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第89話『青春色の群青』

 ビビアンとドムジの激論により、詳しい譲渡契約が詰められた。

 結果として、アンジェたちは軍への命令権や蔵書の所有権など、ドムジが譲る予定だった以上のものを得ることができた。ビビアン様様だ。


「ぜんっぜんわかんないので、あたいに関係ある部分だけ教えてください」


 ナターリアはニーナが収まっている物体を磨きながら、ふてぶてしくアンジェに要請する。


 ニーナに聞けば教えてくれるはずだが、どうしてアンジェを頼るのだろう。不思議だが悪い気はしない。


「(オレは賢いからな。へへへ)」


 仕方がないので、アンジェは要約して伝える。


「ピクト家の次くらいにはなんでもできる」

「お屋敷を手に入れただけっすよね?」

「正確には財産と、それを満足に使役する権利だ」

「ああ……家は財産の代表格ってことすか……」


 これはビビアンの拡大解釈と、ドムジの譲歩によるところが大きい。ビビアンを領地の神輿にしたいピクト家の思惑に、本人が乗った形だ。


 ビビアンの性格なら束縛を嫌いそうなものだが、何やら吹っ切れたようだ。また、ピクト家に対しても、思うところがあるのかもしれない。彼女が言うところの恩と言うべきか。


 ナターリアは布を持った手を止めて、考え込む。


「たとえば……たとえばの話っすよ?」

「うん」

「あたいがご飯を食べたいなって思ったら、どうすればいいんすか?」

「使用人に頼めばいい」

「お風呂に入りたい時は?」

「いつでもどうぞ」

「……あたいが買えるもの、どれくらいあります?」


 アンジェは屋敷にある金額を大まかに割り出し、アンジェ、ニコル、ビビアン、ナターリアに分配し、それで買える物を大雑把に検討してみる。


「ナターリアの実家の宿、再現できるよ。大工に頼んで、同じ物を揃えて、地下室も……。余剰が出るから投資もできる……。経営には当分困らないかな」

「従業員は?」

「10人くらいで回すのがいいんじゃない?」

「ぎょえーーっ!?」


 ナターリアは貴族の城にあるまじき汚い悲鳴を上げながら、一気に青ざめていく。

 今までの金銭感覚と違いすぎるのだろう。何代もかけて少しずつ積み重ねてきた財産を、一代で一気に追い抜いてしまったのだ。無理もない。


「あ、ああ、あたい、なんもしてないのに、そんなに受け取れません!」

「受け取るのはビビアンだよ。ビビアンがナターリアに色々分けてくれたら、そうなるって話」

「なあんだ。じゃあ今までと変わりませんね。所詮あたいはおこぼれに預かる虫ケラっすよ。ははは」


 ナターリアはお気楽な口調になってゲラゲラ笑い始める。

 情緒不安定に見えるが、大丈夫だろうか。エイドリアンも心配している。


 ……とはいえ、その感覚はアンジェにも理解できないわけではない。


「(オレも突然知識の海を手に入れた時は戸惑ったからなあ……。似たようなものか)」


 そのうちナターリアも、新しい人生に慣れていくだろう。今のところは実感が無いようだが、少しずつ学んで、手を広げて、役に立つようになればいい。


 ……そうして、感慨に耽りながらしばらく待っていると。

 ビビアンは使用人を通じてアンジェを呼び出す。


「(今更オレの力が必要なのか?)」


 何かあったのだろうか。


 アンジェが堂々とした風格を意識しながら歩いていくと、ドムジとビビアンが小動物を見るような目つきで目配せをし合う。


「やはり、こんな幼い少女の力を借りるのは……」

「ですがアンジェの知能は認めていらっしゃるでしょう?」

「知能……。まあ、話がわかるようではあるが……。あんなよちよちとした歩き方の子供を……」


 ドムジはだいぶ旗色が悪そうだ。少し目を離した隙にだいぶビビアンにしてやられたらしい。


 彼がアンジェを受け入れられないのは、きっと心の問題だろう。アンジェもエイドリアンの能力を認めつつ、屋敷を任せることに罪悪感を抱いている。目下に苦労させたくないという庇護欲は、持っていて当たり前のものだ。


 とはいえ、アンジェはもう一人前だ。今では大勢の前で緊張することもなく、自らの意見を伝えられる。


「ドムジ様。アンジェは辺境伯と手を取り合い、この地をより一層豊かにしていく所存でございます。領地の知恵の一端として、相応しい場所に置いてくだされば、それ以上の幸せはございません」


 とりあえずニーナを立てれば納得するだろう。アンジェもなんとなく彼の性格が読めてきた。


 案の定、ドムジは眉間で胡桃を割れそうなほどのしかめ面になりつつも、アンジェに席を用意する。


「くっ……ぬぐぐ……。なんだこの子供は……。本当にかつては人間だったのか……?」

「ふふん。アンジェは賢いでしょう?」

「本来ならまだ教育をつけることさえ難しい年齢だろう? 生まれた時からある程度の知恵を持つ悪魔でなければおかしい」

「アンジェは産声を上げて生まれたそうですよ。悪魔ではあり得ません」

「一体どうなっているんだ。我々の力になるならありがたいが……」


 魔物も悪魔も早熟であり、生まれてすぐに歩行し、1年以内に言語を覚える。

 しかしアンジェは幼い人間として生を受け、後天的に悪魔となった。それには当てはまらない。


「アンジェはただの天才ですよ。いひひ」


 ビビアンは嬉しそうにニヤけている。

 アンジェの活躍を自分のことのように喜んでくれる友人。得難い関係だ。


 アンジェはちょこちょこと高い席に座り、ドムジとの会話を開始する。


 〜〜〜〜〜


 《ニコルの世界》


 私が使用人さんと世間話をしていると、アンジェは疲れた顔で私たちのところに戻ってくる。

 お貴族さまとのお話に混ぜられて、本当に大変だったと思う。労ってあげないと。


「おつかれ、アンジェ」

「その言葉だけで報われたよ」


 アンジェは私のお腹の中に額を埋めて、何があったのか簡単に説明してくれる。


「ニコルたちは領地に迷惑をかけた悪魔であり、罪人という扱いだ。ビビアンは表に出して英雄として宣伝できるけど、みんなはそうはいかない」

「……そうだね」


 あの時の私は物騒だった。アンジェがいなくなったから、死にたくて死にたくてたまらなかった。ビビアンに会うことだけが生きる目的になっていた。だからあんな手段を取ってしまったんだ。


 アンジェは私の胸を頭頂部でどつきながら、腰に手を回す。


「でもピクト家の手を離れてビビアンが主導する分には自由だってさ。貴族にはなれないけど、世間に認められる可能性は出てきた」

「……むしろ、今まではどんなに活躍してもピクト家のご機嫌次第でダメにされる立場だったってこと?」


 あまり大きなことをしてこなかったし、名声に興味がないから知らなかったけど……お貴族さまって本当に性格悪いね。


 アンジェは私の胸の下でたぶん悲しそうな顔をしながら、背中をさすって慰めてくれる。


「残念だけど、貴族は影響力があるからね……。活躍を大々的に広める立場の人がいないと、英雄にはなれないよ」

「……ちょっと納得いかないけど、わかった。これからはそうじゃないんだもんね。気にしないことにするよ」


 アンジェは凄いのに、ピクト家に認められるかどうかが全てだなんて、イライラする。頑張れば頑張ったぶんだけ地位を手に入れられる仕組みが欲しい。


 ビビアンなら、変えられるのかな。本物の英雄になって、私を薄汚い田舎娘と呼ぶような連中を黙らせられるのかな。


「(でも、ニーナさまみたいな人もいるし……)」

「あーっ! アンジェちゃん、独り占めなんてずるいっすよ!」


 アンジェの頭を押さえつけ、ナターリアが私の胸に飛び込んでくる。煩悩に塗れた下品な笑顔で、私を求めてくる。

 嬉しい。でも、今はよくないね。ナターリアは後先を考えないところがあるから、私がちゃんとしないとね。


「ここではダメだよ。帰ったら、ね」

「はい!」


 ここはまだ、怖い怖いお貴族さまの懐だからね。何をされるかわからない。


 ピンと背筋を伸ばしたナターリアの背後に、呆れた顔のビビアンが立つ。


「んみぃ……。気を抜くにはまだ早いよ」


 ビビアンの後ろには、わざとらしく目を逸らしているドムジさまが。その手の上には、ニーナ様が入った兜も。


 見て見ぬふりをしてくれているってことかな。早く退散しよう。


「待ち人がおりますので、名残惜しいですが、お別れするよりほかありませんね」

「ああ。クリプトンを診てやれ。そして一刻も早く、ニーナの体を戻せるよう……頼んだぞ」


 ドムジさまは貴族然とした堅苦しい表情を崩し、どこなく情に厚い種類の、引き締まった顔を見せる。


 この親にしてこの子あり。ニーナさまの父親というだけのことはあって、根っこは話のわかる人物だったようだ。これからはもう少し腹を割った話し合いができそうかな。


 ……お貴族さまに対してこんな感想を抱く時が来るなんて、昔は想像もしなかったな。


 私たちは一列に並び、ニーナさまドムジさまに向き直り、ビビアンを代表として挨拶をする。


「本日はとても有意義な会でございました。辺境伯が今後とも健康でありますよう、お祈り申し上げます」

「まこと、その通りでございますわね」


 ニーナさまは相変わらずのらしくもないお嬢様言葉で、くすくすと笑う。


 ……あの人とも、友達になれるのかもしれない。大貴族と仲良くなれるなんて、夢みたいな話だけど……貴族も村娘も、()()()やっぱり、同じ人間なんだ。


 〜〜〜〜〜


「さて。現状を整理しましょうか」


 城の一階。見送りの守衛たちが遠目に見える中、アンジェは皆と相談する。


「まず、今のオレたちの立場を確認します」


 アンジェはひとりひとり指差しながら丁寧に言及していく。


 ビビアンは正式に屋敷を手に入れ、ピクト家から独立した存在となった。我々の書類上の長は彼女ということになる。

 アンジェ、ニコル、ナターリア、エイドリアンの4人は、彼女に管理される実験の被験者であり、部下であり、私兵である。ビビアンが所有する工房の一員ということになるらしい。社会的な立場は工房の名において担保される。


「この地における住民票を手に入れたようなものだと思ってほしい」

「あー、なるほど。偉い人に認められて、よそ者じゃなくなったってことなんすね。へー……」


 それをふまえた上で、これからアンジェたちがやるべきことは3つだ。

 アンジェは指をピンと立てて示しながら、皆にわかりやすく伝える。


「やるべきこと、ひとつ目。ビビアンの部下として、工房の役に立つ。これがオレたちの仕事だ」

「具体的には、どうやるんすか?」

「今まで通り実験台になっていればいい。今のが終わったら……ま、ビビアンが何かしら割り振るでしょ」


 アンジェが信頼の眼差しでビビアンを見つめると、彼女は得意げに鼻を鳴らす。


「ぼくが敷いた道を楽に歩いていくといいさ。感謝の心を忘れないでくれよ?」

「これからはビビアンさまって呼びましょうか?」

「距離を感じるからダメ」

「はーい」


 ビビアンが唇を尖らせると、ナターリアは笑いを堪えきれずに吹き出す。


 周りの人たちが何事かと困惑し始めたところで、アンジェは次の説明に移ることにする。


「ふたつ目。ニーナ様と仲良くすること」

「おお……。まあ、そっすよね」

「ビビアンが主任技師になれたのは、ニーナ様を改良できるから。つまりあの人が実質的な雇い主だ」

「まぁ、アイツは面倒事を持ち込んでくることが多いけど……それでも……」


 ビビアンは真剣な表情で、改めて皆に願い出る。


「ぼくはニーナのために完璧な体を作りたい。これから主任技師のクリプトンと話し合って頑張るから……どうか力を貸してほしい」

「うーん……まあ、しょうがないね」


 ニコルは複雑な心境のようだが、ビビアンに蔦を伸ばし、頭を撫でる。


「変だし危ない人だけど……あんなの見ちゃったら、放っておけないよ」

「オレも頑張る。いくらでもこき使ってくれ」

「……ありがとう」


 さて。いよいよ、3つ目だ。

 これが最も困難で、最も重要な課題だ。


 アンジェは先程から気まずそうに黙っているエイドリアンを指差して、告げる。


「最後に……ドリーちゃんを教育すること」

「……そっすね」


 エイドリアンは勝手な行動が多すぎる。彼女の自由や意思を遮りたくはないが、その前に常識や信頼を教え込まねばなるまい。何か行動したい時には、周りに相談するようにしつけなくては。


 ナターリアはエイドリアンのすがるような目つきを受けて、それでも眉間に皺を寄せ、わざと厳しい態度を取る。


「ドリーちゃん。今までは宿の仕事や過酷な旅で手一杯でしたが……これからは時間がたっぷりあります。よって、あたいは少し教育熱心になろうと思います。身勝手な親だと思うかもしれませんが、我慢して受け入れてください」


 親に強制されてばかりだったナターリアとしては、そんな方法は取りたくなかったのだろう。だがエイドリアンの野放図な行動を知ってしまっては、放任するわけにはいかない。


 ビビアンもまた、エイドリアンを厳しい目つきで見つめつつ同意する。


「エイドリアン。今の君を世間に受け入れさせるのは無理だ。価値観や常識のすり合わせを行わなければならない」

「おべんきょう、しなきゃだめってこと?」

「物分かりがいいね。そういうことだ」


 エイドリアンは利口であり、他人の言うことをよく聞く。教育さえすれば、もう少し分別がつくようになるだろう。


 アンジェもまた、努力しなければ。教える側も驕らず知識を吸収し、自分を更新し続けなければ、良き教師であることはできまい。


「(生きることは、学び続けることだ)」


 ……少し暗い雰囲気になってしまった。進むべき道を確かめて使命感を抱くのはいいが、肩を怒らせて歩くべきではないだろう。


 どうやって空気を変えるか悩んでいると、ナターリアが目立つように挙手をする。


「あー、おほん。こんな場所であれですけど、円陣組みます?」

「お、いい案だね。やろう。折角だし」


 わかりやすい提案に、ビビアンが乗る。合理的だが案外ノリがいい。彼女の良いところだ。


 アンジェは気を使い、エイドリアンとそっと手を繋ぐ。性格的に一番溢れやすい彼女こそ、真っ先に囲い込むべきだ。


「ドリーも……いいの?」

「いいんだよ。今日から改めて、オレたちの家族になるんだから」

「かぞく……。かぞく!」


 エイドリアンはぱっと笑顔の花を咲かせる。


 円陣。結束。仲の良い対等な存在との、絆の確かめ合い。

 友達がいないナターリアにしては珍しい提案だ。エイドリアンが喜ぶことを無意識に感じとったのか、それとも幼少期に似たようなことをしたことがあったのか。


「(オレが知るナターリアは、宿の娘になってから。それ以前は、もしかすると……友達がいっぱいいたのかもしれない。円陣を組む機会だって……)」


 そんなことを考えながら、アンジェは少女たちの輪に加わる。

 身長差は魔法の台で補填し、短い腕で肩を並べる。


 全員がまとまったところで、ナターリアが勿体ぶった顔で音頭をとる。


「えー、おほん。思えば、色々ありました。生まれた土地が違います。育った環境も違います。だけどあたいたちは、今日こうして肩を組み、笑い合っております……」

「長い。みんなが見てるから、早くして」

「あ、はい……。じゃ、適当に決めちゃいますか」


 ビビアンに急かされ、ナターリアはしょげながら掛け声を腹の奥から発する。


「『群青騎士団』結成だ! やるぞー!」

「なにそれ」

「えい、えい、おー!」

「……おー?」

「まぁ、いいか。おぅ」


 ばらばらの声で、それぞれの勢いで、みんなは腕を高く掲げた。

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