第27話:青い瞳と甘い蜜
その日の午後、俺はサリヴァを連れて――二人きりで街へ出かけた。
ヴァリスの街は活気にあふれ、石畳の通りには人の声と笑い声が絶えない。
ついこの間まで命を賭けた死闘を繰り広げていたのが、まるで幻だったかのように。
(……不思議なもんだな。血と炎の匂いの中にいたのに、
今はこんな日常が広がってる。)
ファカとムーには宿で休んでもらった。
今日だけは、サリヴァとの時間を大切にしたかったからだ。
横を歩く彼女は、まだ街の喧噪に戸惑っているようで、きょろきょろと辺りを見回している。露店の色鮮やかな果物や、笑顔で呼び込みをする商人たちに驚きの光を宿す。
「……こんな場所、初めてだ」
ぽつりと漏れた声は、戦場で見せる勇ましさとは違う。
そこにあったのは、年相応の少女の素直な感情だった。
俺は思わず、そんな横顔に目を奪われてしまう。
◇
俺たちが足を向けたのは、中央広場にずらりと並ぶスイーツの屋台だった。
山盛りに積まれた色とりどりの果物。その香りは、焼きたての生地と蜂蜜の甘さが混ざり合い、空気をふわりと満たしている。サリヴァの青い瞳が、好奇心でキラリと光った。その心は、もう目の前の甘美な光景に完全に捕らわれていた。
「おい、なんだあれは!? すごくいい匂いがするぞ!」
野生の獣が獲物を見つけたかのように、サリヴァは俺の腕に飛びついてはしゃぐ。その姿には、戦場で荒々しく戦っていた彼女の面影はまるでなかった。
俺は蜂蜜たっぷりのフルーツタルトを一つ買い、差し出す。陽光を浴びて、タルトの表面はまるで宝石のように輝いている。
「なっ……! なんだこれ……ジャングルの果実でも、こんなに甘いのはなかったぞ!」
サリヴァの目が驚きで丸くなる。次の瞬間、満面の笑みで俺を振り返った。
「おい、お前も食べてみろ!」
言葉を待たず、彼女は食べかけのタルトを俺の口に押し付ける。
「ちょ、おま……!」
抵抗も虚しく、口の周りはクリームまみれだ。それを見たサリヴァは、声をあげて笑う。
「あははっ! なんだその顔、クリームだらけじゃないか! まるで白い髭の爺さんだな!」
その天真爛漫な笑顔に、俺は思わず言葉を呑んだ。
「これ、みんなの分も買って帰ろうぜ!」
頬をパンパンに膨らませ、タルトを頬張る姿は、もはや戦士ではなく、ただの食いしん坊な少女そのもの。
道行く人々が微笑ましそうにこちらを見ているが、そんな視線すら今の俺にはどうでもよかった。しばらくの間、俺は――太陽の下で咲く花のような彼女の笑顔から、目を離せずにいた。
◇
昼食は、店で落ち着いて食べることも考えた。
だが――サリヴァに食事のマナーなんて、できるはずがない。
(恥をかかせるのも、な……)
結局、屋台で買ったものを食べ歩くことにした。
もっとも――ここは異世界。
俺自身、見たこともない料理ばかりで、食べ方すらよく分からない。
串焼きやパンっぽいものを適当に買い、二人で分け合って歩く。
俺は串を手に取り、サリヴァの様子をうかがった。
彼女は何でも豪快に頬張り、気に入ったものを片っ端から俺に勧めてくる。
「おい、これも美味いぞ! 食え!」
「おいおい、無理やり口に押し込むなって!」
そして――不意打ち。
俺の口の端についたソースを、サリヴァがためらいもなくぺろっと舐め取ったのだ。
「なっ……!?」
「おい、少しは恥ずかしがれよ。文化の違いか……」
「なんでだ? 俺様がいた所では、獲物は群れで分け合うのが当たり前だ」
悪びれもなくそう言われると、感覚が狂いそうになる。
「じゃあ、口と口をつけるのも普通なのか?」
――その瞬間、サリヴァの顔がカッと真っ赤に染まった。
「~~っ!」
耳まで真っ赤にして、ぷいっと視線を逸らす。
その初々しい反応に、なぜか俺はホッと胸をなでおろしていた。
(……ああ、キスは別なんだ)
しばらく黙ったまま、手に持った串をじっと見つめるサリヴァ。
耳まで赤いまま、何かを考えているようだったが――
「……口と口は、なんだ…特別だ」
ぽつりと漏れたその言葉に、俺は思わず足を止めた。
「特別って、なんだよ」
意地悪く、わざと聞き返す。
「……群れでも、そういうのは……大事な相手としか、しない」
視線を逸らしたまま、絞り出すように言うサリヴァ。
さっきまでの快活な横顔はどこにもない。
そこには、不器用で、ひたむきな誠実さが浮かんでいた。
その表情に、ほんの少し罪悪感が芽生える。
だが、もう止まれない。
「俺は、サリヴァのこと大事な相手だと思ってるけどな」
「なっ……!?」
サリヴァの動きが完全に止まる。
見開かれた瞳が、信じられない、とでも言うように俺を射抜いた。
みるみる耳まで真っ赤に染まっていく。
してやったり、と思う反面、予想以上の反応に自分も少しドキドキしてきた。
……まずい、ちょっとやりすぎたか。
「い、いや、戦友として、だ! 共に戦って、命を預け合った仲間なんだから、当然だろ?」
焦ってそう付け加えるが、もう遅い。
「べ、別に……お前がそういう意味で言うなら……俺はいい、けど……」
俯いたまま、消え入りそうな声で呟かれる言葉。
それは紛れもなく、彼女の偽らざる本音だった。
――やられた。
完全に俺の負けだ。
串の香ばしい匂いも、賑やかな街の喧騒も、もう意識の外側。
さっきまで彼女をからかっていたはずの俺の胸に、今、とんでもない威力の爆弾が投げ込まれていた。
◇
食事を終えた俺たちは、ふらりとアクセサリー屋に立ち寄った。
色とりどりの宝石がきらめく中――
俺の視線は、ある一点に吸い寄せられる。
澄んだ青を宿したイヤリング。
まるで、サリヴァの瞳の色をそのまま閉じ込めたかのような輝きだった。
(これを……彼女がつけたら――)
気づけば隣の横顔を見つめていた。
戦いの傷が残る耳朶。
細くしなやかで、動くたびに光を受けて影が揺れる首筋。
そして少女のあどけないまだ骨格の細さが残る肩先。
戦士としての強さと、まだ何色にも染まっていない繊細さが、
危ういバランスで同居している。
そこに、この青い石が揺れたら――きっと、誰よりも似合うはずだ。
「……サリヴァ」
呼びかけると、彼女は首を傾げて振り向いた。
風に揺れ、まだ結い慣れていない黒髪がふわりと乱れる。
「これ……お前に、似合うと思うんだ」
差し出した瞬間、サリヴァは一瞬だけ目を見開き――
すぐに視線を逸らし、頬を赤らめた。
「……俺様で、いいのか?」
「当たり前だろ。嫌か?」
「嫌じゃ……ないけど」
彼女はぎこちなく、それでも大切そうにイヤリングを受け取る。
そして、小さく呟いた。
「……お前のことは、二番目くらいに考えてやる」
ぶっきらぼうな言葉。けれど、耳まで真っ赤に染めて俯く姿は――
誰が見ても、照れ隠し以外の何物でもなかった。
……その時の俺は知らなかった。
アマゾネスの社会において、男性から女性へ装飾品を贈るという行為が何を意味するのか。
それが、生涯の伴侶を求める――つまり、求婚の証であることを。




