第8話:逃亡者
翌朝――俺たちは夜明けと同時に盗賊のアジトを後にした。
懐でちゃりん、と自己主張してくる金貨袋。
重い。だが、悪くない重みだ。
(夢オチじゃなかったってのは、これで証明されたな……)
俺の後ろでは、メルとイリルがまだ少し緊張した面持ちでついてくる。
ファカはそんな二人をちらりと見ただけで、
まるで興味もないといった風に俺の隣へ。
……で、当然のように腕を組んできやがった。
(おいおい、出来立てカップルアピールやめろ。
俺は今、英雄気取りで歩きたいんだっての!)
森を抜け、街道に出る頃には、双子の表情も少し和らいできた。
やがて、姉のメルがおずおずと口を開く。
「あの……海様、本当に、ありがとうございました。
あなたたちがいなければ、私たちは……」
「気にしないでくれ。困ってる人を助けるのは、冒険者の性だろ」
俺が軽く返すと、ファカが楽しそうに笑みを浮かべ――
「ふふっ。ですがご主人様のお時間を無駄にしたのですもの。
その分、感謝はして当然ですわよね?」
わざとらしく胸を張って言いやがる。
その一言に双子は思わず小さく身を震わせた、俺は慌ててファカの脇腹を小突いた。
「お前は余計なこと言うなって!」
「きゃっ♡ ご主人様ったら乱暴ですわ」
……ああもう、面倒くさい。
しばらく歩き続けると、木々の切れ間から石造りの壁が見えた。
朝日に照らされて、白い石がきらりと光を返してくる。
「お、見えてきたぞ。あれが君たちの街か?」
俺の問いかけに、妹のイリルが嬉しそうに顔を輝かせる。
「はいっ! 白壁の都――ヴァリスです!」
その声に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
双子を無事に送り届ける。
俺たちの最初の目的は、もう目の前だった。
双子と別れた俺たちは、その足で冒険者ギルドへ向かう。
盗賊討伐の報告、そして今後の拠点を作るための登録のためだ。
ギルドの中は熱気に満ちていた。屈強な冒険者たちの笑い声、酒と汗の臭気。
俺が受付で手続きを進めている間、ファカは少し離れて待っていた。
燃えるような赤髪と山吹色の瞳――その姿は否応なく目を引き、いくつもの視線が彼女に注がれている。
その時だった。
ギルド内のざわめきが、急速に一つの噂へと収束していく。
「おい、聞いたか……あの伝説の『毒沼の魔女』が、この街に現れたらしいぞ」
「三百年前にエルデン国を滅ぼしたっていう……?」
「特徴は、燃えるような赤髪に、山吹色の瞳だって……」
空気が凍りつく。
次の瞬間、無数の視線が一斉にファカへと突き刺さった。
「……あそこだ! 魔女がいるぞ!」
叫び声が引き金となり、冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように出口へ殺到した。
入れ替わるように、重装備の警備兵たちが剣と槍を構え、
ギルドへなだれ込んでくる。
「魔女を捕縛しろ! 一人たりとも逃がすな!」
「ちっ、面倒なことになった!」
俺は悪態をつき、ファカの手を掴んだ。
「ご主人様!」「逃げるぞ!」
俺は兵士たちの足元へ向かって叫ぶ。
「ダスト・クラウド!」
土煙が舞い上がり、視界を奪う。
続けざまに「グラビティ・バインド!」――数人の兵士が動きを止め、呻き声を上げた。
その隙に、ファカが詠唱を開始する。
聞いたことのない長大な呪文。息を呑む俺の耳元で、彼女は囁いた。
「御主人様……しばらく息を止めてくださいまし」
「――静寂の紫霧!」
彼女の全身から放たれた紫の霧が、爆発的に広がった。
瞬く間にギルドを満たし、街の通りへ、さらに家々の屋根を越えて――
紫の海が、石畳の街を覆い尽くしていく。
次々と、兵士たちが膝をつき、冒険者が崩れ落ち、市民が糸の切れた人形のように倒れていく。
逃げ惑う叫びも、やがて静寂に飲み込まれた。
「殺したのか!」俺が叫ぶ。
ファカは走りながら、首を横に振った。
「いいえ、痺れているだけですわ! 数時間もすれば動けるようになります」
俺たちは混乱に乗じて城門を突破し、荒野へと駆け出した。
振り返れば――紫霧に沈黙した街が、夕陽の中に広がっていた。
「……まずったな」
息を切らしながら、俺は呟く。
「街中で毒を使っちまった。もう、誰も信じてはくれない」
盗賊を倒した英雄のはずが、一転して伝説の「魔女の共犯者」。
ギルドに報告した洞窟の位置も、すぐに兵に押さえられるだろう。
もう戻れる場所はない。
「ご主人様……わたくしのせいで……」
しょんぼりと俯くファカの頭を、俺は無意識に撫でていた。
「お前のせいじゃない。気にするな。なんとかなる」
とは言ったものの、具体的にどうにかなる当てもない。
行く場所も、帰る場所もないのだ。
ふと、俺は一つの可能性に思い至る。
「そうだ、ファカ。俺と会うまで、お前はどこに棲んでいたんだ?覚えているか?」
俺の問いに、ファカはこくりと頷いた。
「……はい。霧深いリンネの森の奥深く……
静かなルドルフ湖のほとりに立つ、一軒家です」
おそらくそこは、「毒沼の魔女の家」なのだろう。
危険な賭けだ。だが、他に道はない。
「よし、行こう。お前の、家へ」
俺たちは、世界の敵として、新たな旅を始めることになった。