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第2話 乙女ゲーム、開始!

 四月。入学式の日、


 私は、「監視」の一環でアビゲイル様とジェイデン様と三人で登校していた。どんなに身分の高い生徒でも、校門までしか馬車の乗り入れは許されていない。私とアビゲイル様が並んで歩き、その後ろをジェイデン様がついてくる。

 登校時間のピークなので、多くの生徒たちが校舎へ向かって歩いていた。


「まずい。時間に遅れちゃう!」


 ふわふわピンク髪の見慣れない女子生徒が制服の紺のスカートを翻しながら走り抜けていく。まだ時間に余裕はあるはずだけどな、と私が首をかしげたときだった。


 びったーん。ピンク髪の女子生徒が派手に転んだ。しかも、前を歩いていた王太子殿下を巻き込むような形で。

 ちょっと意図的に見えたのは私の気のせいだろうか。呆気にとられた私たちは、思わず立ち止まってしまう。周囲も似たようなものだ。


「ごごご、ごめんなさい」


 殿下の上に被さる形になった女子生徒は慌てて飛び退ける。殿下は呆れた顔をしつつも、制服についた土を払いながら立ち上がった。


「次からは気をつけるように」

「はい。わかりました! カリスト様」


 悪気なく殿下の名前を呼ぶ令嬢に、周囲の空気が凍りついた。

 殿下は婚約者のアビゲイル様以外の令嬢に名前を呼ぶことを許していない。つまりかなり非常識な行為だ。


「その、私はシェリー・ブライアウッドっていいます!」


 なのに、令嬢は空気を読まずに自己紹介までしている。その名前に私ははっとした。

 ――彼女が例の「フェル学」のヒロインなんだ。

 隣のアビゲイル様を盗み見れば、殿下とヒロインに視線が釘付けになっている。


「君に名前を呼ぶことを許した覚えはない」


 殿下は真顔で言う。思わずその場にひれ伏したくなるような口調だ。

 だが、そんな吹雪のような冷たさも、彼女には通じなかったらしい。


「そんな遠慮しないでください。私のこともシェリーでかまいませんから」


 恐るべき超理論を笑顔で述べる。


「それでは私、先に職員室行かなくちゃいけないので失礼しますね!」


 シェリーは開いた口が塞がらない殿下に笑顔を向けると、再び駆けていった。


「娘を貴族学校に入れる前に、最低限の令嬢教育は施すものじゃないか?」


 ジェイデン様がぼそりと呟くが、私も同感だ。

「ゲーム」の設定では淑女としての素地がゼロから始まるらしいけど、それにしても限度というものがあるのでは?

 しばし呆然としていた殿下だけれど、アビゲイル様の姿を見てぱっと顔を輝かせた。


「アビー。おはよう」


 こちらに駆け寄ってくる。さっきの凍てついた様子とは別人のようだ。


「朝からとんでもない令嬢に絡まれてしまったよ」

「ええ。見ていましたわ。力になれず申し訳ありません」

「気にしないで。アビーの手を煩わせるほどでもないからね。――ああ。君たちもいたのか。ジェイデン。アルセナルト伯爵令嬢。おはよう」


 こちらに対する殿下の口調の温度差が激しすぎる。まあ、通常運転なので別に腹は立たない。私たちに冷たいのではなく、アビゲイル様だけが特別なのだ。

 アビゲイル様の隣は殿下に譲って、私はジェイデン様と並んで歩くことになる。


「なんだか悪い意味ですごい令嬢だったな」


 ジェイデン様の率直な感想に私は苦笑した。


 とまあ、そんなことがあって。

 王太子殿下をも唖然とさせた無礼さを不快に思った生徒も多く、あっという間にシェリーの悪評は広まってしまった。

 というのに、彼女は態度を改めることもなく、懲りずに王太子殿下の近くをうろちょろしているようだ。もちろん、賢明な殿下は相手にしていない。ヒロイン、心臓強いな。







 入学式から一週間。


「わざと複雑な式にするっていう方法もありますけど、私はおすすめしません」


 放課後の教室。私はクラスメイトの男子生徒に請われて、魔法回路の説明をしていた。


 ちなみに、私の専門である魔法道具とは、魔力を使って起動する魔法を仕込んだ道具のこと。

 人間、誰しも魔力を持っているのだけれど、それを魔法という形で発現できるのは大体二割ほど。かくいう私やジェイデン様も魔法を発現することはできない。アビゲイル様は火の魔法をちょっぴり使えるけど、種火になる程度のものだ。でも公爵令嬢、種火を使う機会ないからね。


 魔法を使えない人間の魔力を有効活用することができないか。

 そこで考えられたのが魔法道具だ。

 幸い、世の中には魔力を帯びた素材であふれかえっている。

 魔法の発現には呪文を使う。魔法道具は、魔力を帯びた素材を使って、呪文と同じような効果を持つ魔法式と呼ばれるものを組み込むのだ。人間の魔力に反応すると、魔法式が呪文のような役割を果たして魔法を発動してくれる。


 組み込む方法は二つ。

 一つは素材が本来持っている効果を組み合わせるもの。以前からあった方法で、魔法薬なんかはこちらの原理。

 そしてもう一つは、魔法回路と呼ばれる術式の形で組み入れるもの。自由度はこちらが断然高い。「レイゾウコ」はこっちだ。

 昔からあった技術だけど、発展させたのはフィオレッタ商会だと断言できる。


 今まで、魔法回路を使った魔法道具は「簡単に魔法が発動できる」ことを主眼に作られていた。魔法使いが使う魔法を、魔法道具によって使えるようになるイメージだ。魔法石と呼ばれる魔石に単発魔法を刻んだ魔法道具は、今も広く普及している。

 でも、フィオレッタ商会の魔法道具はそうじゃない。用途も考えた上で、それに特化した道具に魔法式を組み込んでいる。その最たる物が「レイゾウコ」だ。これ、全部元はアビゲイル様の発想。

 以前から、氷魔法の魔法石で食物を冷やすことはしていたけれど、ただ氷を生み出す魔法なので使い勝手は非常に悪い。加減によっては発生した氷で怪我をするなんていう事案もあった。それを使い道を限定することで、使いやすく安全性を高めたのだ。

 このような形の魔法道具は「レイゾウコ」をきっかけに、急速に広まりつつある。

 と、私の専門なのでついつい語りすぎてしまった。


 今日は魔法学の授業で魔法回路の説明があったからだろう。

 以前から魔法回路に興味があったという男子生徒が、魔法回路を仕事にしている私のもとに質問にやってきたのだ。

 魔法回路に興味を持ってくれる人は大歓迎。拒む理由もないので聞かれるがままに質問に答えていた。基本から使える素材、魔法式を読み取りにくくする方法などなど。


「なるほど。じゃあ、小型化するにはどうすればいい?」

「小型化には二つ方法があって、一つはそもそも魔力の強い素材で作成すること。そうすれば魔法式が小さくても十分な効果が出ますから。もう一つは魔法式そのものを効率化させること。こっちはけっこう試行錯誤が必要――」


 教室にひんやりとした冷気が漂ってきた気がして、私は思わず口をつぐむ。

 はっきりとした四季があるフェルネア王国で、四月は過ごしやすい月の一つだ。こんな凍てついた冷気を出せるのは――。


「ここにいたんだね。エレイン」


 顔を上げると、にっこり微笑んだジェイデン様と目があった。少し前にも聞いたようなセリフだ。ひっと声を漏らさなかった私を褒めて上げたい。


 ジェイデン様は笑顔を浮かべたまま私の方に近づいてくる。教室にはまだ少し生徒が残っていて、ジェイデン様の麗しさに見とれる女子すらいた。いや、この輝かんばかりの笑顔、実はあんまり機嫌良くないときのものだよ、騙されないで!


「えっと、君はアシュダール子爵令息かな。急ぎの用じゃなかったら、エレインを借りていいかい?」

「は、はい。もちろんです!」


 空気が読める男子生徒は、さっと席を立って去って行った。賢明だ。


「さて、エレイン」


 ジェイデン様は、さっきまで男子生徒が座っていた椅子に座る。座る仕草だけでもすごく優雅だ。組んだ足が長い。


「ジェイデン、様」


 私は目を泳がせる。彼に怒られる心当たりは――あった。


「少なくとも四月中はなるべく一人になるな、という話は忘れたのかな。僕かアビーと一緒にいるという話だったよね」


 覚えています。ちょっと頭からすっぽ抜けただけで。……いやこんな言い訳が通用するわけがない。ここは謝罪一択。


「す、すみません。魔法道具について聞かれてつい……」


 そう。「監視」もとい「護衛」の話を忘れていたわけでは決してない。

 あの入学式でのシェリーのわざとらしい転倒は、王太子殿下とヒロインの出会いイベントなのだという。つまり「フェル学」は始まっている。


 物語が始まった以上、近いうちにシェリーが私に接触してくる可能性がある。

 私だってヒロインと接触はしたくないし、杞憂ならそれでいい。


 放課後担当になったジェイデン様は、本当は教室まで私を迎えに行くつもりだったらしいんだけれど、それは私が全力で遠慮した。ジェイデン様直々、なんて目立って仕方がない。仕事の関係と知られていても、ジェイデン様が地味な私と一緒にいることをよく思わない令嬢も多い。


 結局、校舎の裏で待ち合わせて、そこから馬車で工房へ向かうことにした。待ち合わせ場所までは、アビゲイル様がついてきてくれる。

 おそらく、魔法道具のことになると私の話が止まらないことを知っているアビゲイル様が、ギリギリまで待ったけど話が終わる様子がないので、仕方なくジェイデン様に託した、というところか。


「ほら。早く工房に行くぞ。馬車を待たせている」

「は、はい」


 私は慌てて支度をすると、ジェイデン様と共に教室を出た。なんだか後ろから嫉妬の視線が突き刺さってきた気がするのは気のせい……じゃないな。


「で、なんで君は僕の後ろを歩いているんだ」


 廊下。前を歩いていたジェイデン様がぴたりと立ち止まって、こちらを振り返った。今にもため息をつきそうな顔だ。


「え? いや、そのなんとなく?」


 正確に言うと、隣を歩いていたら確実にすれ違う女子生徒の視線が痛いからなんだけど、それを申告する勇気はない。


「僕の視界に入っていないと監視できない」


 ジェイデン様はつまらなそうな顔で言うと、私の隣に並んだ。


「隣でも視界に入らないのでは?」

「後ろよりもよっぽどましだ。ほら、行くぞ。ここで騒いでると目立つ」


 いや、あなたがいる時点で十分目立ってますから! なんてことはもちろん言えるわけがなく、私は大人しくジェイデン様の隣を歩くことにした。


「君は――アシュダール子爵令息と仲がいいのか?」


 ぽつり、と尋ねられる。


「アシュダール子爵令息? あ。もしかして、さっきの男子ですか?」

「……エレイン。まさかと思うが、さっきの生徒の名前を知らない?」

「ええ、まあ」


 だって名乗らなかったんだもの。向こうから言わせてみれば、級友の私が名前を覚えていないなんて思っていなかったというところだろうけど。

 この前のピアソン伯爵令息のこともそうなんだけど、ジェイデン様はおそらくこの学園の生徒の名前をみんな覚えている。高位貴族として当然だ、と以前言っていたけれど、二百人ほどいる生徒の顔と名前を一致させるには、それなりの努力が必要なはずだ。


 そうか、とジェイデン様が少しほっとしたように力を抜く。


「あ。でも、覚えました。アシュダール子爵令息ですね」


 私がそう言った途端に、ジェイデン様の眉間にしわが寄った。


「覚える必要はない」

「え、でもせっかく魔法道具に興味を持ってくれた人ですし……」

「魔法道具の話は僕とすればいいだろう」

「裾野を広げることも大事ですよ」

「……」


 ちょうど校舎を出たところで、ジェイデン様は立ち止まると紫色の双眸で私の顔をじっと見つめた。


「な、なんでしょうか」


 ジェイデン様の顔が良すぎて、とてつもなく居心地が悪い。


「そ、そういえば、ジェイデン様の方にはヒロインは突撃してきていないんですか?」


 私は必死に話題を探して口にした。


「一日一回挨拶にくるな。どんな態度を取ってもめげない」


 それに、とジェイデン様が不本意だとでも言いたげな顔をする。


「アビゲイル曰く、ゲームの僕は六月からでも十分攻略が間に合うらしい」

「なるほど。つまりジェイデン様も油断はできないということですね」

「その前に君だけどな」

「そうですけど、でもジェイデン様も私と一緒にいて大丈夫なんですか? アビゲイル様の読みだと今月中にヒロインが私に接触してくるみたいですけど、ジェイデン様もヒロインとの接点は減らしたいですよね」

「だからといって、君を一人にできるわけがないだろう。万が一ということもある」

「大丈夫ですよ。いくら魅力的な素材をちらつかせられたって、アビゲイル様のためなら我慢しますから」


 胸を張る私を、本当か、とでも言いたげな顔でジェイデン様が見る。


「僕の心配は不要だ。それとも何か僕が一緒にいると不都合なことでも――」





 そのときだった。


「エレイン! やっと見つけた!」


 ピンク髪の女子生徒が目の前にやってきたのは。

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