第19話:三人の溶け合う影
町から戻ったその夜、山小屋の中は久しぶりに豊かな香りと活気で満ちていた。
暖炉の火がぱちぱちと心地よい音を立て、
その前には町で買い込んできたばかりのご馳走が並ぶ。
こんがりと焼けた分厚い肉、数種類のチーズ、焼きたてのパン、
そして琥珀色に輝く果実酒。
「うおお……! 今夜の夕食は凄いな!」
俺が歓声を上げると、ファカとムーは嬉しそうに微笑んだ。
酒、食事、そして目の前にはとびっきりの美女が二人。
男にとって、これ以上の幸せがあるだろうか。
最高の夜が、今まさに始まろうとしていた。
「ご主人様、ささ、どうぞ♡ とっておきの果実酒ですわ」
ファカは俺の隣にぴったりと席を取り、俺の盃に琥珀色の液体をとくとくと注ぐ。
そのたびに、ふわりと揺れる髪から甘い香りが立ち上り、
果実酒の芳醇な匂いと混じって、俺の理性を優しく溶かしていくようだった。
「ん、うまいな。……ファカも飲む?」
「ふふっ、ご主人様に注いでいただけるなんて光栄ですわ」
ファカが差し出した盃を受け取ろうとして、指先が触れ合う。
ほんの一瞬の、柔らかな感触。
彼女は気づかないふりで妖艶に微笑んでいる。
その微笑みが、胸の奥に静かに残った。
俺が注いだ酒をこくりと喉に流し込むと、彼女の艶やかな唇が濡れて光る。
暖炉の炎に照らされた頬が、ほんのりと赤く染まっているのがやけに色っぽかった。
「……ふふっ、ご主人様? もうお顔がお赤いですわよ?」
悪戯っぽく覗き込んでくる。
酔いのせいか、いつもより無防備に見えるその笑顔に、
俺は目を逸らすことしかできなかった。
一方、ムーは俺から少し離れた席で、焼けた肉を丁寧に切り分けていた。
「どうぞ、主様。美味しく焼けたでございますです」
そう言って、ムーは肉の一片を指で掴み、俺の口元へとそっと差し出す。
その指先は、ほんのりと脂で艶めいていた。
「主様、あーん……です♡」
酔いのせいか、俺は抗うこともなく口を開ける。
肉とともに、彼女の指が唇をかすめ、舌先に触れた。
柔らかく、温かい。
ムーはそのまま、自分の指をゆっくりと口元へ運び、
ぬるりと舐め取るように唇を滑らせた。
その仕草に、喉がひくりと鳴る。
満面の笑みで俺を見つめるムーの瞳は、どこか艶を帯びていて、
ふわりと膨らんだ栗毛色の髪が、炎の揺らぎに照らされてきらめいていた。
「ムーばかり見ないでくださいまし。嫉妬してしまいますわ」
ファカの声が、微笑とともに滑り込む。
その声音には、甘さと棘が混ざっていた。
美女二人に甲斐甲斐しく世話を焼かれるという、まさに夢のような状況。
俺は勧められるがままに酒を呷り、極上の肉を食らう。
これまでの過酷な旅路が嘘のような、幸福な時間が流れていく。
ムーがそっと席を立ち、俺の隣に座り込んだ。ファカが一瞬だけ眉を動かしたのを、俺は見逃さなかった。
「……ご主人様、ムーにも注いであげてくださいな」
その声は、いつもより少しだけ尖っていた。
「主様、ムーはもう飲めませんですので、少しだけ…」
俺は盃を手に取り、ムーの前にそっと差し出した。
「じゃあ……ほんの少しだけな」
ムーは小さく頷き、俺の手元を見つめる。その瞳は、どこか夢の中にいるようにぼんやりとしていて、酔いが回っているのが分かる。俺が注いだ果実酒を、ムーは両手で大事そうに受け取り、口元に運んだ。
「……ん。あまくて、あったかいです」
その声は、まるで子どもが安心したような、柔らかな響きだった。ファカが何か言いかけたが、ムーが俺の肩にもたれかかるようにして、静かに目を閉じた。
「……ムー?」
呼びかけても、返事はない。
彼女はそのまま、すぅ、と寝息を立て始めた。
俺はそっと立ち上がり、近くにあった毛布を手に取る。
ムーの肩に優しくかけると、彼女は微かに身じろぎして、
また静かに眠りに落ちていった。
暖炉の火がぱちぱちと鳴る音だけが、静かな夜を彩っている。
ファカは俺の動きを黙って見ていたが、やがてふっと微笑んだ。
「……ご主人様って、ほんとうに優しい方ですのね」
「そうか? ただ、寒そうだったから」
「ふふっ、そういうところが、好きですわ」
その言葉に、俺は思わずファカを見た。
彼女は盃を置き、俺の方へと身を寄せる。
「朝のキス……嬉しかったです。でも、あれだけじゃ足りませんの」
囁くような声。そして、彼女の指が俺の頬に触れた。
「今夜は、もう少しだけ……わがまま、言ってもいいですか?」
俺は答えず、ただ頷いた。ファカは微笑み、そっと唇を重ねてきた。
暖炉の火が、二人の影を壁に揺らす。
静かな夜に、甘くて優しいキスが、そっと溶けていった。
ファカの唇が離れたあと、彼女は俺の胸にそっと額を預けた。
「……ご主人様の心音、昔と変わりませんのね。
水槽越しに、何度も聞いていたんですのよ」
その言葉に、俺の胸がきゅっと締め付けられる。
彼女の指が、俺の胸元をなぞるように滑り、肌に触れる。
震える指先で、ゆっくりと服の合わせを解いていく。
布が肌を離れるかすかな音だけが、静寂に響いた。
「今夜は……ご主人様のすべてを、わたくしにくださいませ」
その吐息が耳元をくすぐり、鼓膜の奥に甘い震えが残る。
ファカの指先がさらに大胆に動き、俺の肌を優しく探求するように撫で回す。
彼女の息遣いが荒くなり、暖炉の炎が映すその瞳は、深い欲望を湛えていた。
俺が彼女を抱きしめようとした、その時だった。
「主様……わたくしも、触れてもいいですか?」
静かだが、芯の通った声。
振り返ると、ムーが毛布をずらし、潤んだ瞳でこちらを見つめていた。
その頬は赤く染まり、眠っているふりをしていたのは明らかだった。
ファカは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに全てを悟ったように柔らかく微笑んだ。彼女はムーに向かってそっと手を差し伸べる。
「ええ、もちろんですわ、ムー。
わたくしたちは、同じ想い人を抱いているのですから」
ムーはためらいがちにその手を取り、俺の隣に身を寄せた。
俺は二人を見つめ、心を決めて口を開く。
「俺は、お前たちを大切に思ってる。どちらか一人なんて、選べない」
その言葉が、最後の壁を溶かした。
毛布の下で、三人の肌がそっと触れ合う。
冷えたムーの指先が、火照った俺の肌に触れると、まるで雪が溶けるようだった。
誰かが小さく泣き、誰かが安堵に笑い、誰かが愛おしげに囁く。
ファカの指が俺の胸をなぞるたび、筋肉が微かに震え、心臓の鼓動が互いに伝わる。ムーの大きな腕が、俺とファカをまるごと包み込んだ。
彼女の柔らかな胸が俺の体に押しつけられ、温かな感触が全身に広がる。
「ご主人様の肌……昔、水槽越しに見ていたあの頃の夢が、
今ここにあります。ずっとあたたかいですわ」
フファカの声が、甘く震える。
彼女の唇が俺の首筋に触れ、軽く吸うようにキスを繰り返す。
「主様の手……わたくしの心臓より、ずっと強くて優しいです」
ムーが、俺の手を自分の胸に導きながら囁いた。
その手の下で、彼女の心拍が速く感じられ、肌の滑らかさが俺の指を誘う。
「お前たちが隣にいてくれるだけで、俺は生きていける」
俺の言葉に、二人は同時に頷いた。
「主様と一緒にいられて、幸せです。」
「もう、二度と離れませんわ」
暖炉の火が消えかける頃、俺たちは互いの温もりだけを頼りに、
一つの塊となって身を寄せ合った。
三人の息が混じり合い、静かな吐息が部屋を満たす。ファカの指がさらに下へ滑り、ムーの手が俺の背中を優しく撫でる中、夜は深く、甘く進んだ。
朝の光が、木々の隙間から差し込む。
俺は、腕の中に確かな重みを感じて目を覚ました。
右にはファカが、左にはムーが、絡み合うようにして健やかな寝息を立てている。
ファカがゆっくりと目を開け、俺の頬に柔らかなキスを落とした。
「おはようございます、ご主人様」
その声でムーも目を覚まし、優しい眼差しで俺に囁く。
「主様、朝です」
俺は二人をそっと抱き寄せ、微笑み返した。
「……ああ。でも今はもう少しだけ、このままで」




