第5話:はじめての魔法
盗賊の本拠地へ向かう途中、清流に出た。
「御主人様、ここならちょうど、魔法の習得がやりやすそうですわよ」
そう言ってファカはにこやかに笑う。
「御主人様、上着を脱いで、川の中央へ…」
川の浅瀬に足を踏み入れると、冷たい水流がすねを打ち、雑念をさらっていく。
遅れてファカが川に入ってきた。
振り返った瞬間、思わず息を呑む。
彼女はいつの間にか衣を脱ぎ捨て、白い素肌をそのまま水に晒していた。
「ちょ、ちょっと待て!? なんで脱いでるんだ!?」
「肌と肌を合わせなければ、魔法初心者の旦那様には、微細な魔力の流れを感じられないとおもいまして。」
動揺する俺には気にもとめず、ファカは俺の背にぴたりと身を寄せると、両の手を俺の手に重ねた。
指と指が絡まり、強制的に組み合わされる。
清流の冷たさとファカの体温、そして指先には細く冷たい指のぬくもり。
それら全てが、俺の意識を掻き乱す。
「魔法は、ただ言葉を唱えればよいものではありません。大事なのは、流れを掴み、魔力を循環させることですわ」
彼女の声はいつもより低く、真剣だった。背中から伝わる温もりに意識が乱れそうになるが、同時に心臓の鼓動も不思議と落ち着いていく。
「川の流れに合わせて……そう、呼吸を整えてくださいませ」
「……あぁ」
両手を包み込むファカの掌が熱を帯び、微かな震えが伝わってくる。
次の瞬間、指先から体の奥へ、確かに魔力が流れ込んでくるのを感じた。
「どうです? 私の魔力が導かれ、ご主人様の中に入っていく……溶け合うのがわかりますか?」
「……あぁ、感じる。体が熱くなっていく」
思わず声が漏れると、ファカが小さく笑った。
「ふふっ……良い調子ですわ。ですが、気を抜いてはだめ。魔力は水のように逃げてしまいます。わたくしから絶対に手を離さぬこと」
真剣な声。けれど、その背後に柔らかい吐息と温もりがある。
修行のはずなのに、妙な緊張が抜けず、俺は川のせせらぎと彼女の鼓動だけを必死に数え続けた。
「では御主人様、今から支援魔法のいくつかをお教えいたしますわ」
「お、おう……」
肩越しに山吹色の瞳が覗き込み、吐息が耳元をくすぐった。
「まずは“視界妨害の魔法:ダスト・クラウド”ですわ。砂や粉塵を巻き上げ、敵の目と鼻を塞ぎます。発動のイメージは――『空気を濁らせ、敵の視界を盗む』。私に合わせて、唱えて下さいまし。」
「ダスト・クラウド」
ファカが囁くと同時に、俺の両手を包み込むようにして前へ導く。
対岸の地面からふわりと土煙が立ち上り、視界が白茶けていく。
「……おおっ! おおお!? これが魔法!」
「本来なら。敵の足元に使います。当然土埃のない場所では使えませんのでご注意を」
くすりと笑い、彼女は俺の肩を軽く叩いた。
煙が晴れると、今度は正面に立ち、俺の手をそっと取る。
「次は――“加重の魔法:グラビティ・バインド”。重力の糸を編み、対象の動きを鈍らせますの。味方に使えば、大地に足を縫いつけるように踏ん張れる。敵に使えば、その足を鉛のように重くして、一歩をも困難にできますわ。」
ファカが視線を向ける先、川の浅瀬で大きな鳥が魚を狙っていた。
「――グラビティ・バインド」
その瞬間、鳥の身体が見えない鎖に縛られたように沈み込み、ばさばさと羽ばたいても地面から離れられない。
「おお……これは便利だな。洞窟で山賊相手に使えば……」
俺が感嘆すると、ファカは涼しげな笑みを浮かべた。
最後に、ファカは俺の手を胸元に導く。
掌に伝わる脈動は、不思議な温かさと静けさを宿していた。
「ファカ、フグの記憶は今の君にどのように残っているんだ?」
「不思議な感覚です。御主人様と暮らした水槽の記憶は確かにあります。しかし、この世界で暮らしていた記憶も魔法を使っていた記憶もあるのです。まるで、記憶が何層にも重なって剥がれていくような……そんな不思議な感覚ですわ」
「ところで、いつまで裸でいたらいいんだ?」
「私はいつまでもこうやっていたいですわ♡」
といって抱きついてきた。
気づけば、魔法の習得よりも精神の消耗の方が大きく、ぐったりと水に立ち尽くしていた。
……この先、洞窟で待ち受ける山賊たちに、俺は本当に立ち向かえるのだろうか。
その答えは、まだ水の流れの向こうにあった。