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冷やし中華はじめました

作者: 泥ハルト

 長い雨の季節も終わりを告げようとしている。段々と上がり始めてきた気温とこもる湿気。いつにもまして髪が鬱陶しいと思うのはそろそろ伸び切ってしまったせいか。

 僕は床屋へ赴くことにした。


 そして床屋へ向かった。はずだった。

 子供の頃から行きつけの、商店街にあるこじんまりとした床屋だ。けど、何だろう。見慣れた赤青白が回る柱の表へ見慣れない短冊がぺたぺた貼られている。



 #冷やし中華はじめました




「不景気なんだよね最近はまったく。なりふり構ってられないよ、この頃は」

 髪を切に来たことを伝えた折に表の短冊について触れたところ、床屋の親父さんはこのようにのたまった。


「で、今日はどうする? 食べていくかい?」

「いや、だから髪を」

 切りたいんだけどと続けたタイミングでカランコロンとベルが響いた。入店してきたのはサラリーマンと思しき禿頭のおじさんだ。


「冷やし中華一つ」

 光る額を白いハンカチで拭いつつ、迷いなく注文する。


「へい、まいど」

 床屋の親父さんは景気よく返事をする。

「で、どうする?」

 こちらへ向き直る親父さん。何かを期待し断らせまいという強い眼差しから僕はとうとう逃げられそうになかった。

「……冷やし中華ひとつ」


 髪を切りに来たのよ僕は。

 何度も読み倒してボロボロのジャンプ(子供の頃から変わらない、ずっと同じ年の同じ号しか置いていないのだ)を眺めながら、僕は冷やし中華を待っていた。


「はい、おまちどう」

 目の前に置かれる冷やし中華。二皿。いや、一皿は鏡の向こうに写った虚像だ。何故にわざわざ鏡の前で食わねばならない。


 出された冷やし中華は見た目とてもオーソドックスなものだった。黄色い縮れ麺のうえには千切りキュウリ、トマト、錦糸玉子、細切りのチャーシューが均等に盛り付けられて、頂きには紅生姜が添えられていた。皿の縁には練り辛子も絞られている。町中でよく見るごくごく普通の冷やし中華だ。

 エプロン代わりにと親父さんに言われ床屋の前掛けを身に着ける。汚れ避けとしては大仰で正直鬱陶しい。僕は自分を睨みつけながら目の前の皿と箸に手を伸ばした。


「ごちそうさま!」

 サラリーマンのおじさんはさっさと冷やし中華を食べ終わったようで、会計を済ますや店を出て行った。きっと仕事の予定が詰まっているのだろう。お疲れ様です。


 一人取り残された僕はズルズルと緩慢に麺を頬張る。鏡の向こうでは、もう一人の僕が奇妙な表情を浮かべながらこちらを睨んでいた。髪を切りに来たのではなかったのか僕は。その目はこう訴えかけてくる。その手元にも冷やし中華がある。もちろんある。


「ごちそーさま」

 空になった皿へ箸を置き、手を合わせた。結構美味しかった。

 会計を済ませ店を出る。またどうぞという親父さんの声が背後から追いかけてきて消えた。


 手元の財布を眺める。床屋代として工面した金額の半分が冷やし中華代として消えていた。僕はその足で同じ商店街にある雑貨屋へ向かい、残りのお金でハサミと大き目の鏡を買った。


 結局、髪は自分で切った。



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