9 壁の話
記者さん、ぬりかべって分かります?ええ、あのアニメとかで出てくるあの壁みたいなやつです。自分、それに出会ったんですよ。…多分、ですけど。
なぜ多分かっていうと、証明するようなものがなにもないんですよ。…すいません。会って早々に。ところで、記者さんは妖怪とか信じますか?…まあ微妙な感じですよね。こういった話を集めてると信じるようになります?
…そうですよね。分かりませんよね。ちなみに自分は、最初信じてませんでした。自分は今、酒屋の仕事をしてますけど、もともと理系の大学を卒業しているんです。意外に思われるでしょうけど、実家が酒屋だったもので。その後を継ぐために今、勉強中なんです。理系だからってそういった妖怪とか不思議な話を信じないかっていうと違うんですけどね。大学の友人でもそういった話が好きなやつはいました。でも自分はそういった話は気のせいだったりする、というのが持論でした。
でもいたんですよ。妖怪。自分が嘘を言っていると思われてもしょうがないです。さっき言ったように証拠とかないですし。ところで、ぬりかべってどんな時に現れるか知ってますか?自分の場合、遭遇したぬりかべは唐突でした。
あれは酒屋の仕事で配達中の時でした。自転車で配達しててあれはもう夕方になる時間帯でした。あと2、3件の配達で今日の業務が終わるなって時で、3階建てのアパートに配達へいった時でした。
そのアパートは今どき珍しい、エレベーターがないアパートでして。階段でいかないといけないんです。よくうちの父と話す時とか三建てとか略して言ったりしてるんですけどね。時期が冬だったとはいえ、重いビールケースを持って三階まで登らないといけなくて。もう汗びっしょりで。しかも配達の最後当たりだったんで、もう疲れていたんですね。もう下を向きながらひたすら階段を登っていくしかなくて。必死に登っていると急に壁が出てきたんです。あれ?おかしいな?って思ったんですけどね、最初。でも、ああ自分が気づかないうちに登りすぎたんだなって思ったんです。屋上近くまで来てしまったんだって。三階より上は屋上になってましたから。でも屋上につづく階段はなくて、普通だったら単なる壁になってたんで、その壁だと思ったんです。あー無駄な体力を消耗したって思って下に降りて行ったんです。下に降りて部屋番号を見てみたら「201」って書いてあるんです。あれ?って思いました。さっき壁があったと思ったんだけどな。もしかして疲れてるのかなって思って少し2階踊り場で休憩してからもう一度、階段を上ったんです。そしたらまた壁がある。おかしいな…なんでかなって思いまして。それで気づいたんです。もしかして、アパート間違えたんじゃないかって。その三階建てのアパートの隣には2階建てのアパートがありましてね。隣にあるアパートに来ちゃったんだと思ったんです。毎週のように来ているアパートだったんで、慣れていたから、おごりがあって間違えたんだって考えたんです。それで一階まで降りて玄関まで降りたんです。振り返ってみると、それは三階建てのアパートで。急いでアパート名も見て、確認したんです。あれ?おかしいなって。もう疑問だらけで。分からないことだらけで。アパートの前で腕組んで考えていたら、だんだん不気味に思えてきちゃって。アパートをみると何か怖くなってきちゃって。ええ。本当に。あと何か嫌な予感もしたんです。行こうとしたんですが、行けなくて。足が前に出なかったんです、理由は分からないんですけどね。
それで自分はそのアパートの配達を後回しにしたんですね。幸いというかなんて言うか、そのアパートの後も配達ありましたし。それを先にしたんですね。それで最後の1件でそのアパートの前に行ったらですねパトカーが止まっているんですよ。
なんでも、空き巣が入ったらしくて。警察の人に聞いてみたら、犯人は捕まってなくて、周りにいるかもしれないから気を付けてと言われました。うわ…怖いなって思いながら三階に行ったんです。
その時は壁は、もうなくなっていました。
普通に行けたんですね。じゃあ1度目の時はなんだったんだろうって思ったんですけど、もうとりあえず早く配達して帰ろうって思って、お客さんのとこに行ったんです。そしたらお客さんいたんですけどね、ほら配達業って立ち話もするもんで。少し立ち話したんですよ。最初は天気の話から入って、今流行りの物だったり、話してて。そこでふと気になって、今日下でパトカーが来てましたけど空き巣が入ったって聞きましたよって話したんです。そしたらその奥さんが言うには、この3階で空き巣があったとのことで。しかも自分が来た時間に空き巣が入ってたみたいで。それを聞いて背筋がゾクってしました。だって、もし、その空き巣と鉢合わせになってたらどうなってたか、分からないでしたし。もしかしたら自分が怪我をしてたかもしれない、最悪、命をとられていたかもしれないですよね。本当に怖くなってしまって、お客さんの前だっていうのに震えてきちゃって。お客さんからも大丈夫?って声かけられるぐらい怯えてしまいました。
少し時間がかかりましたが落ち着いてきたところで、帰りました。帰ってうちの父親に言ったんです。今日、こういうことがあったんだって。不思議なことがあったんだって。そしたらうちの父親は「それは、ぬりかべだ」って言うんです。そこで初めて自分は妖怪に出会ったんだって思いました。
今話してて、少し整理が出来たというか分かったんですけどね。あの壁って自分を止めてくれたのかもしれません。ここから先は危険だよ、危ないよって。そしたら今少し、気が楽になったというか、安心したというか。
でもなんで出てきたんですかね?そのぬりかべ。自分には縁もゆかりも何もないと思うんですけど。日頃の行いが良い…いや、悪くないだけであって、良いことをしているかというと…そんなことないんですけどね。たまたま、気まぐれに助けてくれたのか、それとも何か理由があって助けてくれたのか分からないですけど。でも今、少しそのぬりかべに感謝しているんです。自分を助けてくれたんだって思ってますし。…今なら、あの壁に向かって、ありがとうって言えます。
記者さん、自分はそのぬりかべが出てきた意味とかを、その後、考えたんです。なんでだろうって。ついでに自分の人生とか色々と考えてしまいましてね。そこまで自分の生きた道、人生を真剣に考えたことはなかったんです。酒屋になるって決まってましたし。でも、ぬりかべと出会ってから考えるようになったんですね。自分は自分の人生を精一杯走って生きてきたと思います。でも人生において壁ってあるじゃないですか。よく壁にぶつかる、とかいうと思うんですけど。壁にぶつかるって、消極的な意味でつかわれることが多いと思うんです。でも、壁にぶつかって、いったん振り返ってみたり自分の足元を見てみることも大事なんだろうなって思えるようになったんです。今思えば、初めて自分の人生を真剣に振り返った気がします。そういう考えが出来るようになったのもぬりかべのお陰かなって。
自分の話はこれだけになります。話してて笑わずに聞いてくれてありがとうございます。絶対に、馬鹿にされると思ってました。でも、真面目に黙って頷いて返事してくれて、静かに聞いていただいて…それだけでも十分でした。ありがとうございます、記者さん。もしかしたらぬりかべに出会ったのは記者さんに出会ってこういう話をするためだったのかもしれません。だって話していて色々と気づくことが多くありましたから。
あ、そういえば父も何かを知っているかもしれません。
もしよかったら、今度話を聞いてみてください。
うちの父も、壁にぶつかったことが沢山ありますから。




