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 扇山高校の学食は生徒からも職員からも評判がいい。人もよく出入りする。まだ四時間目が終わって5分も経っていないのに、来た時にはすでに食券機の前に長蛇の列ができていた。ざっと数えて30~40人くらい。いつも通りの混み具合だったが、無駄に広いので席が取れないなんて事態にはならなかった。

 校舎一階の南側。正午を回って間もない春の日差しが差し込む。食堂の天井には古い蛍光灯が川の字になって張り巡らされていたが、それも必要ないくらいに陽の光は窓の奥の奥まで反射して屋内を照らしていた。

 メニューは日替わりだ。今日、俺はソースかつ丼、文香はチキン南蛮定食の大盛、奏はサバの味噌煮定食を頼んだ。隅の方のテーブル席が空いていたのでそこに座った。俺と文香は隣同士、奏は一人向かい側である。

「いや、量…」

 たじろぐような瞳で文香の持ってきた昼食を見て、控えめな声量で奏が言った。文香は照れ笑いを浮かべつつも自信満々に答える。

「食べたいときに食べたいものを好きなだけ食べるのが生きがいなんだよ」

「よく食う割には食べるの遅いんだよな。後半は食ってるの眺めながら話すことになるよ」

「あははっ!なにそれかわいいんだけど」

「なんか恥ずいな。改めて言われると」

「いいんだよゆっくり食べて。いっぱい食べる子かわいいじゃん。ねぇ?」

 同意を求められたが、二つ返事で適当にあしらった。

 みんな一緒に手を合わせ、各々思い思いに箸を進める。「そういえば、学校休んでたけど大丈夫?」と、俺の体調を奏がねぎらうところから会話は始まった。今日だけでも四回目になるその気遣いには、片手間で受け流すように大丈夫だと答えた。

「進級早々災難だね。クラスのみんなも誰が誰だか分んないでしょ」

「まあな、見たことある奴はいても名前まで一致する奴は少ない」

「私のこともあやふやそうだったもんね。結構目立つ見た目してるから、良くも悪くも覚えられてることが多いんだけど。それじゃあ、改めて自己紹介しようかな」

 奏は一度箸を置き、一呼吸おいてから再び話し出す。

「村山奏です。こんな見た目ですが、日本生まれ日本育ち。茨城出身。扇山高校に進学するため、地元を離れて今は一人暮らしです」

 うちの高校は千葉の東京湾沿岸に近いところにある。別に偏差値の高い名門の進学校というわけでもなく、ただの地元に根差した公立高校だ。県を跨いでまでここに進学したのだから相応の理由があると思ったのだが、奏はそのことについてここでは深く掘り下げなかった。

「両親の出身はともにイギリス。でも今は帰化していて国籍は日本です。なので私も日本人。生まれた時から日本語で教育されてきたので英語は話せません。それどころか勉強全般苦手なので分からないことがあっても私には聞かないでね。ていうかむしろ教えてほしい。あとは…好きな食べ物はみかんとかオレンジとか、柑橘系の果物です。嫌いな食べ物は特になし。趣味は、魔法少女グッズを集めること!ねえねえ、魚戸くんは魔法少女興味ある?好きな魔法少女とかいる?」

 魔法少女の話題になった途端、妙なスイッチが入ったように声色が変わり、興奮したまま料理そっちのけで俺の方に身を乗り出してきた。眼差しからこれでもかというほどの熱量を感じる。生憎俺は魔法少女に関する知識を大して持ち合わせていなかった。一見するだけでもものすごい温度差が生まれているというのに、奏は一切引け目をとらなかった。ここまで子供みたいな純粋な瞳を向けられては「いない」と真っ向から話題を終わらせるのも心苦しく、何とか絞り出そうとしてみたが、どうあがいても先日の歩翔の姿しか思い浮かんでこなかった。

 答えあぐねていた俺を前にして、やがて奏ははっと口元をおさえて、浮かんでいた腰を再び元の位置に据えた。

「ごめん。私またひとりで突っ走っちゃった」

「村山さん。多分そいつ魔法少女とかからっきしだと思うよ」

「え」

「村山さんさっきもすごかったんだよ。私も同じようなこと訊かれてさ。とりあえずエンダーミストって答えたら、百倍の勢いになって返ってきたんだもん」

 ここまで凄んだような勢いで話されたら、誰だって気圧される。文香が慌てて俺を誘ったのも頷けた。「ごめん。興味ないよね」と手をすり合わせて頭を下げる奏を、そんな謙虚にならなくていいと文香が慰めた。

 俺はエンダーミストという魔法少女の名を知らなかった。小首をかしげて訊ねてみると、二人はぎょっと目を見開いた。

「エンダーミストを、知らない?」

「あんた今までどうやって生きてきたのよ」

 呆れたようにつぶやく文香。奏はよっぽどショックだったらしく、震える声は先ほどまでの威勢のよさのかけらもない、怯えた小動物のようだった。

「そんなに有名なのか?」

「有名も有名!世界一有名だよ!Lifive(リファイブ)とか見ないの?」

 奏が声を大にして言う。

 Lifive(リファイブ)Square(スクエア)という世界最大の動画投稿・閲覧サービスがある。一昔前、インターネットが世間に浸透し始めたころに開設され、当時は物好きが趣味嗜好を発信するために集まるコミュニティの一つでしかなく、大人たちのちょっとした遊び場のような場所だったようだが、収益化やライブ機能の導入など、プラットフォームとしての機能が拡大されるにつれアクティブ数が増加し、今ではテレビと双璧を成すメディアであり、エンターテインメントコンテンツに成り代わった。本プラットフォームで活動するクリエイターはLifiver(リファイバー)と総称され、人気になれば宝くじなんて目じゃないほどの多額の収益が得られるらしい。上澄みだけ見れば夢のある仕事だ。

 試しにスマホを取り出して、エンダーミストと検索をかけてみた。一番上に上がったのは『魔法少女エンダーミスト』という名前のチャンネル。アイコンは二頭身に描かれた女の子のキャラクターイラストだった。バッサリと綺麗に切りそろえられた尼削ぎ。目深にかぶられた灰色の制帽がよく目立つ。そこから鋭く吊り上がった瞳が垣間見え、かわいらしくデフォルメされているものの、クールさが確かに際立っていた。衣服も軍服のようなデザインで、色合いも全体的にくぐもった灰色で落ち着きがある。歩翔と比べるとかなり尖った見た目だった。

「魔法少女にもこういうのやってるやついるんだな。考えたこともなかった」

「本当に知らない?見覚えもない?おすすめとかにもあがってこない?」

「うん」

「まじか。普段どんな動画見てるのさ」

「ん。旅行とかキャンプとか料理とか」

「おお。なんか意外だ」

「そもそもあんまりLifive見ないんだよな」

「普段は何してるの」

「散歩とか」

「さんぽ…!」

「勝助バイク免許持ってるから、最近いろんなとこぶらぶらしてるみたい」

「え、すご。高二で?」

「散歩っていうか、ドライブって言った方が正しかったな」

「いいね。なんかかっこいい!」

 困惑したり感心したり、忙しく相槌を打つ奏を横目に再び画面を見た。せめてどんな動画を投稿しているのか確認したくなった。

 チャンネルの説明文には『魔法少女や異形に関する最新のトピックを紹介したりしなかったりするチャンネルです』とある。投稿動画の履歴を最新から遡ってみると確かにそんな感じで、啓発や教本的なタイトル、サムネイルが目立っていた。魔法少女がどのようにして異形と戦い、災害に対応しているのか。異形がどれほど危険なものなのか。その正体について解明されていることのまとめ。用語の解説。最近で言えば、異形対策兵器のこと等々。大体二週間に一つくらいのペースで更新されている。ライブ配信も定期的に行われており、「第〇回魔法少女トーク」なるタイトルで毎週金曜日に定期配信されていた。ナンバリングの数字も百回を超えているものだからさすがに感心してしまった。また、『オタクトークします。』というタイトルのアーカイブも不定期ながら散見された。意外と緩く、趣味的な運用もしているらしい。どうやら、啓発のために活動する防衛省のお堅い回し者、というわけでもないらしかった。

 活動状況ばかり気になって再生数やチャンネル登録者などの要素に目を向けていなかった俺は、思い出したように確認したときその多さに驚愕した。チャンネル登録者数512万人。再生数は昨日投稿されたばかりの動画ですらすでに20万回を突破していた。

「滅茶苦茶人気じゃねぇか」

 思わず口に出る。すでに話題は『文香が普段どんな動画を見ているのか』に移っており、俺の独り言は横槍を入れる形になった。二人の視線が俺の方に戻される。

「何で知らなかったんだよ俺」

「こっちが聞きたいよ」

「ニュースとかでは全然見たことないんだよな」

 稀にだが、取材やインタビューでテレビに魔法少女の姿が映ることがある。大規模な討伐作戦の功労者や、リーダー的な立ち位置の人を見かけることが多い。

「確かに出ないねぇ。いまだにテレビ派のあんたじゃ知らないのも無理ないのか」

「ミストは縁の下の力持ち的な人だからね。通称、最弱の魔法少女」

「なんだその不名誉な通り名」

「魔力量が他の人と比べて超少ないんだって」

「まさか、ネットの人間におもちゃにされて人気になってるわけじゃないよな」

「そんなことないよ。魔法少女好きならみんなエンダーミストのこと大好きだよ。かく言う私も大ファンなのです」

 奏は胸を張って鼻を鳴らす。

「文香も?」

「ファンってほどじゃないけど、たまに配信見ることあるよ、暇なとき」

「へぇ。初耳だな」

「勝助には、こういうファンあってのコンテンツは馴染まないでしょ」

「まあ。かもな」

「文香ちゃん魚戸くんのことなんでも知ってるね。魚戸くんマスターだ」

「マスターって。まぁまぁ、幼馴染兼大親友ですから」

 奏の言い方に困惑しつつも、文香は少し自慢げだった。

「どれくらいの付き合いなの?」

「え、覚えてない」

「文香とは幼稚園入るずっと前からだな」

「そんなに!」

 奏は少し声を上擦らせた。

「父親が知り合い同士でな。多分生後何か月とかの頃にも会ったことあるんじゃないか」

「すっご!もはや家族じゃん」

「そうそう。で、幼稚園入るくらいのときに歩翔と会って、そこから三人ずっと仲良しって感じかな」

「え!歩翔くんとも!?」

 やけに食い気味に尋ねられて、動揺を隠せないままに文香は首肯した。奏は感激した風に手を合わせ、目を輝かせた。ゆらゆらと揺れるあほ毛が犬の尻尾みたいだった。

「じゃあさじゃあさぁ。歩翔君と親しいお二人さんならさ。見たの?あの姿を」

 魔法少女の姿のことだろう。俺はともかく、件の出来事を記憶から抹消しようとしている文香はあからさまに表情を固まらせた。だが、奏に悪意はない。私情で話の腰を折るわけにはいかないと堪えた結果なのか、あふれる雑念の全てが右手に集約され、自慢の腕力で割り箸が盛大にへし折られてしまった。突然のことに驚きつつも、奏は文香を心配し声をかけていた。文香は仕切り直しに咳払いをひとつして、無理やり笑顔を作り直した。

「ごめんごめん、気にしないで。歩翔のことね、見たよ、見た見た、見せつけられた」

「ほんと?魚戸くんも?」

「うん、まあ」

「えー!いいないいなー!私も生で見たいんだけど!」

 奏は足をパタパタさせて興奮をあらわにして見せた。魔法少女オタクらしいので、本物を目の前にして気分が高まるのは理屈としては理解できたが、中身が男と知ってなおそのテンションでいられるものなのかと不思議に思った。普通、もっと幻滅したりするものなのではないかと。

「そうだ!二人に見てもらいたいものがあるんだけど」

 奏はスマホを取り出し画面に数回指を弾ませた後、見えるように俺たちの間に置いた。俺たちは身を寄せて画面を覗き込む。

「この動画知ってる?」

 マニキュアの光る指先が画面を弾くと、動画が再生され始めた。

 映し出されたのは見知らぬ住宅街。しかしその様子は平穏とは言い難く、歪んで道路がひび割れていたり、砂埃や木片が地を這っていたりとどこか様子がおかしい。視点があちこち動いて、画面ブレが酷かった。かなりいい加減に撮影されている。どうやら撮影者は走っているらしい。下方向ばかりだった視点はやがて勢いよく大きく一周すると、馴染みのない不気味な光景が映し出された。

 真昼の青空に次元を切り開くような宇宙色の裂け目が浮かんでおり、のどかな住宅街を無慈悲に破壊しながら移動する異形の姿が映された。開けた一本道の先、その異形は肥え太った繭のような体躯で、至る所から包帯みたいな触手が飛び出しており、地を這うようにゆっくりと蠢いて道路を横切っている。全長は15メートルくらいだろうか。高さも二階建ての民家を超えている。道を阻む建造物は次々押しつぶされていた。

 撮影者はその異形から数十メートルほどの距離を保つように動いており、避難しているという様子ではない。一瞬、異形を指差し撮影者に話しかける一人の男性の姿がカメラの端に映った。丁寧に顔にはモザイクがなされていたが、彼もまた逃げようとする様子はなく、撮影者とともに異形の姿を窺っているようだった。俺は何となくこの二人がどんな表情でどんな話をしながら異形を前にしているのかわかってしまってげんなりした。とんだ馬鹿者がいたものである。

 異形の危険度は5段階で表される。数字が小さいほど危険性や予測される被害の大きさも小さい。

 危険度1。全長が3メートル未満であり、過度に接触しない限り、生命や建造物などを害する可能性が著しく低いと思われるもの。全国的に見れば1日に10~20体くらいの出現が確認されており、よっぽど特殊な事情がない限り、魔法少女の手にかかれば即討伐できる。

 危険度2。全長3メートル以上7メートル未満であるもの。その巨体により被害の拡大が見込まれるため、近隣の民間人は早急にシェルターへの避難が必要。危険度1に比べて出現率は大きく減る。月に1~3体くらいだろう。

 危険度3。全長7メートル以上15メートル未満であるもの。ここまでくるとそれなりに大きな被害が予測される。個体によっては魔法少女単独での討伐は困難になる可能性がある。

 危険度4。全長15メートル以上50メートル未満であるもの。複数の魔法少女によって討伐作戦が実行される。現時点で観測された例は2018年と2023年の2回のみ。

 危険度5。全長が50メートルを超えるもの。あるいは従来の異形の性質から大きく逸脱した極めて特殊な行動をとり、未曽有の危険性があると考えられる個体。出現した例は2013年の一回のみ。15年前、初めて異形が出現し、魔法少女が生まれた日のことである。1月20日、北海道に出現した最初の異形の全長は推定67メートルだったらしい。

 今回カメラに映っているのは大きさ的に危険度3くらいだと思われる。異形災害警報が発令され、民間人には地下シェルターへの早急な避難が指示されているはずだった。にもかかわらず、この撮影者たちはきっとへらへらとしながらカメラを回しているのだ。

 ただ、こういった異形に対する危機感の薄い連中は案外結構いたりする。度々社会問題としてニュースなどでも取り上げられている。なぜこういう連中が湧いてしまうのか。理由は異形のとある特性のせいだった。

 異形は自らの意思で攻撃してこない。反撃の意思しか持たないのだ。

 危険度1程度の小さな異形であれば、魔法少女の力にかかれば一撃で討伐できる。つまり、出現後早急に対処すれば反撃の危険性が殆どないということ。もちろん、何らかの事故によって異形の反撃センサーが反応してしまった事例は過去に少なからずあるが、昨今では被害が出たという報道もめったに聞かなくなっていた。

 容易に倒す魔法少女の姿を日ごろから目にしているからだろうか。勘違いした奴らが偶然近くに現れた異形に対して、遊び半分やら酔っ払った勢いやらでちょっかいかけて重傷を負うケースが年に一回くらい報道されている。恐ろしい世の中である。

 余談はさておき。では、異形の危険性の最たるものはいったい何なのかという話になる。魔法少女たちが全国に派遣され、連携して迅速に討伐しなければならない理由は何なのかと。

 答えは、奴らの目的意思のない移動行為により被害が拡大する恐れがあるからである。

 異形は空の裂け目からこの地に降り立った瞬間より、何処かに向かって移動を始める。方角に法則性はなく、その理由は解明されていない。速さには個体差があるが、大きさに関わらずおよそ人が歩く速さと同程度と言われている。しかし、これはあくまで目安であり、これより遅いことも速いこともありうる。過去には自転車くらいの速さで動く異形が観測された例もあるらしい。これにより周囲の建造物が倒壊させられる可能性があるため、周辺住民には避難が要求されるわけだ。また、言うまでもないことだが、周りで遊んでいては討伐しにきた魔法少女の邪魔になる。注意を割かねばならないものが無駄に増えることになるので避難は必須なのだ。

 そんなことも分からないような馬鹿どもの視点を共有されて苦痛だった。この投稿の返信欄の炎上具合は想像に容易い。

 しかし、この動画はそんな馬鹿どもを供養するためだけの動画ではなかった。

 見始めてから10秒ほどたったとき、10メートルを超える異形の巨体が突如空に浮き上がった。突然のことに、俺も文香もさらに身を乗り出した。魔法少女が戦い始めたのだ。

 大地からみるみる離れ、20メートルほど浮かび上がった異形の身体に、地面から赤い光の玉が3つほど拍子を刻むように飛んでいって、その身体を打ち抜いた。次の瞬間、異形の身体から無数に生えていた触手が地に向かって突貫した。まさしく槍が降っているようだった。その反撃は一向に止む気配もなく、機関銃のごとく次々と、一点に集中して触手が地に突き立てられていく。やがて観測できるすべての触手が地に突き立てられた後、異形はそのまま動きを止めた。立ち込めていた砂煙が緩やかに風に漂っていた。

 魔法少女が異形に敗北し、死亡した前例は存在しない。しかしそれは、異形の攻撃が魔法少女に通用しないからというわけではなく、知能のない異形に対して、魔法少女達は知恵と統率を以て戦うことができるからである。どれだけ強い魔法少女でも、直に攻撃を受ければただでは済まないだろう。

 画面越しにでも伝わるほど異形の攻撃の勢いは凄まじかった。あまりの恐ろしさに俺は無意識に魔法少女の無事を祈っていた。揺蕩い薄れる砂煙だけが画面上を動いている。その数秒が、俺たちに悪い予感をよぎらせた。

 次の瞬間だった。そんな心配は無用だと言わんばかりに、再び赤い光が放たれ始めた。魔法少女の生存に一息つく暇もないまま、幾度となく赤い光は異形の身体を貫いていった。異形は無抵抗だった。先の反撃ですべての触手が伸び切って、攻撃手段が失われてしまったからだろうか。

 やがて視点が大きく揺れる。撮影者が異形の方へ向かって走り出したのだ。あぜ道を通る車に揺られているのかというほど、画面は縦にも横にも何度も震える。それでも、カメラは確かに異形の姿を収め続けようとしていた。

 このとき、俺の中ではこの撮影者の愚行を咎めるような負の感情よりも、これほどの規模の相手に一切引けを取らずに完全勝利を収めようとしている魔法少女が一体どんな姿をしているのかという期待が大きく膨らんでいた。

 視界はやがて大きく開けた。異形が踏みならし、更地へと変貌した住宅街だった場所の中心に魔法少女は立っていた。ワインレッドのドレスワンピース。黄色い髪飾りに留められたハーフアップツイン。俺はその魔法少女を知っていた。見間違うわけもない。魔法少女になった俺の親友、五十嵐歩翔だった。

 撮影者がその姿を収めたときには、歩翔はもう攻撃をやめていた。歩翔は何かを念じるように目を閉じて、白い光を両手で抱えていた。その光はあまりに神々しく、聖職者さながらの神秘性すら感じられる立ち姿だった。

 光が消えてなくなったとほとんど同時に、ものすごい勢いでカメラが上空に向けられた。

 空に浮かんでいたのは異形ではなく、黒いどろどろの液体で満たされた巨大な球体だった。透明でガラス玉みたいだが、その表面所々にうねりのある不思議な模様が刻まれているのが見えた。

 テレビか何かで見たことがあった。異形は死後勢いよく破裂し、質量の大きい黒い液体をばらまくのだ。今のところ人体への害は確認されていないらしいが、物理的な二次被害の可能性があるため、異形討伐後もすぐには避難警報が解消されないことが多い。被害拡大を防ぐため、討伐後は魔法で生み出した球で異形を取り囲むのである。

 カメラが地面に戻され、再び歩翔の姿が映る。眉を吊り上げて、怒った様子で撮影者を指差して何かを言っていた。そのあと間もなく動画は終了となった。

「ねぇ、この子歩翔くんだよね」

 呆然とした意識が、奏のささやき声によって覚醒する。俺も文香も言ってもいいものなのかどうか判断しかねてしまったが、目を見合わせるだけの時間に耐えられなくなったのか、やがて文香が渋々肯定した。奏はまたしても目を輝かせ、一人興奮し始めた。

「やばっ!めっっちゃ可愛くない?しかもめっちゃ強いし!推し増ししようかな」

「でも男じゃん」

「それでもかわいいは正義なんだよ!」

「えぇ」

「羨ましすぎるよ二人とも!生で見たわけでしょ?しかも間近で!ファンサじゃん!お話しした?触った?どんな匂いだった?どんなことしてもらったの?ねぇ!」

「落ち着け落ち着け。なんか言い方気持ち悪いぞ」

 勢いが止まりそうにないので、奏の肩をつかんで無理やり席の方に押し返す。

「てかこれ、先週の茨城のやつだよね?村山さんの地元じゃん。大丈夫だったの?」

「あ、うん。うちはもっと上の方だから。そんなことよりさ、二人から頼んで、変身した姿みせてもらおうよ」

「は!?無理無理無理!絶対嫌!」

「俺もやだ」

「えー、なんでー?」

「こっちの台詞だよ。自分で頼めばいいだろ」

「そんなことできないよっ。私の心はもう、彼と同じクラスってだけで限界なんだよ」

「アイドルかよ」

 去年から同級生として同じ学校に通っているというのに、魔法少女という属性が付いただけであいつがこれほどの扱いを受けることになるとは思わなかった。テレビのタレント顔負けではないか。

「私、お箸取り替えてくるね」

 と、申し訳なさそうに文香が退席した。文香の性格上、押され続ければ必ず折れる。奏の勢いに危機を察知し、一時撤退といったところか。場の収束という使命を俺一人に託し、駿馬のごとくカウンターまで去っていった。

「いってらっしゃーい」と奏は手を振って文香をひとしきり見送った後、勇気に満ち溢れた勇者のような眼差しを俺に向けた。どうやら説得をやめる気はないらしい。次の言葉を発しようと奏が意気込んだとき、俺はそれを遮るように名前を呼んだ。

「奏」

「んえ?は、はい!」

「ありがとうな。文香のこと。多分気を使って声かけてくれたんだろ」

 奏の身がゆっくりと引かれ、ずっと迷子だった彼女の腰が久しく正しい位置に据えられた。

「自分から人と関わろうとする奴じゃないから、ここじゃなかなか友達作れてなかったみたいでさ。俺たちがいればそれで十分だって言ってた時もあったけど、異性の俺たちじゃ果たせない役割ってのもきっと多いだろうし、あいつ自身も、もし自分に女子の友達がいたらって想像したことないわけじゃなかったと思う。奏が文香に話しかけてるの見たとき、正直文香はまた俺たちのところに逃げてくるんじゃないかと思ってた。でも、やけに今日は積極的でさ、俺は少し安心したんだ。俺たちじゃ埋められない寂しさがちゃんとあいつの中にもあったんだって。あいつが勇気出して関わってみようって思えるくらいだから、きっとお前のこと凄く魅力的に感じてると思う。だからさ、別にあいつの親面したいわけじゃないんだけど、これからも文香と仲良くしてやってほしい」

 周りの席で昼食をとる生徒たちの喧騒の中、俺の言葉を聞き漏らすまいと、奏は真剣に耳を傾けてくれていた。魔法少女の話をしていた時の興奮は嘘みたいになくなって、落ち着いて噛みしめるように小さくうなずいていた奏はやけに大人びて見えた。

「もちろん。でもね、私からも一つ言っておくね。別に、孤立気味だからって気を遣って声をかけたわけじゃなかったんだよ。ただ単に友達が欲しかっただけ。ただそれだけなんだ。私も高校に入って、友達作れてなかったから」

 俺は少し驚いた。初対面でも緊張している様子は全く感じられないし、人当たりもよく愛嬌もあり、会話もリードしている。歩翔のように誰とでも仲良くできて、広い交友関係を結んでいるものだとばかり思っていた。

「なんか意外そうだね」

「全然そんな風には見えない。むしろ人気者の風格を感じてたくらいだよ」

「そんなこたーないよ。私、あんまり話すの得意じゃないから」

「いや、今日ずっと奏が主軸で話が進んでただろ」

 一瞬だけ、持ち前の笑顔はそのままに、奏は物思いに耽るように俯いた。すぐに顔をあげて、また俺の目を見て話しだす。

「なんていうのかな、話すのは好き。でも、話しかけるのは、今はちょっと苦手。一年生の時、高校では友達いっぱい作るぞってすごく意気込んでた。でも、いざ人を前にしたらビックリするくらい声が出なくなっちゃってさ。自己紹介とかも、何もしゃべれなくってさ。結局時間とともにクラスにはそれなりに馴染めはしたんだけど、友達って呼べるような人は一人もできなかった。バイトしてて部活もやってないから、本当に一人も。二年生になって、今度こそって思って、決めてたんだ。まずは隣の席の子に話し掛けようって。でもさ、二年目ともなるとやっぱりある程度顔見知りも増えるでしょ。だから年度初めの時点でもうそれなりにグループとかできちゃってて、結局うまく声かけられなかったんだ。うだうだぐだぐだ悩んで一週間無為に過ごして、先週のことずっと後悔してた。高校三年間、ずっとこのままなのかなって、落ち込んでたんだ。今朝、文香ちゃんに声をかけたのは、もはやほとんど勢いだったよ。なんか、学校来て一人で席に座ってたら、そんなの嫌だなっていきなり思えてきて、もうどうにでもなれ!って衝動的に話しかけてた。だから、今日のことは全部自分のため。気を遣っただとか、そんな聖人じみた心の余裕は私にはなかったよ。相手が文香ちゃんだったのもただの偶然です。あ、誰でもよかったとか、そういうつもりで言ってるわけじゃないからね」

 奏は自虐的に笑った。あくまでも謙虚だった。黙っていれば、孤立気味の同級生に黙って手を差し伸べるような慈しみの心を持った人間であると俺に印象付けることができたというのに、事実も感情も全部正直に打ち明けて、最終的にどんな印象を持たれるかの裁量はこちらに委ねられていた。

 奏が文香に声をかけた理由。そこにあった打算的な事情も利己的な感情も悩みも妥協も、奏の人間性を精査するうえで、それらは大して重要な要素ではなかった。

 すべてを正直に語ってくれた。どんな自己紹介よりも、その事実がなによりも奏の人となりを表している気がして、俺は無意識にこう言っていた。

「奏。おまえ、いいやつだな」

「えへへ。そうかな。そういう勝助こそ、ずいぶん友達思いで優しいんだね」

 そう言って浮かべた奏の笑顔は少し照れ臭そうだった。

 丁度、箸を取り替えてきた文香がゆっくり歩いて戻ってきて、呆気にとられたように口を半開きにしながら俺たちの顔色を窺っていた。

「あ、おかえり。どうしたの、狐につままれたような顔して」

「ああいや、べつに」

 どういうわけか、文香は少し慎重になりながら椅子を引いて、恐る恐る席に腰かけた。はれ物を触るような手つきで箸を構えるのを、俺も奏も意味もなく見つめていた。文香はほんの少しだけ恥ずかしそうにしながら俺たちを一瞥すると、箸を持っていた手を引いて、お盆の上に置きなおした。

「あの、村山さん」

「ん、なあに?」

「私も呼び捨てで呼んでもいい?」

 濁りなく淡々と言ってはいたものの、顔色から確かに緊張が見て取れた。俺や歩翔からしてみれば些細な事ではあるが、文香にとっては確かに勇気ある第一歩だった。

「うん、もちろんだよ。じゃあ、私も文香って呼ぶね」

 母親が子供をなだめるように微笑んで、優しい口調でそう言った。文香は湧き上がる純粋な嬉しさと高揚感にわずかに頬を赤らめて、年端もいかぬ少女のようにはにかんだ。よかったな、と俺は心の中で背中を叩いてやった。

 とても心地のいい穏やかな空気が流れていた。温もりが目に見えるようだった。なかなか進んでいなかった箸を今一度握り直し、しばし食事に勤しもうと意気込んだその時、突然窓から差し込んでいた日光が何かに阻まれたように消えてなくなった。雨雲にしてはあまりにも突拍子もなく現れたものだと思って、窓際の席にいた俺たちは自然と外に目を向けていた。

 明らかに雲とは異なる異常な物体が校庭上空を覆っていた。裂け目だ。隙間から宇宙のような空間が覗いている。さっき液晶越しに見たものと同じ景色でも、実際に目の前にするのとではおぞましさが違う。身の毛がよだつようだった。

 机上に置いていたスマートフォンが震えだした。

「異形発生警報です。異形発生警報です。直ちに避難してください」

 不安をあおるようなアラーム音が食堂中から聞こえてきた。ざわめきだす生徒達。所々古くなった蛍光灯が明滅している。その光は冷ややかに辺りを照らし、不安をより搔き立てるようだった。

 その時、食堂の中心で赤い光が煌々と輝いた。異形災害の危機あらば、そこに魔法少女は必ず現れる。光のもとに降り立ったのは、ドレスワンピースを纏った赤い長髪の儚げな美少女。魔法少女アルトだった。

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