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私が口を噤むワケ

作者: 立草岩央

「長姉だからって、次期当主だなんて失礼だと思います!」


学院内、ふらりと立ち寄ったサロンから義妹の声が聞こえてくる。

思わず部屋の外で立ち止まると、彼女は取り巻きを引き連れて、私に対する不満を口にしていた。


「まぁ、前例がないことなのは確かですね」

「本来なら次の当主は、長男のヴァイオ様で決まっているはずなのに。お義姉さまは何処まで私達の邪魔をすれば気が済むのでしょう。あんな噂、さっさと撤回して下されば良いのに……」

「やはりあの方、オルレア様は御尊父様からの寵愛を受けているとか?」

「そうなのです! たった一人の愛娘と言っても、可愛がり過ぎです! 私、悔しくって……!」

「アデリナ様の言うとおり、ヴァイオ様を差し置くなんて、やり過ぎですよね……」


周りは義妹、アデリナの言葉に同調する。

まぁ、そういった場なのだから仕方がない。

彼女に否定的な考えを持つ人が、同じサロン内にいる訳もない。

色々考えた末、私は取り敢えずその場から立ち去ることにした。

けれど、義妹と合流するつもりだったのか。

十数歩ほど歩いた廊下の先から、弟のヴァイオが現れる。

彼は私を見て、嫌なものを見るかのように顔を顰めた。


「姉上……」

「ヴァイオ、どうかしたのかしら?」

「どうもこうもありません。今、学院中で噂が広がっています。姉上が学院卒業と同時に、正式に当主を引き継ぐと。そのような噂を、貴方自身の口から否定して頂きたい」


ヴァイオは私に、というよりは私達の間で広まっている噂を気にしているらしい。

考えていることは義妹のアデリナと同じようね。

私は少しの間だけ視線を逸らし、もう一度彼の方へ戻した。


「所詮は噂なのだから、放っておけば良いでしょう。当主の座は間違いなくヴァイオ、貴方のものよ」

「姉上は何も分かっていない。たとえ噂であっても、周りは突飛な想像ばかり膨らませるものだ。今、私やアデリナがどんな思いを抱いて学院を過ごしているか分かりますか」

「……」

「貴方はいつもそうだ。そうやって高みの見物をするばかり」


黙っているとヴァイオはより不機嫌になった。

拳を握り締めて、私を睨みつける。


「貴方は女だ。女ならそれらしく、慎みある行動をして頂きたい」


そんな言葉を吐いて、弟は私の横を通り過ぎていく。

あぁ、これが血を分けた姉弟の会話なのかしら。

私は振り返ることなく、その場を後にする。

僅かに陰鬱な感情を抱え、過去のことを思い返した。







私とヴァイオは同じ年に、コルテクス公爵の子として生まれた。

幼い頃は、外で一緒に遊ぶくらいに仲が良かったはずだ。


『ねぇ、僕も頑張れば姉上のようになれるかな?』

『勿論よ。諦めなければ、夢は絶対に叶うわ』


けれど成長するにつれて、私達の間には決定的な差があることに気付いてしまった。

才能と言うべきなのでしょうね。

学院で学ぶあらゆる分野の知識や教養について、私の方が上回っていた。

別に弟に対抗していた訳じゃない。

自然とそうなっていただけ。

それが次第にヴァイオにとって、屈辱に変わっていったみたい。

男のクセに女に劣っている、と。

徐々に彼との交流が疎遠になっていって、成績に悩んでいる彼に勉強を教えてあげようと近づいた時、極めつけにこう言われた。


『女のクセに、口出しするな』


当時それを目撃したお父様やお母様は激怒してくれた。

でもそんな叱責も、ヴァイオには歪んで見えていたのでしょうね。


『貴方がいなければ、何の憂いもなかったはずなのに』


お父様は厳しく反省を促した。

そのお陰でヴァイオも酷い暴言を吐くことはなくなったわ。

でもそれっきり、私達の間には大きな溝が出来た。

私が近づこうとしても、直ぐに弟は席を立って離れていく。

会話も最低限なもので、明らかにこちらを拒絶しているのが分かった。


『オルレア様がせめて男であったなら、コルテクス家は安泰だったろうに』

『時の運とは残酷なものだ。或いは、ヴァイオ様にそれを超える才覚さえあったなら……』


周囲の貴族達の残念がるような声。

それがまた、私達の心を蝕んでいった。

何故、比べられなければならないのかしら。

ヴァイオが男で、私が女である以上、彼の次期当主は確定している。

変えることのできない事実を嘆いても、何の意味もないのに。


(私が女でなければ……? いえ、そもそも生まれてこなければ……? もう、何も考えたくない……息が、苦しい……)


周りにあるのは侮蔑と同情ばかり。

結局どれだけの才能を持っていても、出口なんてない。

一時期、私は自分という存在を放棄しそうになった。

けれど今も私は此処にいる。

だって自分で終わらせるのは怖いから。

だから取り敢えず、私は口を噤むことにした。

何を言われようと、何をされようと、もう二度と弟に口は出さない。

そう決めた。

そして去年、ヴァイオは自身の婚約者を連れて来た。


『ごきげんよう、お義姉さま! 私、ヴァイオ様の婚約者になるアデリナと申します!』

『婚約者……』

『はい! ヴァイオ様とは運命的な出会いをいたしまして、共に将来を歩むことになりました! 今後とも、よろしくお願いいたしますね?』


彼女はアデリナという名の伯爵令嬢。

私とは違って愛嬌があり、明るく社交的な性格。

だからこそ聞いてもいないのに色々と話してくれた。

学院では交流のなかった弟と、休日に王都でバッタリ出会い、そこで意気投合したのだと。

互いに親睦を深め、将来を誓い合う仲になったのだと。

別に私は何も言わなかった。

言う権利もないし、彼らの自由だ。

けれど義妹となったアデリナは、次第に私を軽んじるようになった。


『お義姉さまは、例の殿方と親しいそうですね? ほら、あの……エルヴェンデル公爵家の、長男でありながら次期当主になれなかったという……』

『何が言いたいのかしら?』

『いいえ、何も……。ただ、その……お似合いだと思います!』


嘲笑するような笑みに見えたのは、気のせいかしら。

いえ、きっとヴァイオの影響を受けたのね。

私に対して有ること無いことを吹き込まれたに違いないわ。

それでも私は反論しなかった。

全てを押し留め、口を閉ざした。







過去を思い返していると、学院端の庭園まで辿り着いていた。

特に用事があった訳じゃない。

今も学院内では私が当主になるものだという噂で、奇異の視線を浴びるばかり。

だから落ち着ける場所に来たかっただけ。

するとそこへ、一人の青年がやって来る。

長い銀髪を靡かせる美麗な姿は、私が心を許す人物でもあった。


「やはりこうなったか」

「テオバルト……」

「身から出た錆とは言え、呆気ないものだったな」


彼はテオバルト・エルヴェンデル。

公爵家長男でありながら、次期当主の座を得られなかった人。

何かしらの素行不良で当主継承権を剥奪されたのだろう、と学院内では囁かれている。

義妹が嘲笑したのもコレが原因。

けれどテオバルトは意に介した様子はない。

次期当主になれないという事実が公になっても、周りが何と言おうとも、彼は涼し気な態度を変えない。

それは私の前でも同じこと。


「貴方がいなければ、きっと私は全てを諦めて、ずっと前に姿を晦ましていたわ」

「俺は何もしていない。全ては君が選択したことだ」

「いいえ。あの時の、貴方の言葉が私を変えたのよ」


彼に気を許しているのには理由があった。

弟から拒絶され、周囲からの視線に堪えかねていた数年前のこと。

憔悴しきった私に、テオバルトが声を掛けてきたからだ。

コルテクス公爵家のいざこざに巻き込まれたくないと、学院の皆が敬遠していた中での出来事だった。


『手を差し伸べることは出来る。だがそれは、オルレアに立ち上がる力があってこそのものだ』

『立ち上がる……?』

『奪われたくはないはずだ。自分の存在、価値、居場所を。ならば欲しいもの、望むものは全て手に入れれば良い。俺が今、此処にいるように』


彼が何を思って、私に手を差し伸べたのかは分からない。

ただの気紛れ、それとも同情心かしら。

それでも他人事のように語る周りの人間とは違った。

だからこそ、その言葉を信じることにした。

私があの時の出来事を思い出しながら言うと、彼は僅かに眉を落とした。


「俺は人の弱みに付け込むような男だ。そして次期当主ですらない」

「でも、私に手を差し伸べた」

「……」

「貴方が何者だろうと関係ないわ。私はとうの昔に覚悟を決めているの。お屋敷で行われる当主継承式、そこで全てを終わらせる」

「……そうか」


テオバルトはゆっくりと頷いた。

当主継承式は卒業パーティーの数日前に、本家の屋敷で行われる。

部外者は立ち入り禁止の中、次の当主がお父様から告げられるのだ。

そう、これで終わる。

弟からの鋭い視線も。

義妹からの笑みも。

もう直ぐ、全ての決着がつく。







継承式当日。

式といっても仰々しい催しは何もない。

ただ、屋敷の中で直々に通達を受けるだけ。

帰省した弟が玄関に辿り着くと、既に先に屋敷へ帰っていた私の姿を見て、嫌そうな視線を向けた。


「姉上……何故、貴方が此処に……」

「今日は当主継承式なのだから、私が見守るのは当然のことでしょう?」

「……良いでしょう。ですが、余計な口出しは無用です。これで貴方との関係も終わりだ」


そう言い捨てる。

確かにそうね。

これで、貴方との関係も終わりだわ。

心の中で思っていると、弟に付いて来た義妹が嬉しそうに纏わり付いて来る。


「やっとヴァイオ様が正式に当主となるのですね!」

「あぁ。他の誰でもない、私が当主になるんだ」

「辛かった日々も此処まで! この事実を、卒業パーティーで皆にお知らせしなくては!」


何がどう辛かったのかは分からないし、聞く気もない。

ひたすら口を噤んで、先に歩いていく弟達の後ろに続く。

式の会場はコルテクス家の執務室。

お父様が数人の従者を引き連れて、その場所で待っていた。

隣にはお母様も無表情で控えている。

意気揚々と入っていった弟達と、ひっそりと足を踏み入れた私を見て、お父様が組んでいた両腕を解いた。


「皆、揃ったようだな。では改めて、我がコルテクス家の展望を伝えよう」


余計な前置きもない。

ここはパーティー会場ではないのだから当たり前ね。

お父様、当代当主が沙汰を下す。

弟達は自分達の名が呼ばれると、今か今かと待っていたようだけれど――。


「我が娘、オルレアをコルテクス家の次の当主とする」

「は……?」


素っ頓狂な声が響いた。







「ち、父上……私の聞き間違いでしょうか……? 姉上を、当主にすると……?」

「そうだ。ヴァイオ、お前は家督を継ぐに相応しくない」

「な、何を言っているのですか、父上!? 冗談にしても笑えない! 気は確かなのですか!?」


弟が徐々に焦り始める。

それもそうね。

だって、当主は長男である自分に引き継がれると思っていたのだから。

私が口を噤んでいると、義妹まで声を荒げ始める。


「そうですわ、お義父さま! 次期当主は長男であるヴァイオ様で間違いないはずです! それなのに何故……!?」

「考え直して下さい! 女が当主を務めるなど、良い恥さらしではありませんか!」


自分本位な発言をどんどん並べていく。

これで彼らがどんな人間が、改めて分かったでしょう。

耐えかねたように、今まで黙っていたお母様が息を吐いた。


「自らを省みたことはある? 自分の発言が、どれだけの人を傷付け失望させてきたか。気付いていなかったの?」

「!?」

「ヴァイオ、私達も本来なら次期当主を貴方に譲るつもりだった。以前、オルレアに向けた暴言についても、誠心誠意反省していると分かれば目を瞑ろうと思っていたのよ。けれど……」


お母様は言葉に詰まる。

情けないような、悲しいような表情を隠し切れていない。

そして代わりにお父様が口を開いた。


「自身だけに飽き足らず、その婚約者と共にオルレアを貶め続けるなど、お前には呆れ果てた」

「ま、待って下さい! これは何かの……何かの間違いです!」

「この期に及んで白を切る気か! お前達が裏でオルレアを差別する言動をしていたことは、とうに調べがついている!」


二人はそんな馬鹿なという表情をした。

それもそうでしょうね。

学院では貴族生徒と学院関係者以外は許可なく立ち入れない。

お父様もそれは例外ではない。

では何処でその情報を手に入れたのか。

裏で蔑視発言をしていたと情報を集められるのは、学院内にいる者だけ。

ハッとして、義妹が私の方を振り返る。


「まさか……まさか、お義姉さま……! 貴方が全てっ……!?」

「え? 何の話かしら?」


極力何も言わないようにしていたけれど、思わず言ってしまった。

同時に乾いた笑いすら浮かべてしまう。

その態度を侮辱と捉えたのか。

弟が血相を変えて手を伸ばしてくる。


「この……! 惚ける気か、姉上ッ……!!」


私は何もしない。

迫る弟の手を前に動じもしない。

何故なら届くよりも前に、その手は割って入った銀髪の青年に掴み取られたからだ。


「そこまでだ」

「なっ!? お前はテオバルト!?」

「実の姉に対して、親の仇のような目を向けるものではないな」

「何なんだ、お前まで!? ここは私の屋敷だぞ! 部外者のお前が何故ッ……!?」

「部外者ではない。この継承式に私がいるのは当然のことだ。そうだろう、オルレア」


唐突に現れたエルヴェンデル家の長男。

本来、彼は招かれざる人物のはず。

しかし弟達を除いて、お父様もお母様も、誰も動こうとはしない。

彼の言葉を聞いて、私も頷いた。


「はい。勿論です」

「な、何なの……? 何を訳の分からないことを言っているの!?」


余裕ある発言に、義妹は私の代わりにでもなっているのかと思う位に叫ぶ。

まぁ、その反応も無理はないのかしら。

だって二人には何も言っていないのだから。


「私はオルレアが当主を継承すると共に、彼女との婚約を結ぶ」

「なっ!?」

「既にこれはコルテクス公も承知の上だ」


そう、既に決まっていたこと。

テオバルトがお父様達に向かって、騎士のように片膝をつく。

弟と義妹はその光景に唖然とするだけだった。


「本来ならば娘はやらん、と言いたいところだが……貴公はオルレアを陰で支えてくれた。根も葉もない噂に惑わされず、私達の代わりに力を貸してくれたこと、今でも感謝している。まぁ、結果としてその噂は現実のものとなった訳だが」

「ち、父上……」

「ヴァイオ、彼はお前よりも遥かに信頼できる。そしてここはお前の屋敷ではない」


テオバルトの横槍について、お父様は寧ろ感謝する。

次いで弟達に向けられたのは冷たい視線。

顔面蒼白な二人に対して、お父様は片手を伸ばし従者達に指示した。


「待って下さい! 謝罪します! 今までのことは全て謝ります! だから……!」

「話は終わりだ。部外者(・・・)を連れ出せ」


無情な言葉が室内に響き、従者達が弟と義妹に近づいた。







「アデリナ、お前との婚約を破棄する……。全て……全て終わったんだ……」

「う、嘘ですよね……ヴァイオ様……? ど、どうしてそんな……!」




「嫌よ、そんなの……! 嫌っ!!!」







「あら、オルレア様? ヴァイオ様は欠席ですか?」

「えぇ。どうやら弟は体調が優れないようです」

「あらあら、折角の卒業パーティーなのに残念ですわ。それに、アデリナ様も見かけませんわね……?」

「彼女も体調不良で欠席のようです。全く……お似合いだと思いませんか?」

「えっ……そ、そうですわね。おほほ」


今までとは様子が違うと気付いたのか、クラスメイトの令嬢は笑顔で誤魔化す。

変わらず私も柔らかな笑みを浮かべる。

あれから数日後、私は学院の卒業パーティーに出席した。

特にこれといった事件もなく、パーティー中に騒ぎ立てるような愚か者もいない。

周囲もただ、お互いの卒業を喜んでいるだけ。


私が公爵家次期当主となった事実も周知の上だ。

何処かの次男坊や三男坊が声を掛けてくるかと思ったが、その心配はなかった。

既に私は婚約を結んでいる。

それも周知の上だからだ。

当然、弟が当主になれなかった事実も。


クラスメイトの令嬢達とお祝いの言葉と取り留めもない会話を楽しみ、何事もなくパーティーは終わる。

参加者は皆、学院から卒業して各々の道を歩んでいくのでしょう。

パーティーという華やかな場も終わり、一人また一人と学院を去っていく。

けれど、私はまだ学院に残ったまま。

夜の学院、その庭園に足を運ぶと、既にテオバルトが噴水の前で待っていた。

お互い、パーティー中は他の人達との交流で忙しかったせいでもある。

近づいていくと、彼は私に気付いて振り返った。


「終わったな」

「過去は全て清算したわ。でも、忙しいのはこれからよ。私は正式にコルテクス家の当主になる」

「確かに、貴族の中には男尊女卑の考えを持つ輩も少なくない。君をよく思わない連中も現れるだろう」

「そう。だから貴方の力が必要」


私はそう言う。

女で公爵家当主となる事例は、そうそうあるものじゃない。

場合によっては軽んじられることもあるでしょうね。

だからこそ、傍で力を貸してくれる人が必要だった。

そしてその人物こそ、目の前のテオバルトだった。

傍から見れば、彼はただの入り婿。

本家の次期当主を降ろされた、何の力もない人物に見える。

けれど、私はそこに隠された裏の意図に気付いていた。


「エルヴェンデル家の権力分散……その意図に君が気付くとは思わなかった」

「王家に迫る権力が現れれば、彼らも黙認はしないでしょうからね」

「元より王家と敵対する気はない。だから予め父は王家に対して、権力の分散と独立を宣言した。俺の目的はエルヴェンデル家によって固められていた市場の自由化と、本家の弱体化を国内外に示すこと。最有力候補だった俺が次期当主を降りたことが、本家を守ることに繋がる」

「……貴方は実の弟と親しいの?」

「後釜を託すくらいには信頼している」

「そう……。少しだけ、貴方が羨ましいわ……」


テオバルトの才能は本物。

本物であるからこそ、強大になり過ぎた家を守るために当主を降りた。

その発言に嘘はない。

自身の将来を託せるなんて、本来家族とはそういうものなのでしょうね。

私は少しだけ噴水の方へ視線を移し、そこに揺れる自分の顔を見下ろした。


「私が弟よりも無能だったなら、才能がなければ、仲の良い姉弟でいられたのかしら」


歯車が違っていれば、掛け間違っていたなら、私と弟が決定的に仲違いすることはなかったのかもしれない。

手を取り合い、信頼し合える家族でいられたのかもしれない。

そんな、感傷に浸る言葉を並べる。

けれどテオバルトは首を振り、呆れるような笑みを見せた。


「思ってもいないことを言うんだな」

「えっ?」

「本心は違うだろう? 何故なら――」


彼はそう言って、私の頬に触れる。


「君は今、とても素晴らしい笑みを浮かべている」


彼を見上げると同時に、揺れていた水面に私の横顔が映る。

そこにあるのは、堪えきれなくなった笑み。

嘲笑、侮蔑、溜飲を下げた歪んだ表情。




ヴァイオ、愚かな私の弟。

貴方は自分の感情を御し切れなかった。

全てを押し殺していれば、口を噤んでさえいれば、次期当主は貴方のものだったのに。

せめて私が当主になるという、あの噂がなければ、貴方もそして義妹も暴走しなかったのかしら。




まぁ、あの噂を流したのは私なのだけど。











ふふっ。

うふふっ。


本当に上手く嵌ってくれたわ。

私が何も言い返さないからって、余計なことをペラペラと。

お蔭でお父様やお母様が心変わりをする位の証拠は集められた。

ホント、感謝しなくちゃね。


噂を流すのも、さして難しい話じゃなかった。

貴族学院の生徒たちは常に娯楽に飢えている。

学院に定期的にやって来る商人に、息の掛かった者を入り込ませてあげた。

過去の弟の発言のせいで、私に付き従う従者は何人もいたしね。

なるべく声の大きい生徒や職員にそれらしい情報をチラつかせたら、それで終わり。

後は勝手に噂が広まっていく。

元々、私と弟は決定的に仲が悪かったから、更に信ぴょう性が増した。


貴方も嫌だったでしょうね、ヴァイオ。

でも無暗に貴方が否定しても、真実だからこそ躍起になっていると勘違いされるだけ。

是が非でも、私の口から否定させたかったはず。

でも、そんなことする訳ないじゃない。

だって私が流したんだもの。

折角撒いた種を、自分で拾い上げる真似なんてしないわ。

お蔭で貴方は、どんどん私に対して敵意を増していった。

流れた噂が悪しき水となって、邪悪な種を芽吹かせてくれた。

それこそ、裏で蔑視発言をする位にはね。


そして義妹のアデリナ。

所詮、貴方は都合の良い駒に過ぎなかった。

以前、弟と運命的な出会いをしたと言っていたけれど、全ては私が仕組んでいたのよ。

弟の行動パターンは全て把握している。

そこに合わせて、王都で貴方と引き合わせるよう手駒を使っただけ。

無能で、どうしようもない貴方をね。


相手は誰でも良かった。

弟の発言を殊更に持ち上げ、考えなしに全肯定してくれるような都合の良い女。

それがアデリナ、貴方だったのよ。

ヴァイオは当然のように縋ったわ。


縋るわよね?

当然よね?

だって学院での貴方は、姉である私に比べられるばかり?

初めて自分を理解してくれた人が現れたのだから、心を許さない筈がないわよね?

それが破滅に追いやる内通者だとも知らずに?


盲目になる程の愛情。

これが真実の愛、ってことかしら。

素晴らしいことだわ。

だから私も使わせてもらった。


私が口を噤んでいたのは、全ては弟達を刺激するため。

劣等感に塗れた心が、それに耐えられる訳がない。

望み通り、私が何も言わないことを良いことに、二人の発言は嫉妬によって過激さを増していった。

そして最後に、お父様達に提供するための情報を集めた。

私ではない、第三者に動いてもらうのが一番確実。

だから目ぼしい人と接触した。

それはアデリナのサロンに参加していた、一番発言力のない男爵令嬢。

名前は、何だったかしら。

まぁ、良いわ。


彼女にサロンで得た発言の一部始終を収集してもらい、学院生活の合間でその情報を受け取っていた。

以前から流していた噂のお蔭で、私が次期当主の可能性があると知っていた訳だし。

逆らったら何をされるか、と思ったのかもしれないわね。

時折、私がふらりとサロンに足を運んでいたのは、男爵令嬢の動きを監視するため。

『貴方をいつでも見ているわよ』という無言の脅迫。

本当に忠実に従ってくれた。

後はテオバルトが、お父様に向けて『私を傷付けたくないから、直接コルテクス公に伝えたい』とサロンの内容を送りつければ良いだけ。

今まで散々手紙で彼とのやり取りは教えていたから、そこにお父様達が疑問を抱くことはなかったわ。

根も葉もない噂から彼が私を守ってくれている、と常日頃から書いておけば、お父様とお母様は完全に信用する。

まぁ、全て自作自演なのだけど。


サロンの会話はこちらで捏造しても良かったけど、実際お父様は暴言の是非を学院に直接問い合わせたみたいだし。

余計な誤解は生まないようにしなくちゃね。

後は事態を知った学院の教職員が、サロン参加者に事情を聴取すれば終わり。

皆、掌を返して義妹達の会話を全て明かしてくれた。


自分の立場が危うくなれば、アッサリと関係を捨てる。

あぁ、何て美しいのかしら。

物語にもあるように、最後には愛と勇気、友情が勝つ。

素晴らしい結末じゃない。


そう言えば卒業パーティーでも、元サロンの参加者達は私を見て怖がっていたわね。

全く、酷い話よ。

私は正当に弟と義妹の発言を収集していただけなのに。

まるで化け物を見るかのように顔を強張らせるなんて。

手足を縛って、断崖絶壁の端にまで追いやったのは確かだけど、飛び込んだのは弟達の意志。

もし寸前で思い止まっていれば、私も許すつもりだった。

だから弟と義妹にはこれ以上何もしない。

這い上がろうが、溺れ沈もうが知ったことじゃない。

これが血を分けた彼と義妹に対する、最大限の情けだわ。


これが私の本性。

弟と周囲の環境によって歪められた、本来の姿。

私の存在を、価値を、奪われる前に奪い返す。

テオバルトは、それを知った上で私に近づいた。


「そうよ、テオバルト。あの時、私は決めたの。邪魔するモノは切り捨て、欲しいモノは全て手に入れる。そのためなら、どんなモノだって利用するわ。たとえそれが、私を溺愛するお父様やお母様であってもね」

「君を変えたのは俺の言葉か。それとも……」


彼は私の心を暴こうとする。

けれど、別の気配に気付いて視線を後方へ向ける。

私達のいる噴水へ向かって、誰かの足音が近づいてくる。

思わず私はテオバルトに抱き付いた。

同時に、何も知らない無関係の令嬢がやって来る。

きっと卒業パーティーが終わって、落ち着きたかったのかも。

でもそこにいたのは抱き合う男女。

私達の姿が、まるで逢瀬に見えたでしょうね。


「あ、あらあら……お邪魔だったかしらね……?」


令嬢は気まずそうに去っていく。

今の会話を聞かれる訳にもいかない。

だからこそ、私は令嬢が去っていく姿を見届けつつ、彼の耳元で囁く。


「ねぇ? 貴方もいつまで本性を隠しているつもり?」

「何の話だ?」

「さっき、貴方はエルヴェンデル家保護のために次期当主を降りたと言っていたけど、本当は違うのでしょう? 本当の目的は、切り離した力を秘密裏に集めて指揮すること。私と婚約したのも、男尊女卑のこの国で、自身の失墜を明確に示せるし動きやすくなるから。それとも私相手なら適当な愛を囁いて、後からでも傀儡化できると思っていたのかしら?」

「……」

「分散、独立は事実。でもエルヴェンデル家は今もまだ、強大な権力を持ち続けている」


私だって恋に溺れる間抜けじゃない。

テオバルトの思惑は推測していたわ。

次期当主を降りたと言っても、強大な権力を持つエルヴェンデル家の長男が、意味もなく私に手を貸す訳がない。

傷心の私相手なら、当初は誤魔化せると思ったのかもしれない。

けれどコルテクス家の厄介ごとに首を突っ込んだ時点で、必ず理由がある。

そして今の彼の沈黙で理解した。

やはり本命はこっち(・・・・・・)なのだと。

抱き付いていた両腕を緩め、私とテオバルトは見つめ合う。

視線を鋭くした彼に向けて、私は微笑んだ。


「どうする? 私の口を塞ぐ? もしそうするなら、少なくとも貴方は道連れにさせてもらうわね?」

「一つ、聞いておきたい」

「なに?」

「それを俺に話す意図は?」

「こうしないと不安……いえ、安心できなくなってしまったの。弟達を排除してから、私の中であの感覚が纏わり付いているのよ。どうしようもない、震えるような喜びが」


テオバルトにどんな思惑があろうと、あの時、手を差し伸べたのは確かな事実。

アレがなければ、私はきっと終わっていた。

だからこそ彼には感謝している。

貴方に対する好意だって確かなものだわ。

でもね、それだけじゃ足りないのよ。

全然足りない。

私が今まで受けてきた苦痛は、その程度では収まらない。


常に私は息苦しさを感じてきた。

呼吸の一つ一つが重苦しくて、正気を保たないと何かの拍子で踏み外しそうになるくらい。

そう、安心できないの。

弟達を排除してから私は知った。

安心というのは、ただ傍に置けば良いだけじゃない。

邪魔なものは消し去って、必要なものは逃げさせない、絶対に逃がさない。

そんな確証が得られてこそ、本当の喜びは得られるの。

けれど今の私には、彼を縛り付けるだけの力は無い。

だから、こうするだけ。

もし彼が無理矢理にでも私を消そうとするなら、その時は一緒に地獄に来てもらう。

エルヴェンデル家は、まだ私の手には届かない。

けれど私自身の命を賭けさえすれば、彼個人を道連れにする方法はある。


「たった一言でも人は変わるもの。そして貴方は私を変えた。既に私の本性も知っている。だから欲しい。貴方が悪と呼べる人間だったとしても、手放したくないのよ。これは、そのための脅迫」

「……全てを知った上で、俺を手に入れるために俺の力を、そして自分の命すら利用するか。ふっ、ふふふ」


テオバルトは笑う。

今までとは違う、腹の底から出るような深く、そして重い笑いが聞こえた。


「ならば、その口を塞ごう」


私は動じない。

見上げた彼の瞳の向こうに、私の表情が見える。

するとその瞬間、テオバルトは口付けをした。

温かくも何処か冷たい感覚が、唇から頭の中を駆け巡っていく。


「君は面白い。今まで媚びてきた他の雑魚共とは違う。そして君の、深い闇の底を映し出す瞳が、何よりも美しい」


ようやくテオバルトが本性を見せる。

蒼く濁った瞳には、今までとは違う凶悪さが見え隠れしていた。

今この瞬間、初めて私達は分かり合えたのかもしれない。


「やはり俺の目に狂いはなかった」

「それは間違いだわ。だって貴方は、私のような狂人に魅入られたのだから。人を甚振り、破滅させることに快感を覚えるような女に」

「そうかもしれない。だが一つだけ弁明させてほしい。俺は別に君を利用しようだとか、傀儡化しようだとかは考えていない。それはたった、最初の瞬間だけだった」

「あら、そうだったの?」

「欲しいものは、どんな手を使ってでも手に入れる。それはエルヴェンデル家が常日頃から掲げてきた家訓だ。そして君はその通り、俺の前で証明した。だからこそ、共に歩むべき相手……いや、分け与える共犯者に相応しい」


彼は、自分の身の置き場を考えていたのでしょう。

目立たず、都合よく裏で力を振えるような、そんな場所。

そもそも王族でもない人間が、表で大きく権力を振るう意味はない。

本当の支配者は決して出てこない。

そうして私という存在を見つけた。


「それで?」

「ん?」

「あの後、弟達をどうしたの? 傷心していたとはいえ、本当は今日のパーティーも、出席する予定だったでしょう?」

「さぁ。俺は何もしていない(・・・・・・・・・)


今なら分かる。

きっとテオバルトは歪んでこうなった私と違って、純粋な悪そのものなのだわ。

だからこそ同類を求めた。

つまりは同志であり、番となれる共犯者を。

意味深な言葉の後、彼は耳元で囁き返す。


「そんなことは置いておいて、披露宴の式場は何処にしようか」

「ふふっ、気が早いわよ」

「善は急げというだろう?」


でも、それで良い。

魅入られたのは私も同じこと。

彼が欲しかったのは本当だし、今も後悔はしていない。

闇の中で求めたのは光じゃなかった。

同じように渦巻く、泥のような闇。

息苦しさを忘れ、愛情すら呑み込んでしまうような深い、深い歓喜と安寧。


「さぁ、これから君は何を望む?」

「全てを手に入れるわ。貴方の愛も、力も、全部全部。うふふふふっ」


もう口を噤む理由はない。

自分の居場所、望むもののために、これからは生きていく。

見下すモノ、邪魔するモノは全て排除してやるわ。

私はテオバルトに向けて笑った。


壊れたのは誰のせい。

壊したのは誰のせい。

私を変えたテオバルト、或いは私を蔑み続けたヴァイオ。

それともこの国そのものかしら。


まぁ、どちらでも良い。

どうだって良いわ。

ただ――。


『ねぇ、僕も頑張れば姉上のようになれるかな?』

『勿論よ。諦めなければ、夢は絶対に叶うわ』


今だけは、息を忘れましょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最年長の人が(男女どっちかに関わらず)跡を継ぐのも 出来の良い人が跡を継ぐのも物凄い当たり前のことなのに ヒロインどころか婚約者までもってまわった悪人ムーブしないと当たり前のことができないな…
[一言] 最初はヒロインの反応に疑問を感じ、モヤモヤしていましたが、 最後に悪を貫いていることが分かっていてスッキリしました。 ちゃんと悪だと自覚してやり切るところがよかったです。 歪んだ二人の関係性…
[気になる点] うーん、気持ち悪い、かな
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