略を進めるなんて、あり得ないわ」
私の隣でぽつりとアビゲイル様が呟く。彼女の顔は真っ青だった。
「アビー。どうしたんだい? 顔が真っ青だよ」
気遣わしげな王太子殿下の声がして、私はそちらを向いた。王太子殿下とジェイデン様だ。
「なんでもありませんわ。カリスト様」
アビゲイル様がにこりと微笑む。ただ、その笑顔は私から見ても少し痛々しかった。
王太子殿下は何かを言いたげにアビゲイル様を見たけれど、こういうときの彼女がなかなか口を割らないのはわかっているのだろう。話を変えることにしたらしい。
「アビー。結果はどうだった?」
「まだ確認できておりませんの」
そう言って、アビゲイル様は順位表の方に視線を向けた。そちらには、シェリーと三人の令息がきゃっきゃと話をしている。
結果を確かめたなら、さっさとどけばいいのに……。
「ブライアウッド嬢に侍っている三人、あれは攻略対象だな」
いつの間にか私の側に来ていたジェイデン様が囁いてくる。私はこくりとうなずいた。何を隠そう、私に攻略対象の情報をたたき込んだのがジェイデン様です。
先月はピアソン伯爵令息だけだった。なのに、二人も取り巻きを増やしている。
三人の令息たちと話していたシェリーが、ふとこちらを見た。ぱっと顔を輝かせる。
この光景、既視感があるぞ。
「カリスト様! 学年トップおめでとうございます!」
シェリーは王太子殿下めがけて駆け寄ると、満面の笑みを浮かべてそう言った。三人は置いてけぼり状態。けれど文句を言うこともなく、じっとしている。
「ああ」
勢いに気圧されたのか、王太子殿下はなれなれしい態度をたしなめることなく、うなずいている。
その反応にシェリーは満足げにうなずき、それからちらりとアビゲイル様に視線を向けた。
その口元が勝ち誇ったように歪んだのは、きっと気のせいではない。
しかしそれも一瞬。シェリーはさらなるターゲットであるジェイデン様を見つける。こちらに突撃してきた。
「ジェイデン様も、学術一位おめでとうございます」
「ありがとう。ブライアウッド嬢」
にっこり。完璧な笑みでジェイデン様が対応する。名前呼びを咎めないのは、許したのではなく諦めたかららしい。シェリーは少し小首をかしげたものの、笑顔を崩すことなく、令息たちのところへ戻っていく。
どうやらシェリー、完全に私は眼中にないようだ。四月には友人でしょと言って迫ってきたのに。アイテムを作らない私には利用価値がないからだろう。まあ、それで全然かまわない。道は踏み外したくないからね。
シェリーは令息たちと笑顔で談笑しながら去って行った。ようやく他の生徒たちが順位表を見られるようになる。
「彼らのうち、誰か一人でも自分たちがおかしいって気づかないのか?」
ジェイデン様が不思議そうに呟く。それは私も同意です。
――なんだか、嫌な予感しかしない。
一週間後。
「カリスト様がブライアウッド男爵令嬢――ヒロインに優しくなったのよ」
工房の商談室。私はアビゲイル様から衝撃の告白に思わず固まった。
今朝、アビゲイル様と顔を合わせたときから、なんとなく様子がおかしいと思っていたのだ。なんとなく沈んでいるというか、怒りを押し込めているというか。
どう声をかけようかと悩んでいたのだけど、逆にアビゲイル様の方から話があると言われてしまった。
「王太子教育は大丈夫なんですか?」
「大丈夫。話は通してあるわ。今日は休みよ」
どこか鬼気迫っているアビゲイル様。なんだか無理矢理休みをもぎ取ったようにも聞こえますが……。
まあ、私がアビゲイル様の誘いを断るわけがない。
放課後、私たちは工房の商談室へ向かった。当然のようにジェイデン様も一緒だ。
「王太子殿下がですか?」
驚いた声を上げたのは私だけだった。
私の隣でジェイデン様が苦い顔をしている。おそらく心当たりがあるのだろう。
「どういうことですか?」
「そのままよ。カリスト様がヒロインに優しくなったの。順位発表のときからおかしいとは思っていたのよ」
「あれは……ただ迫力に気圧されているだけかと思ったんですが」
違うのだろうか。確かに拒絶はしていなかったけれど。
「あれはかなり態度が軟化した方だ」
ジェイデン様が私に耳打ちする。
女子生徒が馴れ馴れしく話しかけてきたら、氷の一瞥でけんもほろろな対応をするのが王太子殿下の通常運転。それに比べたら、確かに軟化……なのかもしれない。
「あの反応は、恋愛段階第一段階のイベントをクリアしているわ。毎日挨拶をされて、確実に好感度は上がっていたのよ。このままヒロインがカリスト様の攻略を進めたらどうしよう。カリストの様のことは信じているけれど、私……っ」
アビゲイル様は目の前のテーブルに突っ伏した。
「アビゲイル様……」
アビゲイル様が恐れているのは、悪役令嬢になって修道院行きになることじゃない。
王太子殿下の心がアビゲイル様から離れてしまうことなのだ。
「アビー。カリストが君以外の女性を選ぶわけがないだろう」
「ですがお兄様! お兄様と違って、現にカリスト様の好感度は上がっているんです。ヒロインに対する気持ちが少しでもあるからだわ!」
ジェイデン様の慰めの言葉に、顔を上げてアビゲイル様が反論する。
「だが、カリストの攻略にはアイテムが必要なんだろう? エレインはブライアウッド嬢にアイテムは渡していない。これは僕も保証する」
「それは、そうだけど……でも、ヒロインはアイテムを手に入れているようにしか思えないのよ!」
アビゲイル様の言葉に私は小さく息を呑んだ。
私はシェリーにアイテムを提供するようなことは神に誓ってしていない。でも。
「アビー。それはエレインを信じていないということか?」
ひんやりと冷たい声でジェイデン様が言う。
「ち、違う。もちろんエレインのことは信じているわ。本当よ。誤解させたらごめんなさいね。エレイン」
アビゲイル様は慌てて否定した。私にも謝ってくれる。私は怒っていないという意味を込めて、こくりとうなずいた。
「この前、ヒロインが攻略対象を三人も侍らせていたでしょう? 攻略速度が速すぎるのよ。しかも、五月時点で魔法だけとはいえ二十位以内に入るなんて、アイテム無しで攻略していたら絶対無理よ。アイテムありでも無理かもしれない」
「つまり、私以外でアイテムを手に入れる伝手を見つけたかもしれない、ということですか?」
けれど。どうやって。
ジェイデン様が顎に手を当てる。
「まあ、確かに魔法道具店は一つじゃない。そして、中には依頼されたら何でも作る倫理観に欠けた職人がいるのも確かだ。学内で探そうとするからエレイン一択になるだけで、視野を広げればいくらでも作る人間はいるだろう。特に、彼女は貴重な魔法素材をちらつかせていたからな」
その可能性は思いつかなかった。でも、十分あり得る。それくらい、シェリーの提示する魔法材料は魅力的だった。
「商会と伝手がある魔法道具店にはそれとなく話を聞いてみよう。噂の一つくらいは聞けるかもしれない。アイテムのことはそれでいいとして、問題はカリストか」
「……」
王太子殿下の名前に、アビゲイル様がきゅっと唇を噛んだ。
このまま何かの間違いでシェリーが王太子殿下を攻略してしまうのは非常に困る。彼女は絶対王妃の器じゃない。辣腕王太子殿下のイメージがガラガラと崩れてしまう。
そもそもアビゲイル様から笑顔が消えてしまうのは嫌だ。
「ジェイデン様は毎日声をかけられても、特に好感度は上がっていないんですよね」
「好感度というものが彼女に対する好意を表すとしたら、ずっと地の底のままだな」
私の質問にジェイデン様が真面目に答えてくれる。
「それはわかるわ。お兄様のヒロインに対する反応は、最初からずっと変わらないもの。好感度最低レベルの対応よ」
ゲームでは、好感度が上がるにつれてヒロインへの態度が軟化していくのだという。
「どうしてなんでしょう。アビゲイル様は殿下がブライアウッド様に少しでも気持ちがあるからだって言ってましたけど、でも、入学式に転んだ彼女に手を差し出したとき、気持ちがあるなんてこれっぽっちも思いませんでした」
王太子殿下はアビゲイル様に夢中なのだ。これは誰もが認める話。
ジェイデン様と王太子殿下、一体何が違うんだろう。
王族である王太子殿下と公爵令息であるジェイデン様。二人とも己の律し方を心得ているし、やり方は違うが、親しくない女性には一線引いて接している。
「しかも婚約者のいないジェイデン様と違って、王太子殿下にはアビゲイル様がいらっしゃるのに……」
首をかしげる私に、アビゲイル様が何かを言いたげな顔を向けた。
「ジェイデン様。ブライアウッド様に話しかけられたとき、何か心がけていることはありますか? 何か他の令嬢に対する態度と違うことをしているとか」
「特にしているつもりはないが……ただ、アビーから『ゲーム』の話を聞いているからな。攻略されるなんてとんでもない、と身構えているところはあるかもしれない」
――これだ、と私は思った。
ジェイデン様は「攻略」を警戒している。それってけっこう大きな違いでは?
「アビゲイル様。王太子殿下に前世のことは?」
「話していないわ。話せるわけがないじゃないの。あなたたちに話すのだって勇気がいったんだから」
とんでもない、とアビゲイル様が首を振る。
私は言った。
「アビゲイル様。前世の話を、王太子殿下にも打ち明けてみませんか?」




