10 酒屋のオヤジの話
記者さん、あんた、物に命宿るって信じるかい?ほら、あるじゃないか。物を大切にしなさいって。おもちゃとか乱暴にしたら、おもちゃが泣くよって言われたことないか?
やっぱりあるかい。…あんたもやんちゃ坊主だったんだな。俺も昔、お袋に言われたもんさ。そして物に命が宿るっていうの、俺は信じる。この世には物に命が宿る。
ところで、なぜ俺に話を聞こうとしたんだ?…うちの倅から何を聞いたのか知らないけどさ。でも、あいつも色々と経験できただろうよ。この酒屋を別に継がなくても良かったんだ。俺はそう思っていた。あいつはあいつの生きてくれたら良かったんだけどな。あ、悪いな、違う話になった。
うちは古い酒屋でな。周りからすると酒屋は金持ちっていうイメージがあるらしいんだが。そんなのそれぞれのお店で違うし、うちなんてそこまで裕福な方ではない。そして裕福だと言われている店ほど、うちよりも忙しい。単にお金を使う暇がないだけ。車だって配達用の軽自動車1台と自転車だ。うちは仕事兼個人で車を使用している。そんな感じだ。
それで、俺が物に命が宿るって思ったのは、この酒屋の裏にある倉庫であったことなんだ。
古い酒屋なもんで、その分古いものがあるんだ。毎年年末の前に大掃除したりするんだけどさ。ん?大みそかにしない理由?ああ。忙しいんだ。除夜の鐘が鳴るまで働くから掃除する暇なんてないさ。
まあその大掃除をしている時だった。もう寒くてな。早くやって早く終わらせよう。そう思ったんだ。うちのかみさんと倅も一緒に掃除してさ。掃除もあらかた終わってあと床を濡れ雑巾か何かでふいて終わり、そういう段階に入った時だった。
ある重箱が出てきたんだ。
なんだこの箱?って思ってな。でも綺麗な金の細工が施された…鶴や何かの花とか金色で描かれた漆黒の重箱でな。すごく高級そうなものだった。
それに触れた瞬間な。頭の奥で何かが弾けるような感じがしてな。目の前が光に包まれて、自分が自分じゃないような気がした。次に気が付いた時…笑わないでくれよ?…その…タイムスリップしたんだ。
何ていったら良いのか分からないけどよ、上からその重箱をみている感じでさ。…そうそう、背後霊みたいな感じだったな。
その重箱の記憶っていうかさ、その見てきた光景が見えたのさ。職人が重箱を作る時から始まって、店先に売られるところ、それを買っていく人、重箱にいろんな食べ物をつめて花見に持っていくところ。そして、戦火に焼かれる家や周り。そして瓦礫の下から取り出される重箱。そして物入れになったりしてな。しまいには、うちの倉庫に入れられて。俺が触れるところで戻ってきたんだ。話したら短い話に思うだろうが、すごく長い時間、見てたんだよ本当は。
我に帰った時は汗だくでよ。息切れもしててさ。腰から砕けるように座っちまった。うちの倅がそれに気が付いてさ。「どうしたんだ?」って聞いてきただけどさ。どうにもこうにも説明できなかった。なにせ混乱していたしな。
その日、うちのかみさんに言ったんだ。その…タイムスリップしたことをさ。笑われると思ったさ。夢でも見たかって言われてさ。でもうちのかみさんはまじめに静かに笑いながら頷いてくれた。そう、記者さん、あんたみたいに。
一通り、話したらさ、うちのかみさんが言うんだ。「じゃあ、その重箱使ってみましょうか」って。度胸あるなって思ったよ。得体の知れないものを使おうって言うんだからさ。本当、惚れた女がこの人で良かったとも思ったよ。…なんか照れるな。
それでだ、ほらあんたうちの倅の彼女にもあったんだろう?その彼女と一緒に、夕飯食べることになってな。…まあ、お察しの通りだよ。例の重箱に料理つめてうちのかみさんはだしたんだ。建前は初めて倅が彼女を連れてきたからっていう建前だけどよ。絶対に、うちのかみさんは面白がってだしたね。ああ。亭主の俺が言うんだから間違いないさ。それでさ、案の定、彼女が重箱に触れるんだよ。「この箱、すごく綺麗ですね」ってさ。うちのかみさんが俺に代わって、倉庫から出てきたこと、俺が見つけたこと。良いものだから、飾るだけではもったいないから使おうと思ったこと、言ったんだ。倅の彼女にさ。そしたら「へえーそうなんですね。じゃあこの重箱は幸せものですね」って明るく笑いながら言ったんだ。
言ったことより明るく笑ったことに俺は気を取られてさ。ああ、倅は良い彼女をもったんだなって思ったさ。夕飯が終わってさ、彼女を送るっていって倅も外に出て、居間でくつろいでいたらさ。かみさんが「この重箱、幸せ者ですって」重箱を撫でながら言うんだ。俺はそうかなーたまたま見つけただけさ。って言ったんだけどさ「でも見つけてほしくて、また使ってほしくて、あなたに自分の歴史をみせたのかもしれませんよ。私はそう思います」ってさ、言うんだよ。
ああ、そうかもな。そうだと良いなって思うんだ。俺にも、かみさんにも、うちの倅にもさ、生きた証っていうか歴史というか…物語みたいなのがあってさ。多分この重箱にもあるんだろうなって思うんだ。
記者さん、あんたはあんたの物語があるだろうけど、こういう話を聞いて、どんな物語をつくるつもりだい?…そんな、悩まなくてもいいさ。俺もそんな考えて言っているわけじゃないからさ。
それでな、今でもその重箱を、たまに使っているんだけどさ。まあ何か祝い事とか、節目の時ぐらいに使うぐらいだけど。
声が聞こえるとか体温を感じるとか、心臓が動いているから命あるって世間は言うかもしれないんだけどな、それだけじゃないと思うんだよ。その重箱が見せてくれた過去とか、物語をみせてくれたあと、俺はそう考えるようになった。
そういう命とか魂とかはさ、俺たち人間が勝手に決めているだけでさ。本当は決まってないんじゃないか。そんなことを思うんだ。
それぞれにはそれぞれの物語があって、あんたにも俺にもある。今日はそれが重なって少しの間、重なった線のように引かれていて、今、こうして話しているわけだ。だけども、それもいつかは別れる。これは俺とあんただけのことじゃなくてさ。俺とかみさん、倅とのこともそうだと思うんだ。記者さん、あんたも多くの人に出会って別れてきただろう?
俺はそれでいいと思うんだ。…物語ってそういうもんだと思うんだ。
知らない話も、分からない話、不思議な話、怪異の話、いろんなのがあっていいと思っている。ここにある物たちも物言わぬけど、それぞれ物語がある。それは人も同じなんだなって考えるんだ。
そして感情が重なってそれが魂とか命になるんじゃないか、俺はそう考えるんだ。




