第15話:超鬼化したムー
結局、俺たちに次の作戦のアイデアは浮かばなかった。
二度の失敗で心身ともに疲弊し、思考は完全に停止していた。
「……もう一回だ、ムー。さっきの遠距離攻撃を続けるぞ」
「はい、主様!」
他に道はない。俺たちは半ばヤケクソで、再び巨大な岩を投げつけるという、
芸のない攻撃を始めた。
だが、その単調な繰り返しが、致命的な油断を生んだ。
攻撃に集中するあまり、足元への注意が疎かになっていたのだ。
地中に潜んでいた一本のツルが、まるで蛇のように地面から飛び出し、
俺の足首を正確に捕らえた。
「なっ!? しまった!」
抵抗する暇もない。
ツルは凄まじい力で俺を家の方角へと引きずっていく。
「主様を返しなさいです!」
ムーの悲痛な叫びが聞こえる。
彼女は必死に追いかけてくるが、
それを阻むように無数のツタが壁となって立ち塞がり、
やがてその巨体を飲み込んで姿が見えなくなった。
視界が目まぐるしく回転し、俺は魔女の家の中へと引きずり込まれた。
気づいた時、視界は逆さまになっていた。
片足を天井に拘束され、ブラブラと吊るされている。
そして、反転した視界の先に――ファカの姿をした、
毒沼の魔女が冷たい瞳で俺を見下ろしていた。
「面白いことをしてくれたな、小僧。
お前のせいで、妾の記憶を繋ぎとめる魔法陣がいくつ壊されたと思っている」
その声は、ファカのものとは似ても似つかない、
底冷えのするような響きを持っていた。
その時、ずるずると何かを引きずるような音が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには全身傷だらけになり、
ぐったりと気を失っているムーが、血の跡を引きずりながら転がされていた。
その傷は深く、明らかに重症だった。
「ムー……!」
魔女は俺の絶望に満ちた表情を愉しむように眺めると、嘲るように言った。
「死に戻りとは、実に厄介じゃ。神の干渉も本格化してきたと見える」
俺の秘密を、こいつは完全に見抜いていた。
「また殺しても生き返ってくるのじゃろ?
なら、死なない程度にいたぶってやろう。
……のう小僧、妾の凌遅刑に、貴様の魂は耐えられるかの?」
魔女が指を鳴らすと、無数の細いツルが俺の身体に絡みつき、
その表面にある微細な棘で薄皮を一枚一枚削ぎ始める。
「ぎ……あ、あああああああああっ!」
まるで全身を剃刀で削られるような、じわじわと広がる激痛に、
俺の惨めな悲鳴が響き渡った。
魔女は俺の苦悶をうっとりと眺め、恍惚の表情を浮かべた。
「次はどこじゃ? 目か? 歯か? 妾の記憶を壊した報いじゃ。
その魂が砕けるまで啼き喚き、妾をもっと楽しませるがよい」
その言葉と同時に、一本のツルが俺の足の爪の間に、
ギリギリと音を立てて食い込んできた。
肉を内側から抉り、骨を削るような想像を絶する激痛。
ツルは皮膚の下を蠢きながら、ゆっくりと、
しかし確実に太ももへと這い上がってくる。
ブチブチと筋繊維が引き裂かれるおぞましい感覚に、
俺の意識は再び絶叫の闇に塗りつぶされた。
俺が死を覚悟した、その瞬間だった。
「主様に……これ以上……酷いことを……するな……! 潰してやる……!」
ムーの呻き声が轟いた瞬間、 彼女の全身が眩い光に包まれ、空気が震えた。
筋肉が爆発するように隆起し、肩から伸びた角は天井を突き破るほどに伸びる。
牙が獣のように鋭く覗き、瞳は紅蓮の炎を宿したように燃え上がる。
そして――肌は赤く染まり、まるで灼熱の鉄を打ち鍛えたような輝きを放つ。浮き上がった血管が脈打つたび、その魔力は地響きとなって空間を揺らした。
その姿はもはや“戦士”ではない。
怒れる神、あるいは破壊を司る鬼神そのものだった。
――《超鬼化》。
オーガが命と引き換えにリミッターを外す、究極の戦闘形態。
「がああああああああぁぁーーーッ! 主様を傷つけるなぁぁぁッ!!」
咆哮が空気を震わせ、魔女の家が一斉に軋んだ。
ムーは魔女へと突進する。その一歩ごとに床が砕け、壁が崩れ、柱がへし折れる。魔法陣は耐えきれずに次々と崩壊し、魔女の記憶を繋ぐ術式が音を立てて消し飛んでいく。
「ぐっ……妾の記憶が……!」
魔魔女はよろめきながら、崩れゆく魔法陣を睨みつけた。床に刻まれた術式が砕けるたび、光の粒となって空へと舞い上がる。
その粒は、魔女の記憶の断片――苦心の賜物、契約の血、呪詛の囁き。三百年かけて積み上げた記憶の塔が、今まさに崩れ落ちていた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
魔女の顔が、初めて恐怖に歪んだ。
「ご……主……人さま……?」
ファカだ! ファカの意識が戻りかけている!
「ムー、その調子だ! もっと家をぶっ壊せ!」
俺は最後の力を振り絞って叫ぶ。
俺は最後の力を振り絞り、超鬼化したムーに支援魔法を重ねて叫んだ。
「限界を超えろ――《リミットブレイク》!」
光柱のようなオーラが天を衝き、ムーは両腕を掲げて全力を解放した。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
閃光が全てを呑み込み、衝撃波が魔女の家を基礎から吹き飛ばす。
ツルも、壁も、三百年の怨念も――すべて光の中で消え失せた。
破壊の嵐が過ぎ去った後、そこは森ではなく更地だった。
瓦礫の中心に、ひとりの女性が横たわっている。
ゆっくりと目を開けたその瞳に、もう魔女の冷たい影はない。
暖かな山吹色の輝きが戻っていた。
「……ご主人様?」
掠れた声で、俺の名を呼ぶ。
涙に濡れたその瞳は、もう迷子のような虚ろさではない。
すべてを取り戻した、俺の知るファカの瞳だった。
「ファカ……!」
次の瞬間、彼女はふらつく身体で俺の腕の中に飛び込んできた。
力強く、けれど必死に縋りつくような、熱い抱擁。
「よかった……本当に……」
掠れる声が、俺の胸に温かく染み込んでいく。
そして――彼女は顔を上げ、涙の跡が残る頬のまま俺を見つめると、ためらいもなく唇を重ねてきた。
柔らかく、少しだけしょっぱい、涙の味がする。
甘く、切なく、そして永遠を誓うような口づけ。
戦場の血と汗の匂いさえ、その一瞬、世界から消えていった。
こうして、俺たちの長く、そして無謀な戦いは――ついに終わりを告げたのだった。




