休日『悪童たち・前編』
《ビビアンの世界》
ナターリアとニコルを見送った後、ぼくは所在なさそうにしているエイドリアンをじっと見つめる。
彼女を外に連れ出して、直に世界を見せる。それが今回の目的だ。予定も立てずにふらふら歩き回るどこかの片目女と違って、ぼくはちゃんとした計画を用意してある。
「ぼくの傘下の工場を見学しよう。仕事に励む職人たちと接して、労働のなんたるかを学ぶといい」
大人が多く、迷子になりにくい。何処を見ても新鮮な発見があり、知的好奇心を刺激できる。色とりどりの布や魔道具がたくさんあり、おしゃれ。
エイドリアンが何に興味を示すかまったくわからないが、年頃の少女の職場見学としては完璧だろう。
するとアンジェは首を傾げ、石板を取り出して何やら記入を始める。
「群青先生。エイドリアンの工場見学について、詳しい内容を詰めていきましょう」
「え、えっと……そのノリはなに?」
「魔道具は危険です。エイドリアンの手になる枝の多さを警戒するべきでしょう。下手に触って事故を起こしたら大変ですから」
「それはそうだけど……」
「我々引率の者たちが留意事項を頭に叩き込んでおかねばなりませんよ、群青先生。五体満足で帰るまでが見学です」
「あのー、アンジェ……。もうちょっと普通に会話してくれると助かるなぁ……」
ぼくの発言を聞き流しつつ、アンジェは堅物使用人のドーナを呼んで相談を始める。何故か保護される側のエイドリアンも一緒だ。
「ドリーちゃん様は仕事中毒でございます。屋敷から離れても誰かのお役に立とうとなさいます。ですので我々から厳命しなければ枝の使用を止めさせることはできないでしょう。『商品に触れるな』『自分から職人に声をかけるな』『設備に魔力を注ぐな』といったところでしょうか」
「『勝手に扉や窓を開けるな』も追加しましょう。それでも暴走しそうなのが怖いけど……」
「ドリーちゃん様は常識というものをご存じないようですからね」
2人がエイドリアンの方をチラリと見ると、褐色の耳がぴこぴこと動く。
「ドリーにとって、えださんはおててとおなじなの」
「じゃあオレに置き換えると、両手を縛って歩き回るのと同じなの? つらいなあ……」
「ドリーちゃん様を抑制する方法……。ドリーちゃん様は心当たりがございますか?」
「ないよ。ドリーはどうやったらおとなしくできるのか、よくわかんないよ」
「そっかあ」
何で当たり前のようにエイドリアンが加わってるんだよ。そして何で開き直ってるんだよ。暴れる気まんまんじゃないか。
それにしても、エイドリアンは使用人たちと仲が良いと聞いていたけど、まさかここまで親しげに会話できるとは。ぼくたちが苦労したのはなんだったのか。
この調子だと日が暮れそうなので、とりあえずぼくは皆の間に割って入る。
「時間は限られている。ぼくだって暇じゃないんだ。さっさと行こう」
「……まあ、いざとなったらオレが止めればいいか」
既に事件が起きることが確定しているかのように、アンジェは大きなため息をつく。
いくらエイドリアンがお騒がせ幼女だからって、まさか他人の領分を引っ掻き回すような真似はしないと思うけどね……。彼女は案外おとなしい、とぼくは思っている。
「やるだけやってみよう。そうしなければ、理解は得られない。ぼくたちがエイドリアンを知るための機会でもあるんだ」
「ドリーちゃんってよんで」
「前から思ってたけど、そこに拘る必要が何処にあるんだよ……」
「……おねえちゃんがつけてくれたんだもん」
ぼくとエイドリアンは、早速微妙な空気を生み出しながら出発する。
〜〜〜〜〜
昼前。日差しが眩しく、空気が澄んでいる時間帯。
アンジェ、ビビアン、エイドリアンの3人は、ビビアンの傘下として働く組織である『ノーグ商会』本部へとやってきた。
商会ではあるが、立地は人通りが多い場所というわけではない。周囲に工場を抱えているため、むしろ街のはずれに位置している。物を売るのはここの役目ではない。
その分、建物は立派だ。金と物を扱う組織の旗印として十分な大きさと貫禄を兼ね備えた、白く美しい石の建造物。掃除が行き届いているためか汚れひとつない壁からは、ほんのりと清純ささえ感じられる。
「なかなかの見栄えだろう?」
「うん。石材がいいね。北の地方から切り出したやつかな。組み方もいい。……で、いくらで買ったの?」
「金の話題を出しやがったな、こいつめ」
「気になっちゃって」
ビビアンはすっかり貴族的な優雅さや上品さを重視する感性に育っている。相手の懐事情を探るのはご法度であり、失礼にあたる。
それでもアンジェは遠慮なく尋ね、ビビアンは何の躊躇もなく答える。
「大金貨15枚。……どう? めちゃくちゃ安いでしょ?」
「安い。安すぎる」
アンジェの知識の海による試算では、土地の権利まで含めて大金貨50枚はかかるようだが……。一体どんな手を使えば15まで減らせるのだろうか。聞きたいような、聞きたくないような。
ひとまず自らの脳を振り絞って、ビビアンが取った行動を考えてみよう。
「推測するに、土地は買ってないね。元々あったものをただ同然で譲り受けたものとみえる」
「惜しい。元々ここは織物や染物の組合があった場所なんだ。そこを買収して商会のものにしたのさ。元々あった組織をそのまま使ってるだけ」
「うひゃあ。思ったより暴力的だった」
「人聞きの悪い。金は組織の血液だ。血液が無い病人に命を与えてやったんだから、彼らにとってもぼくにとっても有意義な取引だったと言えるはずだ。感謝してほしいもんだね」
2人がそんな会話をしていると、エイドリアンが指先でツンツンと背中を突いてくる。
「それ、ドリーもきかないとだめ?」
「……ふむ。ドリーちゃんに問題だ。大金貨15枚あれば何が買える?」
アンジェが抜き打ちで質問をしてみると、エイドリアンは構ってくれて嬉しいのか、少しだけ頬を持ち上げて、さらりと答える。
「『だいきんか15まい』は『しょうぎんか15000まい』です。ドリーのおうちだったやどに、7500にちとまれます」
「えらい……! 満点をあげるよ」
アンジェはエイドリアンの頭をわしゃわしゃと撫でつつ、満面の笑顔を向ける。
枝を拘束された状態で、勉強に次ぐ勉強。そんなエイドリアンの意欲を高めるためには、褒めるしかあるまい。
エイドリアンは嬉しそうにはにかんで、アンジェの頬を両側から掴む。
「ごほうびにちゅーして!」
「それはダメです」
「けち!」
禁止事項に『ちゅーをせがむこと』が追加された。
〜〜〜〜〜
3人は商会に堂々と表から足を踏み入れる。
すると、入り口の側にいた屈強な男が、突然声をかけてくる。
「むっ」
魔道具の布を主力商品とする商会だけあって、身なりは整っているが……顔の傷や隆起した筋肉がかなり目立つ。その表情の剣呑さからは、白い建物に相応しくない血生臭さすら漂っている。
「お嬢! お疲れ様です!」
「ああ。今日はほら、お客さんが来てるから……静かにな」
ビビアンはやけに格好つけた仕草で袖を振り、2人の姿を示す。
アンジェがおっかなびっくり頭を下げると、男はにこやかな目つきで屈み、目線を合わせてくる。
「おう、嬢ちゃん。お嬢が世話になってるそうじゃないか。今後とも仲良く頼むよ」
「……はい」
数々の冒険を経て、アンジェの人見知りは改善されつつあるものの……このような手合いが相手では、まだ心もとない。小さな心臓が爆発してしまいそうだ。
男の視線は低空を滑るように移動し、エイドリアンに向かう。
エイドリアンはコワモテの男を前にしてもまるで緊張していないのか、いつもと変わらない挨拶をする。
「エイドリアンです。ドリーちゃんってよんで」
「ドリーちゃん、か。めんこい名じゃねえか」
「ドリーはうれしくなるよ。ほめるとうれしいがおおきくなるよ」
男は恐ろしい風貌とは裏腹に、やけに慣れた笑顔でエイドリアンを楽しませている。子供好きなのだろうか。それとも演技が上手いだけだろうか。
「(親切にしてくれる人にも警戒しちゃうのは、オレの悪いところだよなあ)」
アンジェにとっては人、および人が集まった集団そのものが恐怖の対象である。故にこそ、考えすぎてしまうのだろう。
アンジェは己の愚かな考えを振り払い、ビビアンに声をかける。
「案内は任せるけど、一応見取り図がほしいな」
「図かあ……。そういうのは無いね。まあ、ぼくを信じてくれたまえ」
一同はビビアンを先頭に、交易品らしい芸術作品が並ぶ廊下を歩き始める。
なかなか趣味がいいが、何のために飾ってあるのだろう。貴族の管轄下であるということを誇示するためだろうか。
「(あれは王戦時代の民衆を描いた作品。あっちはそれ以前の……。価値のある絵画や彫刻が、無造作に置かれている。盗まれる心配は……いや、審美眼と人脈がないとお金に換えられないから、案外そういう被害は無いものなのか。それに、これだけのものを揃えられる貴族に歯向かうのは……怖いだろうな)」
アンジェが知識の海を全力で稼働させながら見て回っていると、ビビアンはそれらに関心が無いかのように別の方向を指差す。
「まずは製造工場から見に行くのが効率的だね。どんな物が作られているのか、知っておくべきだろう」
そう言って、ビビアンは隣接している別の建物に繋がる扉を開き、連絡通路へと歩いていく。
「ここで作ってるのは、魔道具の布。今アンジェやエイドリアンが着ているのも、それで作られたものだ」
「ドリーちゃんってよんで」
「……はいはい。ドリーちゃんは悪魔だが、さっきの男に恐れられず、普通の子供として対応されたのは、その布に包まれているおかげというわけだ」
魔道具の布。それはアンジェたち悪魔が人間から嫌われずに生きるための生命線だ。今も当たり前のように人間と交流できているが、魔道具がなければ誰かに気づかれて大騒ぎになっているところだ。
そんな生活必需品が、ここで大量生産されている。気にならないはずがない。今後の人生のためにも、知っておかなければならない。
知識の海にさえ、魔道具が大量生産された歴史は載っていないのだから。
「(ビビアンは今まさに、歴史に新たな頁を刻もうとしているんだ……)」
高位の従業員用らしい通路を進み、ビビアンがある扉の前で立ち止まる。
「次の部屋は広いけど、気持ちよく真ん中を歩くわけにはいかない。壁際を進むよ。人が多いし設備がうるさいから、壁に沿わないと迷子になる。わかったね、ドリーちゃん」
「ドリーはかべさんになるよ」
「違う。絶対にやめろ。壁の近くを歩くんだ」
「ドリーはかべのちかくをあるくよ」
「よし」
禁止事項に『壁にならない』が追加された後、3人は工場の作業区画へ繋がる大扉を開く。
……直後、視界の情報量が何百倍にも膨れ上がる。
「おお……!」
「すごいね……!」
高い天井。何処までも続く広大な広間。その内部には、呆れるほど巨大な金属の塊が縦横無尽に張り巡らされている。まるで鋼鉄の蜘蛛の巣。あるいは機械の森だ。
その隙間に体を潜り込ませているのは、人。汚れた身なりで蒸気を浴び、機械の導きに従って駆け回る。
人。人。人。機械の中に出て入り、糸の束を持ち上げて降ろし。忙しなく動き回る姿は、働き蜂のよう。
「ここは製糸場。蚕を煮て糸を取り出し、束ねて商品にする場所だ」
ビビアンの解説を受けて、アンジェは知識の海に潜り、すぐさまそれについての知識を入手する。
「やり方は知識に載っている通りだけど……規模が全然違う……。送られてくる繭の数も……糸を巻き取る機械の幅も……何もかもが大きい……大きすぎる」
アンジェが見た知識によると、職人たちが並んで繭をお湯に浸け、せっせと糸をほじくりだすのが一般的なやり方らしい。
この工場も同じやり方ではあるが、機械と魔法によって規模を極端に拡大させている。大釜で煮て、鉄の道で輸送し、機械で巻き。大量生産とは、機構という名の巨人の業なのだ。
……その巨人を周りにいる小さな人間たちが築き上げたと考えると、何やら誇らしい気分になってくる。
「人間は強い。強いんだ」
むせかえるような虫の臭いと噴き上がる蒸気の熱に圧倒されていると、ビビアンがふと思い出したように語りかけてくる。
「こことは別に、蚕を飼育したり乾かしたり選別したりする場所もあるんだけど……そっちは寄らないことにした」
「なんで?」
エイドリアンが素朴な疑問を呈すると、ビビアンはこっそりアンジェと同調して、内心思っていることを伝えてくる。
「(蚕は金を産む生き物だが、極めて繊細だ。エイドリアンに会わせるわけにはいかない)」
「(可哀想だから助けるとか言い出しそうだよね。それとも飼いたいと駄々をこねるか……)」
「(いずれにせよ、生き物を教材にするのはまだ時期尚早と言えるだろう)」
「(同意するよ)」
ビビアンは適当な言い訳を繕う。
「工場は広いからね。細かいところまで全部回りきれないから、こっちで選ばせてもらったよ」
「えー……。かいこって、むしさんだよね?」
エイドリアンは非常に残念そうな顔で俯き、口元の涎を拭いている。
「むしさん、おいしいのに」
禁止事項に『虫を見つけてもつまみ食いするな』が追加され、3人は製糸場を去る。
〜〜〜〜〜
工場見学を終えて商会へと戻ってくると、物騒な人だかりができている。
中心にいるのは、筋骨隆々とした風体のハゲ男。その周りにいるのは、傷だらけのむさ苦しい男性たち。
カタギではない気配を感じる。詐欺、恐喝、殺人を生業としていそうな雰囲気が漂っている。
「(こわくなんかないぞ)」
アンジェは虚勢を張って通り過ぎようとする。
「群青卿。お勤めご苦労様です」
「ぎゅひっ!?」
声をかけられてしまった。
見た目から想像できる太い声帯によるものだ。暴力的で、威圧的で、修羅場をくぐってきたアンジェにとっても恐ろしいと思えるに十分なものだ。
ビビアンは先頭の男に返事をして、親しげな様子で振る舞う。
「おぉ、アルミニウス。どうしたのぉ?」
「……あれ? そこのツレは貴族じゃねえのか。緊張して損したぜ」
アルミニウスというハゲの男は、急激に態度を軟化させる。
なるほど。ビビアンと知り合いということは、軍人だったか。荒くれ者のようにしか見えなかったが、少しは秩序という概念を知っていそうだ。
ビビアンはアンジェの緊張を察したのか、苦笑いをしつつ男を紹介をする。
「こちらはアルミニウス。大剣士と呼ばれている領軍の猛者で……まあ、同僚かな。周りにいるのは領軍のみんなで、前衛担当って感じ」
「おう。商会の旗揚げもやったぜ。……あー、商会ってのはおみせやさんってことでだな……子供を相手にするのは難しいな」
「いえ、わかりますよ。新しい事業の立ち上げには人やお金が要りますからね。群青卿はその時にあなたを頼った、ということでしょう?」
ビビアンを事業の面で支えた男に対し、アンジェも自己紹介をする。
「オレは群青卿の友人、アンジェでございます。お目にかかれて光栄に思います」
「おお……また賢い子じゃねえか。ビビアンといい、なんだか調子狂うな」
どうやらアルミニウスはアンジェたちを人間の子供として丁重に扱うつもりだったらしい。……なかなか好感が持てる男ではないか。面倒見が良さそうだ。
続けて、エイドリアンも臆せず前に出て名乗る。
「エイドリアンです。ドリーちゃんってよんでください」
「ドリーか。魔物……いや、この感じは悪魔か……」
「ドリーちゃん!」
「悪魔に怒られるのは初めてだ。なるほど、人間性が豊かとみえる。よろしくな、ドリーちゃん」
魔道具の布の上から悪魔であることを見抜くとは、流石は歴戦の戦士だ。
……アンジェを見抜けなかったということは、魔力ではなく仕草で判別したということだろう。人間の癖が残っていることに、アンジェは少しだけ安堵を覚える。
仕事があるらしい取り巻きたちがはけた後、ビビアンはニヤニヤと笑みを浮かべて、アルミニウスを肘で小突く。
「そうだ。折角だからそっちの方に人を入れる許可をおくれよ。たぶん邪魔はしないから」
「いいのか? 黒い方が泣き出しそうだが」
「別にいい。アンジェだって、ああ見えて修羅場をくぐってるからね」
アンジェの扱いが酷いような気がするが、実際にアルミニウスを見て泣きそうな気持ちになっていたので文句は言えまい。
彼が管轄する領域。おそらくは元軍人たちが多数集まって力仕事をしているのだろう。……たとえ見た目が恐ろしくとも、無法者ではないと知っていれば、耐えられるはずだ。
アンジェは首を縦に振り、ビビアンの背を押す。
「だいじょうぶです」
「アンジェのそういう顔、本当に好きだよ。可愛いし間抜けで面白い。いっひっひ……」
悪戯っぽく笑うビビアンに、同調で恐怖を押し付けようか迷うアンジェであった。
〜〜〜〜〜
《ビビアンの世界》
アルミニウスはぼくと同時期に英雄として持ち上げられたものの、身の振り方に困っていた。
ぼくは貴族と共に暮らし、貴族としての勉強を積むことができる。爵位に見合った振る舞いをすることができる。
しかし彼は剣一本で成り上がった身。貴族の知り合いもおらず、社交場や肩書きに相応しい態度を作れずにいた。
そんな彼を憂いたぼくは、貴族としての礼節を彼に教えた。会う機会は幾度となくあるのだから、前線での戦いを少しだけ早く片付けて時間を作るだけでいいから楽だった。
彼は覚えが悪かったけど、まあ少しはマシな言葉遣いができるようにはなった。会食や会合でぼくの知り合いを紹介することもあって、それで貴族の繋がりもそれなりに手に入れたそうだ。地位のある味方がいるというだけで、貶められることは一気に少なくなる。安心安全の後ろ盾だ。
こうして、アルミニウスに貸しができた。そう、仮にも爵位を持っており、この地で広く名の知れた男に大きな貸しを作れたのだ。これはなかなかの収穫だった。
その時、ぼくは技術力を使って魔道具を世に広め、資金を手に入れようと画策していた。しかし技術者の知り合いはいても、商売ができる末端の人員や、それらをかき集められる求心力のある人間はいなかった。
そこで、アルミニウスに頼んで彼の人脈を利用させてもらうことにした。ぼくよりずっと英雄として名が知られているため、下町には顔が効く。
彼が声をかけると、あっという間に人が集まった。怪我や老齢で退いた元軍人や、軍の規則に嫌気がさした悪魔祓い。他にも、軍人だった大黒柱を失った一家や、路銀が尽きた旅人など。
集まった人を使い、ぼくはアンジェを助けるための設備や資金を確保するため、商会を設立した。元々あった様々な組合に魔道具を持って乗り込んで、技術力を見せつけ、暴力をちらつかせ、傘下に吸収。彼らが製造していた魔道具を改良し、商品の魅力で市場での地位を確保。商会の名が世に知れ渡れば、あとは金も人も入れ食いだ。
こうしてぼくはピクト家に依存しない資金源を獲得し、何ヶ月も継続的にアンジェ救出の実験を行うことができたというわけだ。
その気になればいつでも屋敷を出て行くことができたんだけど……ま、ニーナには恩があるからね……。離れたくなさそうにされたら、居座っちゃうよ。
商会はぼくの努力の結晶であり、今のぼくにとっては爵位の土台だ。この組織があるおかげで、ピクト家の庇護下になくなった今となっても、ぼくは社交界において有力な貴族として扱われている。下手な大貴族より金を持ってるからね、今のぼくは。
「わかるかい、ドリーちゃん。ぼくの偉大さが」
「ぜんぜんわかんない」
エイドリアンへの授業として、休憩室を借りて以上の内容を語ってみたのだが……流石に難しすぎだようだ。
エイドリアンは知能こそ並の子供より数段上のようだが、知識と意欲が致命的に欠如している。特に意欲が薄いのは問題だ。
ぼくたちに迷惑をかけたから、一応成長しようとするようになってくれたけど……まだまだやる気が足りないようだ。
アンジェは額に手を当てて、エイドリアンから意義のある言葉を引き出そうとしている。
教育係としての義務感と、ナターリアへの義理からなる行動だろう。ぱっと見エイドリアンより歳下に見える彼女が家庭教師のように振る舞っている姿は、どことなく愉快だ。
「体験しただけでは思い出になって終わりだ。なんらかの感想を持つことが学びに繋がる。……ドリーちゃん。部分的にでもいいから、話を聞いて思ったことはある?」
「……おかねがだいじだって、おもった」
宿の経営に絡んでいたというのに、金の重要性を知らなかったのか。金の使い道を知らず、賃金を得たことさえないからだろうか。
この際、もっと根本的な質問をしてみたほうがいいかもしれない。
「ドリーちゃん。お金がどういうものか知ってる?」
「『こぜに』とか『しへい』とか、いろんなかたちがある。やどにとまるのにひつよう。いろんなものがかえる。こわしたらすっごくおこられる」
……おそらく、壊した経験があるのだろう。
アンジェは椅子の上で腕組みをして唸っている。
「今のはナターリアが教えた内容だろうね。ナターリアは実物を見せて名称を教える形式で授業をしていたようだから……『こぜに』と『しへい』はそれで覚えたんだろう」
「なるほど……特に紙幣はそうか」
宿の接客では、小銭はともかく紙幣という単語はまず出てこない。この国には銅貨、銀貨、金貨しか存在しないからだ。エイドリアンがその単語に触れるとしたら、ナターリアの授業以外には有り得ないとみていいだろう。
エイドリアンがつぶやいた「まつげきねんび」という言葉を無視して、アンジェは推測を続ける。
「実物提示教育の形を採用していたのは、ナターリアなりの工夫か。外の世界を見られないエイドリアンのために、少しでも本物を見せようとしていたのかも」
エイドリアンを前にして無闇と張り切りながら授業を行うナターリアの姿が目に浮かぶようだ。
「……でも、ちょっとやりすぎだったね。体系化されてないし、記録も曖昧だ。何を学んで何が課題になっているかわからない。おかげさまでオレたちに苦労がしわ寄せされている」
アンジェの言う通りだ。エイドリアンが何を知っているのか、何を苦手としているのか、ひと目でわかる方法がない。どの文字まで書けるのか。どの単語まで読めるのか。歴史は知っているのか。数学は何処まで学んでいるのか。未だに曖昧なままだ。
ナターリアは実物にこだわり過ぎた。手に入らないものを教えることができなかった。そして、教えるために使った教材を保管しておくこともできなかった。貧乏な宿では、保管場所も資金的余裕もない。
「オレたちは違うやり方を模索する必要がある。今回の見学も、実物に触れて名称や機能を覚える以上のものでなければならない」
アンジェはちっちゃなおててを顎に当てて考え込んでいる。その表情は幼く、子供らしいと言わざるを得ないが、彼女のもたらす成果は大人顔負けであることが多い。
そのうちぼくと合わせて「頭脳派幼女二人組」なんて呼ばれるようになったりして。そうだといいなぁ。
「次はアルミニウスが管理する領域だ」
ぼくが宣言すると、アンジェは得意げな顔を歪めておそるおそる尋ねてくる。
「あのー、ビビアン様。次はどのような部署を案内してくださるので?」
既に怯えている彼女には悪いが、次に合う連中はどいつもこいつもガラが悪いぞ。
「ノーグ商会が誇る暴力装置……鎬部門だ」
アンジェの顔が真っ青になっていくのを、ぼくは堪えきれないニヤケ顔で見届ける。




