第18話:ムーと買い物
山小屋生活も数日が過ぎ、ムーの傷もすっかり癒えた。
あの巨体が元気に動き回るのを見ると、改めてオーガの生命力に驚かされる。
だが問題は別のところにあった。
食料も日用品も底をつき、これ以上はどうにもならない。
「仕方ないな……俺とムーで町まで行くか」
そう決めたのは、他でもない――ファカを連れて行くのが危険だからだ。
あの赤髪と山吹色の瞳、誰がどう見ても「伝説の毒沼の魔女」そのもの。
街中に出れば騒ぎになるのは目に見えている。
「わたくしも行きたいですわ!」と駄々をこねるファカをどうにか説得し、
しぶしぶ山小屋で留守番をしてもらうことになった。
「主様。すぐに戻りましょう。ファカ様、拗ねていますので…」
ムーが苦笑まじりに言う。
「わかってるって……。あいつ、ああ見えて寂しがり屋だからな」
そんな会話をしながら山を下る。
麓まで歩いて一時間――木々の切れ間から、ようやく目的地が見えてきた。
小さな町「トト」。
煙突からのぼる白い煙と、のどかな鐘の音が出迎えてくれる。
久々の人の気配に、俺の胸も少しだけ弾んだ。
町に入ると、視線を集める。
二本の角、丸太のような腕、
そして巨体――ムーは人間の町では珍しい存在だ。
最初に向かったのは、武骨な看板を掲げた武器屋だった。
店内を見回すと、壁に両手斧と大盾が並んでいる。
ムーは遠慮がちに目を逸らすが、ちらちらと斧に視線を送っていた。
「気になるのか?」
「いえ……高価そうですし、わたくしには勿体ないです」
主人公はしばし考え込み、やがて決断するように口を開いた。
「ムーには、攻防一体で戦ってもらいたいからな。……両方、買おう」
「す、素晴らしいです……!
これがあれば、主様をもっともっとお守りいたしますです!」
喜びで頬を紅潮させるムーに、俺は頷いた。
「試しに持ってみろ」
「はい!」
ムーは両手斧を構え、その巨体に似合うように大盾を片腕に掲げる。
ぐっと踏み込んで構えるその姿――まるで戦場に立つ戦乙女のようだった。
「……おぉ、様になってるな」
ムーは頬をほんのり染め、満面の笑みを浮かべた。
両手に抱えた斧と盾をぎゅっと握りしめると、彼女の胸元で小さく「ふふっ」と笑い声がこぼれた。
「よし、決まりだ。おやじさん、これをくれ」
俺が代金を支払うと、店の主人は鼻で笑いながら無愛想に言い放った。
「へぇ、オーガに武器を買い与えるたぁ、あんたも物好きだねぇ」
その一言に、ムーはうつむき、斧と盾を両手でぎゅっと抱きしめると、俺の後ろに隠れるように店を出た。
「気にするな、ムー。斧も盾も……似合ってたぞ」
俺が声をかけると、ムーははにかみながら答えた。
「はい。主様……一生、大切にします……!」
ムーは頬を赤らめ、斧と盾をぎゅっと抱きしめる。
――その後も買い物を続け、俺たちの荷物はどんどん増えていった。
「主様、荷物は私にお任せくださいまし」
言うや否や、ムーは大木のような腕に山ほどの食料と薬草の束を軽々と抱え上げる。
「おい、さすがに重いだろ。俺も持つよ」
「大丈夫です! これくらい軽いもんです!」
ムーがにっこり笑うだけで、胸の奥がふわっと温かくなる。
あの笑顔、どうしてこんなに安心するんだろう。
ただ強いだけじゃない。
傷ついた俺を背負ってくれた腕は、驚くほど優しくて――その肌の温もりに、思わず力が抜けそうになる。
ファカのわがままに振り回されても、最後には必ず俺を気遣ってくれる。
何度、こいつに救われたことか。
その笑顔も、温かさも、柔らかさも……俺にとっては、何より大切なものだ。
「ありがとう」って言葉、いつかちゃんと伝えなきゃな。
◇
雑貨店で品物を見繕っているときだった。
ムーは店先で大人しく待っていたのだが、
店主の目が彼女を捉えた瞬間、露骨に顔をしかめた。
「おい、そこのオーガ! 店の前に突っ立ってるんじゃねえ!
化け物がいると客が逃げちまうだろうが!」
怒鳴り声に、ムーはびくりと肩を震わせる。
普段なら巨木をも砕くその腕も、今はだらりと垂れ下がり、瞳には薄っすらと涙の膜が張り、今にも零れ落ちそうだった。
やり返すでもなく、言い返すでもなく、ただ耐えている。
その姿が、俺の中の何かをブツリと切った。
「……おい、おやじ」
俺は冷静さを装い、ムーの前に立ちはだかる。
「彼女は俺の大切な仲間なんだが。
あんたの店で、正当な代金を払って買い物がしたいと言っている。
オーガだからって理由で客を拒否するのは、この町の交易規則に反するんじゃないか?」
店主が「な、なんだと!」と顔を歪める。
「それに、俺と彼女はギルド登録している冒険者でね。
不当な差別を行う店があったと報告すれば、あんたの店の営業許可にどう響くか……試してみるか?」
(嘘である。俺も彼女もギルド登録は出来ていない)
俺の言葉に、店主はみるみるうちに顔面蒼白になった。
「わ、悪かった! 売る! 売るから許してくれ!」
渋々商品を差し出す店主を尻目に、ムーは目を丸くして俺を見上げていた。
その潤んだ瞳には、驚きと、そして今までとは違う種類の熱を帯びた感謝の色が浮かんでいた。
店を出た後も、ムーは一言も発さなかった。
やがて市場の喧騒から離れた石畳の片隅で、彼女は力なく座り込んでしまう。そして、丸太のような両腕で顔を覆い、声を殺して泣き始めた。
「主様……わたくし、こんな姿で……ご迷惑を……おかけして……」
途切れ途切れの嗚咽が、俺の胸を締め付ける。
普段の力強さが嘘のような、迷子の子供みたいな泣き声だった。
俺はムーの隣にしゃがみ込むと、その震える大きな手を握った。
「ムー」
「……はい」
「お前は、俺にとって最高の仲間だ。誰が何と言おうと、俺はお前が隣にいてくれるだけで、心から安心できるんだ」
真実だった。彼女の存在そのものが、俺の支えになっている。
「ムーは、俺の誇りだ。だから、お前の姿で俺に迷惑がかかることなんて、絶対にない」
その言葉が、堰を切った。
「うわあああああああんっ!」
ムーは声を上げて泣きじゃくり、その巨体で俺の胸に顔を埋めてきた。俺の服が涙で濡れるのも構わず、わんわんと泣きながら、壊れ物のように俺にしがみつく。
(……ああ、そうか)
いつも俺を守ってくれる、鉄壁のような彼女が。
本当はこんなにも脆く、守ってやりたい存在だったなんて。
(……可愛い、じゃないか)
俺は自分よりずっと大きな彼女の背中を、ただ優しく、何度も何度もさすり続けた。
帰路につく頃には、ムーはすっかり泣き止んでいた。
夕陽が俺たちの影を長く伸ばす。
二人、どちらともなく歩調はゆっくりになっていた。
不意に、俺の手に柔らかな感触が触れた。
見れば、ムーが少しだけ恥ずかしそうに、俺の手をそっと握っていた。
「……主様」
「……なんだ?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「うん」
俺は何も言わず、その温かな手を強く握り返した。
言葉にしなくても、伝わるものがある。
夕陽が彼女の頬をやさしく染めていた。 朱に照らされたその横顔は、力強いオーガの面影を一瞬忘れさせるほど、あどけなく、儚げだった。 まるで、岩をも砕き、それでもなお咲こうとする花のように。
その仕草に、俺の胸の奥で何かが静かに揺れた。 ムーはもう、ただの仲間じゃない。 この手のぬくもりが、言葉よりも雄弁に、それを教えてくれる。




