第15話 大切なひと
「エレイン」
私の名前を呼ぶ優しい声で、私の意識は浮上した。
ゆっくりと目を開けると、そこには最近すっかり見慣れてしまったジェイデン様の顔がある。そうだ私、ゼファーに洗脳のハンカチをかぶせられて……。そこからの記憶が曖昧だ。
ゼファーは薬の扱いに長けているようだから、洗脳が終わったあと、また眠らせられたのかもしれない。
ジェイデン様が来てくれたんだ……。胸の中がいっぱいになる。
頭ではいろいろ考えているのに、実際はかすれた声でジェイデン様の名前を呼ぶことしかできなかった。
私を見るジェイデン様が、切なそうに顔を歪める。平気だ、と続けたかったけれど、舌が動いてくれなかった。
「ゼファー・アシュダール」
ジェイデン様が声に出した人名に、一瞬、私の思考が停止する。ほんの少し、思考に薄く靄がかかった。
私を見て、目の前のジェイデン様が顔を思い切り歪める。
「エレイン。君を助けに来た。長居は無用だ」
ジェイデン様はそう言って、私の手を取った。
けれど次の瞬間、ジェイデン様が素早く扉の方を見る。
私もそちらを見て、思わず硬直する。
視界に飛び込んできたのは、ゼファーともう一人、プラチナブロンドの中年の男性。初めて見る人だった。
「ああ。誰かと思ったらヴァレフォード公爵令息か」
「シルヴァラン侯爵。あなたが何故ここに?」
ジェイデン様が訝しげに尋ねる。
シルヴァラン侯爵。聞いたことがある名前だ。そうだ。攻略対象のレオンティウス・シルヴァラン侯爵令息の父親だろう。髪の色がよく似ている(顔まではあまり覚えていない)。たしか、手広く事業を行っていることで有名なんだっけ。
「決まっているだろう。我が息子の婚約者を迎えに来たんだよ」
「――は?」
ジェイデン様が地を這うような低い声で言う。
「それはエレインのことですか?」
いや、私も初耳だ。もしかして実家に申し込みが来ていたのだろうか。
「決まっているじゃないか。他に誰がいる」
鷹揚に答えるシルヴァラン侯爵に、ジェイデン様から冷気のようなものが噴出する。殺気、なのかもしれない。
「その話は丁重にお断りしたはずですが。そもそも、シルヴァラン侯爵家にエレインは必要ないでしょう。シルヴァラン侯爵家の息のかかった工房は、魔法工房アルケミアを始め、魔法回路に明るくないところばかりだ」
ジェイデン様が何かを押し殺したような淡々とした口調で言う。
「だからこそだよ。どこかの工房のおかげで、うちの事業の魔法道具部門は壊滅状況だからね。彼女の魔法回路の能力は君が一番知っているだろう? 立て直しに必要だ」
「だったら結婚までは必要ないのでは?」
「私は身内以外信用しないんでね。だからこそ、ここまで商売を大きくできた。レオンティウスと娶せるつもりだよ。洗脳されていた令息と、洗脳を解いた令嬢。いい組み合わせだろう?」
「それで、エレインに何をやらせるつもりですか? もう一度、カリスト――王太子殿下の洗脳を試みるつもりですか?」
「何のことだかさっぱりだな」
シルヴァラン侯爵が大げさに肩をすくめてみせる。
だが、ジェイデン様は動じなかった。
「あなたは、王太子殿下のことを警戒していた。殿下は一部貴族の税制優遇にメスを入れようとしていましたからね。王太子殿下が何者かに洗脳されたのだとしたら、それを瑕疵として王太子の地位を下りろと求めることが出来る。そうしたら、王女殿下を女王に仕立て上げ、自分の都合のよい王配を取らせればいい」
「想像力豊かだな」
「お褒めいただきありがとうございます。それなりに根拠はありますよ。例えば、もともと頻繁に利用していたようですが、最近――そうご子息の洗脳騒ぎの後、アシュダール子爵家の工房に出資したそうですね。シビアなあなたにしては珍しい」
「いつもお世話になっているからな。気が向いただけだ」
自分の親ほどの年である侯爵とジェイデン様は堂々と渡り合っていた。
その堂々とした姿はさすがの一言。
「どうだか。もともとエレインを引き抜くつもりだったんでしょう? エレインはアビーとも親しい。エレインを使ってアビーに洗脳の魔法道具を渡せば、王太子殿下を洗脳することも出来る。元々アビーはエレインにいろいろ魔法道具をもらっていましたしね」
「君はどうしても私を王太子殿下の洗脳を試みる犯罪者にしたいみたいだな」
「そうですね。いろいろと噂を小耳に挟んでいたもので。例えば、あなたが反王太子派の人間と接触していたこととか。探られたら痛い腹もあるでしょう?」
シルヴァラン侯爵の顔色が明らかに変わった。ジェイデン様の指摘は彼の耳に痛いものだったらしい。
「ちょうどいい。ヴァレフォード公爵家は権力を持ちすぎて邪魔だったんだ。排除するいい機会が巡ってきたと思おう」
ぱちり、と侯爵が指を鳴らすと人相の悪い男が数人、部屋に入ってきた。
「君にも私の駒になってもらおう。ヴァレフォード公爵令息。ゼファー。アルセナルト伯爵令嬢をこちらに」
今までずっと黙っていたゼファーが、こくりとうなずく。
「エレイン」
ゼファーが私の名前を呼んだ。
その瞬間、私の思考に分厚い靄がかかる。
「こっちへ来い。ヴァレフォード公爵令息と一緒にいるのは危険だ」
行きたくない。行きたくないと心の底で自分が主張しているのに、ゼファーの元へ行かなくちゃと思う自分がいて、勝手に手足が動こうとする。ジェイデン様に握られていた手を振りほどこうとして力を入れて――。
「エレイン。見るな。聞くな」
ジェイデン様は、私のことをぎゅっと抱きしめた。私の視界に何も移らないようにしっかりと私の額を自分の胸にくっつけると、耳元でそっと囁く。
「アシュダール子爵令息の声なんて、君の耳に入れる価値もない。姿だって同様だ」
その声の響きは切羽詰まっていたのに、どこかとても甘く聞こえた。
「エレイン。君は僕だけ見ていればいい。僕の声だけ聞いていればいい」
ぼんやりした頭に、ジェイデン様の声だけが響く。こくりとうなずくと、ジェイデン様が私の耳をしっかりと塞いだ。
遠くでゼファーが何かをわめいているけれど、私の耳には届かなかった。
ただ一つわかること。
それは、ジェイデン様に委ねるのがきっと正解なんだろうということ。
ジェイデン様の言うとおりにしていれば大丈夫。そんな安心感。
――大丈夫。
そう思った瞬間。
「うっ」
パンっという乾いた音がした直後、ジェイデン様のうめき声が聞こえた。私を拘束する手が緩む。どういうこと?
顔を上げれば、ジェイデン様が肩を押さえていた。白い制服の形が赤く染まっている。
男たちの誰かから攻撃を受けたのだろう。狭い室内だけれど、こういった室内向けの攻撃魔法道具があることを私は知っている。
「ジェイデン様……」
ジェイデン様は私を心配させまいと笑おうとするが、やはり少し無理がある。
どうしよう。速くお医者様に見せないといけない。動揺する私に、ジェイデン様が言い聞かせる。
「大丈夫だ。エレイン。かすり傷だ。とにかく、目をつむって耳を塞ぐんだ。あいつの声が聞こえないように」
そうだった。私は慌てて耳を塞ごうとして――。
「エレイン! こっちに来い!」
ゼファーの怒鳴り声が耳に入ってきてしまう。また思考に分厚い靄がかかる。
嫌なのに。ゼファーの言うことなんて聞きたくないのに。けれど、勝手に身体が動く。私ではない私がゼファーの言うことを聞かなくちゃと思っている。
「エレイン!」
ジェイデン様が痛みをこらえて私に手を伸ばそうとするが、私の意志とは関係なく、彼の手を振り払ってしまう。
「早く来るんだ!」
ゼファーの怒鳴り声。
そして、ゼファーの隣では、シルヴァラン侯爵がにやりと笑った。
「次を打て。死ななきゃいい。ヴァレフォード公爵令息を駒にするチャンスだ。あの忌々しい王太子がどんな顔をするか楽しみだな」
後ろに控えさせた男たちに命令をする。きっとさっきも同じようなことをしたに違いない。
男の一人が魔法石を取りだした。魔力に反応して、ジェイデン様めがけて氷の槍が飛んでいく。
嫌だ。彼を誰にも傷つけさせたくなかった。ぶちっと何かが切れる音が脳内に響く。
「ジェイデン様危ない!」
力の限り叫んだ私は、その槍の前に身体を投げ出した。もう理屈なんて関係なかった。夢中だった。
「エレイン!」
悲鳴のようなジェイデン様の声が聞こえる。
右肩に熱いものが走る。皮肉なことに、痛みのためかぼんやりとしていた頭が幾分かすっきりとしている。
ジェイデン様が血相を変えて駆け寄ってくる。
きちんと助けられたみたい。よかった。
「エレイン。君はなんて無茶を……」
「ジェイデン様は、無事ですか?」
途切れ途切れに尋ねると、泣きそうな顔で私を覗き込んでいるジェイデン様がこくりとうなずいた。
「よかった……」
薄い安堵の笑みを浮かべながら、私はゆっくりと意識を手放した。
* * *
私がゼファーに連れ去られて一週間が経過した。
私が意識を失ってすぐ、騎士団があの屋敷へ踏み込んだらしい。もっとも、私たちがいる部屋に踏み込んだとき、ジェイデン様は圧倒的な力で部屋の中を制圧していたという。
シルヴァラン侯爵もゼファーももちろん捕まった。
ジェイデン様の推測は大体当たっていた。要するにシルヴァラン侯爵は王太子殿下をその座から引きずり下ろしたかったみたい。
シルヴァラン侯爵家は、ずっと税制の優遇を受けており、莫大な富を築いていた。昔一時的な優遇だったはずのものを今までそのままにしていて、それを王太子殿下が問題視していた。改正も時間の問題だった。
が、シルヴァラン侯爵家としては面白くない。同じような貴族を集めて王太子殿下を引きずり下ろすことを画策していた。
そしてどうやらシルヴァラン侯爵、息子が洗脳された事件でこれは利用出来ると考えたらしい。たまたま息子がもらったプレゼントの包装が、よく知る魔法工房アルケミアでもらえるものと似ていて、作成者にあたりが付けられたのも大きいのだろう。確認したところ、ゼファー・アシュダール子爵令息が好感度アップアイテムを作ったことを認めたため、計画は動き出した。
出資と引き換えにゼファーに洗脳魔法の魔法道具を作らせた侯爵だけど、一つ問題があった。今のゼファーの洗脳魔法は、既に解く方法がある。新しいものを開発させなければ。だが、ゼファーの力量ではそれも難しそうだ。
そこで目を付けたのが私だったらしい。私を引き抜けば、フィオレッタ商会に打撃を与えることもできて一石二鳥だと。
ゼファーに私を洗脳するよう命令して――あとは、先日の通りだ。
というか、実の息子が洗脳されたのに、それで悪事を思いつくなんて、呆れてしまう。侯爵的には身内が洗脳された被害者が疑われることはないだろうという計算もあったようだ。
シルヴァラン侯爵はまだ何もしていないとしらを切るつもりみたいだったけど(ジェイデン様の暗殺未遂だってあるのに!)、彼にとどめをさしたのは意外なことに彼の息子――シルヴァラン侯爵家の嫡男だった。
いや、侯爵、事業の裏でいろいろとあくどいことをやっていたらしい。こちらについては、これから調査がいろいろ入るそうだ。
シルヴァラン侯爵はそのまま引退。長男が爵位を継ぐことになるだろう。
ゼファーは素直に罪を認めているそうだ。
ちなみに、ジェイデン様は私が攫われる前からゼファーを有力容疑者の一人として考えていたらしい。それは、彼の家の工房にシルヴァラン侯爵が急に出資をしたかららしい。
あまり言いたくないけれど、魔法工房アルケミアは大きな声では言えないような薬を多く扱っていたらしく、こちらもちょっと捜査の手が入りそうとのこと。
そして。
「エレイン。何か言いたそうな顔をしているな」
ベッドの上で上半身を起こした私の目の前で不敵な笑みを浮かべているのは、ジェイデン様だ。
ここは公爵家の一室。あの日、ジェイデン様をかばって怪我をした私は、騎士団の医師に簡単な手当を受けた後、公爵家に運ばれて――今に至る。いや、きちんと実家には許可を取ったらしいけど、そんな風にほいほい許可を出していいものなの?
ちなみに、ジェイデン様の傷は本当にかすり傷で、私の傷の方が断然深かったらしい。たくさん血が出た影響で、深刻な状況になりかけたのだ、とか。
三日三晩うなされて目が覚めたとき、アビゲイル様が泣きそうな顔で私に抱きついてきた。
『無茶しないで。エレイン』
まあ、確かにちょっと無茶だったかなあとは思う。でも、あのとき身体が動いたのは理屈じゃなかったのだから、仕方がない。ジェイデン様のことしか考えられなかった。
あとは洗脳魔法の解除もあった。洗脳魔法を振り切って行動してしまった私だけれど、完全に魔法が解除されたわけじゃない。まあ、こちらの方は術者は違っていたものの、以前と同じ魔法だったおかげで比較的簡単に解除された。今はゼファーの名前を聞いても、特に虹彩がちらついたりはしない。
「よくわかってるじゃないですか」
私が軽くにらみつけるけれど、ジェイデン様はそんなものは通用しないとばかりに余裕の表情だ。ジェイデン様は毎日お見舞いに来てくれている。肩の傷もすっかり良くなったそう。
今日も、いつもの時間に顔を出してくれたのだけれど、この様子だと私の反応をあらかじめ予想していた気もするな。
部屋に入ったときから笑顔を浮かべていたもの!
「それで何が聞きたいのかな」
ベッドの横に置いてあるいすに座ったジェイデン様が優雅に足を組む。
「決まってるじゃないですか。どうして、いきなりジェイデン様と私の婚約が決まってるんですか!」
そう。今日、両親と弟が見舞いにやってきたのです。
それで私は公爵家にお世話になる必要はなかったんじゃないか、と両親に話をした。甘えすぎじゃないか、と。
そうしたら、父親が爆弾発言ですよ。
『そのうちエレインの家になるんだからと押し切られてしまってね』
どういうこと? と驚く私に母親がさらりと続ける。
『ジェイデン様とあなたの婚約が決まったのよ』
――いつの間に。
寝耳に水とはきっとこのことを言う。




