5
燦々としてなびく紅蓮の長髪を携えて佇む美少女に誰もが見とれていた。呆然と見つめるあまり、ざわついていた食堂内も今では静まり返っている。変身が終わるとわずかに宙に浮いていた少女の身体は、まるで天使が舞い降りたかのようにふわりと地面に降り立った。歩翔は真剣な面持ちで窓際に向けて歩みを進めた。
「サテライト」
歩翔のつぶやきが鮮明に聞こえてきた。その発言に呼応するように、歩翔の隣で黄緑色の閃光が放電するように輝く。その電気を帯びて突如出現したのはダイヤ型をした不思議な機械。薄灰色の面に黄緑色のネオンが幾何学的な模様を描くように走っている。歩翔の傍をふよふよと漂い付いていく様は近未来の技術を感じさせる。
窓辺に向かう歩翔を目で追っていると、視界の隅に黒く巨大な物体が映り込み、次の瞬間大きな地鳴りが聞こえてきた。次元の裂け目から異形が降ってきたのだ。全長は10メートル余り。粘土を適当にこねて丸めたような身体から、五本の突起が飛び出していた。そのうち二本を地につけて立ち、うち二本は身体の両端上部にぶら下げて、最後の一本は空に突き刺さるように生えていた。かろうじて人型といっても差し支えないような見た目ではあったものの、その突起はどれも大きさが異なり、形もいびつでおよそ生物とは程遠い。幼児の落書きがそのまま現実に現れたみたいだった。
実物を前にして、食堂にも再び緊張感が走った。異形の見た目はいつ見ても気色が悪く、どうしようもなく嫌悪感を刺激する。パニックに陥る生徒がいても仕方のないことだった。
歩翔は窓の縁に飛び乗り、身体をこちらに向けて声を張った。
「落ち着いて!こちらから刺激しない限りは異形は攻撃してきません!あれは俺がひきうけますから、今は冷静かつ速やかに避難を始めてください!先生方、先導をお願いします!生徒の皆さんはそれに従って!焦らず、訓練通りに!」
一人の教師が声を大きく張り上げて、歩翔の言葉に応えるように避難の指示を始めた。それを皮切りにほかの教師数人も続き、学年もクラスもバラバラだが、生徒達も廊下につながる通りの方へ集まり自然と列を成し始めた。
俺たちも続こうと、まず二人の姿を確認しようと振り返ったが、視界のどこにもその姿は映らなかった。一瞬動揺したが、すぐに文香の声が足元から聞こえてきて、反射的に目を向ける。文香は床に膝をついていて、呆れた顔ではにかみながら机の下を指差していた。俺もしゃがんで机の下を覗くと、隠れているつもりなのか何なのかは知れないが奏がそこでスマホを掲げていた。災害がすぐそばまでやってきているとは思えないほどの朗らかな雰囲気。まるで念願のオモチャを手にした子供のような笑顔。明らかにカメラを回していた。
「あの、奏さん?」
声をかけると、奏は目線を一ミリも動かさないままに答える。
「ここは私に任せて、二人は先に!」
「何の殿のつもりだよ。さっさと逃げるぞ」
先の茨城の異形の映像で、撮影者はとんだ馬鹿者だと他人事のように揶揄していたが、まさかこんな身近にも大馬鹿者がいるとは思ってもみなかった。呆れも通り越して、緊張でこわばっていた身体からも力が抜けてしまった。
「何やってんだよまったく。怪我でもしたらどうすんの。最悪死ぬかもしれないんだぞ」
「私は戦場カメラマン!ここで死んでも悔いはない!」
「だったら尚更生きて帰るまでが仕事だ馬鹿。よし、文香、引っ張っていくぞ」
「了解」
二人で奏の両腕を掴み引っ張る。「やめて」「はなして」と駄々をこねる奏だったが、二人分の力にかなうはずもなく、抵抗むなしくトドみたいな大勢で机の下から引きずり出された。それでもスマホはかろうじて歩翔の方へ向けられ続けており、あまりの執念にため息が漏れる。「推しは推せるときに推せ!推しは推せるときに推せ!」と気合十分に念仏を唱える奏に「そのセリフ自分が消える側なの?」と文香が呟いて指摘を入れた。
「お前、迷惑行為とかファンの風上にも置けないぞ」
「うっ…」
どうやら悪いことをしている自覚はちゃんとあるらしい。俺の言葉に掻き立てられる罪悪感は確かにあったようで、今度こそ抵抗をやめて項垂れた。が、それもつかの間のことだった。
「おい!そこのお前ら!何やってんださっさと避難しろ!」
と、可愛らしい怒鳴り声が後方から聞こえてきた。駆け寄ってきた歩翔と目が合うと、歩翔は眉の皺をほどいて目を丸くし、首を傾げた。
「あれ。カチ、文香。と、村山?」
「はわわ…かわっ、かわいい…」
奏はまたスマホを掲げ、先と同じような興奮の輝きを瞳に纏っていた。寝そべったまま身をのけぞらせてスマホを支えるクラスメイトと、その女の腕を握る俺と文香。「どうゆう状況?」と歩翔が口走るのは当然のことだ。俺は一度奏の腕から手を離し、歩翔の方に向き直った。
「悪い、すぐ避難するから」
「お、おう」
「奏、一回立とう。ね?」
文香の声掛けもむなしく空を切り、奏はまるで聞き入れようとしない。すっかり自分の世界に入りきっていて、満面の笑顔で歩翔の姿を収めていた。歩翔はそこでやっと、そのスマホが自分に対して向けられていたものだと気づき、一歩二歩と後ずさって慌てた様子でスカートを押さえた。
「おまっ、角度やばいって」
「んえ?」
「いいからカメラ止めろ!撮影禁止!」
声を張り上げる歩翔を見た俺と文香の気持ちは全く同じだっただろう。こいつ、俺たちに対しては何の抵抗もなく体をさらけ出そうとしたくせに、別の奴らの前では随分一丁前だ。俺と文香の冷ややかな視線に、歩翔は恥ずかしそうにしたまま「なんだよ」と威嚇してきた。「べつに」と文香はそっぽを向いた。
「ねぇねぇ二人とも!どうしよう、私、話しかけられちゃったよ!」
「いいからお前はさっさと立て」
お花畑な奏の頭に軽く手刀を振り下ろしてやる。「いてっ」と反射的に声を漏らしながら、奏は頭を押さえた。
「何なんだ君たちは、この状況で和気藹々として。雑談している暇はないぞ」
聞き馴染みのない凛とした女性の声がどこからか聞こえてくる。電話越しみたいな質感の声だった。どうやら、歩翔の隣で浮遊する例の機械から発せられているらしい。
「異形の脅威を知らないわけではあるまい。今からでも間に合う。急いで避難するんだ。はっきり言うがここに居られては…」
「サテライト!サテライトですよね!」
「おぉ…うん。そうだが…」
言い切る前にものすごい勢いで立ち上がり詰め寄ってきた奏の熱量には、歴戦の魔法少女ですら気圧されるらしい。真面目な説教をやめて素直に返事をしてしまうくらいである。
魔法少女サテライト。俺でも知ってる超有名な魔法少女。日本で生まれた最初の魔法少女、その三人のうちの一人だ。ブラックライラ、ディープ、サテライト。15年たった今でも最前線で活躍する三人はテレビでもよく名前を聞く。三人とも、日本の平和に欠かせない強力な魔法を保持している。誰か一人でも欠ければ、今の日本の戦い方を根本から見直さなければならないと言われるほどである。
今、歩翔の隣に浮かんでいるあの衛星。あれこそが、サテライトの魔法である。あの衛星を利用して遠隔で魔力を操作することで、魔法少女を様々な方面からサポートしているらしい。また、衛星を通して日本中を飛び回り、全国を観測することで異形の発生をいち早く感知し、警報を起こしたり避難誘導したりと、彼女一人で様々な役割を担っていると聞いている。サテライトは特務隊に所属する数少ない魔法少女。国から任された特命は魔法少女の指揮統括だ。実質的な魔法少女のリーダーは、彼女だと言っていいだろう。
「サイン!サインください!」
どこからともなくペンと色紙を取り出して、奏は衛星に向けて冷めやらぬ興奮をぶつける。サテライトの表情を見ることは叶わないが、あまりの緊張感のない行いに困惑しているのか、困ったように控えめに言った。
「書けるわけないだろう。とにかく避難をだな…」
「サテライト、もう遅いかもです」
歩翔が睨みつけるような眼差しで窓の向こうを見つめて言った。異形は地に着いた二本の突起を交互に動かし、ゆっくりと歩くように校舎の方へ向かってきていた。出現当初はもっと校舎とは離れた向かい側にいた気がするが、いつの間にか距離もそれなりに近づいていた。
「こっちに歩いてくるんじゃあそろそろ戦わないとまずいです。校舎に近すぎるとやりずらい。攻撃方法によっては倒壊させられる可能性もないとは言い切れない」
「うん、なるほど。今からシェルターに向かわせるのでは逆に危険か」
「ほかの生徒たちの避難状況は?」
「問題ない。全校生徒教職員含め速やかに避難を完了しているよ。周辺住民も、少なくとも半径100メートル以内には気配を感じない。いま、このあたりで地上にいる生身の人間はここの3人だけだ」
「了解。こいつらのこと頼んでもいいですか?」
「分かった。じゃあ君たち、私の近くに。決して離れるなよ」
言われた通り、俺も文香もサテライトに歩み寄る。初めて見る魔法少女同士の現場でのやり取りに少し感動していた。こんな感じなのか、と。
「なんか結構ちゃんとしてる」
文香もまた感心したようにつぶやく。
「それな」
「ね、かっこいい!」
「社会見学かよ!調子狂うからゆるい空気作るのやめてくれ!」
漫才やコントでツッコミを入れているような雰囲気になっていたが、実際歩翔が言うことはもっともだった。今の俺たちはお荷物どころか完全に邪魔ものだ。人の命を左右しかねないこの場所で、本来であれば必要のない気遣いをさせる羽目になっていた。俺は歩翔に頭を下げて謝った。
「悪い、迷惑かける羽目になっちまって。でも、本当に大丈夫なんだよな?」
「ん、心配すんな。サテライトが魔法で守ってくれるよ。ちょっとやそっとじゃ破られないぜ」
「いや、そうじゃなくて」
言葉にするのが不謹慎な気がして、悩ましくなって思わず頭を掻きむしった。一瞬視界に映った文香の表情にもやはり不安の色が見られた。
「ああ、なんだ。お前ら俺の心配してんの?」
珍しく察しがよくて驚いてしまった。俺も文香も沈黙を以て肯定する。すると、歩翔は俺たちの不安を晴らすように満面の笑みを浮かべていった。
「ありがとうな。でも、大丈夫だよ。こう見えて俺、めちゃくちゃ強いんだぜ」
そんなことは先の映像で分かっていた。だが、それでもぬぐい切れない黒い感情の存在を確かに感じる。心配はもちろんある。だが、それだけではない。不安というより不満だ。俺も、そしておそらく文香もこの状況に納得できていない。この現状にそこはかとない不吉さを感じるのだ。
歩翔の右手に握られていたステッキが、銃の形に姿を変えた。大きさはハンドガン程度の小さな銃で、黒いボディにトレードカラーの赤のネオンが銃口に向かって刻まれている。ファンタジーチックというよりは、サテライトと同様SFチックでスタイリッシュな見た目だった。少女趣味なワンピースを纏っている歩翔には少し似合わない気がした。
「意外とシンプルな武器!もっとド派手なの持ってると思ってた!」
はしゃぎながらまたカメラを回そうとする奏を、サテライトが咎めた。「本人が許可したわけじゃないなら撮影はよしてくれ」と。魔法少女の上官相手に注意されては流石の奏も立つ瀬がないらしく、謝罪を口にしながら悔しそうにスマホを握りしめて項垂れた。
春風がよどんだ空気を運び込む窓辺で、歩翔は銃を構えた。やはり、今の歩翔の見た目ではあまりにも調和がとれていないように感じた。しかし、立ち姿だけ見れば随分と様になっていた。実際の射撃の経験など夏祭りの射的くらいなものだろう。ゲーマーだし、シューティングゲームに勤しんでいた時の真似事なのかもしれない。
「派手だのシンプルだの、分かってないな!」
歩翔の握る銃口から赤い光が漏れ始める。電圧が上がっていくような、力を蓄えるような、そんな電子的な音がする。あふれ出る不思議なエネルギーが一面の空気を震わせて、建付けが悪くなった窓や机上に並べられた食器たちがカタカタと音を出して揺れだした。室内の熱が対流し始め、それが生ぬるい風になって俺たちの髪や衣服をもてあそぶ。銃口から漏れる光が、思わず目を細めたくなるほどまばゆいものにまで変わったとき、歩翔は自慢げに口角を引き上げてこう言った。
「銃っていうのはな、ごちゃごちゃしてないくらいが一番カッコいいんだよ」
引き金が引かれると同時に爆音が鳴り響き、エネルギーが一気に射出された。あまりの衝撃に足がふらついてしまう。歩翔が放った弾丸は膨大な魔力を纏い、もはやミサイルのような形を成して異形に向かって一直線に飛んでいった。異形がそれを回避する行動をとるわけもなく、着弾したのはその身体のど真ん中。普通の弾丸では傷一つつかない鋼鉄の皮膚をいともたやすく抉り貫いた。異形の身体には立っているのもままならないような巨大な風穴があけられた。普通の生物なら即死だろう。だが、異形は倒れるどころか歩みを止める様子もない。俺は改めてこの謎の生命体の異常さに身震いした。
「あれで倒せてないのかよ」
独り言を漏らすと、サテライトがわざわざ答えてくれた。
「異形には核と呼ばれる急所がある。大きい異形ほど保有する核の量も多い。それをすべて破壊するまでは奴らが絶命することはないよ」
両足しか動かしてこなかった異形の動きがここで大きく変化する。五本の突起のうち一番大きな右腕に当たる部分を持ち上げ、表皮をどろどろにしていくつかの気孔を生み出した。その穴は黒く発光し始め、禍々しいオーラを帯びていく。歩翔は窓を飛び越えて、異形に向かって一直線に駆け出した。
異形の右腕から吸い込まれそうなほどどす黒いエネルギーが射出された。構わず歩翔は一直線に突き進み、その攻撃をギリギリのところで飛び跳ねるようにして躱した。その時、歩翔は異形の攻撃の上部、ちょうどすれ違う位置で地面と平行になるように体を捻らせて、右手に赤い波動を纏うとその手を漆黒の弾丸の上に這わせた。そして、まるでハンドボールを握りしめるようにそれを掴み、身体を一回転させて空へ投げ飛ばした。ただ躱しただけではこちらに飛んできていたであろう異形の攻撃は進行方向を変え、はるか天空へ飛び立ち、やがて爆発音を立てて消えた。
歩翔は勢いを殺さないままに着地し、数発弾丸を放ちながら再び駆け出した。それらはすべて無作為に異形に命中する。
今度、異形は左腕を大きく振り上げた。まだ物理的にその腕が届く距離間ではなかったにもかかわらず行われた所作だった。歩翔は本能的に危機を感じてか、拳が振り下ろされるタイミングに合わせて再び飛び跳ねた。次の瞬間、異形の腕がゴムのように伸びて飛んできて、大地に向かって拳が斜めに突き立てられた。
歩翔は流れのままその腕に飛び乗り、足場にした腕に何度も銃弾を放ちながら顔面の方へ走った。その間、何度も黒いエネルギー弾が追尾するように歩翔に向かって飛んできていたが、歩翔はそれを躱すいなすを繰り返し、動き回りながら何度も弾丸を打ち込んだ。
誰もが息をのんで見入っていた。無駄のない軽快な身のこなしだった。常人より数倍も身体能力が上がっているわけだし、歩翔の運動神経ならそれにすぐに適応して、戦うことにも案外さらりと慣れてしまったのかもしれない。だが、それにしても完璧だった。もはやそこに美しさすら見出してしまうほどに。
「あの、歩翔はどれくらい強いんですか」
戦いから一切目をそらさないままに文香がサテライトに問いかけた。
「最強だよ。ライラやディープでもきっと敵わない。もちろん、強さには様々なベクトルがあるし、一口に強いと言い切るのは無粋なことかもしれないが、異形をいち早く最小限の被害で倒すことにだけ関して言えば彼女は間違いなく最強だよ」
淡々としたサテライトの語り口は、冷ややかに言葉に重みを乗せた。単純に考えれば、強いということはそれだけ敗北の危険性がないということだ。心配の必要がないということだ。だというのに、俺は歩翔の戦う姿を何一つ安心してみることができなかった。むしろ胸が締め付けられる思いだった。この状況はよくない。歩翔一人だけが何か重いものを背負っているみたいだった。
間もなく銃声は聞こえなくなった。異形の身体は蜂の巣にされ、電池が切れたように動かなくなっていた。歩翔が異形の周囲を魔法の壁で取り囲むと、次の瞬間黒い液体を大量にばらまきながら爆散した。
「すごい」
奏は興奮に顔を火照らせて、ひねりのない感想を静かに漏らした。一方文香は複雑そうに表情を曇らせてじっと歩翔を見つめていた。
「文香」
声をかけると、文香は動揺に肩を揺らして俺の顔を見た。「私、そんな不安そうな顔してた?」文香は困ったように笑いかける。首を縦に振って肯定すると「喜んでいいことなのかなんなのかわかんなくなっちゃって」と言って寂しそうに俯いた。
「あ、動画で見たやつ!」
よく通る声で言って、奏は歩翔を指差した。歩翔は水を掬うような形に両手を広げ、その上に白い光を掲げながら祈るように目を閉じていた。確かに動画の最後でも同じ所作をとっていた。どうも異形討伐後に必須な行動らしいが、俺の知る限りでは他の魔法少女があのような行動をとっているところを見たことがなかった。
「あれ、何なんですか」
サテライトに問う。しかし、芳しい答えは返ってこなった。それどころか「アレ?」と小首をかしげるように語尾をつりあげて、俺にさらなる説明を要求していた。俺の指示語が示しているものを理解できていないといった風に。
「あの、白い光」
俺は戸惑いつつも補足した。すると、サテライトは悩ましそうにこう答えた。
「光…すまない。私の衛星は光を捉えられないんだ」
予想外の返答に、俺は一瞬言葉を失った。その隙をつくように、奏が俺たちの間に割って入ってきた。
「初耳なんですけど!今の話本当ですか?」
「ああ、うん。目やカメラが衛星にくっついているわけじゃないからね」
「え、じゃあ、私たちのことも見えてないってこと?ここのテーブルとかも」
奏は食べかけの料理が並ぶテーブルの端を指先で撫でた。
「いや、見えているよ。衛星から魔力を飛ばして、その動きで周囲の状況を観測している。厳密にいえばちょっと違うんだけど、エコーロケーションみたいなものだと思ってもらって構わない」
「へー!」
「さらっと言ってるけど、結構高度なことやってそう」
「もう15年目だから、慣れたものだよ」
サテライトの笑いかけるような話ぶりは、自慢げというより自虐的に聞こえた。
「ただいまーっと」
歩翔が窓を飛び越えて俺たちのもとに帰ってきた。少し自慢げに俺たちを見ると、西部劇さながらのガンスピンを見せびらかしながら「どうよ。俺強いだろ」と鼻息荒く言った。ちょっとネガティブな俺たちの気持ちなどつゆ知らず、全身全霊で褒められたがっているその姿は子供みたいで、呆れもあったが愛おしくも感じた。
「かっこよかったよー!」
そんな歩翔を真っ先に褒めたたえたのは奏だった。格好つけていた歩翔に対し、奏はなりふり構わずものすごい勢いで抱き着いた。
「うぇ!?な、村山!?」
多分、歩翔は奏とあまり接点がないだろう。歩翔にとって奏は今のところただのクラスメイトであり、奏にとってもまた、同じクラスの男子生徒でしかない。奏の持ち前の魔法少女愛は、高校生における思春期的な感覚をすべて凌駕してしまうらしい。それとも、元々そういうことに疎いのだろうか。中身が男であることもすっかり忘れているのだろうか。わからないが、今の奏は根本的には異性であるはずの同級生と、人前で猛烈に抱き合うことに何の抵抗も感じていないようだった。むしろご満悦そうである。
奏のスタイルや顔立ちは控えめに言ってもかなりの美形である。英国人の遺伝子はこの国では馬鹿にできたものではない。いくら意中の相手が他にいるとしても、そんな相手に突然抱き着かれたら誰だって当然動揺する。歩翔は顔を赤く染め上げて、色々な葛藤に頭を悩ませているようだった。
「ちょっと奏!」
文香が慌てて歩翔の腕を抱き寄せて、奏のことを引きはがそうとした。
「歩翔が困ってるでしょ!」
いつにもまして動揺が声に現れている。そして、いつにもまして随分身体的な距離感が近い。対抗意識から反射的にした行動なのだろうが、自分からあそこまで積極的になっているところは見たことがなかった。一方歩翔は、好きな女子に抱き寄せられてさらに顔を火照らせていた。
「えー、いいじゃんちょっとくらい」
「よくないよ!」
「推しは推せるときに推す!それが私のモットー!」
「引き時も考えなさい!距離感どうなってんの!」
両手に花と言おうか、修羅場と言おうか。傍観者の俺からすれば、二人がもつそれぞれの好きは、戦いになるほど相反していないような気がする。歩翔も歩翔で、現状にあまり重大さを見出していないのか単に考えるのが面倒になったのかわからないが、二人の美少女に引っ張りだこにされるというフィクションでしか見たことのないような体験を、ありがたいものとして若干噛みしめだしているように見えた。
俺は何を思いながらこの状況を見守るべきなのだろうか。二人の美少女に囲まれる幼馴染を嫉妬の目で見ていればいいのだろうか。それとも、三人の美少女が戯れているものとして尊べばいいのだろうか。まあ俺はともかくとしても、全くの他人であるサテライトに関しては、ここに同席させられていることがそもそもかわいそうとしか思えなかった。なんだか申し訳なくなって、俺は心の中で謝っていた。
「ふふっ」
なんてくだらないことを考えていたのもつかの間のことで、かすかに聞こえた笑い声は、隣で浮遊する衛星から確かに発せられていたものだったので俺は耳を疑った。
「やっぱりここはいい場所だな」
何を思い、何を感じて言った言葉なのかはわからない。表情も見えないから計ることも叶わない。だが、サテライトの呟くおだやかな声は、嬉しそうで、懐かしそうで、そしてどこか寂しそうだった。
「アルト!」
「は、はいっ!」
「私は一旦戻る。変身を解くタイミングになったらまた呼んでくれ。周囲の状況を確認してやる」
「了解です!」
「では…」
「あっ、ちょっと待ってください!」
二人の事務的なやり取りのあと、奏が咄嗟にサテライトを呼び止めた。
「なんだ、サインは書いてやれないぞ」
冗談めかして言うサテライトの前まで駆け寄ると、奏は深々と頭を下げた。
「今日はすみませんでした!私のせいで手を煩わせることになってしまって、ご迷惑をお掛けしました。あと、守ってくれてありがとうございました!」
すっかり頭から抜け落ちていたが、俺たちは守ってもらった立場だ。そして、逃げ遅れたことで面倒をかけてしまった仕方のない学生である。ずっと楽しそうにしているように見えたが、奏自身わるいことをしている自覚はあったようだったし、あくまでも自己責任でここに残るつもりだったのだろう。やはり、魔法少女の一ファンとしては、敬愛する相手に多大な迷惑をかけるというのは自分のポリシーの許すところではないらしかった。奏の行動にはっとして、俺も文香も追随して頭を下げた。
「そんな畏まることはない。異形から国民を守るのが私たちの役目。当たり前のことをしたまでだ。そもそも、結局のところ私は何もしてないからね。異形を倒したのはアルトだ。その感謝はアルトに言ってあげなさい。あ、別に避難しなくていいって言っているわけじゃないからね。君の命は君一人だけのものじゃない。何かあってからじゃ遅いんだ。こういう時の行動はくれぐれも慎重にね」
「はい!」
「それじゃあ、私は行くよ。またどこかで会ったら、よろしく」
別れを言い切るとほとんど同時に衛星が放電をはじめ、サテライトはあっさりと姿を消してしまった。奏は感激を噛みしめるように手を握りしめて言う。
「サテライト、かっこいい…!」
「お前魔法少女全員にそれやるの?」
「あ、そうだ。ねぇねぇ勝助!これ見て!」
一つ片付けばすぐ次に移る。奏という人間のせわしなさには慣れそうもないし飽きそうにもない。奏は嬉しさが抑えきれないといった風に体をわずかに弾ませながら、俺の目の前に色紙を突き出した。サインペンで五十嵐歩翔と書かれている。歩翔は小学生の時、ほんの数か月だけ書道を習っていたことがあり、その経験もあってまあまあ達筆だった。多少様になっている。だが、どう考えてもこれはサインではなくただの署名だった。
「サインもらった!」
「これでいいのかよお前は」
「握手もしてもらった!」
「抱き着いた後でいわれてもな」
「あと、写真も撮ってもらった!」
次に掲げられたスマホの画面には二人のツーショットが映っていた。肩を寄せ合い、笑顔でピースを向ける奏に対して、歩翔も笑ってはいたものの照れくさそうにしていた。色々引っかかるものはあるが、本人がなにより嬉しそうだったので、もう野暮なことは考えないことにする。
「それは、よかったな」
「うん!」
無邪気な子供みたいで、俺は少し笑ってしまった。可笑しかったというより、ポジティブな感情がそのまま表情に出ているので、なんだかつられてしまったのだ。
「サインって言われても、考えたことなかったなぁ」
歩翔は悩ましそうに頭を抱えていた。
「魔法少女やってたら、こういうの今後増えるんじゃないの」
「まじか。まあ、ちやほやされる分には悪い気はしないんだけど、ファンだのなんだのって言われてもあんまり実感湧かないな」
「グッズとか出たら買うよ!」
「やめてくれ恥ずかしい」
そんなこんなで一連の異形災害は校庭の土が少し抉れる程度で落着となった。やがて警報が解除され、それとほぼ同時に自衛隊がやってきて、液状になった異形の回収やら被害状況の確認やらで校庭が少し賑わいだ。後始末を任される自衛隊は少しかわいそうだった。