第25話:帰還
ヒドラの死骸が崩れ落ちてから、どれくらい経っただろう。
ムーが戦利品の首を処理している。
洞窟の奥からは、まだ時々、岩がきしむ音が響いていた。
血の匂い。
焼け焦げた岩肌。
冷え切った空気。
――そして、沈黙。
俺はようやく体を起こした。
全身が痛む。骨が軋む。
けど、それ以上に重くのしかかっていたのは――胸の奥に沈んだ感情だった。
「……みんな……無事か?」
掠れた声に、ファカが振り返る。
彼女の指先は震えていた。
ムーは斧を杖にして立っている。
片腕は血に濡れ、力なく垂れ下がっていた。
そして――サリヴァ。
ヒドラの血だまりと、飛び散った肉片のただ中で、彼女は倒れていた。
鎖の魔法が解けた今も眠ったまま、その顔にはもう獣の面影はない。
「彼女がいなければ…自分たちだけではどうにもなりませんでしたわ…」
ぽつりとファカが言う。
「でも……」
その続きを口にできずに、視線を逸らした。
代わりに、ムーが低く告げる。
「主様。……あの方は、仲間を襲いました」
一瞬、空気が凍りついた。
俺が連れてきた助っ人。
俺が信じた戦士。
その力が……仲間を傷つけた。
「……俺の、判断ミスだ」
誰も責めなかった。
けど、誰も肯定もしなかった。
勝利の余韻なんて、どこにもない。
気まずい沈黙だけが洞窟を満たす。
俺はサリヴァの傍に膝をついた。
眠る彼女の顔には、かつての獰猛な笑みはない。
ただ――疲れ果てた少女がいるだけだった。
「彼女の中にある力は危険だ。……でも、それでも俺は、見捨てたくない」
二人の視線が俺を刺す。
複雑な感情が渦巻いていた。
「……主様がそう仰るなら、私は従います」
ムーが静かに頷く。
「私も……でも次は、次こそ、見極めてくださいませね」
ファカの声はわずかに震えていた。
俺は胸に刻む。
仲間を背負うと決めた責任を、もう二度と手放さないと。
「……ありがとう。俺は、もう迷わない」
サリヴァを背負い、洞窟の出口へ歩き出す。
その背に、仲間たちの足音が続いた。
血と傷と後悔を抱えながら。
それでも――俺たちは前に進む。
◇
洞窟を抜けてからの帰路は、やけに長く、そして静かだった。
誰もが口を閉ざし、それぞれの傷と重たい心を抱えたまま歩いていた。
俺の背で眠るサリヴァの体温と重みが、
決断の代償そのもののように肩へ食い込んでくる。
やがて、城壁の向こうにヴァリスの街門が見えた。
俺たちは自然と足を止め、互いの顔を見合わせる。
そして、無言のまま小さく頷き合った。
次の瞬間。
ムーが巨大なヒドラの首を高々と掲げる。
「……!」
門前に集まっていた騎士や市民たちの目が大きく見開かれ、ざわめきが広がった。
恐怖と驚愕。いや、それ以上に「信じられない」という色が強かった。
俺は息を吸い込み、声を張り上げた。
「ヒドラは――この“毒沼の魔女”と、その仲間たちが討ち取った!
もう、この街に脅威はない!」
一瞬、空気が凍る。
だがすぐに、人々の間から声が上がった。
「ま、魔女が……俺たちを救ったっていうのか!?」
「見ろ! あの首だ……伝説の魔獣が、本当に倒されてる!」
ざわめきは波紋のように広がり、やがて大きな歓声へと変わっていく。
恐怖に染まっていた空気が、信じられないほど明るく熱を帯びていくのがわかった。
その光景を眺めながら、ファカが俺の隣でくすりと笑う。
唇に浮かんだのは、いつもの悪戯っぽい笑みだった。
「――『デッドリィ・バイン』の誕生ですわね」
「デッドリィ・バイン……?」
「ええ。英雄にはふさわしい名前が必要でしょう?
“命懸けの蔦”――わたくしたちのパーティにぴったりですわ」
「デッドリィ・バイン…いいな。決定だ!」
胸の奥で、その名が不思議としっくりと響いた。
(ありがとう、ファカ。いつもおまえは、空気を明るくしてくれる。)
血と傷を背負っても、それでも俺たちは進む。 茨の道を、共に。仲間として。




