世界の半分
「――世界の半分をやろう」
特殊性癖の勇者と美しい大魔王が禁断の恋をする話。
※現実のあらゆる思想を擁護又は非難する意図は一切ございません。
※短編を書くのは初めてですので、ご指摘やアドバイス頂けますと幸いです。
「よく来た勇者よ。わらわが王の中の王、大魔王リーベじゃ」
漆黒のドレスに身を包んだその女性は、その美しい外見に似合った威厳ある声でそう告げた。
極大の角を二本も生やした彼女の視線の先に立つのは、たった一人で魔王軍を壊滅させた、人類最強の勇者。
勇者は大魔王の放つ異質な魔力に一瞬怯んだが直ぐ体勢を整え、旅の苦楽を共にしてきた愛刀・龍神の柄に手をかける。
「わらわは待っておった。そなたのような若者が現れることを……」
強い意思のこもった鋭い視線を向けられてなお、大魔王は厳かに勇者へ語りかけ続ける。
「……そこで。その、提案なのじゃが――――」
刹那、彼女の頬がほんのり朱く染まったことから僅かな隙の生まれたことを察知した勇者は、大魔王が台詞を言い淀んでいる隙に龍神を抜き、そのままの勢いで斬りかかった。
先ほどまで勇者の立っていた地点には土煙が舞った。勇者は全力で地面を蹴り、稲光よりも速く大魔王の眼前へと飛んだ。
「――――もし、わらわを……てくれるのならば――――」
龍神を構えながら空中で身体を捻り、姿勢を元に戻す際の反動でこれを振り抜く。魔王軍との戦いで勇者が幾度となく用いてきた必殺技、渾身の一撃だ。
龍神は空気を切り裂きながら大魔王の青白い首筋へと迫る。
「――――世界の半分をやろう」
勇者の両親を殺した仇敵であり、人間世界を恐怖のどん底に陥れた大魔王リーベの首を斬り落とすまで、あと数センチ。
文字通り寸でのところで、龍神は停止した。
勇者は龍神のあった方向、すなわち大魔王の真正面へと慣性により吹っ飛ばされた。
もともと勇者は強欲であった。旅の途中、ある港町にてカジノにどっぷりのめり込み、大負けしたせいで龍神以外の全財産と仲間からの信用を一切失ったこともあった。
勇者が一人旅を続けている主な原因はここにある。
欲深い勇者は、世界の半分をやるという魅力的な提案に思わず耳を貸してしまった結果、心に微かな迷いを生じさせてしまった。
かつてある英傑が強欲さゆえ天に近づき過ぎ、灼熱によって翼を焦がされ墜落したように、勇者は真っ逆さまに転落してしまったのだ。
反撃しようにも、硬い岩でできた床に叩きつけられた衝撃により、龍神の刀身には大きくヒビが入ってしまっている。また、この距離では魔法を使うことすらできない。勇者も人間であるから、魔法を詠唱している時はまったく無防備だ。大魔王とあろう者が、まさかこの隙を見逃すはずもない。
勇者は四つん這いになったまま項垂れた。肩を震わせながら、拳を何度も、何度も地面へと叩きつけた。
己への怒りと失望のこもった拳は繰り返し振り下ろされ続け、しばらく経った。
少し冷静になった勇者は、あることに気が付く。
「死んで……ない?」
血まみれの拳を握りしめ、確かにその温かさを確認する。
勇者は一瞬逡巡したが、すぐに歯を食いしばり、龍神へとその手を伸ばした。
世界の敵、大魔王に涙を流させ、刀としての生涯を終える。勇者と共に旅をした世界一の名刀龍神には相応しい最期だ。
勇者は再び柄を静かに握りしめ、大魔王に勘付かれぬよう充分注意しながら攻撃体勢を整えた。
大魔王の真意は判らない。表情を見定める余裕も無い。
勇者は立ち上がり、その長身を半回転させながら、全力で龍神を振り抜いた。
龍神は大魔王の頸部を見事真っ二つに斬り裂き、役目を終え粉々になった。
大魔王の頭は吹き飛び、首からは噴水のように血が噴き出した――かのように思えた。
落とされた大魔王の頭は何食わぬ顔を見せて、血まみれの首から新しい頭をいとも容易くポンと生やした。
勝ち目はない。大魔王に鋭い視線を向け続けつつ、柄を握りしめながら後退りする勇者。
直後、どこからともなく大量の触手が飛び出し、勇者をぐるぐる巻きにした。
勇者はそのまま大魔王の元へと無理やり引っ立てられ、彼女の正面に坐らされた。
恐怖心に支配された勇者の震える瞳を大魔王は見据え、満足気に微笑みながら触手を使い、勇者の顎をクイッと上げた。
勇者は勇者としての誇りをかけ、せめてもの抵抗として大魔王の紅く澄んだ瞳を碧く淀んだ瞳で凛々しく見つめた。大魔王は何故か視線を横に逸らし、再び頬を朱く染めた。
「もう一度言うぞ。もし、わらわを娶ってくれるのならば……世界の半分をやろう」
「……娶って?」
大魔王の執務室には、一人の英雄の、驚くほどに間の抜けた声が響いた。
勇者は己の胸元を見下ろし、滑るように視線を上方へと流し、大魔王の胸元をまじまじと見つめた。
やがて最悪の状況を理解した勇者は口ごもりながら、大きな誤解を解くべく問うた。
「……大魔王リーベ。貴様は女だろう?」
「当たり前じゃ。見て分からぬか」と言わんばかりに、大魔王は豊満な胸を張る。
「貴様は、何か重大な勘違いをしているのではないか……?」
「フッ、勘違いなどないわ。わらわが一体どれほどの時間を、そなたの対策に充ててきたと思う?」
「……いいか、私は女だ。確かに普通の女と比べて背は高いし、それと……胸も小ぶりだが! とにかく、私は女だ。この事実に変わりはない」
大魔王は目を見開き、懐から一冊の書物を取り出した。
そこに書かれた肖像画と勇者の顔を何度も見比べ、そして、安堵したように胸を撫で下ろした。
「面白い冗談を言うではないか! 嘘を吐くでない。間違いなくそなたは、その、ステキな男性――――」
「いいや、私は女だ!」
外見を男と見紛われた勇者はムキになって食い気味に言い返す。
「『ルーン=ハーグベルト 20歳 男性』この書物には確かにこう記されているのだ! そなたは男であるに違いない!」大魔王は先ほどの書物を高らかに掲げ、勝ち誇ったように告げる。
「……それ、私の偽名」勇者は深く溜息をつきながら答えた。
前述した通り、勇者は一時期カジノにのめり込んでいた。
旅の途中で収集した戦利品、秘境の森で採集した高価な薬草、共に冒険してきた、信頼できる仲間たち。
そのほとんどを安く売り飛ばし軍資金としてきた勇者。しかしその後も連敗は続き、勇者は莫大な債務を負うこととなった。
借金取りたちの追跡を逃れるため彼女が賭場で常用した偽名こそ、『ルーン=ハーグベルト』であったのだ。
「……嘘じゃろ? それじゃあ、わらわの恋路は――――」
勇者は腕を斜めにクロスさせ、首を横に振った。
この世界に於いて、同性愛は最上位の重罪である。
神に造られた生物としてその使命に背く行為であるからだと、勇者と大魔王が共に信仰する黒十字教ではそのように考えられている。
たとえ世界を救った勇者であっても、また世界を支配するほどの力を持つ大魔王でさえも、天に逆らう訳にはいかない。
「生きている時間よりも、死んでいる時間の方がずっと長い。ゆえに、徳を積むなら今だ。今しかないのだ」――勇者を支援する黒十字教の長、ヤコブ法王の格言である。
叶わぬ恋をしていたことにようやく気が付いた大魔王はシナシナになって奇声を発し、頭を掻きむしり、何度も頭を地面に打ち付けた。
半狂乱になってわんわん泣き喚く大魔王の姿に、勇者はしばらく見惚れていた。
勇者には生来の加虐性癖があった。
彼女は幼少期より、魔物狩りを好んで行っていた。
己の欲求を満たしつつ、周りの大人には褒められる。
貧しい寒村に生まれた彼女にとって、これ以上の娯楽はなかった。
彼女が旅立った真の目的は実のところ、親の仇討ちなどではない。
世界最凶の美女の泣き顔を見てみたかったからである。
世界一の英雄である勇者はギャンブル中毒であるのみならず、歪な性的欲求をも抱えていたのだ。
勇者はヤコブ法王から賜った上質な黒いローブにくるまり、数秒間モゾモゾと“何か”を行ったのち、満足げな表情でローブを脱ぎ捨てた。
「なあ、大魔王よ」
勇者は微笑みながら大魔王へと問いかける。
「んあ? どうしたのじゃ、勇者よ……」
大魔王はドレスの袖でさりげなく涙を拭った。
「貴様は王の中の王にして、世界最凶の魔族だ。間違いないな?」
「……それはそうじゃ。勇者――人類最強のそなたさえ無力化すれば、世界のすべてを手中に収めることなど容易いが、それを聞いてどうするのじゃ?」
「そうだ。私は人類最強の勇者で、貴様は魔族最強の大魔王」
「そなた、さっきから一体何を……? そもそも、何故わらわを殺さないのじゃ? 隙ならいくらでもあったはず…………」
「……死にたいのか?」
「……大好きな人と結ばれない生涯に、わらわは価値を見いだせない」
大魔王は目を伏せ、弱々しく言った。
「そうか。ならば勝手に死ぬといい。私はもう、貴様に対して一切の干渉をしない」
吐き捨てるようにそう言って、勇者は両手を挙げ、入口に向かって歩きだす。
「待つのじゃ!」
大魔王はすがるような声で勇者を呼び止め、椅子から立ち上がり彼女の下へと駆けた。
「わらわはそなたの手で殺されたい! 頼む! 一生のお願いじゃ!」
大魔王は勇者の目前で立ち止まり、両手を大きく広げた。
「ここと……ここ……ここにも心臓がある。わらわを殺すには、この三箇所を同時に破壊すればよい」
いつの間にか、勇者の手には禍々しい大剣が握られていた。
「最期にそなたと会えて幸せじゃった。地獄でまた会おうぞ」
と、大魔王は気丈に言い放ってみせたが、その声は震えていた。
彼女は静かに涙を流しながら目を閉じ、その身のすべてを勇者に委ねた。
「……分かった。死ね」
大剣は大魔王の頭上から振り下ろされ、彼女の身体をグシャグシャに押し潰した――ように思えた。
大魔王の見事な冠を粉砕し、微かに頭蓋を削ったあたりで、大剣は静止した。
勇者はへたり込む大魔王の顎を掴み、クイッと持ち上げて目を合わせた。
「なぁんて。冗談だ」
勇者は大魔王の、美しい夜のような髪の毛をわしゃわしゃと撫で、抱擁を交わした。
状況を飲み込めずフリーズした大魔王の耳元で、勇者が囁く。
「私は生来のクズで、ドが付くほどの変態だ。
この気質のせいで多くの信用と仲間を失ってきたが、その反面良いこともあった。
……私はな、貴様の泣き顔が見たくて、勇者になったんだ。
はっきりと言おう。私は同性愛者だ。生まれつき男には興味がなかったし、メスの魔物を虐める方がずっと気持ちよかった。
まったく、ヤコブのジジイが知ったらどう思うんだろうな。世界を救う旅に出た気高き女勇者が、実はギャンブル中毒で、加虐性癖で、あろうことか同性愛者だったなんて」
大魔王は目を見開いた。
「さっき貴様は私が女だと知って泣いていただろう。世界のほとんどを手中に収め、数多の屈強な魔物たちを統率しているはずの貴様の泣き顔は、実に無様だった。
――実に無様だったし、最高にそそった。24年間生きてきて最高のオカズだった。
……私は満足したよ。今更貴様を殺そうという気は起きない。旅の目的は、もう達成したからな」
勇者の腕の中で、大魔王は再び大粒の涙を流していた。
「正直に言うぞ。私は貴様が好きだ。
強いクセにメンタルは弱いところとか、わざわざ上級の魔族を魔王城に縛り付けて、できるだけ人類が戦いやすいように仕向けたりするところとかな。
……そして何より、貴様はツラが良い。
今まで出会った女の中で、一番ツラが良いんだ。流石は大魔王ってところだな」
勇者の袖は既に涙と鼻水でべしょべしょになっていたが、彼女は構わず言葉を紡いでいく。
「貴様がなぜ私を好いているのかは知らない。だが、少なくとも確かに私は貴様を好いている。貴様らの軍勢に故郷を焼かれたその日から、ずっとだ。ずっと好きだ。
大魔王、いや、リーベ。私たち、結婚しようじゃないか」
リーベの瞳に再び光が灯った。
執務室の大きなステンドグラスからは、暖かな朝の陽光が、優しく差し込んできていた。
「……言っただろう? 私は人類最強で、リーベは魔族最強。私とリーベが力を合わせれば、神だって敵じゃないさ」
リーベは上等なドレスの裾で涙を拭い、泣き笑いになりながら勇者を見つめた。
小さな口をいっぱいに開き、勇者に想いを伝える。
「わらわは幼少の頃から孤独じゃった。
魔力がちと強すぎてな。近づく者はみな卒倒してしまうほどじゃった。
暇を持て余し、鳥籠に閉じ込められたような気分で退屈な日々を過ごしていた最中、そなたの噂を聞いた。スレイヴァ王国にとんでもない才能を持った子どもが居る――とな。
わらわは直ぐに部下を遣わせ、そなたの故郷を焼いてしまった。
対等な力を持つ者と一戦交えたい――そんな下らぬ欲望に駆られ、わらわはそなたがわらわを恨むよう仕向けたのじゃ。
旅の様子はすべて部下に追わせておった。ほとんどの者が途中でそなたに殺され、不完全なデータしか集まらなかったが、わらわには十分じゃった。
――ある魔族の学者によれば、生き物は隠された部分を美しく解釈し、愛するそうじゃ。
そなたの肖像画や活躍を描いた絵画を収集し、イメージトレーニングも兼ねて日夜それを眺めておった内に、わらわはそなたに恋をしてしまった。
わらわはクズじゃ。
勇者に会いたい一心で、大魔王の権限を濫用して多くの同胞達の命を枯らし、善良な人間を大量に葬り去った大罪人。地獄行きは免れないじゃろう。
じゃが、話を聞く限り、そなたもまた同じくクズのようじゃ。
己の性欲を満たすため罪のない魔族を殺傷し、快楽心を満たすため仲間を売った……きっとそなたもまた地獄行きじゃ。お揃いじゃな」
大魔王はにこやかに微笑む。まるで年端もいかぬ少女のような、そこまでも純粋で、あどけない笑みだった。
一方勇者はというと、笑顔のまま無言で大魔王を抱き締め続け、その柔らかさと温かさに惚れ惚れしていた。
「ここは一つ、そなたの大好きな賭けをしようじゃないか」
鬱蒼と茂る森の中にそびえ立つ魔王城。
その頂点にほど近い陽だまりにて、天命に背いた恋は結実した。
間もなく人類は滅んだ。
魔族もまた滅んだ。
神は死んだ。
二人の恋路を妨げる者は、この世から一人残らず消え去ったのだった。
山からは火炎が噴き出し、海からは青色が消え、天は燃え盛り、土のひび割れは溶岩が埋め合わせている。
地獄と形容するに相応しい滅びの大地。
完全なる廃墟と化した魔王城の大魔王執務室にて、かつて世界を救う英雄――勇者と呼ばれた一人の少女と、世界を滅ぼす大悪党――大魔王と呼ばれた一人の少女は、今日もしっとりと柔らかい肌を重ね合い、お互いの愛を確かめ合っていた。
二人は禁断魔法を発動し、時空を超え、神を天もろとも斬り裂いた。
パックリと割れた大空からは死が降り注ぎ、生い茂る緑を際限なく枯らし続けた。
地上は逃げ惑う人々と魔族の阿鼻叫喚で溢れていたが、それぞれの頂点に立つ二人にとって、愛と比べれば同族の命など些末なものであった。
降り続く災禍を気にも留めず、二人は甘い口づけを交わした。
神を殺した二人は空っぽの世界にて新たな支配者となり、永遠に尽きることのない命を手にし、世界の理を好きなように捻じ曲げた。
二人は、もはや生物という括りを超越した存在となった。
悠久の時の中、二人は互いを愛し続けた。
やがて彼女たちは、待望の子を授かった。
ようやく生まれた赤子を愛おしそうに抱き上げる大魔王。
雲の上をよちよちと歩く我が子を見守る勇者の眼は碧く澄んでいた。
初めての子育てに悪戦苦闘しながらも、二人は無事一人目の子を育てきった。
初の出産を機に、大魔王リーベは母性に目覚め、我が子の行く先を照らす太陽となった。
勇者には父性が芽生え、生来の加虐性癖は随分と落ち着いた。彼女は我が子の成長を陰から確かに支える月となった。
結婚数千億年を超える熟年婦妻となってもなお激しく愛することを止めない彼女たちの子孫は、緩やかな窪みを残すのみとなった大洋を満たし、溶岩すらも流れない死に絶えた大地へと駆け出していった。
そして、滅びから数兆の夜を越えた現在。
己の子孫で溢れかえるこの惑星を、彼女たちは今も静かに見守り続けている。
真昼の空を見上げれば、太陽はニカッと笑い、こちらへと希望の光を届ける。
夜空を見上げれば、月は満面の笑みをたたえ、こちらを優しく見つめてくる。
いつでも我が子を見守れるよう、二人は天を等分したのだ。
「――――世界の半分をやろう」
気の遠くなるような長い年月を経て、二人の約束は果たされた。
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二人の子孫の内、この作品を執筆したとある個体が跳ね回り、全身で悦びを表現してくれることでしょう。